ゴルディロックスの原理

消えた老婆

 前回の記事で触れたが、「三匹のクマ」に出てくる老婆は、教育上の観点から少女に差し替えられている.差し替えの理由は、しつけやマナーを教え込む目的があるからだ、という説が通説のようだが、もともとは老婆であった.当初の人物が老婆であったのはどういうことなのだろうか.ぜひ前回の記事を読んでから以下の小論を進めていただければ私にとってもあなたにとっても幸いである.

 この老婆、ただものではない.少なくとも住居侵入、器物損壊の悪行が指摘できると思う.窓と鍵を確認してから堂々と侵入する手口はおそらく初犯ではないのだろう.身なりが汚く、朝からふらふらしていたことから定住できる場所がない可能性を考える.浮浪者であったのだろうか.

 さらに家主がいつ戻って来るかわからないというのに、他人のベッドでぐうぐう寝る姿は大胆かつ無警戒だ.備品を破壊し、食事を平らげ、寝台を汚したにもかかわらず詫びもせず逃走するのは、その行為に呵責があるかともかく、常習的に行っていた可能性をさらに裏付ける.子グマの声で覚醒した老婆は、目の前にクマが三匹いるのを見て、即座に窓から飛び降り脱出する.その思い切りの良さは度肝を抜く.確かに目の前にクマが複数いれば、誰でもビビる.とはいっても高所から飛び降りる判断は賢明とはいえない.外傷のリスクは高いし、栄養状態が悪く筋力低下が示唆される高齢者が飛び降りれば、無傷では済まないはずだ.飛び降りた老婆の行方は不明となる.語り手の憶測が少し記述されて物語は終わる.

 悪事を働いた老婆はこれで懲りたろう.めでたしめでたし.悪霊退散、セーマン・ドーマン.……本当だろうか?なんだかオチにしっくりこないのは私だけだろうか?この物語はオチが釈然としないのである.この話の人物が老婆から金髪の少女、ゴルディロックス(Goldilocks)に差し替えたとしても、オチは変わらない.結局少女はクマの家を荒らし、逃走する.そして物語は唐突に終わる.本当に教訓は「無銭飲食、住居侵入、器物損壊をしてはいけません」というもので良いのだろうか.オチが落ち着かない.

邪悪さの彼方に

 老婆が完全な悪なのかというと、そういうわけではないのかもしれない.老婆にとって日常はその日暮らしのぎりぎりの生活で、窃盗をせずには生きていけない極限の環境にいたとすれば、道徳律を超越してやりくりする必要があったのかもしれない.しかし同情の余地はない.彼女に関する描写は少なくこれ以上の憶測を無限に呼ぶばかりだ.

 「三匹のクマ」の非人称の語り手は老婆を悪とし、クマを善良な性格としている.汚らしい老婆は、読者の陰性感情を掻き立て、老婆の邪悪性を浮き彫りにし、対照的に純粋無垢で善良なクマの立ち位置を明瞭にする.あまりに見え透いた明らかな善悪の二項対立は、人物を少女に置き換えて児童文学に着地点を置くしかないのかもしれない.だが今ひとつ収斂しきれていない.老婆が姿をくらまして話は終わり、クマたちは部屋をめちゃめちゃにされ途方に暮れて終わる.オチがすっきりしないのに、なぜこの物語は有名になったのだろうか.

ゴルディロックスはちょうど良い

 老婆にとって、少女ゴルディロックスにとって、子グマのお粥の温度はちょうどよくて、椅子の座り心地もベッドの寝心地もちょうど良かった.しかし大きなクマと中くらいのクマのそれらは熱すぎたり冷たすぎたり、硬すぎたり柔らかすぎたのだった.この物語を有名にしたのは、老婆とゴルディロックスの選択そのものなのであった.

 相反する二極の性質において、「ちょうどいい」適当な性質、傾向を表すものをゴルディロックスの原理:Goldilocks Principle」と呼ぶ.この「ちょうどいい」表現は、様々な分野で使われている.例えば、天文学の領域で地球は「ゴルディロックス惑星」という.経済学では「ゴルディロックス価格」、「ゴルディロックス市場」という表現を使うそうだ.発達心理学にも「ゴルディロックスの原理」が存在し、薬理学の分野でも「ゴルディロックスの原理」がある.私はこの原理を社会に出てしばらくしてから知るようになった.日本でこの表現はあまり流布していないように思うが、皆さんはご存知だろうか.ようやく本題に入ろう.天文学や経済学でのゴルディロックスは他の専門にゆずるとして、私の話しやすい分野で説明を試みたい.

 ここでクエチアピンが登場する

  世の中には様々な医薬品がある.容量用法が薬によって異なるのは、薬理や医学、生理学などを専門としない方でもなんとなくわかって頂けると思う.ここでクエチアピンという薬は薬理におけるゴルディロックスの一つであることをご紹介したい.

