記憶/外傷

PTSD対策専門研修備忘録

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 国立精神・神経医療研究センター主催のPTSD対策専門研修を受講する機会に私は恵まれた.講習会の中で久々に受けてよかったと思うものの一つと言って良い.これは厚生労働省のこころの健康づくり対策事業の一環であり、国立精神・神経医療研究センターという日本の精神医療をリードする研究機関が催すものだ.私は今回、たまたま講習会を受講できる機会があっただけに過ぎない.ちなみに受講料などは発生せず、別の手続きを踏む必要をして、希望者は研修に参加することができる.よって私には千載一遇の好機であった.謝謝..شكر جدا こんな機会は早々無い.せっかくなので、お勉強した内容を少しだけ共有できれば良いかと思う.

 PTSD(心的外傷後ストレス障碍)のT、「トラウマ」に関して私は恥ずかしながら全くの無知である.語義的なことを言うと、トラウマは古代ギリシア語で「傷」を指す.英語で用いられているのは後期十七世紀からで、心的な外傷というテクストで使ったのは十九世紀とされている.

 とは言えど、残念ながら十七世紀より遥か昔から人々は「トラウマ」と無縁ではない.そんなことは私が言わなくてもわかるだろうが、ここで「トラウマ」とは何かを確認しておく.狭義の定義には「実際にまたは危うく死ぬ、重傷を負う、性的暴力を受ける出来事への暴露」(DSM-V;米国精神医学会監修 精神疾患の診断・統計マニュアル)、広義の定義に「身体的または感情的に有害であるか、または生命を脅かすものとして体験され、長期的な悪影響を与えるもの」(SAMHSA;米国薬物乱用精神保健管理局)が代表的であろう.戦争、虐待、犯罪、災害、喪失、ネグレクトといった出来事が我々の精神に変調をきたすことは嫌でも知られてきた.エミール・クレペリン(Emil Kraepelin)も驚愕神経症(Schreck-neurosen)という疾患概念を記述しているが、これはPTSDの概念をよく表している.

 さて、PTSDを私が知る限り概説してみる.

 上記のトラウマに暴露された場合、それは直接体験でも、目撃でも、近親者に起きた心的外傷の伝聞でも、強い不快感を抱く細部を繰り返し見聞きするような体験が当てはまる.大きく分類すると、「再体験症状(フラッシュバック)トラウマ体験が蘇る」、「回避体験を思い起こすような状況を避ける」「過覚醒神経の高ぶりが続く.体の症状を制御できなくなる」「認知・気分の陰性変化事象の認知に歪みが生じ、極端な自己否定感をもちやすい.自分に対してだけでなく他者や世界に対する見る目も変わってしまう」「感情の調節障碍感情の制御ができず自分の気持ちもわからなくなる」「対人関係の障碍」が起こることが多い.これは診断基準に包括されている.このような症状が少なくとも一月以上持続し、社会的に臨床的に苦痛が生じているとき、診断が考慮される.

 考えてみると、気分障碍に重なるところは大きい.うつ病との併存はよくあるし、過覚醒症状は状態や他の精神現象と誤解される可能性もある.自身の戒めとしても問診と鑑別には十分注意する必要がある.

 このブログでもかつて取り上げた戦争神経症(臓病)も大きな傷跡の一つだ.ベトナム戦争に従事した米軍の研究や1970年代に認知され始めた性暴力被害から徐々に研究が進み、1980年にはDSM-IIIではじめて「心的外傷後ストレス障碍;PTSD」が提唱された.そのころから既に「複雑性心的外傷後ストレス障碍;CPTSD」の概念は議論されており、2018年にようやく国際疾病分類第11回改訂版(ICD-11)で正式な診断基準として採用されたに過ぎない.疾患概念というのは消えたり現れたりするファーストフードのメニューのようなもので(チキンタツタとか)、未だにCPTSDは議論を呼ぶ疾患である.とは言っても、国際疾病分類が重視するのは、臨床的実用性と、中核的症状に焦点を当てること、そして国際的な適用可能性を持つことだ.

 だから、ヘナチョコでクソザコナメクジな私よりも非常に優秀で聡明な人々が作成に関わっている.私にできることは診断基準を丁寧に丁寧に吟味することだ.ICD-11が日本でも使用されるようになるのは来年以降のことであるし、人口に膾炙するには時間がかかる.私達はあらゆる事象に意見することは保証されているけれども「複雑性」や当事者に対する評価について好き勝手論じる前に、まずは通常のPTSDの理解を進めることがより大切なのだと思う.そして「トラウマ・インフォームド・ケア*(Trauma Informed Care)」という考えが世に広まっていくことを期待したい.今回私が受講した理由には、自身の経験と昨今の社会の動きが関係しているかもしれない.なんとPTSDは日本では過小診断されている可能性が極めて高いという.なんとなくそんな気はしたが遺憾である.

「いやいや、私は関係ないから.周りに精神疾患の身内もいないし、そういう人は気の毒だとは思うけど.えんがちょ!」ともし思ったのなら、失礼ながらそれは貴方が無能か卑劣漢か、とても幸福かどれかかかもしれない.統計的にはPTSDの有病率は0.7%とされている.標準誤差は0.2くらいだ.我が国の成人人口を仮に一億人とすれば、年間70万人!!(標準誤差を加味すると95%信頼区間で年間30万人から110万人)が上記の診断を満たすことになる.これは雑な計算にせよ、そんなにおかしくもないだろう.毎年数十万人がトラウマ体験をしていると考えるとこれは災害級の恐怖である.

*トラウマ・インフォームド・ケア:さまざまな疾患の患者にケアを行う際に、患者がトラウマを体験している可能性やトラウマの苦痛を和らげようとする不適応的な対処行動が、現在の症状につながった可能性を想定すること.これはすべての人が関わることができるケアである.

「こんなに辛い体験を私に話してくださってありがとうございます.よく話してくださいましたね.これ以上は貴方のこころが心配ですから、無理しないでおきましょうか」

 この考えはすごく大切なことで、無関心でいることも良くないが私達は人に余計なことをしてしまいがちだ.人に対して一定の節度を持つ態度が求められている.もちろんDPATなど医療者も災害地救援に駆けつけて、トラウマ体験をした人々に支援をすることはある.ところがどっこい、心理的デブリーフィングのように介入し過ぎるとかえって回復を妨げてしまう.これには正直驚いた.支援者の多くは温かい血が通っているからこそ、サイコロジカル・ファーストエイド(Psychological First Aid: PFA)*を展開するが、それは支援者自身の満足や急性期患者の即時効果という面で考えると、効果は短期的でしかない.もし介入をするのであれば、長期にわたって関与する態度が必要だという.カチカチの冷凍ひき肉を解凍しようとして、急いで電子レンジにかけても部分的に火が入ってしまうだけで、全体が均一にふにゃふにゃになることはない.ゆっくりと低温で解凍しなければならない.旨味の混じった2021年現在、緊急時の心理的デブリーフィングは世界的に否定されている.

*PFA自体も非常に重要な概念である.PFAを否定しているわけではない.こちらを参照願う.

精肉を解凍する

 研修会でも「トラウマ記憶は冷凍保存記憶」だと触れられていた.これは至言だ.トラウマは無時間性と鮮明性を持つ.ゆえに時間を超越してピチピチの鮮度で私達のもとへ飛来する.トラウマ記憶は単なる過去の記憶ではない.現在でも苦しみを生み出している特殊な構造を持った記憶である.その想起には苦痛な情動を伴う.そしてその体験が強烈が強ければ強いこそ私達は言葉を失う.私は例の書籍の一文を思い出す.

