重陽の節句を前にして

tall grass under cloudy day sky
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創造的便秘:Creative Constipation

 ドイツ観念論の学者の一人、フリードリヒ・シュライエルマッハー(シュライアマハー)に続くキルケゴールお兄さんの原罪論解釈が思った以上に難しい.原罪論というのは我々人類の罪的普遍性の根拠を示すことである.そしてアダムの罪が本質的に、個々人の罪と同一であることを示さなければならない.なんとなくキルケゴール兄貴が言っていることは理解できなくもないのだが、それをうまく伝えることができなくては理解したうちに入らぬ.私はずうっと原罪論について考えているのに、なかなか良い説明が思いつかなくて悩んでいる.その他現実問題で悩ましいこともある.少し時間がかかりそうである.超やばい.入浴中のアルキメデスが天啓を得たように、私もどうにかしてピピッと気づけたらよいのにと思う.以前、「うんこ」なる記事を書いたが、要するに私は創造性の便秘である.緩下薬や整腸剤をつかってどうにかなる話ではなさそうに思う.またブリブリ放り出すことができればお伝えしたい.大変申し訳無い思いで私は、悪魔ベルフェゴールの如く便座に座している.

心理学への誘い

 とある要請によって私は大学以来等閑であった心理学の勉強を再開することにした.大部分の動機は私への自己投資である.かくして妻の蔵書を拝借して臨床心理学の参考書をはらりはらりとめくると、全く私は「心理学」について何もかも知らないことに愕然とする(一方、妻は心理学にも詳しいし、教育学や人文学、生物学にも大変明るい).本当に自分でもドン引きするくらい何も知らないことに驚愕した.精神医学と心理学は重複するところはあれど、畑が違うのだと思い知らされる.

 心理学という用語は「Psychology」を西周が訳したもので、経験的事実としての意識現象と行動を研究する学問である.かつては精神についての学問として形而上学的な側面をもっていたが、現代へ続く心理学の発端はヴィルヘルム・マクシミリアン・ヴント(Wilhelm Maximilian Wundt)の実験心理研究所にある.これは1879年のことだから比較的新しい学問だ.多くの心理学者がヴントに学び、さらに学派が誕生した.また批判的立場をとる学者も出現して、これにはフランツ・ブレンターノ(Franz C. H. H. Brentano)が知られる.このお兄さんは私も度々取り上げた現象学おじさんエドムント・フッサールの師匠である.そのフッサールの弟子がハイデガーおじさんなわけで、心理学と哲学は多分に連綿と結びついている.

 同時代にジークムント・フロイト(Sigmund Freud)おじさんもいるがこちらは精神分析学の範疇に属する.精神分析学が心理学に属するという主張はおよそ誤解である.では精神分析とは何か、と問われれば現役の精神分析家の十川幸司氏をして「一つの思考の経験」と呼ぶらしい.もっと詳しく言えば、

 精神分析とは自己についての思考というより、分析家という眼前の他者を介した、より一層根源的な他者についての思考の経験なのである.その他者によって自己がどのように規定されているのか、その他者に対してどうあるべきなのかということが精神分析の中心的な問いとなる.

「精神分析」より十川幸司、岩波書店、2003年

 精神分析が思考の経験である、という主題は、嚆矢であるフロイトこそが精神分析を自己の無意識の真理に向った思考経験だと考えたからである.思考を題材にする点で哲学と似た部分はあるが、精神分析は他者を介在した営為である意味でそれと異なると思う.精神分析は別の記事でいつかまとめたい.

 なんだかんだいってフロイトは心理学に多大な影響を与えた人なので、この人は心理学上無視したくともできない.この分析畑の学派を精神力動系学派と呼ぶ.カール・グスタフ・ユング(Karl Gustav Jung)、最近人気の個人主義、アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)、新フロイト派のエーリッヒ・フロム(Erich S. Fromm)、ハリー・サリヴァン(Harry S. Sullivan)やメラニー・クライン(Melanie Klein)やドナルド・ウィニコット(Donald W. Winnicott)に代表される対象関係論などが上記のグループに属すると考えて良い.

 その他、認知・行動に関する学派はハンス・アイゼンク(Hans J. Eysenck)やジョセフ・ウォルピ(Joseph Wolpe)などを経て認知行動療法としての技法を完成させているし、人間性心理学の立場はこれらの立場に対抗して発展した学派で、人間の肯定的で健康な側面を強調する.カール・ロジャーズ(Carl R. Rodgers)やヴィクトール・フランクル(Viktor E. Frankl)らが知られる.

 ここまで紹介しただけでも大変な数の心理学者がいる.様々な学派の心理学好きがいるということは試験勉強としては厄介ではあるが、非常に多様性に富んだ学問として魅力もあると肯定的に捉えておこう.もしかすれば、読者の皆様も知っている学者がいるかもしれない.

 改めて、なぜ私が心理学を勉強するのかといえば、私にとって臨床上の必要である.要するに、私は精神療法(心理療法とほぼ同義)を極めたいのである.精神科医は薬だけ処方してバイバイ、のような悪評を突きつけられているように思う.実際、主観だがそのような医者は少なくないのではないか.私はそのような悪評に対抗したい、という気持ちが強い.どんなに薬理が発達しようと、決して、絶対に、薬理だけでは精神疾患の改善は起こり得ない、というのが私の信条である.適切な面接が引き起こす脳内神経物質のポジティブな化学反応はあらゆる薬剤の効果をブースト(augment)する.そもそも何も入っていない錠剤を飲んだだけでも、抑うつ気分が改善するような奇妙な現象は、薬理以外の誘因が関与している.製薬会社の資料を見れば一目瞭然である.これはプラセボ効果とも言われる.「良くなりたい」「良くなるだろう」と思い込ませる、あるいは「この人が処方する薬なら良くなりそうだ」と信憑させる技量、すなわち信頼関係(Rapport)を築く技術の習得は心理学の理解なしはあり得ないだろうと思うようになった.よって、私は現在の技術のみならず、臨床心理技術職としての立場を築いていきたいと目標にしている.幸い役者は揃いつつある.そこからさらにサブスペシャリティを見つけられるならば願ったり叶ったりである.

 精神療法の手がかりとして

 2015年初版の医学書院から出されているオープンダイアローグとは何か」という書籍を私は繰り返し読んでいるが、これまたなかなか良い読書体験を得たと思っている.2021年5月18日の投稿「不確実性へ溶け込め」で紹介したばかりだ.私がライナー・マリア・リルケに出会ったのはこの書籍のおかげである.

 しかしながら私がオープンダイアローグについて語る資格はほとんどないに等しいだろう.というのも、私はこうした方法論を書籍や論文で知ったのみであり、実際に研修や講習会に参加したこともなければ、方法論を知る人から技術を教わったこともないのだから.猛威を振るう世界規模の感染症のため、どうしても外部に赴いて勉強する、ということが当面できそうにない.これは遺憾である.おそらく殆どの学術活動が停滞しているのではないか.オンラインで一応参加することはできるが、会場でポスター展示を眺めつつ、シンポジウムに片足を突っ込んで視聴するだとか、独特の空気感の中で他の講演を聴くことは現場でしかできない.だが悲観してばかりもいられない.おそらくは徐々に感染症の勢力が弱まってくれば、様々な学術活動が息を吹き返すだろう.その折に私はスーパーヴィジョンを受けるとか、認知行動療法や暴露療法・暴露妨害反応法の講習を受けることを強く希望している.いつかスーパーヴィジョンを受けることができた日にはできる範囲で報告をしてみたい.もちろん、オープンダイアローグも.

 一応、少しだけ著者斎藤の内容を引いて話をすると、どうやらオープンダイアローグは複数の音楽家による即興演奏に似ている.この面接の基本は「不確実性への耐性」「対話主義」そして「ポリフォニー」であるという.ポリフォニーに関しては「ミサ・ソレムニス」を想起していただきたい.治療者と患者、その家族や支援者らが紡ぐ音色はどのような終着へ行き着くか誰にもわからない.精神病症状が生む危機的状況は曖昧さをはらみ、治療者と患者双方にとって緊張感を生む.それは感情的負担である.ゆえに演者と聴者は常に不確実性への耐性が求められる.しかし、それに抗うことができるのが「対話」であり、「対話」こそ治療の糸口なのであるという.基本的に、精神病症状を呈する患者の幻覚・妄想には強烈なトラウマ体験がメタファーとして取り込まれている.それは私の短い経験でも十分に同意できる.症状の暗示する外傷体験が、周囲にとってどれだけ理解しがたいものであったとしても当事者はなんらかの形で現在進行形で情緒的に反応しているはずである.

 最近の私の小目標を述べれば、統合失調症が慢性に経過し人格水準が著しく低下した症例において、どのような面接が効果的なのか.思考が解体し、言語が言葉のサラダとなった人々にとってどのような態度が有効であるのか.こういったことの理解が求められている.急性期の治療や寛解・維持期の症例をどのように進めていくかについてはたくさん議論がなされているけれども、慢性期に関して私はあまり良い方法を知らない.

若き詩人への手紙

 私の中には多くの疑問が生起する.その問いはかくして上記の臨床の問題であったり、時事問題であれば、将来の身辺の問題であることもしばしばだ.あまりにも疑問が多すぎて一見壊れそうである.私は今までこうした問いに速やかに答えを出すことが必要なのだと思い込んできたが、どうやらそうでもないらしい.このような時勢において我々は感情をやたらと消費する場面が多いように思うが、このような時こそ、私達は未解決のものすべてに対して忍耐をもつべきだと.すぐに答えを探そうとしないこと.さらに、生起する疑念に対して批判かつ吟味することが必要なのだと.

