占い師に出会った話と薬の話

占い師の面接技術

 私が北海道にいた頃、札幌市の雑居ビルで占い師に手相と相性占いをしてもらったことがある.私は決して占いを信じているわけではない.かといって信憑していないわけでなく、まずは実際に受けてみてから判断をすべきだと思ったのだった.そして彼らの面接テクニックを盗めるのであれば盗んでみたいと思ったのである.記憶が正しければ、相手は初老の男性で、愛想よく対応してくれた.

 確か九星気学という理論に基づく方法で占術を行っていたように思う.生年月日と自分の氏名を述べたあと、彼は分厚い本をめくり、「貴方は南に行くといいでしょう」、貴方より年上の異性には気をつけなさい」という言葉を私は頂戴したように思う.とりあえず現在は北海道よりも南下したので方角的には吉である.それに年上の異性には職業柄出会うことが多いが、困ることはなく過ごせている.病棟のスタッフとは仲良く付き合うことが兎にも角にも大切だ.

 占いの最中は何気ない世間話で盛り上がり、全く退屈しなかったことを覚えている.いつの間にか情報を相手にペラペラと話しており、なんだか問診をされているような感覚は全然しなかったのであった.こういう気持ちのいい面接ができるのはかなりテクニックがいることだろう.アドバイスをくれるときも全く説教じみた感じは受けず、これぞ面接の極意か、と密かに感銘を受けたものだった.

 どういう理屈で「南がいい」のか、「年上の異性に気をつける」のか、「何を気をつけたらいい」のかはすっかり覚えていない.ただただ雑談をして愉しい雰囲気であっという間に終わってしまった.気持ちよく鑑定料を払って占いは終わった.占いを受けることは存外悪くなかった.むしろ面白くて、何年かしてもう一度受けてみたいと思っていた.面接から学ぶことは多かった.まったく分野が違う業界かと思えば、根幹は私と同じように感じた.本当に優秀な面接者は質問の意図を気づかせずに問診を行うという.私は今までそのような神業をその占い師以外に見たことがない.

 数年して、休暇で北海道を訪れたことがあった.札幌を訪れたときにもう一度、あの占い師にあって鑑定を依頼しようと思ったのだが、北海道胆振東部地震のためにすべて台無しになり計画が頓挫してしまった.私も被災した.あれから何年か経っているが、息災なのだろうか.ふと思い出した.無事に悩める人々を導いてくれていたら良いなと思う.

薬物治療の難しさについて

 私は隠さずにいえば、治療をする立場でありつつ、治療を受ける立場である.無論こんなはずではなかったのだが、なかなか内服をやめるわけにはいかない.一回でも飲み忘れると薬の半減期が短いせいで急激に離脱症状が訪れる.それはもう気分が悪くて、吐き気がする.頭は痛くなるわ、だるくなるわ、陰鬱になる.本当に何もできなくなる.脳内でセロトニンの再取り込み阻害が急速に途絶えたために生じることはわかっても、これはひどい副作用である.ついうっかり飲み忘れるということはある.私だってほとんど飲み忘れることはないのだが、夜勤での急な呼び出しやひどく疲れた夜なんかは忘れてしまう.だから沢山薬を飲んでいる方で飲み忘れず続けている方は本当に、本当に立派だと思う.忘れずに飲んで当たり前ではなくて、飲み忘れて当たり前なのだ.

 一方で、薬があるから仕事ができるのかもしれない.そういう意味ではありがたいことだが、本当だったら、働かずにもっと休息できたら良かった.だがそうは問屋がおろさぬ.

 自分の面接のときに「以前と比べてどうですか」という質問をされたことがあったが、正直に言って「そんなのことはわからない」.これを表現するのは難しいが私達はご存知の通り、現在を生きている連続体であるので、今と昔の気分の違いを述べるのはかなり難しい、というほかない.私はデジタルではないのだ.今、元気ですかと訊かれたとしたら「元気ではありません」と答えるだろう.去年の自分だって「元気ではありません」といった.では「かわりありません」というのが正解なのだろうか.めんどくさいやつだと思われるかもしれないがそれは正解ではない気がする.

 そんなこんなでうつ病の増強療法としてアリピプラゾールが少量出されたことがあった.これは抗うつ薬に加えて、パーシャルアゴニストを加えると、抗うつ作用が増強するという理屈に基づいている.去年の十二月がまさにそれで、そのときの私は妙に「キマって」いた.頭の中が妙に冴えてしまうのである.常にアイドリングで2000回転くらいエンジンが回転しているようなものだ.これは結局だめだった.頭が良くなったとか、そういうものではない.気分がよくなったとかそんなことでもない.頭の中にブクブクと浮かんでくる言葉や疑問、観念は絶え間なく、無限の思念の源泉が明確に感じられてしまう.自分自身に突き動かされる感覚で、落ち着いているのに落ち着かない自分がいる.その結果がブログに反映されている.「キマって」いたときは月に20件投稿していたが、やめてからは月2件になった.後者の方が断然いい.当時の先生には悪いがもうこんな経験はゴメンだ.おそらく私にとってアリピプラゾールは1.5mgであったとしても「大きなクマ」のお粥であった.先生は「飲んでいるときの貴方のほうがハキハキしてていいと思います」と言われたのだが、私はとにかくやめてほしい陳情を訴えるべく熱心だったに過ぎない.先生を非難するつもりはない.薬物治療は難しい.当事者の身になってなおさら感ずる.

 過去の文章を読み返すと、たしかに「キマって」いた.そんな感じがする.それは決して心地良いものではなかった.今も好き好んで飲んでいるわけではない.できることなら飲みたくない.飲まないと離脱症状が襲う.金はかかる.自分で自分につけたスティグマを嫌悪している.この嫌悪感を自覚している自分が一番嫌だ.