何かを語ろうとするときに、それが根源的な体験であればあるほど、言語の徹底的な不自由さを感じる

思考のフロンティアシリーズ「記憶/物語」より

 あるいは耐え難い受難は「偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃」*のように人知を超えた形態で表されるのかもしれない.李徴の感慨如何ばかりか.アオーン.

*偶ゝ狂疾に因つて殊類と成る 災患相仍つて逃るべからず(ふとしたことから心を病んで狂気の結果身は獣となってしまった.災難が内からも外からも重なって、この不幸な運命から逃れることはできない)

 さて、冷凍した鶏もも肉が解凍されるには、時間はかかる.でないと旨味の汁がこぼれてしまう.ならば冷蔵庫に入れておけばよい.常温でもいい.圧倒的な体験で氷結した心は、その圏外にある限りはいつか溶けてゆく.

 こうした経過は、私達に生来「レジリエンス(résilience)」という回復力が備わっていることで説明される.事実、PTSD症状をもつ人々の多くは自然寛解することが知られている.貴方が逆境でも、最後に挫けないのは素晴らしい弾性力があるからだ.だからといって放置していいかと言えばそんなことはない.どんなに回復力が強い草木でも土壌と日光と水がなければ萎れてしまうのと同様に、適切な環境構築が極めて重要である.トラウマ体験を被った人々に対して、徹底した安全保障を提供することは、初期対応の基本である.(それが難しいのであるが!)自分自身似たような経験をして、骨身に沁みるほど困難さと大切さがよくわかった霜月のこの頃.

 治療方法は徐々に構築されつつある.完全寛解する症例も一定数いるし、多くは良くなることが期待されている.これは朗報である.希望を持つことができる.だが、何よりも大切なのは物理的・心理的安全確保である.そして心理教育を受けることである.研修の講師は「心理教育が命」と繰り返し言っていた.心理教育とはなんぞや、ということになるが、「心的外傷体験後に精神状態が不安定になるのは決して珍しくないこと、症状は異常な事態を乗り越えるための正常な反応なのだ」と伝えることが一義なのだという.このような考えは(標準化)ノーマライゼーションの一つだ.

 薬物療法についても一定の適応があるという.本邦で保険適応となっているのはパロキセチンとセルトラリンというSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)である.ご存知の方にとってはこれらはうつ病の薬である.他にも併存する病態を加味して、ミルタザピン、ベンラファキシンやオランザピンやボルチオキセチンを使っているという講師の紹介があった.個人的には、どのような薬剤を使っているかという小技を教えてくれることは非常に参考になる(こういうのは友人のお兄さんから、ゲームの裏技を教わる小学生の気分と同じだ).当然症例によってさじ加減が異なるし、薬だけで決して良くなるものでもないことを強調しておこう.全米医学アカデミーの報告でもSSRIの有効性に関するエビデンスは不十分である.あくまでAugmentationかSupplementとして考えるのが良さそうだ.

スーパーヴィジョンと精神療法

 ではどのような治療法が有効なのか.その問に対してはいくつかの学会が出しているガイドラインが参考となる.少なくとも六団体が「トラウマ焦点化認知行動療法;Trauma Focused Cognitive Behavioural Therapy」を第一選択治療として推奨している.うーん、認知行動療法は聞いたことあるけれど、「トラウマ焦点化」なんて知らないなぁという人がほとんどだろうし、そんな治療どこに行けば受けられるのかな、という疑問も生じてくるだろう.私も知らない.少なくとも国立精神・神経医療研究センターはノウハウを知っている可能性は高いが、みんなが東京都小平市へ駆け込むわけにもいかない.それにこの精神療法を提供する人はスーパーヴィジョン(SV)を受ける(to be supervised)必要がある.

 SVとは何かを説明するのは骨が折れるし、SVを受けたことのない私が話をするのもどうかと思う.日本語熟語で説明を試みるとすれば、「薫陶成性」、「薫陶を受ける」ということだろうか.フィクションで例えると、ジェダイの騎士が入門の際に、師匠から心構えを教わるようなものだろう.でないとフォースの暗黒面に堕ちてしまう(スターウォーズ).精神科医が暗黒面に堕ちるとどうなるか.あっ……

 SVの仕組みは臨床心理士の世界でしっかり体系化されている印象をもつ.医師間では私の知る限りこのような仕組みはほとんどない.精神分析の界隈ならあるだろうが、畑が違うと文化も異なる.マスター・ヨーダ級の師範は一体どこにいるのやら……近年創設された公認心理師においても、今後SVのミームが引き継がれると良いなと密かに思う.

どこまでも低く

 話をもとに戻そう.「トラウマ焦点化認知行動療法」は敢えて(Dare)トラウマを焦点化して認知を修正する.上述したように、トラウマは凍りついた無時制の記憶である.このカチコチの記憶をじっくりコトコト低温で温めるということは、トラウマを単なる記憶に戻すことだ.名状しがたい体験を自ら証言することで、断片化した記憶を再建する.私達は何かを想起する瞬間、どうも記憶がふわっと揺らぐようなのだ.

「えーっと……」

 認知行動療法はこの瞬間を狙う.プラレールのY字分岐みたいなものだろうか.療法家は当事者が紡ぐ言葉を巧みに援助して、病的な記憶回路の再構築・再強化を食い止める手助けをする.あくまで支援である.これには専門性が要求される.誰もがやっていいことではない.当事者が影と対峙する取り組みを冷静に見守るのが精神医学の原則だ.「私が治す!失敗しないので」というスタンスとは一緒にしてはいけない.

 この態度を如実に表しているであろう文章を引いて、以上肥やしのようなクッサイ記事をお終いにしよう.以前も紹介したことのある、ルネ・シェレール(René Schérer)は歓待論(ホスピタリティ)における重要な哲人である.今読み返すと私は、これはトラウマ・ケアの核心に迫る文だと思う.今のところ、これでいい気がする.細かい精神療法は専門家の数だけ療法があるとも言われるくらい無数にある.そんな枝葉は眺めているだけで良い.私達は、ただただこの態度を尊重するに尽きる.眼前で微笑む相手に対して内界を慮る姿勢が求められている.綺麗事ばかりでは済まないとは思っていても、私は「低く」あり続けたいと心から思う.

Que veut dire témoigner? Non pas se faire pur spectateur, mais vivre avec; non pas contempler, mais partager; non pas se tenir en haut. où l’histoire se décide, mais être en bas où elle se subit. En bas, au plus bas, où le mot disponibilité cesse d’être un verbiage, pour devenir l’acte même d’exister.

René Schérer, 

Zeus Hospitalier; Éloge de l’hospitalité

 証言するとは何をいうのか.純粋な傍観者となることではない.それは、共に生きることだ.観察するのではなく、分かち合うことだ.歴史が決定される高みに立つのではなく、歴史が耐えられている低さに身をおくこと.低く、どこまでも低く、受容性という言葉がもはや駄弁ではなく、現に生きる行為そのものになるような、そういう低さに身をおくこと.

ルネ・シェレール『歓待のユートピア』

ありがとうございました.

盗まれた手紙【3】

The Purloined Letter

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エドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」の続きです.【1】【2】はこちらからどうぞ.

“This is barely possible,” said Dupin. “The present peculiar condition of affairs at court, and especially of those intrigues in which D–– is known to be involved, would render the instant availability of the document ––its susceptibility of being produced at a moment’s notice ––a point of nearly equal importance with its possession.”

“Its susceptibility of being produced?” said I.

“That is to say, of being destroyed,” said Dupin.

“True,” I observed; “the paper is clearly then upon the premises. As for its being upon the person of the minister, we may consider that as out of the question.”