 よって私は改めてリルケを引用したい.

 

 あなたはまだ本当にお若い.すべての物語のはじまる以前にいらっしゃるのですから、私はできるだけあなたにお願いしておきたいのです.あなたの心の中の未解決のものすべてに対して忍耐を持たれることを.そうして問い自身を、例えば閉ざされた部屋のように、あるいは非常に未知な言語で書物のように、愛されることを.今すぐ答えを捜さないでください.あなたはまたそれを自ら生きておいでにならないのだから、今与えられることはないのです.すべてを生きるということこそ、しかし大切なのです.今はあなたは問いを生きてください.そうすればあなたは次第に、それと気づくことなく、ある遥かな日に、答えの中に生きて行かれることになりましょう.

若き詩人への手紙、1903年、ブレーメン近郊ヴォルプスヴェーデにて、高安国世

You are so young, all still lies ahead of you, and I should like to ask you, as best as I can…to be patient towards all that is unresolved in you heart and try to love the questions themselves like locked rooms, like books written in a foreign tongue. Do not now strive to uncover answers: they cannot be given you because you have not been able to live them. And what matters is to live everything. Live the questions for now. Perhaps then you will gradually, without noticing it, live your way into the answer, one distant day in the future.

Letters to a Young Poet, 1903, Worpswede near Bremen, Translated by Charlie Louth

Sie sind so jung, so vor allem Anfang, und ich möchte Sie, so gut ich es kann, bitten, lieber Herr, Geduld zu haben gegen alles Ungelöste in Ihrem Herzen und zu versuchen, die Fragen selbst liebzuhaben wie verschlossene Stuben und wie Bücher, die in einer sehr fremden Sprache geschrieben sind. Forschen Sie jetzt nicht nach den Antworten, die Ihnen nicht gegeben werden können, weil Sie sie nicht leben könnten. Und es handelt sich darum, alles zu leben. Leben Sie jetzt die Fragen. Vielleicht leben Sie dann allmählich, ohne es zu merken, eines fernen Tages in die Antwort hinein.

Briefe an einen jungen Dichter, 1903, Worpswede bei Bremen

よく聴くこと

 あなたの懐疑も、あなたがそれを教育されたなら、一つのよい特質となることができます.それは知的なものになり、批判とならなければなりません.それがあなたの何かをそこなおうとするたびに、それに向ってなぜある物が厭わしいのかをお問いなさい.それに向って証明を求め、よく吟味してごらんなさい.そうすれば多分懐疑の方で閉口し、うろたえるのが、おそらくまた食ってかかってくるのが、おわかりになるでしょう.しかし負けてはなりません.討論をお求めになるがよろしい.こうしてそのつど、あなたは慎重に、徹底的に、同じ行動をとられるのならば、いつか、懐疑が破壊者からあなたの一番よい働き手の一人__おそらくあなたの生を築くすべての者の中で一番賢い者となる日がくるでしょう.

若き詩人への手紙、ライナー・マリア・リルケ、1904年、スウェーデン、ヨンセレート、フルボリ、高安国世訳

And your doubts can become a good quality if you school them. They must grow to be knowledgeable, they must learn to be critical. As soon as they begin to spoil something for you ask them why a thing is ugly, demand hard evidence, test them, and you will perhaps find them at a loss and short of an answer, or perhaps mutinous. But do not give in, request arguments, and act with this kind of attentiveness and consistency every single time, and the day will come when instead of being demolishers they will be among your best workers – perhaps the canniest of all those at work on the building of your life.

Letters to a Young Poet, Rainer Maria Rilke, 1904, Furuborg, Jonsered, in Sweden, translated by Charlie Louth

Ihr Zweifel kann eine gute Eigenschaft werden, wenn Sie ihn erziehen. Er muß wissend werden. er muß Kritik werden. Fragen Sie ich, sooft er Ihnen etwas verderben will, weshalb etwas häßlich ist, verlangen Sie Beweise von ihn, prüfen Sie ihn, und Sie werden ihn vielleicht ratlos und verlegen, vielleicht auch aufbegehrend finden. Aber geben Sie nicht nach, fordern Sie Argumente und handeln Sie so. aufmerksam und konsequent, jedes einzelne Mal, und der Tag wird kommen, da er aus einum Zerstörer einer Ihrer besten Arbeiter werden wird, – vielleicht der klügste von allen, die an Ihrem Leben bauen.

Briefe an einen jungen Dichter, Rainer Maria Rilke, 1904, Furuborg, Jonsered, in Schweden

 不確実性への耐性、まずはこれを実践したいと思うこの頃、もうすぐ重陽の節句である.なんでも菊の花が美しく咲く時期なのだとか.私はお酒をやらないから、菊に因んで何かするとすれば、今まで通り、よく「聴く」ことを続けることにしたい.

ご自愛ください.

ありがと茄子

Seikei Zusetsu vol. 26, page 027

 茄子の美味しい季節だ.私は茄子が好物で、特に油を吸ったクタクタの果肉が口の中でほろほろと崩れていく優しい口当たりが気に入っている.紫色の光沢も油でツヤツヤ輝きを増し、仕込みの段階で格子状に切れ目を入れた箇所からキラキラと光りが溢れる.

 とは言いつつも自分で茄子料理を作るはあまり得意ではなくて、結構失敗が多かった.油と相性がいいことを知っている以外、無知な自分はひたすら油攻めをしてしまった.これが俗に言うアブラカタブラというやつである.部分的に加熱しすぎて色素が変性した惨めな茄子と対峙することが多かったのだ.

 茄子料理の敷居を下げてくれたのはやはり動画サイトのおかげである.茄子の止事無き紫肌を汚さずに加熱して柔らかい果肉を作り出すのには様々な料理人・通人の知恵を頂いた.このご時世で外食へ行きづらくなった人々にとって、自炊の機会がより増えた分、料理動画は料理のコツを簡単に知ることのできる恩寵のように思う.配食サービスという手段は浸透してきたが自炊も負けていない.一方、外食産業は本当に気の毒だ.

 最近、自宅で超絶美味い麻婆茄子が完成したことで私は幸福を感じた.本家料理人には敵わないが、自宅でつくるなら歓迎できるくらいのトゥルリなお茄子ができた.しっかり炒めた炸醤の風味と融合し鼻孔に麻辣の薫風が駆ける.見た目も艶やかである.しっかりと茄子を両面加熱することが重要だと、気づくのに時間こそかかったが得るものは多い.

 他にも茄子の煮浸しを作ったが、これまた格別に美味い代物であった.自分でいうのも何だが、勲章ものである.生姜と刻み葱の香りにくたっとしたお茄子の甘塩っぱい醤油味が清涼感を感じさせる.

 ところで茄子というのはインド原産らしい.日本には中国を経由して八世紀にはお茄子が伝来している.西洋には十三世紀くらいに到達したようだ.茄子を英語で言うと、aubergine(ˈəʊbəʒiːn)だが、これはフランス語のaubergeとは関係なくて、サンスクリットのvātiṃgaṇa、ペルシア語のbādingān、アラビア語のal-bāḏinjān(الباذِنْجان‬)(なぜかここで定冠詞がついている)、カタルーニャ語の(alberginia)が転訛したもののようだ.augergineとして成立したのは十八世紀末のようで、Oxford Dictionary of Englishによれば上記の歴史的変遷がある.発音がその地域によって最適化された感じがどことなくする.これがアメリカ大陸に渡って、eggplant(米)になるのは驚きではある.これがいわゆる米茄子ですか?紫だけでなく白い茄子もあるから現地の人は「卵みてぇな野菜があるんだってな!ほんならeppplantだな!」というノリで名付けたとしても悪くはない.悪くはないのだが…… aubergineはどこへ行ったのかしら.大西洋に消えたのかもしれない.

 一円札おじさんの二宮尊徳(TAKANORI)は夏に採れた茄子を食べて「なんかこれぇ秋茄子の味がするぅ!!やばぴ!寒さに強い稗を蒔こぅ」と言い、その年の不作を予見したというが、私には夏茄子と秋茄子の違いがわからぬ.どうやら夏茄子は水気が多く、秋茄子は旨味や甘みが詰まっているという.いやはや私にはわからぬ.かつては茄子は小さくても珍重された食材で、特に初茄子はお殿様にも献上されたとか.そんな茄子を詠んだ歌もいくつかあるので一つだけ引いてみよう.

 扇から 扇にとるや 初茄子

小林一茶

 あまりにも貴重で恐れ多いので扇から扇で渡そうとするくらい有難がられた、とか.これが今ではふっくらした肉質で安定した価格で供給されているのだから日々美味しい野菜を作る農家さんには大感謝である.ありがと茄子!

 今度は茄子天をやろうかなぁ.暑い季節が続きますがお元気でお過ごしください.今日は揚げ茄子みたいにゆるふわな記事になりました.いつも硬派な記事書いてるからね、しょうがないね.