 クエチアピンは向精神薬である.その中でも抗精神病薬という分類に入る.抗精神病薬というのは主に統合失調症の治療薬、という意味で使われる.「精神病に抗う薬」という理解でいいと思う.では統合失調症にだけ使うのかというと、決してそういうわけではない.容量によって効能が変わるのが興味深く、使いようによっては大変便利な薬だ.少なくとも私はそう理解をしている.統合失調症だけでなく、双極性障碍のうつ病相、応用としてせん妄や睡眠の問題にも使うことができる.

 クエチアピンという薬剤は多様な神経伝達物質に働く.神経伝達物質はドパミン、ノルアドレナリン、セロトニン、ヒスタミン、ムスカリンといった名前がよく知られている.神経伝達物質の機能、というのは例えばドパミンという物質がドパミン受容体と呼ばれる部位に結合することで発揮される.鍵と鍵穴のような関係の理解で良いのかもしれない.ドパミンという鍵はドパミン受容体の鍵穴にのみ刺さって、解錠することができる、という感覚だ.解錠する、という例を作動とするなら、施錠は拮抗、という意味として理解できると思う.クエチアピンには、解錠と施錠の働きを持つ、いわば「合鍵」がたくさん付いていると考えていただきたい.たくさん合鍵を持っているお屋敷の執事を連想してもいいし、複数の通行手形を持っている商人、偽造パスポートをいくつも持っている諜報員でもいい.

 この「合鍵」のうち解錠専門を、アゴニストという.施錠専門を「アンタゴニスト」と呼ぶ.合鍵ではないドパミンやノルアドレナリンなど、生体内そのものの物質は「リガンド」という.これらの言葉は試験前の学生さん以外は忘れてしまっていい.鍵の比喩で例えづらいのは「パーシャルアゴニスト」という「合鍵」で、頑張って例えるなら、「ちょっとだけ開ける」作用である.鍵穴に半分くらい差すと、少しだけ扉が開くような意味合いと考えていただければ良い.「ちょっとだけ開ける」というのは「ちょっとだけ閉じる」のと同じ意味合いを持つ.なので「パーシャルアンタゴニスト」とは言わない.「パーシャルアゴニスト」は部分作動薬ともいう.これで役者の説明が整った.

 クエチアピンには、たくさんの合鍵がある.解錠専門の合鍵と、施錠専門の合鍵、ちょい開けの鍵.つまりは、複数の受容体に対してアゴニスト、アンタゴニストとパーシャルアゴニストの作用を持つ.この薬理学的特性がクエチアピンを「ゴルディロックス」足らしめているのだ.とはいってもまだピンとこないかもしれない.もう少し話を続けよう.

 ドパミン仮説とモノアミン仮説

 統合失調症の原因の一つにドパミンの機能異常が指摘されている.ドパミンが過剰に(中脳辺縁系の)ドパミン受容体に結合して作用することで、幻覚妄想などが生じると考えられている.だがドパミンだけではないとされているのが定説である.それのみでは極彩色の精神現象は説明出来ない.そして、うつ病の原因の一つにドパミン、セロトニンやノルアドレナリンといったモノアミンの機能異常が考えられている.詳しい説明をかなり省くが、例えばセロトニンが枯渇すると、抑うつを呈しやすい仮説が知られている.あくまで仮説である.これ以上の説明は論旨からずれてしまう.多くの精神疾患は未だに原因が明らかでない!

 よって治療はシンプルに考えると、過剰なものにはブレーキを、足りないものは補充をすればよい、それか代謝されるモノアミンを少なくすれば良い.ここでブレーキとなるのが、施錠専門の合鍵、アンタゴニストである.補充を促すのはモノアミンに関して「再取込み阻害」という表現が適切となる.古い薬剤は強力なブレーキと、強力なセロトニン・ノルアドレナリンの再取込み阻害が売りだったが、その分、反動となる副作用が目立ったために、改良が続けられたという経緯がある.そこで、パーシャルアゴニストという部分的なアゴニストの有用性が注目されてきた.部分的に解錠を行うことで、ブレーキを適度にかけつつ、副作用を低減することができるとされている.そのような考えのもとで、新薬が開発されている.

 そんな中、クエチアピンはゼネカ社(現アストラゼネカ社)によって1985年に開発、1997年から米国で使用、日本では2001年から承認されている薬剤だ.大きな特徴にドパミンD2受容体アンタゴニスト作用と、セロトニン(5HT)受容体のサブファミリーの一つ、5HT2Aのアンタゴニスト作用を持つ.活性代謝物のノルクエチアピンはさらに5HT1Aパーシャルアゴニスト作用や、5HT7、5HT2c、H1(ヒスタミン)受容体アンタゴニスト作用、ノルアドレナリン再取り込み阻害をもつ.ごちゃごちゃしてお腹いっぱいになってしまうだろうが、要するにたくさんの合鍵を持っているということだ.

 

図1:主要な抗精神病薬の受容体結合親和性.引用元:Expert Review of Neurotherapeutics 15(10) Page:1219-1229 (2015)
図2:クエチアピンの受容体結合親和性(Ki)を対数で図示.数値が小さいほど結合親和性が高く、アンタゴニストとして作用する.