“Entirely,” said the Prefect. “He has been twice waylaid, as if by footpads, and his person rigorously searched under my own inspection.

“You might have spared yourself this trouble,” said Dupin. “D––, I presume, is not altogether a fool, and, if not, must have anticipated these waylayings, as a matter of course.”

“Not altogether a fool,” said G., “but then he’s a poet, which I take to be only one remove from a fool.”

“True,” said Dupin, after a long and thoughtful whiff from his meerschaum, “although I have been guilty of certain doggerel myself.”

“Suppose you detail,” said I, “the particulars of your search.”

“Why the fact is, we took our time, and we searched every where. I have had long experience in these affairs. I took the entire building, room by room; devoting the nights of a whole week to each. We examined, first, the furniture of each apartment. We opened every possible drawer; and I presume you know that, to a properly trained police agent, such a thing as a secret drawer is impossible. Any man is a dolt who permits a ‘secret’ drawer to escape him in a search of this kind. The thing is so plain. There is a certain amount of bulk ––of space––to be accounted for in every cabinet. Then we have accurate rules. The fiftieth part of a line could not escape us. After the cabinets we took the chairs. The cushions we probed with the fine long needles you have seen me employ. From the tables we removed the tops.”

“Why so?”

“Sometimes the top of a table, or other similarly arranged piece of furniture, is removed by the person wishing to conceal an article; then the leg is excavated, the article deposited within the cavity, and the top replaced. The bottoms and tops of bedposts are employed in the same way.”

“But could not the cavity be detected by sounding?” I asked.

“By no means, if, when the article is deposited, a sufficient wadding of cotton be placed around it. Besides, in our case, we were obliged to proceed without noise.”

“But you could not have removed ––you could not have taken to pieces all articles of furniture in which it would have been possible to make a deposit in the manner you mention. A letter may be compressed into a thin spiral roll, not differing much in shape or bulk from a large knitting-needle, and in this form it might be inserted into the rung of a chair, for example. You did not take to pieces all the chairs?”

“Certainly not; but we did better –we examined the rungs of every chair in the hotel, and, indeed, the jointings of every description of furniture, by the aid of a most powerful microscope. Had there been any traces of recent disturbance we should not have failed to detect it instantly. A single grain of gimlet-dust, for example, would have been as obvious as an apple. Any disorder in the glueing –any unusual gaping in the joints –would have sufficed to insure detection.”

“I presume you looked to the mirrors, between the boards and the plates, and you probed the beds and the bed-clothes, as well as the curtains and carpets.”

“That of course; and when we had absolutely completed every particle of the furniture in this way, then we examined the house itself. We divided its entire surface into compartments, which we numbered, so that none might be missed; then we scrutinized each individual square inch throughout the premises, including the two houses immediately adjoining, with the microscope, as before.”

“The two houses adjoining!” I exclaimed; “you must have had a great deal of trouble.”

“We had; but the reward offered is prodigious.

“You include the grounds about the houses?”

“All the grounds are paved with brick. They gave us comparatively little trouble. We examined the moss between the bricks, and found it undisturbed.”

“You looked among D––’s papers, of course, and into the books of the library?”

「それはほとんど不可能でしょう」とデュパンが言った.「宮廷での事案の独特な現況、特にD––が関与していると目されている陰謀が、書類を即座に入手するできることと、瞬時に作り出せるということは、それを手に入れることとほとんど同じく重要であるからね」

「作り出せるということとは一体どういうことだろう」と私が言った.

「破いてしまえるということさ」とデュパンが言った.

「なるほど.手紙は明らかに敷地内にある.手紙は大臣が身につけている、ということは論外だということか」と私は意見を述べた.

「全くだ.追い剥ぎに見せかけ、彼を二度も待ち伏せにさせて、私が徹底的に調べ上げたのだから」と警視総監は言った.

「そこまで労を惜しまなくてもよかったでしょうに.私が思うに、Dは馬鹿ではない.あるいはそうであったとしても、無論そうした待ち伏せは予想しているでしょう」とデュパンが言った.

「馬鹿ではないさ.しかし彼はいくらか詩人気質があってね、詩人というのは馬鹿と紙一重なところがある」と警視総監.

「そうでしょうな」海泡石のパイプから長い熟考の一服の後、「私自身ひどい詩を書いたことがあって申し訳なく思っていますがね」とデュパンが言った.

「総監、詳細をお話下さい.調査のことをご存知でしょう」と私は言った.

「理由を言おう.我々は時間をかけた.そしてあらゆる箇所を探した.私はこうした事件に長い経験がある.私は建物全体、部屋から部屋を調べた.週すべての夜を一部屋ずつ費やした.はじめに、各々の各部屋の家具を調査した.私はあらゆる引き出しを開けた.そして、あなた方はご存知だろうが、正規の訓練を受けた警官にとって、秘密の引き出し、などというものはあり得ない.この手の調査において『秘密』の引き出しを見逃すやつはぼんくらさ.どんな戸棚でも測れるくらいの、空間、一定の大きさがある.それから我々には正確な規則がある.一ライン*の五十分の一も見逃しはしない.戸棚の次は椅子を調べた.我々が使っているのを見たことがあるあの細長い針でクッションを調べたのだ.テーブルは上の板を外して調べた」

*ラインはインチの十二分の一.

「なぜそこまでなさったのです」

「テーブルの上部や、家具の調度品の他の似た部品は、時折物品を隠したい人によって取り去られることがある.それから脚に穴を空けて、物品はその空間の中にしまわれる.そして上盤はもとに戻される.寝台支柱の下部も上部は同じ方法で調査しているのだ」

「しかし空洞はたたけば音でわかるのではないですか」と私は尋ねた.

「もし、物品のまわりに綿のような十分な梱包をされてしまわれると他に方法がなくなる.それに、今回の場合では我々は音を立てるわけにはいかなかったからな」

「ですがあなたは取り除かなかった.あなたの仰る方法で、空間が確保できる家具のあらゆる物品から部品を外さなかった.手紙は薄く丸められているかもしれないし、例えば、大きな縫い針の形や大きさと対して変わらず、この形で椅子の横木に挿入されるかもしれないでしょうし.あなたはすべての椅子の部品を取っていないのでしょう」

「当然取っていない.だが善処した.我々は部屋のすべての椅子の横木を調査した.それにもちろん、家具のあらゆる種類の接ぎ目も.最高精度の拡大鏡で調べたのだ.最近手を付けた痕跡があったとすれば我々は即座に見逃さないわけがないのだ.ねじ錐のかす一つでも、例えばりんごのように明らかだろう.糊付けに問題があれば、接ぎ目に何か普通の穴があれば、満足に捜査できただろう」

「鏡はご覧になったのでしょうね.台と板の間、あなたはベッドも寝具も調べ、カーテンも絨毯も調べたのだと」

「勿論.我々があらゆる家具をすっかり調べ上げたとき、今度は邸宅そのものを調査したのだ.全体の表面を区画で分けて、番号を振った.だから見逃しはしない.そして個々の平方吋を眼光紙背に徹したのだ.隣に並ぶ邸宅も含めて、例の拡大鏡を使ってな」

「隣の家二軒ですって.それは大変な骨折りでしたでしょう」と私は叫んだ

「そうだ.なにしろ報酬が凄まじいのでね」

「家の地面も含めて調べたのでしょうね」

「地面はすべて煉瓦で敷き詰められている.比較的骨を折らずにすんだ.煉瓦の間の苔も調べたが、手を付けたあとはわからなかった」

「あなたはD––の書類も当然、書斎の本も調べたのでしょう」

“Certainly; we opened every package and parcel; we not only opened every book, but we turned over every leaf in each volume, not contenting ourselves with a mere shake, according to the fashion of some of our police officers. We also measured the thickness of every book-cover, with the most accurate admeasurement, and applied to each the most jealous scrutiny of the microscope. Had any of the bindings been recently meddled with, it would have been utterly impossible that the fact should have escaped observation. Some five or six volumes, just from the hands of the binder, we carefully probed, longitudinally, with the needles.”