 

 

 

On Melancholy Hill

 気分障碍の歴史

Melancholia, Lucas Cranach der Ältere

 前の記事で、私は「うつ」がよくわからない、と述べた.自身の勉強のためにも、様々な書物を平積みにして少しずつ調べることにした.結果、わからないところも新たに増えた一方で、非常に興味深く理解をすることができたように思う.とはいいつつ今回お話するのは、かなり表層的なところになるので難しくはない.病理の話はそんなにしない.

 うつ、抑うつ(Depression)とは、内因性疾患としてのうつ病と、状態像ないし、症候群としての抑うつ状態の両方を指す.「ぼくはなんだか憂鬱なんです」、というのは状態像であり、「あの症例は『うつ』だと考えられます」は疾患を指す.ややこしいのは名詞と補語が混在しているからだろう.以下は弘文堂の「精神症候学:第二版」からの部分引用になる.この書籍は8200円する大変高価な書籍だが、その値打ち以上の価値がある.ありとあらゆる精神現象が解説されている.今っぽくいうと、マジでやばい.濱田秀伯という学者が著した本だが、西丸四方の「精神医学入門」並の意義がある.この二冊は傑出している.西丸四方の本には貴重な写真が掲載されている、というのも見事である.読み物としても面白い.

 まず日本語での「うつ」について触れてみると、「うつ」という言葉はそもそも「鬱蒼とした密林」の「鬱」であり、これは香草をぎゅうぎゅうに容器に入れて発酵させた、という会意文字らしい.キビヤックのような閉塞感は感じられるが、どちらかといえば、「憂鬱」の「憂」が本質を当てているように思う.角川古語辞典を参照すると、「憂ふ(うれふ)」には、①嘆き悲しみを人に訴える;「からい目を見さぶらいひて.誰にかは憂へ申し侍らむ」(枕草子)(ひどい目にあいまして.どなたに訴え申し上げましょうか)②心を悩ます.思いわずらう;「期する所なきものは、憂へながら止まり居り」(方丈記)「将来に望みのないものは、思い煩いながらとどまっている」③病気で苦しむ.わずらう;「昔は身の病を憂へき、今は人の病を癒やしぬ」(今昔物語)「昔は自身の病気で苦しんだ.今は人の病気を治している」というものがある.これ以上の資料が手元にないが、少なくとも十二世紀までには「憂ふ」という言葉が完成し広まっていたと考えていいだろう.それ以前がどうなっていたかはわからないが、中国医学に由来する用語があっただろうし、それなりの学識があったに違いない.余談だが、紀元前200年頃の文献「黄帝内経」の癲狂篇にはうつ状態、躁状態と思われる症状記載があるという.

 さて、内因うつ病は誘引のない生物学的発症をし、精神運動制止が強く、体重減少や早朝覚醒、症状の日内変動を伴うという.精神病性うつ病もこれと同義だが、幻覚・妄想、錯乱を伴う重症例に用いることがあると思う.アメリカ精神医学会の編纂したDSM-3以降では内因性うつ病を大うつ病(Major depressive disorder)と呼んでいる.では小うつ病があるかといえば、ない.いい加減である.軽度うつ病(Mild Depression)という言い方はあるようだが、なんだかタバコの銘柄みたいだ.中国ではうつ病を抑郁症、台湾では憂鬱症というらしい.

 内因性うつ病にうつ病相のみを繰り返す単極うつ病、躁のみあるいは躁うつ二つの病相を併せ持つ、双極うつ病・双極感情障碍という区別をしたのは、レオンハルトという人物が初めてで、それは1959年のことだという.以来、アングスト、ペリスらが多数例の調査から単極性・双極性の区別を確立した.双極うつ病を、躁病相を伴うⅠ型と軽躁を伴うII型に区分する見方は、ダナーの1970年の発表以来であり、後者はDSM-4以降、双極II型障碍として独立項となった.1983年発表のアキスカルという人の概念からは双極II型障碍、気分変調症、気分循環症などを連続体(スペクトラム)と見ることもある.さて、たくさんの人名が出てきて「これはブラウザバックだなァ」と辟易する人がいるかもしれないが全く気にしなくていい.音楽好きが「カート・コバーンが……、キース・リチャードが……、ポール・マッカトニーが……」と言うのと同じ次元にある.

 キールホルツは1971年の発表で、うつ病を身体因、心因、内因の三つに分け、内因を身体因と心因の間に位置づけたが、一般的にはこれを基準にして考えることが多いようだ.つまり、脳卒中のあとに抑うつをきたした場合は身体因を考えるし、軍隊に入って、厳しい教練を機に抑うつをきたせば心因を考える.ではそれ以外何も思い当たらない、いやはやわからないぞ、という場合に内因性を考える、という具合だ.すごく曖昧だから気にしなくていい.日本では1975年に発表された病前性格、発病状況、病像、治療への反応、経過を踏まえた六型に分けた、笠原・木村分類が知られている.これは、みすず書房の「うつ病臨床のエッセンス」に詳しい.良い本だ.参考までに分類をあげておくと、メランコリー性格型うつ病、循環型うつ病、葛藤反応型うつ病、偽循環病型分裂病、悲哀反応、その他にわかれる.ちなみに現在では積極的に用いられていない.メランコリー新和型が生き残っているくらいか.ではメランコリーとはなんであろうか、ということになる.

Melancholia I, Albrecht Dürer

 メランコリー(Melancholie)は抑うつ、うつ病の別名、というのが歴史的経緯を加味して考えると妥当だろう.古代ギリシアのmelancholia、μελαγχολίαから来ている.これは黒胆汁(black bile)のことであり、黒胆汁が鬱滞して症状が起こる、という体液説に基づいている.心配と悲しみの続く患者は黒い胆汁を「ぐぉお’’え’’ぇ~~~!!」と吐いたらしく、そういう人は黒胆汁ともたらす思考と感情の病気にあると考えられた(それどころではないはず).現代の認識で言うと、正常な胆汁の色は黄褐色である.ビリルビン結石ならば真っ黒な色だが、口から出ることは無い.そして胆汁の異常な色は緑や混濁したものになる.今の時代に黒いものを吐いた人がいた場合は、イカスミパスタを食べ過ぎたため…ではなくて、凝固した血液成分が混ざったものを吐いた可能性が考えられるから、医療機関への相談がよさそうだ.

 黒い色、というのは胆汁だけではなく、気分そのものを表象するようになった.おフランスでメランコリーという言葉が用いられたのは十二世紀らしいが、憂鬱をさす表現に、idees noires, broyer du noir, ドイツではSchwarz sehen, イタリアではvedere tutto neroなどがある.青も憂鬱を代表する色で「マリッジブルー」「マタニティブルー」「ブルーマンデー」はよく知られているし、音楽ジャンルの「Blues」はまさに憂いを歌っている.そしてメランコリー(Melancholie)と青い花であるオダマキ(Ancolie)の語呂合わせは詩の定番であったようだ.邦楽のポップスでも「メランコリニスタ」という曲があるし、冒頭の歌詞は「メランコリニスタ 静かなハイで眠れない」という絶妙なセンスである.

 メランコリーという言葉は次第に多義性を帯びる.悲しみだけでなく、あらゆる情熱の過剰と同義語となり、この延長としてピネルという医師の文脈では、一徹な考えに支配された部分精神病を意味し、クレペリンのいうメランコリーは、退行期うつ病の別名となり、コタール症候群や緊張病に発展する妄想性障碍の一種を示した.ややこしいのは有名なフロイトおじさんが、喪失体験の悲哀・憂いをメランコリーと呼んでいることだ.これはややこしい.なぜややこしいのかといえば、シュナイダーというおっさんによる区別のためだ.シュナイダーというのは統合失調症における一級症状というのを提案した人で有名である.メランコリーというのはこれまで述べたテクストでいう内因性のうつに相当する言葉で、原因不明なのに気持ちが晴れ晴れしない状態をいう.一方、1917年にフロイトが行ったのは、愛や依存を喪失する体験に伴う感情をメランコリーと呼んだことであった.気にしないで次へ進もう.

 では現代ではメランコリーはどのように扱うのか.多義性を帯びつつある現代のメランコリーは定義が難しいので、DSM-5の診断基準にも記載(メランコリアの特徴を伴う)がある「メランコリー親和型」を述べておこう.

 テレンバッハ(1961)や下田(1932)という人らは「うつ」になりやすい性格、とうのがあるのではないかと考えた人で、こういう人らは力動的にうつ病になると論じ、執着性性格、メランコリー型(Typus Melancholicus)という気質を挙げた.凝り性、苦労性、律儀、実直な人、秩序志向で良心的な性格が代表的で、この傾向が破綻する主体環境事情即ち状況におかれると、うつ病に至ると考えたのであった.先程述べた笠原・木村分類に出てきたメランコリー性格型うつ病は、下田・テレンバッハの文脈を踏襲している.これは結構説得的で、いまでも一般に流布するうつ病のイメージ像に近いように思う.テレンバッハの指摘したのは、こうした人は「秩序愛」が大きな特徴だ、と述べたことであった.背後には「他者との円満な関係の維持」が中核にあり、その具体的表現は、人と争わない、人と衝突しそうになるときは自分が引く、いやといえない、義理人情、慣習、挨拶を大切にする、などである.彼らは発病以前はなんら内的葛藤を経験しておらず、場合によっては過剰適応といえるくらいの「いい子ちゃん」であるという.仕事などには精力的で凝り性なエネルギーは、発病時には臨床像的には軽躁的、躁的に見えるくらいになる(躁的防衛).発病状況に関してまとめると、転勤・昇進・転職、結婚、転居、負傷、負担の増加、出産、愛するもの・財産の喪失が挙げられるそうで、多くは多重的に起こるという.一般のうつ病は一つの理由で起こるのではないことがわかる.あなたの周りにこのような人はいませんか.