 一応、図を二つ提示する.図1は各抗精神病薬によって、結合親和性が違う=合鍵によって閉めやすさが異なる、ということを示している.図2はクエチアピンの結合親和性の数値、Kiを対数レーダーチャートで図示したものである.受容体によってかなり親和性が異なるということがパッと見でわかれば良い.

 日本におけるクエチアピンの処方可能最大量は一日750mgである.もし、統合失調症治療をクエチアピンだけでやろうとすると(そんなことはほとんどないはずだが)300mg-400mg以上使用する必要がある.仮に600mg使用したとしよう.その場合、クエチアピンのドパミンD2受容体占拠率が80%以上を占める.もちろん他の受容体の遮断(施錠)も生じるのだが、D2受容体が顕著となる.この600mgのクエチアピンを大きなクマに例えてみよう.

 もし、うつ病(正確には双極性障碍のうつ病相)の治療で用いるとすれば、300mg相当を使う必要がある.双極性障碍のうつ病相に適応があるクエチアピンの徐放剤(商品名ビプレッソ)は300mgまで使用することが推奨される.この場合、5HT2c受容体アンタゴニスト、ノルアドレナリン受容体再取り込み阻害作用が目立って発揮される.この300mgのクエチアピンを中くらいのクマに例えることにする.

 鎮静や催眠を促すための量は25mgや50mgが適当なことが多い.この場合、H1受容体拮抗(施錠)作用だけが現れる.つまり、すごく眠くなる.不穏で落ち着かないような場合、従来の睡眠薬ではなかなか眠れないような強固な睡眠障碍があるような場合にこのクエチアピンは宵の明星のような輝きを放つ.この50mgのクエチアピンを子グマに例えることにしよう.

 だんだん、薬理におけるゴルディロックスの意味合いがわかってきただろうか.

 ゴルディロックスの選択

 ここで、前回の「三匹のクマ」の話をもう一度思い出していただきたい.もしゴルディロックスが二十歳くらいの女性になったとしよう.彼女は不運にも悩める魂を持っていて、幻覚に怯え、得体の知れぬ声が聞こえるとしよう.姿なき声に導かれて深い森に入っていった彼女はとある一軒家を見つけ、家の中で大きなクマクエチアピンフマル酸錠600mgを発見した!この場合、彼女にとって、この容量は幻覚妄想といった陽性症状に効果てきめんである.

 あるいは、活発であった少女ゴルディロックスがひどく憂鬱でふさぎ込んでいた場合、彼女にとって中くらいのクマのクエチアピン300mgは救済になるであろう.5HT2c受容体アンタゴニスト、ノルアドレナリン受容体再取り込み阻害作用が暗鬱な魂に潤いを与えてくれる.

 最後に老年期を迎え、少しずつ見当識がぼんやりしてきた老女ゴルディロックスがふらふらと彷徨い、三匹のクマの一軒家に侵入してしまったとしよう.彼女は夜になると眠れず急にそわそわ落ち着かなくなってしまっている.このような場合、ふと彼女が口にした子グマのクエチアピン50mgはまさにちょうどよい睡眠薬として機能して、ついでに子グマのベッドでぐーすか寝てしまうのである.(もしかして寝起きの老女が見たクマの姿は幻覚だったのだろうか)

 以上がざっくりとした精神薬理学としての「ゴルディロックスの原理」の説明になる.これを要約すると以下のようになるだろう.

 ある特定の疾患に対して「ちょうどいい」となる薬剤は、その薬剤の用量によって異なる.薬理におけるゴルディロックスの原理とは、薬効が強すぎることもなく、弱すぎることのない「ちょうどいい」程度で薬剤が受容体と結合した状態をいうもしその用量が多すぎたり、少なすぎたりすると、その効能は他の疾患にとっての「ちょうどいい」となる可能性がある.

 こうした「ちょうどいい」状態は臨床場面によってまちまちで、アゴニストとアンタゴニストの間の絶妙なバランスをどのようにとるかにかかっている.そしてそのバランスをいかにして取るかは、臨床家の絶え間ない悩みであり、挑戦でもある.

最後に

 「ゴルディロックスの原理」の話はこれでおしまいとなる.いかがだっただろうか.童話や民間伝承、神話がもとになっている用語やことわざ、例えというのは意外と多いようだ.その中でも「ゴルディロックスの原理」は群を抜いて特殊かつ広範な用法をされるのではないかと思う.相反する二極の性質において「ちょうどいい」適当なものというのは、多くの人が求めるのに対して、各々によって程度が異なる絶妙な難しさを持つ.このような葛藤は臨床の立場だけでなく、あらゆる学問で存在することから、おそらく全宇宙の次元において通ずる問題なのかもしれない.

 改めて原作を考えてみると、老婆にとって子グマのお粥も椅子もベッドも「ちょうどいい」ものだったがどれもつかの間の状態に過ぎなかった.クエチアピンの疾患に対する至適濃度も一時的なものに過ぎない.地球と太陽の位置関係も時間が経てばいつか崩れる.老婆の電光石火の逃走と、崩れ落ちる物語のオチは、この世界の均衡が刹那的であることを暗に示しているのだろうか.考えすぎだろうか.

ここまで読んでくださりありがとうございました.