“You explored the floors beneath the carpets?”

“Beyond doubt. We removed every carpet, and examined the boards with the microscope.”

“And the paper on the walls?”

“Yes.

“You looked into the cellars?”

“We did.”

“Then,” I said, “you have been making a miscalculation, and the letter is not upon the premises, as you suppose.

“I fear you are right there,” said the Prefect. “And now, Dupin, what would you advise me to do?”

“To make a thorough re-search of the premises.”

“That is absolutely needless,” replied G––. “I am not more sure that I breathe than I am that the letter is not at the Hotel.”

“I have no better advice to give you,” said Dupin. “You have, of course, an accurate description of the letter?”

“Oh yes!” ––And here the Prefect, producing a memorandum-book, proceeded to read aloud a minute account of the internal, and especially of the external appearance of the missing document. Soon after finishing the perusal of this description, he took his departure, more entirely depressed in spirits than I had ever known the good gentleman before.

「もちろんだ.我々はすべての小包や放送を開封した.本だけでなく、すべてのページも調べ尽くした.我々は近頃の警官のようにただ振るだけでは満足しない.だから本の想定の厚さを測り、一つ一つを最高精度の拡大鏡で調べたのだ.最近手を付けたような形跡があれば、見逃すはずがないのだよ.製本したての五、六巻の本は我々が注意深く針で調べたのさ」

「絨毯の下も調べたのでしょう」

「もちろんさ.すべての絨毯を剥がして、床板を拡大鏡で調べ上げた」

「壁紙もですね」

「ああ」

「倉庫も見たのですね」

「そうだ」

「では、あなたは何か見逃していらっしゃる.そしてあなたが思うように手紙は敷地にはないということになる」

「私もそうだろうと思う.それでデュパン、私は何をしたらよいだろうね」

「敷地をもう一度徹底的に調査するんですな」

「それはもはや不要だ」と警視総監.

「手紙が邸宅にないことは私が生きていることと同じくらい確かなことだ」

「私はこれ以上助言しようがありません.あなたは勿論手紙の正確な説明書きをお持ちでしょうね」

「ああ、そうだ」と警視総監は手帳を取り出し、内容の説明を一分ほど声を上げて読んだ.そして特に失われた書類の詳しい外観を読んだのだった.手紙の説明書きを読み終えたそれからすぐに彼は出ていった.私はこの善良な紳士がこれほど意気消沈した姿はこれまで見たことがなかった.

一体、どれだけ探したのでしょう.パリ警察恐るべし.それでも見つからない手紙.あんなに頑張って探したのに、もう一回探せと言う鬼畜デュパン.しょぼくれた警視総監は一体どうなったのか.私は井上陽水の「夢の中へ」という曲を思い出しました.次回も乞うご期待.

盗まれた手紙【2】

The Purloined Letter

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前回の続きです.

“The thief,” said G., is the Minister D––, who dares all things, those unbecoming as well as those becoming a man. The method of the theft was not less ingenious than bold. The document in question –a letter, to be frank –had been received by the personage robbed while alone in the royal boudoir. During its perusal she was suddenly interrupted by the entrance of the other exalted personage from whom especially it was her wish to conceal it. After a hurried and vain endeavor to thrust it in a drawer, she was forced to place it, open as it was, upon a table. The address, however, was uppermost, and, the contents thus unexposed, the letter escaped notice. At this juncture enters the Minister D–. His lynx eye immediately perceives the paper, recognises the handwriting of the address, observes the confusion of the personage addressed, and fathoms her secret. After some business transactions, hurried through in his ordinary manner, he produces a letter somewhat similar to the one in question, opens it, pretends to read it, and then places it in close juxtaposition to the other. Again he converses, for some fifteen minutes, upon the public affairs. At length, in taking leave, he takes also from the table the letter to which he had no claim. Its rightful owner saw, but, of course, dared not call attention to the act, in the presence of the third personage who stood at her elbow. The minister decamped; leaving his own letter ––one of no importance ––upon the table.”

“Here, then,” said Dupin to me, “you have precisely what you demand to make the ascendancy complete ––the robber’s knowledge of the loser’s knowledge of the robber.”

“Yes,” replied the Prefect; “and the power thus attained has, for some months past, been wielded, for political purposes, to a very dangerous extent. The personage robbed is more thoroughly convinced, every day, of the necessity of reclaiming her letter. But this, of course, cannot be done openly. In fine, driven to despair, she has committed the matter to me.”

“Than whom,” said Dupin, amid a perfect whirlwind of smoke, “no more sagacious agent could, I suppose, be desired, or even imagined.”

“You flatter me,” replied the Prefect; “but it is possible that some such opinion may have been entertained.”

“It is clear,” said I, “as you observe, that the letter is still in possession of the minister; since it is this possession, and not any employment of the letter, which bestows the power. With the employment the power departs.”

“True,” said G. “and upon this conviction I proceeded. My first care was to make thorough search of the minister’s hotel; and here my chief embarrassment lay in the necessity of searching without his knowledge. Beyond all things, I have been warned of the danger which would result from giving him reason to suspect our design.”

“But,” said I, “you are quite au fait in these investigations. The Parisian police have done this thing often before.”

“Oh yes; and for this reason I did not despair. The habits of the minister gave me, too, a great advantage. He is frequently absent from home all night. His servants are by no means numerous. They sleep at a distance from their master’s apartment, and, being chiefly Neapolitans, are readily made drunk. I have keys, as you know, with which I can open any chamber or cabinet in Paris. For three months a night has not passed, during the greater part of which I have not been engaged, personally, in ransacking the D–– Hotel. My honor is interested, and, to mention a great secret, the reward is enormous. So I did not abandon the search until I had become fully satisfied that the thief is a more astute man than myself. I fancy that I have investigated every nook and corner of the premises in which it is possible that the paper can be concealed.”

“But is it not possible,” I suggested, “that although the letter may be in possession of the minister, as it unquestionably is, he may have concealed it elsewhere than upon his own premises?”

「盗人というのは、D––大臣のことだ.彼は大胆にも男が為すこと為さないこと同様になんでもしてしまう.その盗みの手口というのは大胆さに勝るとも劣らない独創性である.問題となる書類、率直にいえば手紙のことだが、高貴な女性の方が受け取ったものが、彼女が宮廷の寝室に独りでいる間に盗まれたのだ.その手紙を彼女が通読している間、突如、彼女が特に目に触れられたくない外部の高貴なる人物の来客で中断されたのだ.後に急いだ挙げ句、引き戸の中に突っ込む努力も虚しく、彼女は手紙を、開かれたまま机の上に置かざるを得なかった.しかし、宛名は最も上にあって、内容は顕になっていなかったので、手紙は注意から逃れたわけだ.ちょうどこのときにD––大臣が入ってくる.彼の山猫のような瞳はすぐさま手紙を捉えて、宛名の筆跡を理解し、その御方の狼狽する様を見て取り、彼女の秘密を知ってしまった.仕事のやり取りの後に、彼は通例の作法を急いで終え、問題となっている手紙といくらか似たものを書いて、開いて、読むふりをして、そしてもう一つの隣に置く.再び彼は十五分ほど公務の話をする.彼が立ち去るとき、彼はテーブルから自分のものではない手紙を失敬したわけだ.所有者が見たのは確かだが、なるほど、彼女のすぐそばに第三者がいる間、その行動に声をかけることはできなかった.大臣は逃げおおせた.何ら重要でない、自分の書いた手紙を机の上に残してね」

「それで、君が言うその優位性とやらが完全に行使されるわけを理解するわけだね.盗まれた人が盗んだ人のことを知っているのを、盗人自身がどれだけ承知しているのか」とデュパンが私に言った.