 他方、「マニー」という言葉がある.Moneyのことではなくて、Manie, Maniaのことである.日本でも、何かに熱中して造詣が深いことを「マニア」というだろう.今ではオタクという言い方をするのかな.オタクもだいぶ民主化してきたように思う.「マニアックな言い方をすると……」という言い方も耳にするかもしれない.これは厳密には躁病の病相のことをいう.気分高揚と意欲増進を主徴とする状態像で、観念奔逸、誇大妄想、刺激性、転導性、抑制消失、逸脱行為を伴う.難しい言葉が並ぶがとりあえず保留しておく.マニーという言葉も古代ギリシアに由来するようで、mania, μανιαはヒポクラテス以前から慢性に経過する発熱のない精神の乱れ、隔離を要する激しい興奮状態をさしたらしい.濱田によればフランス語には十四世紀末に登場するが、十七世紀初頭からは乱暴で奇異な行動に導く、理に合わない極端な考えという意味も併せ持つようになったという.

 Areteo di Cappadocia

 さてさて、マニーとメランコリーの関連を考えてみると、どうやら「カッパドキアのアレタイオス」という人まで遡るようだ.彼は紀元後二世紀ごろの人物で、現在のトルコにあるカッパドキアの市民であったらしく、かつてはローマ帝国の属州であった.広くはギリシア人という理解で良いようだ.この人は精神に限らず様々な症状に関する考察を残しており、糖尿病やセリアック病、喘息、てんかん、肝臓悪性腫瘍に対する記述があるようである.すごいね!十七世紀のウィリス、十九世紀のホーンバウムという人は一人の患者に長短さまざまな周期で悲哀と爽快が交代する、という例を報告している.精神医学においてマニーとメランコリーが一つの疾患体系に組み入れられたのは1854年のファルレーという人物の発表が始まりで、循環狂気と名付けられていたが、バイアルジェという人は重複精神病という言い方をした.同時期に、カールバウムというおじさんが気分循環症として同様の病態を記載した.1899年にクレペリンが躁うつ病という概念を確立してからは、この呼名が現在も残っている.病院に残っている古いカルテを見ると、MDIという略語があるが、これはドイツ語でいう躁うつ病、Manisch-Depressives Irreseinの略であり、ドイツ医学の名残が感じられる.とはいっても今どきMDIという人はほとんどいないように思うから知っても仕方がない.断っておくと、現在は双極性障碍という言い方がベターだ.

 この双極性障碍という名称は1980年のDSM-3からで、これまでは統合失調症と双璧をなす精神疾患の一つとしての躁うつ病から変貌を遂げ、感情調整の障碍の症候群として位置づけられた.上述したように、DSM-4では双極性障碍はI型とII型に分けられているが、このII型という分類はかなり曖昧な枠付であり、おそらく医師の間でもII型の診断には議論が生じるであろう.I型とII型がどのように異なるかはここでは触れないでおく.少なくとも積極的に診断を下すような病名ではないと思う.現在はDSM-5が学会、臨床、法学で多く用いられているが、行政の基準はWHOの策定したICD-10である.すでにICD-11というものがバージョンアップして存在しているが、いまだにICD-10なのだ.DSM-5では双極性障碍の分類はI型、II型に分類されているのに対し、古いICD-10では分類されておらず、双極性障碍はひとくくりとなっている.行政の書類と言えば、診断書はもちろん、非自発的入院の届け出、障碍年金や障碍手帳などであるが、臨床の名称と行政での名称が異なるのは大変な不都合である.最後の方は私のただの愚痴だ.

というわけで

 こうして振り返ると実に多くの人が登場し、闊達に学説を唱えてきたように思う.紀元前から中世、近代までは大きく進歩したわけではなかったが、近代からの学問の発達が凄まじいように感じる.特にフランス・ドイツのブーストが著しいが、私のぼんやりとした感想を言えば、哲学や思想の発展が大きく関与していると思う.それだけではなく、合理主義や科学技術の進歩が宗教性・魔術性、体液説を退けたことも大きいだろう.そこで一つ私が気になっているのは、中東世界における精神医学の歩みである.古代ギリシアの学問が中東に輸入され、以来、イスラム世界はそれをユナニ医学(ギリシアの医学)として発展させたようである.確かにイスハーク・イブン・イムラン、アリー・アル・アッバース・アル・マジュスィらがメランコリーの概念をコンスタンティヌス・アフリカヌスを経て西洋に広めた功績は目覚ましいし、イブン・シーナーのような人物は十一世紀に「医学典範」を著し、この医学が十九世紀まで実践されたというのだから、なかなかあっぱれなのであるが、「本当にそんなものなのか??」という疑問が生じてしまっている.つまり、イスラム世界はずっとガレノスの体液説を信じ続けてきた、というのはにわかには信じがたい、というのが私の率直な感想である.彼らには彼らなりのロジックがあったのではないか?今で言う精神病理学があったのではないか、という気がしているのだ.狂気は悪霊ジンが取り憑いているからだ、という説明では私は満足しない.彼らには彼らの知られざる叡智があるのではないかと私は勝手に期待している.私達がアクセスできる文献で知ることができるのは、西欧と我が国の医学史がほとんどで中東やアフリカはかなり少ないように思う.インドのアーユルヴェーダももちろん気になる.だがインド世界は一度保留しておこう.ではどうするのか、と言われれば自分で調べるしかあるまい.まぁ、ひらがなとカタカナと数千文字の漢字の音訓を覚え、複雑な格助詞の使い方をマスターした我々日本人にとって、正則アラビア語はなんとかなりそうだ、という前向きな気持ちで捉えておこう.アラビア文字はたった28文字しかないのだから.まずはコツコツと地固をして、準備をしておくことにする.

 最後に

 最近はうつ病にも様々なタイプが提唱されている.アキスカル、内海らのSoft Bipolor、非定型うつ病(DSM)、現代型うつ病(松浪)、未熟型うつ病(阿部)、職場結合型うつ病(加藤)、ディスチミア新和型うつ病(樽味、神庭)など.様々な知見が増えていき、議論が活発になるのは良い.だがこれだけあるとなんだかよくわからなくなってくる.いや、ぶっちゃけよくわからない.うつ病百花繚乱にもほどがある.

 だが世界に70億人以上人間がいれば、それだけ呈する気分の波も異なって当然だ.性格や気質は人それぞれだ.似た所もあれば、似てないところもある.あなたの体にコードされている遺伝情報、一塩基がほんの少し違うだけで発病しやすさや、抗うつ薬の反応性も予後も異なるであろうことは、現代の医学が教えてくれている.だから、百年前にすでにうつ病になりやすい性格や気質を試論したテレンバッハや下田らは実に見事であるように思う.ともかく皆さんはメランコリーについてなんとなくわかっていただけただろうか.ここまでお疲れ様でした.ありがとうございました.

 

 

 

アンウェル

 例年よりも早く入梅した地域もあり、天気の良くない日々が続いていますね.いかがお過ごしでしょうか.

 照度が少ない時間が続いたり、湿気でムシムシするとなんだか調子が悪い、なんか変な感じがするという方は少なくないはず.エアコンで除湿はしたいけど体が冷えるし、かといってつけないでおくと暑苦しい感覚.眠れないったらありゃしない.日差しが戻ればものすごく眩しくてしんどい.あ’’〜しんど.これって自分だけがおかしいんじゃないかしら?いえいえ大丈夫です.みんなちょっとアレなんです.体調が悪いと変に感覚が研ぎ澄まされたり、情報の解像度が上がってしまって、聴覚や視覚などの知覚に影響を及ぼすんです.強引ながら今日はそんな曲を少しだけ紹介したいと思います.キミならすぐにわかってくれると思う.

Unwell

Matchbox Twenty, from “More Than You Think You Are”, 2002

Song and lyric by Rob Thomas

All day Staring at the ceiling

Making friends with shadows on my wall

All night Hearing voices telling me

That I should get some sleep

Because tomorrow might be good for something

Hold on I’m feeling like I’m headed for a Breakdown

I don’t know why

I’m not crazy, I’m just a little unwell I know, right now you can’t tell

But stay awhile and maybe then you’ll see

A different side of me

I’m not crazy, I’m just a little impaired I know, right now you don’t care

But soon enough you’re gonna think of me

And how I used to be me

Talking to myself in public

Dodging glances on the train

I know I know they’ve all been talking ‘bout me

I can hear them whisper

And it makes me think there must be something wrong

With me

Out of all the hours thinking

Somehow I’ve lost my mind

I’m not crazy, I’m just a little unwell I know, right now you can’t tell

But stay awhile and maybe then you’ll see

A different side of me

I’m not crazy, I’m just a little impaired I know right now you don’t care

But soon enough you’re gonna think of me

And how I used to be

I’ve been talking in my sleep

Pretty soon they’ll come to get me

Yeah, they’re taking me away

I’m not crazy, I’m just a little unwell I know, right now you can’t tell

But stay awhile and maybe then you’ll see

A different side of me

I’m not crazy I’m just a little impaired I know, right now you don’t care

But soon enough you’re gonna think of me

And how I used to be

Hey, how I used to be How I used to be, yeah

Well I’m just a little unwell

How I used to be

How I used to be

一日中天井を見つめて

壁の影と友達になって

一晩中聞こえてくる声が言うんだ

もう少し寝るといい

明日はマシになるかもしれないからって

ちょっと待ってくれ、僕はぶっ壊れそうな感じがする

よくわかんないけど

僕はおかしいんじゃない、今ちょっと調子が悪いんだ、キミは気づかないと思う

でもちょっと待てばキミならわかるのかな

もう一つの僕のこと

僕はおかしいんじゃない、今ちょっと足りてないんだ、どうでもいいのかもしれないけど

すぐに気づいてくれると思う

昔の自分がいかに僕そのものなのかを

人前で独り言を言っていると

電車で視線を避けていると

わかってる、わかってるさ、みんな僕のことを言っている

ひそひそ話が聞こえる

僕のせいなんじゃないかって思ってしまう

ずっとずっと考え続けてると

どうにかなってしまうんだ

僕はおかしくなんてない、今ほんの少し具合が悪いんだって、わからないと思うけど

ちょっとすればわかってくるんじゃないかな

もう一人の僕を

おかしくなんてない、少し不足してるのさ、どうでもいいのかもしれないけど

でもキミならすぐに気づいてくれると思う

僕がどんな感じだったかって

寝てるときも僕は喋りっぱなし

もうすぐ奴らが僕を捕まえに来る

連れ去ろうとするんだ

僕はおかしいんじゃない、今ちょっと調子が良くないんだ、気づかないと思うけど

少しすればわかるのかな

もう一つの僕を

おかしくなんてない、少し不足してるのさ、どうでもいいのかもしれないけど

でもキミならすぐに気づいてくれると思う

僕がどんな感じだったかって

ね、僕がどんな感じだったかってさ

なぁ、ちょっとアレなんだ

僕がどんな感じだったかって

僕がどんな感じだったかって

ご自愛ください.

うんこ

創造物としてのうんこ

 いつのことだったか、とある人が「芸術はうんこだ」と言っていた.たしかすごく偉い人だったはずだ.どういうことなのかと思えば、つねに出し続けなければならない、という文脈で言っていた.これは人間の代謝と同じもので、定期的に出し続けないと生存に差し支えるということで合点がいく.なにがしか脳内に入ってきた情報をそのままとどめておくのではなくて、自分なりに噛み砕いて、色々なものとかき混ぜて形にしてひねり出す.まさしくうんこである.大きな違いを言えば、実際のうんこは愛でられないことであろうか.この悲哀は森山直太朗が「うんこ」という曲で悲哀を綴っている.

 別に芸術に限らず、文学だろうと詩歌であろうと定期的に出し続ける性をもつのは人間の大きな特徴だろう.「有名アーティストの新作アルバムが満を持してリリース!!」ということは、うんこの集大成なのかもしれない.「最近、あの歌手、新作ださないね」ということは、その歌手は便秘なのだろう.創造性という意味において.スランプなのかもしれない.スランプというのはそもそも気力や体調が一時的に衰え気味であることをいう.だからきっと原因があると思う.「ハンター・ハンター」の冨樫義博氏の連載が遅れているのは、何かしら理由があるのと同じであろう.ちなみに便秘が解消されるとスッキリする.なにか大きなものがつかえていた、それが解き放たれると、一気にドバドバと創造性が高ぶることがある.文藝を愛でる人ならよくわかることだと思う.

 実際の便秘ならば食物繊維たっぷりも食事を心がけるとか、定期的な運動をする、緩下薬を飲む、浣腸をするといった解決策があるだろうが、きっと創造性における便秘というのも、似たような方法論で改善策があるはずだ.逆に下痢のようにどろどろと出さずにはいられないような、辛い現象もある.ツイッターで例えるならば、クソツイ(無意味なツイート)を乱発することに近い.別にいいとか悪いとかそういうことをいいたいのではなくて、これは生きている限り人間の生理現象としてしかたがないのだ.下痢気味の人は出してすっきりするが満ち足りることはなくて、次々と出さないと気がすまないような、そういう状態であって、嗜好の問題とは違う.YouTubeで有名なHIKAKINの動画は毎日投稿されている反面、少しも面白くない.とは言っても毎日出し続けていると、沢山の人に評価されるようになる.下痢便でも褒められることもある.

 もう一つ、出そうで慌ててトイレに駆け込んだものの、実は出なかった、という現象がある.私はこれを「ファントム便意」と呼んでいる.家人も理解してくれている.なんだよ、もう、と釈然としない結果に終わるのだが、これも創造性において似た現象がある.新作の映画が何度も延期になるような場合と似ている.期待させておいて実はなにもなかった空虚感は、ファントムである.この現象の病理はいつか取り上げるとする.

 うんこを毎日すると調子がいいように、創造性も継続すると、よいうんこが出てくるようだ.いきなり踏ん張っていいうんこを出そうとする人が多いが、低クオリティであっても続けて踏ん張ることが大事である.動画サイトやブログ界隈でもこうした金言は多い.とにかく続けろ、という指南は永遠のテーマだ.この世の中、一定の設備があれば我々はいくらでも創造の化身であるうんこを放り出すことができるありがたい時代にある.そう考えれば、動画サイトなどはうんこまみれである.地球上を漂うスペースデブリにも似ている.シュールな感じがしてくる.

 実際のうんこをしげしげと眺める人はそんなにいないが、芸術としての創造物は何度でも見返すことができる.「あの時の自分のうんこはこんなにも尖っていたのかぁ」だとか、「うーん、この香ばしさ、若気の至りだったなぁ」という感慨にふけることができる.強烈な腐臭がただようのであれば、本当に水に流してもいいだろう.私達は自由だ.

 このブログも、10ヶ月くらい汚物を垂れ流してきたが、やはりびちゃびちゃと流していると思考が洗練されてくる感覚はある.自然と世の中の出来事がブログのネタになってきてしまうようになる.「今度のうんこはなににしようかな」なんて夕餉の支度を考えるような心づもりで思考が働く.

 続けるということはいいことがある.それは評価されるとか、そういうことではない.自身のために何かいいことがある、というくらいのものだ.何かをはじめてみたものの、二回目以降が億劫になっている人はいると思うが、あきらめない限り継続していることと一緒だ.ファントム便意であろうと、下痢であろうと、放屁だけであろうと、踏ん張ることが重要で、とりあえず生きていればなんとかなる.私はこれからもクンクンと、嗅覚を最大限発揮して、まだ見ぬさらなるうんこの深奥へ潜り込み、自分なりの創造物を思い切りひねり出したいと思う.あーすっきりした.

 

 

 

虚しさに包まれて

They shall not grow old

 つい最近「They shall not grow old」という映画を観た.ニュージーランド・英国の合作であるこの映画はThe Great War、つまり第一次世界大戦のさなかに撮影された映像を現代に再編集したドキュメンタリーである.監督はPeter Jackson氏.「指輪物語」の映像化で有名な人物である.氏の祖父が大戦に従軍したことも大きいのか、かなりの資料から抽出した映像と音声は語り得ぬものと語り得るものをうまく融合させ、当時の空気感を現代に再帰させている.なにかと「AIでフルカラーに、当時の映像を再現!!」ということばかりに関心が行きがちだが、着色技術は今に始まったことではない.ただ、我々視聴者の映像に対する没入感を一層強化していることに違いは無い.

 戦争の直前から映画は始まる.戦争の始まりは人々にとって唐突であった.戦争と聞いても皆ポカンとせざるを得ない、現実味の薄さがインタビューから伺われる.やがて戦争へ行くことは一種の冒険であるかのように、欧州の青年たちの心を掻き立てた.「クリスマスまでには終わるさ」という淡い期待を粉微塵に破壊する機関銃と毒ガスと塹壕戦が彼らを待っていた.このような台詞はよく知られているだろう.勇み足で戦地へ赴く若者の姿は数多く記録されている.皆ニコニコしているのだ.若者がじゃれ合いふざけ合う姿は軍服を除けば、世界中でどこでもありそうな光景である.

 渡仏した英国兵は戦線が膠着していることを知る.各国が開発した新兵器は、いかに効率的に素早く敵を抹殺するかを考えて作られたはずだった.しかし、これらはかえって戦線が停滞する要因となった.ライフリング機構によって射程と命中率が向上し、弾道学の研究は砲弾の軌道を計算することに寄与した.だから皆塹壕を掘って防ぐことにした.雨でぬかるんだ塹壕は悪質な衛生環境で、凍傷と感染症が兵士を襲い、足が真っ黒になって壊死してしまうものも多くいた.黄色い毒ガスも兵士の恐怖を駆り立てた.繰り返し響く砲弾の爆発音はシェルショックと呼ばれる現象を引き起こし、激しい痙攣と失立失歩の症状は、いわばヒステリーの一つとされた.これは後の戦争神経症や心的外傷の研究の嚆矢となった.いまでもYouTubeでシェルショックの症状を観ることができるが、この症状の苛烈さは凄まじい.