「その通りだ」と警視総監は言った.「こうして得られた権力はここ数ヶ月の間、政治的目的に対して、とても危険な範囲で行使されている.手紙を盗まれた御方は自分の手紙を取り戻す必要を日々痛切に理解しておられる.しかし、勿論この件はおおっぴらにやるわけにはいかない.こうして思いつめて、彼女は私に案件を依頼したわけだ」

「なるほど、貴方以上に聡明な人物は望まれず想像されもしないでしょうね」と煙が渦巻く中デュパンは言った.

「世辞はいい.だが、そういう意見はさもありなんといったところか」と総監は答えた.

「明らかですよ」と私は言った.「貴方が見るところ、その手紙は未だ大臣の手元にあるのでしょう.大臣が持っているのだから、手紙は使われるのではない.手紙が与えるのは権力で、力を行使すればそれはなくなる」

「いかにも.それでこの確信に基づいて私は実行した.私が最初に慮るところは大臣の邸宅の徹底的な調査だった.彼の知るところなく調査を行うことは大きな困難であったといえよう.なにより私は彼に計画を疑う口実を与えてしまう危険があると警告されてきたのだから」とG––は言った.

「しかし」と私は言った.「貴方はこうした捜査に大変お詳しいでしょう.パリ市警はこうしたことをしばしばやっていますから」

「まぁそうだ.だから私は失望しなかったのだ.私の知る大臣の癖も、大いに役立った.彼はよく一晩中家を空けるからな.もちろん召使いは決して多くない.彼らは主人の邸宅から離れた場所で就寝し、多くはナポリの人間だからすぐに酔わせてしまえる.知っての通り私は鍵を持っている.こいつでパリ中の部屋や戸棚を開けられる.三ヶ月の間、一晩でさえ私が個人的に、D––邸の捜索の大部分を過ごさなかった夜はなかったと言っていい」

「私の名誉はあるし、大きな秘密を言えば、報酬は途方も無い額だ.だから私はずっと捜査を放棄しなかったのだが、盗人が私以上に抜け目のないやつだとわかったところでやめてしまった」

「手紙が隠せるであろうあらゆる敷地の隅々まで捜査したと私は考えているのだが」

「疑いの余地なく手紙が大臣の手元にあるのだとしても、彼が自身の敷地以外のどこかに隠したという可能性はないでしょうか」と私は提言した.

一体、手紙はどこにあるのでしょうか?ポー先生の連載にご期待ください!ここまで読んでくださりありがとうございました.

盗まれた手紙【1】

The Purloined Letter

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*エドガー・アラン・ポーによって1845年に書かれた推理小説「盗まれた手紙」は彼の短編推理小説の中で特に名高いものとされています.今回、私はこの作品に敬意を払いつつ、私的利用を超えない目的のため翻訳を試みました.この作品の著作権は既に失効しているためパブリックドメインとしてどなたでも英文で閲覧することができます.拙訳で大変恐縮ですが、原文との対訳でお楽しみくださると幸いです.さて、なぜこの作品を紹介することになったのか.それは後の記事でわかるかもしれません.

Nil sapientiæ odiosius acumine nimio.

叡智にとりてあまりに鋭敏過ぎるものほど忌むべきはなし

Seneca/セネカ

At Paris, just after dark one gusty evening in the autumn of 18–, I was enjoying the twofold luxury of meditation and a meerschaum, in company with my friend C. Auguste Dupin, in his little back library, or book-closet, au troisieme, No. 33, Rue Dunot, Faubourg St. Germain. For one hour at least we had maintained a profound silence; while each, to any casual observer, might have seemed intently and exclusively occupied with the curling eddies of smoke that oppressed the atmosphere of the chamber. For myself, however, I was mentally discussing certain topics which had formed matter for conversation between us at an earlier period of the evening; I mean the affair of the Rue Morgue, and the mystery attending the murder of Marie Roget. I looked upon it, therefore, as something of a coincidence, when the door of our apartment was thrown open and admitted our old acquaintance, Monsieur G–, the Prefect of the Parisian police.

 パリで、18−−年の秋の風吹きすさぶ暗くなりかけたばかりの夕暮れに、私は友人のC. オーギュスト・デュパンとともに、サンジェルマン郊外で、デュノー街33番地四階の彼の小さな裏向きの図書館、あるいは書架というべきか、瞑想と海泡石のタバコにふける二重の贅沢を楽しんでいた.少なくとも一時間にわたって我々は深い静寂を享受していた.一方各々は、誰かがふと見たら、部屋の雰囲気を圧迫する煙が渦巻き、我々がひたすら心奪われているようにみえたかもしれない.しかしながら、私自身、当時夕方の早い時間に我々の間で話の種となった、とある論題について私は内心考え事をしていたのだった.

 つまるところ、「モルグ街の殺人事件」、そして「マリー・ロジェ殺人の謎」のことだ.したがって私が顔を上げ、我々のアパートの扉が開いて、私の古い知り合いである、パリ警視総監G–氏が見えたとき、私は何かの偶然が起きたように思われたのだった.

We gave him a hearty welcome; for there was nearly half as much of the entertaining as of the contemptible about the man, and we had not seen him for several years. We had been sitting in the dark, and Dupin now arose for the purpose of lighting a lamp, but sat down again, without doing so, upon G.’s saying that he had called to consult us, or rather to ask the opinion of my friend, about some official business which had occasioned a great deal of trouble.

 私達は彼を暖かく迎えた.彼に対して侮蔑もあったが、ほとんど同じだけ愉快な気持ちがあった.というのは我々はここ数年彼に会っていなかったからである.私達は暗がりの中腰掛けていたところ、デュパンはランプに明かりを灯すために立ち上がったが、G−−氏はひどく悩まされている公的な職務について我々に諮問、あるいは私の友人の意見を訊くために訪れたのだと言うと、彼は明かりを灯さずに再び座り直した.

“If it is any point requiring reflection,” observed Dupin, as he forbore to enkindle the wick, “we shall examine it to better purpose in the dark.”

“That is another of your odd notions,” said the Prefect, who had a fashion of calling every thing “odd” that was beyond his comprehension, and thus lived amid an absolute legion of “oddities.”

“Very true,” said Dupin, as he supplied his visitor with a pipe, and rolled towards him a comfortable chair.

“And what is the difficulty now?” I asked. “Nothing more in the assassination way, I hope?”

“Oh no; nothing of that nature. The fact is, the business is very simple indeed, and I make no doubt that we can manage it sufficiently well ourselves; but then I thought Dupin would like to hear the details of it, because it is so excessively odd.”

“Simple and odd,” said Dupin.

“Why, yes; and not exactly that, either. The fact is, we have all been a good deal puzzled because the affair is so simple, and yet baffles us altogether.”

“Perhaps it is the very simplicity of the thing which puts you at fault,” said my friend.

“What nonsense you do talk!” replied the Prefect, laughing heartily.

“Perhaps the mystery is a little too plain,” said Dupin.

“Oh, good heavens! who ever heard of such an idea?”

“A little too self-evident.”

“Ha! ha! ha! –ha! ha! ha! –ho! ho! ho!” –roared our visitor, profoundly amused, “oh, Dupin, you will be the death of me yet!”

“And what, after all, is the matter on hand?” I asked.