 やがて戦争は終わり、生き残ったものはようやく故郷に帰ることができた.だが証言から語られる言葉は切ない.故郷の人からは一体どの面をさげて帰ってきたのか、というような心無い言葉をかけられ、復員した兵士たちは就労につくことを断られたものもいた.暖かく迎えてくれると思いきや、もはや自分の居場所はなかったのだった.銃後の世界ではまったく戦地の様子は知られなかった.知ろうともしなかったのかもしれない.もちろん歓待した家族も合っただろう.だが全員がそうではなかった.国のため、正義のためという名目で命がけで戦ったはずなのに、どういうわけか何もかもが虚しい.戦争における一つの核心を浮き上がらせているように思う.

 哀愁に満ちて映画は終わる.エンディングで流れる当時の流行曲「Mademoiselle from Armentière」は底抜けに明るい陽気な音楽ではあるが、映像を一通り観終えた直後には「Mademoiselle from Armentière, parlez-vous?」とひたすら繰り返す歌詞に当時の空虚感を感じてしまう.しつこいほどに繰り返されるこの英語とフランス語のごちゃまぜのフレーズは、深い意味もなく延々と続く.

 そういうわけで私は、戦争を題材にした映画を年末年始に続き、胸糞悪い後味とともに興味深く観ることができたのだった.この映画を手放しで賛美するつもりは無いが、いわゆるリアリズムを追求したどこぞの戦争映画よりも見応えがある.

臓躁病

この映画を観て私は日本における、ある特集を思い出した.2018年にNHKスペシャルで放映された番組は私の中で強く印象深い.「隠された日本兵のトラウマ〜陸軍病院8002人の”病床日誌”〜」と題したドキュメンタリーは、太平洋戦争において、軍部が日本兵の精神疾患を隠蔽しようとした目論見から辛くも逃れ、約8000例の病床日誌=カルテが千葉県の国府台病院で保存されていたことを明らかにする.その日誌から伺われる内容からは戦争の邪悪さが極まりない.私は形容し難い深い悲しみに包まれた.今でもNHKオンデマンドで110円で視聴することができる.自販機で水を買うつもりで我々はおぞましい歴史に思いをはせることができる.

 先程述べたシェルショックは、第一次世界大戦で顕著だった戦争の傷跡だが、その現象は日本の軍部も承知していたようだ.しかし皇軍にはそんなものは一人もいない、という一種の虚栄によって隠蔽されてしまった.とはいっても戦線の拡大に伴って国府台病院には毎年1000人近い患者が入院した.軍部は密かに優秀な医師を集め、戦争神経症の研究に当たらせたのだという.ここで神経症について軽く触れておくと、神経症とは現在の不安障碍、強迫性障碍、ストレス障碍(適応障碍)、解離性障碍身体表現性障碍、摂食障碍を包摂した症候群と理解するほうが良いだろう.正式な定義はされていないように思う.神経症という言葉は今となっては極めて多義的で曖昧であるために正式な診断には用いない.さきほどの下位分類の病名を用いる.さて、神経症は、ジークムント・フロイトの「ヒステリー」研究から始まった.ヒステリーという言葉は子宮を語源とする現象であり、古くは「子宮に何か悪いものがつかえている、飛び跳ねている」ような理解をされた.明治期の精神医学者、呉秀三は「ヒステリー」を「臓躁病」と訳しているが、これは「金匱要略」という古典にある婦人臓躁=子宮虚血にちなんでいる.こういう命名センスはすごい.

 鋭い方ならお気づきだろうが、ヒステリーは太古に子宮を起源とする現象と考えられたために女性特有の症候とみなされた.しかしながら、第一次世界大戦によって痙攣、失立失歩、転換症状が男性の兵士に続々と出現したことから、ヒステリーは男性にもおこるものだという理解が次第になされた.そして研究視察に訪れた日本の軍医もそのような理解をしつつあった.だが、事態が我が国に及ぶと、すなわち太平洋戦争が勃発し戦線が中国大陸や太平洋に拡大するにつれて、先の大戦におけるシェルショックのような症例が出現した.軍部はこの事実を隠すために、こうした戦争神経症を皆、「臓躁病」として、世間の人々には病態の憶測を困難にさせた.軍部は戦争期に精神疾患に罹患した兵士の一部を国府台陸軍病院に収容させるのであった.現存するカルテは約8000例であるが、それはごく一部であろう.兵站と輸送路の貧しさを考えれば、戦線で見捨てられ診断に至らなかった症例が多くいたはずである.自殺例も多かったであろう.

 その国府台陸軍病院に入院している症例を写した映像がある.まぎれもなくシェルショックである.意識清明だが激しく四肢を痙攣させるものもいれば、腕が震えてしまってコップの水を飲めないものもいる.全く歩けないものもいる.そばにいる軍医は完全に困惑している.こうした症例の処遇にはかなり苦労したであろう.力のある若い男性が痙攣すれば無理にでも鎮静をかけるしかないが、痙攣しては内服も静脈注射もできないために鎮静剤の筋注しかない.1940年代に使用可能な薬剤はかなり限られているだろうから、バルビツールくらいが関の山だろうか.あとは拘束か隔離をするほかなかったはずである.おそらく.治療という治療はほとんどできなかったのではないか.

 ドキュメンタリーを観ると、非常に度し難い過去を知る.戦線に送られる兵士は徴兵制に基づき、徴兵検査を経て、甲乙丙に分けられる.しかし検査で要件を満たさないものがいれば、徴兵にとられることはなかった.建前としては.当時知的障碍に相当するものは精神薄弱や白痴とされ、本来は除外されるべきであった.しかし戦線の長期化と兵力の減少から、そうした人々さえも徴兵にとるようになっていたのだという.当時の診療録には年齢は知能検査で四歳相当とある症例が記録されている.年齢を尋ねても「___わかりません」、人と馬の相違を答えよ「___わかりません」こうした人々はほとんどが温厚かつ優しい性格であり、農業や家事手伝いをしてすごしていたはずだったのに、戦争に駆り出され狂気の渦に飲まれ、ぼろぼろにされてしまった.上官の私的制裁によって理不尽な暴行を受けたものもいた.許されぬ制裁が彼らの心をますます蝕んだ.

 戦争神経症だけでなく、精神分裂病として不可逆的な心の傷を負ったものもいた.典型的な例を出そう.結婚してまだ数年.生まれたばかりのこどもがいる20代の父親.彼のもとに召集令状が届き、山東省の戦地に送られる.戦地は中国共産党が率いる八路軍が潜伏しており、市民かゲリラ兵か見分けがつかない状態であった.いつ襲われるかわからない恐怖.周りの人が敵にみえる.こうした極度の緊張感.年端もいかない少年を殺してしまったために、いつまでも殺人の感触がぬぐえない.兵士の日誌には「いつまでも殺した記憶が消えない」と独白している.苦痛を消すことはできない.やがて彼に狂気が訪れる.徐々に幻覚妄想が出現する.「死ね」という声が消えない.「死ね.死ね.死ね____」戦争という緊迫した状況下で分裂病を発病することは、クラウス・コンラートの「分裂病のはじまり」に詳しい.一度精神に破綻をきたせば、突如大声を出すし、刀を振り回すこともあった.幸運にも帰国して実家にかえったとしても、社会は冷たい.「生きて虜囚の辱めを受けず」である社会は生きて帰ることを許さなかったし、ましてや狂人を食わせる飯もない.家族も肩身がせまい.もちろん健康な成人男性だけではなく、さきほどの知的障碍に相当する者の心も容易に蝕まれた.戦争が終わっても彼らには恩給すらなかった.未復員という、帰る先すらないものが数多くいたそうだ.家に帰ったとしても結局は座敷牢に閉じ込められた.私宅監置は1950年まで続いた.戦争は糞だ.

 こうしたことを知るだけでも十分痛ましいのに、これを隠蔽した事実が自分の国にあることは大変な悲しみである.ドン引きである.当時治療方法が無いとはいえ、つくづく人材を大切にしない時代であったと思うし、そういう名残が今でも残っているこの国は過去から学んでいないように思ってしまう.呉秀三の「わがくに十何万の精神病者は実にこのやまいを受けたるの不幸のに、このに生まれたるの不幸をぬるものというべし」という言葉はよく沁みる.この言葉が現代に語り継がれているのは、そういうことなのだろう.自身が当事者や周囲の援助者でないものにとってこの事実は全くと言っていいほど知る機会が無い.自分は決してそうならないであろうという傲慢さが垣間見える.

 私は正食に言って今の精神科医療に対して楽観できていない.誤解なくいえば熱心に従事されている方には心から尊敬している.だが学会や製薬会社のキャッチがかつてよりもはるかに空虚に感じられる.五分で精神療法は提供出来ない.そう思うのは私が病気だからか?現実をみないでものを語っているからか?臨床の前線にいないからか?今の私は到底戦線に復帰できそうも無い.耐え難い屈辱と、私にかけられた悪辣な呪詛がレジリエンスを弱らせているように思う.だがなんとか腐らずに怒りを昇華させて、できる限りの医療を実践するしかない.私は怒りを出すことが苦手だが、怒ることだってある.この数年ずっと怒っている.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Gitanjali: 1

 イエーツからタゴールへ.ラビンドラナート・タゴールの著作、ギタンジャリから、序文の一部を抜粋.以下はイエーツの寄稿した序文になります.翻訳は亀吾郎法律事務所のエース、吾郎が行います.米国、インド、日本で著作権が失効しています.私達は原著に敬意を持って翻訳します.

From W. B. Yeats to R. Tagore. An introduction of “Gitanjali” by Rabindranath Tagore, Yeats wrote the recommendation for the work. Goro, our chief editor of Kamegoro Law Firm hereby dares to translate his introduction with full respect.

The copyright of “Gitanjali” has expired in the United States, India, and Japan.

Introduction

I

A few days ago I said to a distinguished Bengali doctor of medicine, “I know no German, yet if a translation of a German poet had moved me, I would go to the British Museum and find books in English that would tell me something of his life, and of the history of his thought. But though these prose translations from Rabindranath Tagore have stirred my blood as nothing has for years, I shall not know anything of his life, and of the movements of thought that have made them possible, if some Indian traveller will not tell me.” 

It seemed to him natural that I should be moved, for he said, “I read Rabindranath every day, to read one line of his is to forget all the troubles of the world.” I said, “An Englishman living in London in the reign of Richard the Second had he been shown translations from Petrarch or from Dante, would have found no books to answer his questions, but would have questioned some Florentine banker or Lombard merchant as I question you. For all I know, so abundant and simple is this poetry, the new Renaissance has been born in your country and I shall never know of it except by hearsay.” 

He answered, “We have other poets, but none that are his equal; we call this the epoch of Rabindranath. No poet seems to me as famous in Europe as he is among us. He is as great in music as in poetry, and his songs are sung from the west of India into Burmah wherever Bengali is spoken. He was already famous at nineteen when he wrote his first novel; and plays, written when he was but little older, are still played in Calcutta. I so much admire the completeness of his life; when he was very young he wrote much of natural objects, he would sit all day in his garden; from his twenty-fifth year or so to his thirty-fifth perhaps, when he had a great sorrow, he wrote the most beautiful love poetry in our language”; and then he said with deep emotion, “words can never express what I owed at seventeen to his love poetry. After that his art grew deeper, it became religious and philosophical; all the aspirations of mankind are in his hymns. He is the first among our saints who has not refused to live, but has spoken out of Life itself, and that is why we give him our love.”

I may have changed his well-chosen words in my memory but not his thought. “A little while ago he was to read divine service in one of our churches—we of the Brahma Samaj use your word ‘church’ in English—it was the largest in Calcutta and not only was it crowded, people even standing in the windows, but the streets were all but impassable because of the people.”

 数日前、私は腕利きと評判のベンガル人の医師に次のように言った.「私はドイツ語を知らないのです.しかし、もしドイツの詩人の翻訳が私を感動させたとしたら、私は大英博物館に行き、その人の人生について、思想について教えてくれるような英語の本を探すと思います.しかし、ラビンドラナート・タゴールのこれら散文の翻訳は私をひどく興奮させた以外の何ものでもなかったのです.にも関わらず、もしインド人の旅人が私に教えてくれなかったらば、私は彼の人生について全く知らず、これら著作を可能にした思考の動きについても知らなかったのです」

 私が動揺するであろうことは彼にとって当然のようであった.「私はラビンドラナートの本を毎日読んでいますよ.彼の一文を読むことは世界の悩みをすべて忘れることですから」と彼は言ったからだ.私はこう言った.「リチャード二世の統治下における、ロンドン在住のとある英国人はダンテあるいはペトラルカ詩集の翻訳を見せられたのですが、彼は自分の疑問に対する答えを本に見いだせなかったのです.しかし私があなたに質問するように、フィレンツェの銀行家やロンバルディアの商人も問いかけをしたでしょう.私の知る限り、この詩歌が申し分なく、しかも簡素であるので、新たな文芸復興があなたの国で生まれたことを、私は噂なしに知ることはなかったのです」

 彼はこう答えた.「インドには他にも詩人がいますよ.しかし彼と同じのものはいませんね.ラビンドラナートの時代といってよいでしょう.彼が我々の中で有名なのと同じ様にヨーロッパで有名な詩人はいないように思いますがね.それに彼の歌はベンガル語が話される西インドからビルマで歌われているのですよ.彼は初めて小説を書いた十九歳のときに既に有名でした.劇も彼が少し歳をとってから書かれました.いまでもカルカッタで演じられています.私は彼の人生の完全性を大いに讃えているのです.彼がとても幼かったとき、自然にあるものをたくさん書いていましたね.庭に一日中いたものです.二十五歳から三十五歳でしょうか、彼が深い悲しみに包まれたとき、彼は私達の言葉で最も美しい愛の詩を書いたのです」そして彼は感慨深く、次のように述べた.「私が十七歳のときに彼の愛の詩に受けたものは、言葉にすることができません.彼の芸術が深みを増すほど、それはより敬虔でより哲学的になりました.彼の賛歌には人間の熱望すべてがあったのです.彼は、生きることを拒まぬ人々の中で最初の慈悲深い人でしたが、人生そのものについては語るのでしたよ.そしてそのことが彼に我々が愛を注ぐ理由なのです」

 私は彼の考えではなく、彼の記憶の中にある彼の吟味された言葉を変えたのだろう.「少し前、教会、つまり我々がブラフマーサマージ、あなた方の言葉の英語で教会というものの一つで、彼は神聖な奉仕について読むところでした.教会はカルカッタで最も混んでいるだけでなく最も大きいのですが、人々は窓辺に立ってさえいました.その人々のせいで道が通れなくなったのでした」

 序文の一部を試験的に投稿してみました.これからどんな話が始まるのでしょう.序文でワクワクするのは久しぶりです.

ありがとうございました.

英語学習についての個人的見解

楽しくやれたらいい

 自然科学において、最も根拠のある主張、すなわちエビデンスが高いものというのは、メタアナリシス研究に基づく結果だという.その下には無作為対照研究(Randomised Control Trial: RCT)がある.さらにさらに根拠の低い試験や研究があり、最も根拠のないものは、(実は)専門家の意見である.だから専門家の意見をあてにするな、とはいわないが、「自分で取捨選択せよ」ということになる.逆にメタアナリシスの結果で帰無仮説が棄却されたからといってその仮説が正しいわけではない.尤もらしいだけだ.こういった誤解は現代でも続いている.ちなみに私は自然科学の畑を出自に持つが、「尤もらしい」とかいう妙な曖昧さが好きでない.

 さて、私がこれから話すことは自然科学の領域ではない.そもそも自然科学と人文科学というのは境界不明瞭だからあまりそういう話をしても仕方がない.エジプトとリビアの間に南北の直線を引いたようなものだ.どちらかといえば人文科学の話をする.私は亀吾郎法律事務所の職員に過ぎず、英語の先生ではない.専門家でも無い.だから自然科学の序列に従えば、この話は最も信憑性がないことになってしまう.「自分から信頼度をさげるとはやはり愚か者め」とお思いの一部諸兄は、落ち着いていただきたい.この論理でいくとあらゆるYouTubeの投稿者が熱く持論を語る行為がすべて虚しくなってしまう.だがそうでは無いだろう.私は、個人的な経験を未来の他者と分有できるか、可能性に賭けてみたいだけだ.

私の話から

 私にとっての初の語学体験は、公文式の英語のときだったと記憶する.単なるCDプレーヤーから流れる英文を聞いて、適切な回答を記述するトレーニングを要請された.

 小学二年生か三年生だったか.「あぁ、今日も洒落臭えなぁ」と思って課題をこなしていたところ、全身を駆け巡る極彩色の電撃が一閃.次の英文を書いた.

The hill is high.

私は英文から並々ならぬ霊感を受けた.

「今、自分は文章を作ったぞ」

という猛烈な興奮.当時の自分にとっては第二文型などどうでもよかった.傍から見れば、「いつもぼーっとしている〇〇くんがなんだかニヤニヤしているな、大丈夫かな」くらいだ.しかし、私は独自に創造という営為を成し遂げた、ホモ・サピエンスを自称するに等しいくらいの感動と自負に満ちていた(後にホモ・サピエンスは撤回した).

 この感興は忘れがたい.私に「自分史」というものがあれば間違いなく、世紀の大事件だった.そこから私は狂ったようにCDプレーヤーを再生した.そして聞きすぎて幾つものプレーヤーを破壊した.

 中学一年生の頃にはちょうど、「生き残った魔法使いの少年」が大人気になりつつあるころだった.私は「賢者の石」を一晩で読み終えたが、生ビール中ジョッキ一つでは足りないおっさんのように物足りなかった.実に見事な翻訳だった.どうやら本国では次回作「秘密の部屋」が出ているらしい.私はウズウズした.

「そうか、原著を読めばよい」

 早速あの手この手で入手し、「Philosopher’s Stone」を読み始めた.一頁目から苦戦した.当時の自分には知らない語だらけだった.文法もよくわからない.一文、一文を辞書を引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引きまくった.辞書とは今でも良き友人だ.中学校では朝の十五分間に読書の時間があった.辞書と本を持ち込んで、辞書を引く作業を続けた.辞書を使い倒す習慣が始まったのはこの頃からだろう.現在辞書はほぼ電子化した.Macintoshのパソコンを使っている方は、「辞書」のアプリケーションをぜひ利用していただきたい.大変優れた名脇役だ.私がブログを書く時はこれが欠かせない.中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スウェーデン語、ノルウェー語、イタリア語、ポルトガル語、アラビア語……類語辞典も一部あるのが良い.