“Why, I will tell you,” replied the Prefect, as he gave a long, steady, and contemplative puff, and settled himself in his chair. “I will tell you in a few words; but, before I begin, let me caution you that this is an affair demanding the greatest secrecy, and that I should most probably lose the position I now hold, were it known that I confided it to any one.

“Proceed,” said I.

“Or not,” said Dupin.

“Well, then; I have received personal information, from a very high quarter, that a certain document of the last importance, has been purloined from the royal apartments. The individual who purloined it is known; this beyond a doubt; he was seen to take it. It is known, also, that it still remains in his possession.”

“How is this known?” asked Dupin.

“It is clearly inferred,” replied the Prefect, “from the nature of the document, and from the nonappearance of certain results which would at once arise from its passing out of the robber’s possession; –that is to say, from his employing it as he must design in the end to employ it.”

“Be a little more explicit,” I said.

“Well, I may venture so far as to say that the paper gives its holder a certain power in a certain quarter where such power is immensely valuable.” The Prefect was fond of the cant of diplomacy.

“Still I do not quite understand,” said Dupin.

“No? Well; the disclosure of the document to a third person, who shall be nameless, would bring in question the honor of a personage of most exalted station; and this fact gives the holder of the document an ascendancy over the illustrious personage whose honor and peace are so jeopardized.”

“But this ascendancy,” I interposed, “would depend upon the robber’s knowledge of the loser’s knowledge of the robber. Who would dare–“

「何か意見を述べる必要があれば、暗がりの中で調べる方が良いでしょうね」と眺めながらデュパンはランプの芯に再び火を灯すのを控えた.

「そいつは君の奇妙な見方の一つだ」と警視総監が述べた.彼は自分の理解を超えるものは何もかも「奇妙」と呼ぶきらいがあり、こうして無数のまったく「奇妙な」中で暮らしているのであった.

「いかにも」とデュパンは述べた.彼は来客にパイプを促し、座り心地の良い椅子を彼へ勧めた.

「それで何がお困りなのでしょうか」と私は尋ねた.「殺人事件じゃないでしょうね」

「いや、そういう性質のものではない.事実を言えば、実際、事は至極単純で、我々で上手くやっていけるのは明らかなのだが、私はこう思ったのだ.デュパンならこの詳細を聞きたがるだろうと.まことに奇妙だからね」

「単純で奇妙ですか」とデュパンが言った.

「なぜ、そうなのか.実はそうでもないこともある.実を言うと我々は事件がとても単純なのに、ひどく悩ましいことに煩わされているのだ」

「おそらく貴方を困らせているのは、それがとても単純だからなのでしょうね」と友人が続けた.

「まったく馬鹿げたことを言うもんだ!」と警視総監が大声で笑った.

「その謎は随分はっきりし過ぎているでしょうね」とデュパンが言った.

「おい、なんてことだ!そんなこと聞いたことがあるものか」

「ほんのわずかに自明なことです」

「ハハハ!ハーッハッハッ!ホッホッホッ!」と来訪者はだいぶ驚いた様子で唸った.「おい、デュパン、私を笑い死にさせないでくれよ」

「それで、結局手を焼いているのは何なのですか」と私は尋ねた.

「何、では君に話そう」とじっと長く、考えにふけりながら、パイプをふかし自分の椅子に座り直して答えた.「手短く伝えるが、私が話し始める前に、君たちに忠告しておきたい.最大級の秘密を抱えるこの案件は、もし私が誰かに話したことが知られると、おそらくは私が今いる地位を揺るがしかねないのだ」

私は言った.「続けてください」

「それかやめるか、ね」とデュパンが言った.

「うむ、では話そうか.私は個人的な情報を受けているのだが、それはとあるとても高貴な筋の方からで、最重要の文書が、宮廷から盗まれたのだ.それを盗んだ当人はわかっている.これは確実だ.その人物は盗む場面を目撃されたのだ.そしてその人物は今もそれを持っていることもわかっている」

「どうしてそうわかるのですか」とデュパンが尋ねた.

「明らかに推測できることだ.文書の性質からして、盗人の手に渡ってから起こりうるであろう結果が生じていない.ということは、だ.その人物が最後に行うはずのことと、それが行われる結果が生じていないからだ」

「もう少しはっきりしてもらえますか」と私は言った.

「うむ、思い切って言おう.その手紙は、とある方面にとって所有者に非常に価値を持つ力を与えるのだ」警視総監は外交の業界用語を使うのが好きであった.

「まだ私にはよくわかりませんね」とデュパンが言った.

「わからないかね.では手紙が第三者に渡ったことが発覚したとなると、その人物は匿名だが、最も高貴な立場の人物の名誉に疑義をもたらしかねないのだ.そしてこの事実は高貴な人に対して、書類の所有者に栄誉と平安が危ぶまれるほどの優越を与えてしまうことを意味する」

「しかしこの優位性とやらは、盗まれた人が盗んだ人のこと知っているということを、盗人自身がどれだけ知っているかによるでしょう.誰がそんなことを––」

フツーの映画短評

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 つい最近、「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を端末で観終えた.昼時に不味そうなハズレの寿司屋に入ったと思ったら、実は税込み900円くらいの旨くてリーズナブルな海鮮生ちらし寿司を食べたような心持ちであった.エヴァンゲリオンと言えば日本のアニメーション作品群を指し、作中では汎ヒト型決戦兵器かつ人造人間のことになる.この作品群であるエヴァンゲリオンシリーズは1995年から1996年まで地上波で放映され、2007年から新劇場版と称して計四作が作られた.私が始めて鑑賞したのは大学受験に落ちた2009年の頃で、きょうだいが謎の動機でレンタルしてきたテレビアニメ版DVDを虚無感とともに観たのであった.

 当時の正直な感想は、序盤の作品のテンポこそ良いが徐々に陰鬱な展開が続き、意味のわからぬ用語が次々と現れ、映像も使いまわしが増えてきたために「なんだか超不安定だなぁ」という否定的なものでしかなかった.だがその不安定さは妙に引っかかるものであった.

 へなちょこうんこ大学生になってからしばらくして、私はふと手元のPCで新劇場版、「序」と「破」を観た.「へぇ〜なんか旧劇(テレビアニメ版)と違うじゃん.でも流石映像は流麗だな」という凡庸な感想を抱き、少しだけ次回作への期待を高めた.しかし2012年の三作目「Q」により、私は期待しすぎるのは良くないと学んだ.作品の流れがわかってきたと思いきや再び暗がりに迷い込んでしまった.作中の重要な用語である「人類補完計画」にちなんで、「Q」の視聴者が困惑した現象を「人類ポカン計画」と人々が揶揄したのも頷ける結びで、作品の理解が非常に困難になった.果たして最終回となる「シン・エヴァンゲリオン」でちゃんと広げた伏線を回収しつつ完結できるのか、という望みはもはや絶たれたのではないかと思われた.よって「最新作がついに出る」という流言にも気にも留めず、私は淡々と定期試験の再試験に望み、卒業試験を恐れた.私はおよそ医学に向いていないという自身の不適性を肌で感じる日々であった.真冬の北海道の空気は冷たかった.いやマジでつらかったっす!泣けたっス!「えーっ」マジ泣けたっス!ひどい成績具合にマジ泣けたっス!私は解剖学やら生化学やら物理学、微生物学、基礎医学などには全く心を傾けることはできなかった.せいぜい頑張って「良」、殆どが「可」であった.心理学と英語だけ「優」であったのは私の得意不得意を反映しているとしか思えぬ.とりあえず「原級留置の刑」を受けず、CBT、OSCE、卒業試験も辛うじて合格できたことは私の社会的な尊厳を保った.やはり人は得意技で勝負した方が良いだろう.

 その後、ありがたく私はお賃金をいただく立場となり、月日は流れた.研修医のころは敗血症など重症感染症治療を主とする集中治療に奔走していたが、ある日私は精神病理学の可能性を自覚した.集中治療医への誘いを振り切って、その学問を中心とした医療を将来にわたって展開すべく、精神病理学で名を馳せている大学病院で後期研修を始めた.だが思ったよりも全然そんなことは無かった.案の定、雑巾みたいに搾られて私は壊れた.どう壊れたのかは「告白」に詳しい.

 それから幾星霜、私に家族ができたことは救いであった.博覧強記の妻は勿論、今月で三年目を迎える我が家のエース、クサガメの「吾郎ちゃん」、ちょっと危なっかしい「三郎」こと「おサブ」などなど.種を超えて愉快な家族が増えた.なお、「オパールの輝き」で紹介したカメの卵は残念ながら無精卵であった.

吾郎ちゃん
おサブ

 今に至るまで本当に苦しい思いを続けてきた.何度死のうと思ったか.苦しいことは決して美化されない.良い思い出になることもない.辛いことは辛いままだ.こんなことを日頃から言っているわけではないことを断っておこう.私にとってこのブログは便所の落書きに等しい.ただその落書きはとても大切なものなだけだ.

 良いことはあった.次第に私が仰ぐ空に色彩がついて来るのを感じた.これも寒い冬の日だった.大きく息をすると冷たい空気が肺臓に染み渡る.Monotonousな風景に清濁併せて様々な空気が描き込まれていく.再生を感じるのは思いがけないときだ.「精神」の語源である希語プシュケー「Ψυχή」は本来「息吹」なのだ.ようやく「精神」が再起動していくような体験.かのポール・ヴァレリーも「カイエ」で「精神とは作業である」と記した.全くその通りだと思った.妻が思い出させてくれたのだ.植物に水をやったり、事務所の水槽の水換えをして、二頭の甲羅を磨く.嫌がられて爪で引き裂かれることもある.時折脱走を企てる様子を微笑ましく思う.簡単な料理から難しいものまで挑む.たまには気持ちの良い散歩をする.ひたすら本を読む.アラビア語を毎週勉強する.知識を得ることがこんなにも気分の良いものだとは!精神科で作業療法を勧めるのはまさしく「精神が作業である」からに違いない.私たちは作業を通じて自ら「息吹」を取り戻しつつある.

 いつしかとある春に「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」が放映されたと聞いた.「ふ〜ん、ついにできたんだネ」と思ったものだが、「Q」からおよそ10年!よくもまぁ作り上げたものだと関心していると、次々流れてくる批評が存外好評であった.「本当だろうか……」それでも私は鬱々とした「エヴァの呪い」から抜け出せず、観ることもなかった.

 あくる日に動画サイトの音楽動画をBGM代わりにして「作業」をしていると、私はスタジオカラー(上記映画の製作事務所)がプロモーションのために3分弱の動画を流していることに気づいた.なんと「レイ」があのタイトなプラグインスーツを着たまま田植え「作業」をしているではないか.は?これはどうもおかしい.色々とおかしい.そもそも14歳の思春期心性にある多感な男女を戦闘機に乗せて人外と戦わせる発想も「いとあはれ」だが、今回は「おかしい」の次元が違う.これは「あなをかし」の方だ.

(綾波レイないしアヤナミレイ(仮称)をご存じない方は自分で調べてください)

 というわけで私は早速観てみることにした.なるほど「序」「破」「Q」からさらに映像技術が向上している.相変わらず世界観は混沌としている、作中の中盤から例のシーンが登場した.自我発現の乏しいあのレイが他人の子守をする場面も出てきている.「これは作者にようやく何かが起きたのだろう」と私は直感した.総監督である彼に何が起きたのかについては、報道の知るところであろう.戦略兵器がメカメカしく動く描写ばかりに長けていた彼が、赤ん坊のあどけない表情を描くようになるのは相当の心的変化を要するように思うし、とあるキーパーソンの助言がなければできないことであろう.ベタな表現で大変恐縮だが作中の人々が「当たり前に人間らしく」微笑ましく交流を行う様子は旧劇・新劇にもほとんど観られなかった場面であると感じたのだ(なかったわけでない.しかし多くが悲劇的な結末に帰着した)

 「当たり前に人間らしく」を「自然な自明性」で置き換えてみると、世界との関わりの変化、時熟の変化、自我構成の変化、間主観的構成の変化という現象に換言できる気がしている.この変化は作中の人物において顕著に現れているように思う.過去作と比べて周囲の人物はとても受容的で、妙に「オトナ」の対応をしている.「みんながこんなに優しいなんて!」という碇シンジのセリフが印象的である.

 ということは作者自身にも変化が生じていると思うのは想像に難くない.あまりにもわかり易すぎるほどに!「自然な自明性」という用語はもちろんブランケンブルクの受け売りである.以下に作者の配偶者である安野モヨコの作品「監督不行届」に寄せられた庵野秀明のコメントを紹介したい.

嫁さんのマンガのすごいところは、マンガを現実からの避難場所にしていないとこなんですよ.今のマンガは、読者を現実から逃避させて、そこで満足させちゃう装置でしかないものが大半なんです.マニアな人ほど、そっちに入り込みすぎて一体化してしまい、それ以外のものを認めなくなってしまう.嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者にエネルギーが残るようなマンガなんですね.読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる、そういった力が湧いて来るマンガなんですよ.現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです.嫁さん本人がそういう生き方をしているから描けるんでしょうね.「エヴァ」で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです.衝撃でした.

「監督不行届」巻末インタビュー 2002−2004年

 ここからは彼にできなかったことが「最後にできた」であろうことを予測させる.「シン」の作中の人物が成熟した対応をしていることはいわば「オトナ」になることであり、ラカン的には「父の名」の獲得っぽいところでもある.「序・破」から「Q」への時間的断続が最終的に解消されることは「エヴァの呪い」が解けることでもあり、「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」というセリフが明示するのは、「シン」でエヴァシリーズが完全に結することでもあるだろう.一応私なりにネタばらしを避けた言い方をしているのでちょっとわかりにくくしている.しかしまぁ、エヴァンゲリオンシリーズは非常にわざとらしいくらいに根幹のストーリーラインがわかりやすいことに結局気づく.もちろん作中には「ロンギヌスの槍」や「ネブカドネザルの鍵」、「円環の理」、「マイナス宇宙」などなど(いわば厨二病的)象徴的な用語が出現し、一切の注釈を削ぐため私達を撹乱する.持論をいわせてもらえればこんなものは枝葉末節に過ぎない.何もかも理解する必要はない.もし作品を「序」から「シン」まで観ようと思うのなら、最善なるは私達は黙って顛末までを観ることだ.毀誉褒貶の批判をするのであればそれからだ.

 作中の多くの人物は「対象喪失」の病理を抱えているように思う.それは時として複雑化しなかなか抜け出せずにいて苦しむ様子が見て取れる.重要人物「碇ゲンドウ」は特に非常に苦しんでいることが生々しく描かれる.「投影」という防衛機制がどんな人物にも及んでおり、それが時として周囲のみならず世界そのものを揺るがすことが描かれている.フィクションの良いところは現実では起こせない現象をいとも容易く生じさせられる飛び道具感にある.作品は荒唐無稽な描写を駆使してわかりやすい筋書きをうまく抑制しているのではないか.「昼時に不味そうなハズレの寿司屋に入ったと思ったら、実は税込み900円くらいの旨くてリーズナブルな海鮮生ちらし寿司を食べた」というのはそういうことだ.

 「喪失」を経験する彼らがそれをどのように向き合うのかは作品の醍醐味であり、基本的にはどれも切ない.映画の中では多くの比喩表現が使われるわけだが、主要登場人物がかけがえのない人を失ってから大きな転機を迎えるのはいずれも他者を介しての作業であることに共通するのだと後に気づいた.わざとらしい表現かもしれない.しかし私の少ない語彙で表現するとすれば、「喪の作業」というのは独りではできないであろうことを示唆する.

 以上、私は2時間半くらいの作品を自分の近年の体験に重ねて観ることとなった.喪失から再生への模索という点ではとても実直な筋書きで、「いやはやフツーの映画やんけ」という感慨に至った.ものすごく上から目線の失礼な物言いとなり申し訳ないが、旧劇から新劇に至る作風は徹底してカタストロフ的で、ある種境界例のような激しさと虚しさに満ちていた.極めて不安定な様子が通底していたものが、最終作でフツーなものとなるのは私にとって望外の結果となった.フツーをフツーたらしめるものは「自然な自明性」においてもはや先に述べた通りだ.だがフツーの作品にすることはきっときっと想像を超える大変難しい作業に違いない.人によっては「陳腐な結果」と評されるだろう.まぁそれはそれで良いのではなかろうか.私の意見としては、作者は最終作でしっかりとエヴァンゲリオンシリーズにとどめをさせたということが最も意義深いように思っている.最後の最後でこの作品は現実に還ることができている点で、彼にできなかったことがやはり「最後にできた」のだろうなと思う.

 私は万人にこれを観ろと言う気は全くしない.誰にでもおすすめはできない.しかしもしも観る気になるのであれば全部観るのが良いだろうとだけ申し上げておきたい.おそらく8時間くらいはかかる.今回はただ私が最近映画を観たという事実を伝えたに過ぎない.

 最後に一応私なりの後の楽しみ方を紹介しておこう.この映画にはなんとアラビア語の字幕がついている!他の主要言語でも字幕や吹き替えがあることは大変目覚ましい.貴重な教材としてゆっくりと字幕を拾いながら、私のお勉強のおかず/おやつに役立てたいと思う今日このごろである.「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」にある𝄇(ダ・カーポ)を私なりに解釈するとそういうことになりそうだ.

いつもありがとうございます.

波動

気分の波を疑う

 世間一般で知られる双極性障碍の気分変動のモデルについて、私なりに疑問がある.よくあるのは正弦波を模した関数、例えばf(t)=sinωtのような図である.この場合、極値が下に凸と上に凸となる双極が繰り返される図ができるわけで、例えば上端を状態、下端を抑うつ状態として、なんとなく気分変動を表すことは容易である.製薬会社や医師もこの図を用いて「薬を続けて振幅を徐々に小さくしていくことを目指していきましょう」などと謳っている.これはなるほどわかりやすい.「双極性障害 気分の波」などで画像検索すれば、すぐに正弦波モデルが登場する.しかし、これには少なくとも二つの問題を孕んでいるように思う.

 まず一つは、二つの極値の中間とはなんぞや、という問題である.おそらくはでもなく抑うつでもない状態なのだろうが、これは人間の気分において一体何を表しているのだろうか.丁度いい状態があるとでもいうのだろうか.それとも無の状態(sinωt=0)とでも言うつもりだろうか.それは違うのではないかと予想するが、誰か考えがあればご意見を寄せていただきたい.そもそも誰が波動のグラフを持ち出したのだろうか.線形のモデルで例えていいのだろうか.

図1.よくある双極の図

 もし、仮に中間が「本人にとっても社会・臨床的にも苦痛のない状態(均衡状態:equilibrium)」だとすると、それは当事者にとって目指すところは全く異なる.しかもf(t)=Asinωtのような簡素な波形にはならないはずである.現実はもっと複雑である.g(t)=Asinωt+Bsin2ωt+Csin7ωt+…のように.

図2.波動での記述は難しい

 誰もが該当するわけではないが、当事者の中にはかつての高揚感や気分爽快感を取り戻そうと、「自身が健康であると考える」精神力動を軽状態に求めることは業界では知られている.よってそうした力動に反して、一部の医療者の中には「低め安定」という言葉を使って、(想像上の)中間基線よりも下方(うつ寄り)を狙って薬物治療を行う者もいるのは私が知る限り事実である.すなわち、薬剤で軽度鎮静を狙うことになる.すべてに当てはまるわけでないにせよ、治療目標を単純に中間に定めることは難しいのではないだろうか.

 ともすればいよいよ二つの極値の中間を規定するものは何なのかが怪しくなってくる.この双極モデルを使って治療目標を決定するインフォームド・コンセントの方法は果たして妥当なのだろうか.「いやいや、あくまでこれはシンプルな例なんだからさ、そんなに厳密に考えなくていいじゃん、もっと簡単に考えた方がいいよ」というご指摘はあるだろう.私だって簡単な方が良いと思う.だが、上記のモデルは使いづらいように思うのだ.だから議論をしている次第である.こんな言い方をすると業界に喧嘩を売る物言いになってしまいそうで恐々としてしまうが、考えてみれば別に不思議なことではないように思う.

 二つ目は、混合状態を説明することができない、ということである.混合状態状態と抑うつ状態が混在した精神医学現症といえる.内心とても憂鬱で沈滞した気持ちであるが、落ち着かず多弁であちこち動き回ってしまうなど活動的に見える状態であることが代表的だろう.このような状態は自殺のハイリスクとされる.ここで抑うつ状態と状態が一緒になっているとき、上記の波動モデルを持ち込むとよくわからなくなる.あれれ?どこ?中間?でも中間ってでもなくて鬱でもない状態のような……うーん.

 一応、エミール・クレペリン(E. Kraepelin)ら混合状態を認める立場の見解は次のようになる.抑うつ状態と状態が混合した場合、両者は決して中和せず、状態の強度は重ね合わせたものとなり、決して0になることはないのだと.この考えは物理学の「重ね合わせの原理」を参考にしているように思う.私は数学が大の苦手であることを告白するが、「重ね合わせの原理」は線型性のある系に成立する原則であり、波動を記述する式は多くの場合線形性を持つ.またベクトル空間におけるベクトル和も重ね合わせといえよう.すなわち、混合状態は独立した二つの波形の重ね合わせ、あるいはベクトルの和だという言い分になる.この考えであれば、抑うつ状態、状態単独での記述も可能なのかもしれない.一方の波動ないしはベクトルを0にすればよいのだから(ただし両者はどちらかが逆位相の波形もしくは逆ベクトルでないとする).

 しかし、いずれの場合も治療目標を説明することがどうしても難しく感じる.単純にベクトル量を0にするとか、波形を直線にするということで片付けられる問題ではなさそうだからだ.

図3.重ね合わせの原理

 以上を述べたところで私は、典型的な双極モデルをやめろ、というつもりはない.これよりもお手軽な気分変動のモデルが思いつかないのが大きな理由である.とはいってもやはり双極モデルは最適モデルではないと思う.安易にこの図で説明してしまうことは、目に見えない気分の目標(フラットな状態)を目指してしまう危険性があることと、混合状態を説明できないジレンマに陥るからだ.

 最後になるが、気分などというものは所詮ラカンのいう象徴界(シニフィアンの世界)では扱えない代物なのかもしれない.しかし、患者さんやその家族へ、丁寧に説明を行うときはなんらかの例えを使うことが非常に役に立つ.我々は象徴界に生きているからこそ、その規則の中で懸命にもがくしかない.時間はあるので引き続きゆっくり考えてみたいと思う.

いつもありがとうございます.