 話を戻そう.第七巻の最終章にたどり着いたときは魂が震えたものだ.その時には大学生になっていたと思う.そこまで時間がかかったのは他にも本を読み始めたからだ.幼児のころに絵本で読んだ「ガリバー旅行記」がとてもとても面白く、原書で読んでみようか、と思い書店で買って読んだときの打ちのめされた感覚も忘れがたい.知っている方ならわかるが、初版が1726年だ.読めなくはないが、古めかしく知らない単語がこれまた並ぶ.私はスラスラ読んで、ガリバーとともにリリパット王国にたどり着き、彼が巨人として火事の宮殿に小便をかける場面を読みたいと思っていたのに、なかなかリリパットにたどり着かなかった.「ガリバー旅行記」は途中で諦めてしまった.受験勉強も差し迫ってきたという事情もあった.Johnathan Swift(ジョナサン・スウィフト)の作品に込めた真意を知るに私は青すぎた.

自分に合う参考書を選ぼう

 やはり、私にとって天啓であり革命とも言える出会いは原仙作の「英文標準問題精講」に尽きる.間違いなくRevelationでありRevolutionだった.今でもズタボロの雑巾のように大事に取っておいている.時々見返してはニヤニヤするし、英文を書く時の参考にする.ヘミングウェイ、ラッセル、エリオット、ウルフ、チャーチル、アインシュタイン、ニュートン、フィッツジェラルド、ミルン、オールビー、ミルトン.

 皆、私の心強い協力者である.故人だが.

 この本が私を受験勉強の苦しみから助けてくれたといっても良い.とはいえこの本は圧倒的に手強い.一般的な日本の大学入試のレベルを超えるだろう.だが、TOEICやTOEFLのひどくつまらない英文を読まされるよりは、はるかに気休めになる.「私が」文を読んでいる、という気にさせる.なんとか理解してみせようぞ、という気概をもたせてくれた.そして文の構造がつかめたときの心地よさといったら.当時の先達が「覚えるくらい何周もしろ」というので私も少なくとも三週はしたはずだ.一周目でつまづいた文章にまた出くわすと、まるで著者たちが「おかえり」と言っている気がしたものだ.

 私はTOEICのような共通試験のスコアで競り合うような議論は好きではない.私もTOEICやTOEFLは何度か受けたが、できればもう受けたくない.就職、入学の足がかりとして用意されるその試験は性質上、「ビジネス」に即した内容が多い.広告、新聞、メール、インタビューなどが題材になっている.どれも架空の内容で全体的に虚無感じるのは私だけか.「試験とはそういうもんだ、おとなしく口を閉じてろ、馬鹿者め」というお叱りがあるかもしれぬ.だがつまらない文をつまらないといって何が悪いのか.作成者の顔が見えない、というのがどうも気に入らない.「はいはい、委託されたのでとりあえず作っておきましたよ」というやっつけ感を感じてしまう.

 それに比べ、英文標準問題精講は、裏表紙に引用元の著者の写真が並んでいる(モノクロのせいか、遺影の様にも見えてしまう).誰某が書いている、とわかるのはとても良い.もちろん出典もある.だから後でさらに読みたくなった時に書店に行けば良いのだ.それに彼らが心血を注いだであろう、文章に見られる技巧、散文へのエネルギーが感じられる.それから編集者である原仙作・中原道喜の訳と解説に安定感がある.

 私にとって、名文や名著とそうでないものの違いを厳格に述べることは出来ない.だから上記の意見は誤解かもしれない.しかし、TOEICなどの勉強は問題の解き方を覚えるだけのような、手段が目的となってしまう危険に陥りやすいと思う.TOEICの先にある目的があれば、努力するに越したことはないだろう.楽しくやれたらいい.もし書き手の顔、意思を感じられるような時事の話題に触れたいのであれば、英字新聞をおすすめする.私は現在、Japan Timesの電子版を購読するようにしている.六ヶ月間の月額百円キャンペーンをやっている.よかったらどうぞ.もちろん利益相反はない.

文法について

 非専門家である私から、英文法について述べられることを挙げるとすれば、一つは、「文型」を意識して読むことだ.これはかなり重要な要素で、おろそかにしている人が多い.もう一つは「これは口語的だとか、文語だからあまり使わない方が良い」という意識を持ちすぎないことだと思う.この軛のせいで損をしている人は多いように思う.文語で書いて何が悪い.会話も文語を基礎にして何がいけないと言うのか.「表現が固いじゃん」固くて何がいけないのか.「もっとCasualな表現あるからそっちのほうがいいよ」という指摘は、表現の幅を自ら狭めているCasualtyに過ぎないと思う.それからまともな文法書を買うことが大切だ.私はロイヤル英文法を持っているが、単色刷りのシンプルな構成と大きな字、索引の充実は好感が持てる.一冊あれば一生使える.これで二度と買わなくて良いのだ.作文や文法について参考書を紹介するならば、さきほどの中原道喜や佐々木高政を挙げる.

聞くことについて

 聞こえた文章を書き取る訓練が最も良いように思う.これは筆記の練習にもなる.かつて私はディクテーションの鬼となったことがあった.「The Phantom of the Opera:オペラ座の怪人」という映像作品がある.小説や劇でも有名だ.Andrew Lloyd Webber という作曲家が映画に向けて書いた曲(どれも壮大だ)があり、私は当時、高校生の頃、自宅にオペラを響かせて歌詞を聞き取り、自作で歌詞カードを作ったことがあった.何百回か、延々とオペラが鳴り響いていたので頭がおかしくなりかけたが、語と語の連結を推測したり、発音と抑揚、文章の構造を考える上で良い訓練になった.オペラの歌詞を聞き取るだけで難易度が高いので、後々流行りのポップスやロック・ミュージックを聴いて歌詞を書き出しては、後日公開されている歌詞と照合する、という遊びをやっていた.高校生にしてはそこそこ狂っていた(やっぱりおかしくなっていたじゃないか!)方だが、自分は楽しんでいたと思う.この訓練は多言語でも応用が効く.今度はアラビア語でやってみようか.

話すことについて

 話すことは不肖あまり自信がない.発音と抑揚の付け方は幾分か指南できると思う.ただし私は非専門家だから、最も信頼におけない人材であることを断った上で話をする.発音に関して、海外で暮らしていないと発音が上手にならないのではないか、そう思っている人が多すぎて気の毒である.そんなことはない.小林克也という反例がいる.彼は大変きれいな英語を話すラジオDJで、彼は実に堂々と、崩れた英語を話す海外の連中と会話を成立させる.あっぱれである.彼の流暢さは抑揚の置き方にある.山下達郎もきれいな英語を話すと思う.Ride on Time〜

 また、RとLの違いにこだわりすぎる人が多い.聞き取れるに越したことはないが、初学者には酷だ.そういう人はイギリス英語を身に着けたら良いのではないか.Rの発音があまり気にならなくなる.それに子音をしっかり発音するので、文字と発音が一致して、きれいに聞こえる.私は中学生くらいに気づいてそうすることにした.かつてユース・ホステルの相部屋にいた英国人の青年と話をしたときに「君はいいイギリス英語を話すね」とお世辞を言われたのは良い思い出だった.あれは世辞だ.自慢話はこれくらいにしよう.

 先天的なバイリンガル、すなわち幼少期に外国に滞在したという、外国語のOSをインストールできた人々は外国語を話す時に脳内言語設定が切り替わるようだが、私はそうはいかない.だが、切り替わらなくたって良いじゃないか.言語体系の異なる我々が頑張って、別の言語を覚えようとしているのだ、文法がわかるだけでも素晴らしいと自信に思ったほうがいい.私だったら頭の中でおちおち英作文をする.ゆっくり丁寧に考えたら良い.

まとめ

 大した話はできなかったが、自分の主張は伝えられたのでこれでよしとする.結局は「学問に王道はなし」、ということになる.しかしながら原仙作によれば捷径はある.だから嘆かないでほしい.楽しく突き抜けるのがいいと思う.自分にとって親和性の良い題材を選ぶことが良いだろう.

 最後にミルトンの詩を紹介して締めよう.これは以前の亀吾郎語学教室でも引用した.語学を勉強する時はいつもこれを意識する.我々は地獄から這い出ようとする魔王サタンと同じだ.

Long is the way

And hard, that out of Hell leads up to Light.

Gates of adamant,

Barring us out, prohibit all ingress.

–John Milton, Paradise Lost

私の小論にお付き合いくださりありがとうございました.

بشرة حير/Boshret Kheir/Good Tiding

 こんにちは.久しぶりの三郎こと、さぶちゃんです.今日は楽しい楽しいアラブ・ポップをお届けします.歌手はエジプトの(多分)大御所、Hussain Al Jassmi | حسين الجسمي|フサイン・アルジャスミーです.さぶちゃんは、日本人からすると癖の強いアラブ・ポップスの中からリズミカルで耳に残る軽妙な楽曲を発掘しました!

 エジプト版「アジアの純真」に少し似ているかな.Billy Joelの「We didn’t start Fire」っぽいかも.いろんな地名が出てきます.全エジプトの友愛をよびかける曲なので、政治色があるのかな、と勘ぐる諸兄もいるかもしれませんが、「We are the World」みたいなもんでしょ.語頭や語尾で音韻を踏んでいて気持ちがいいです.

 物足りなくなってきた人がいれば、Remix版もYouTubeにあります!やったぜ.

 最期にさぶちゃんの和訳を載っけておきました.よかったらどうぞ.

VERSE 1

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 1

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 1

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

What did Egypt gain from your silence

Do not belittle your voice

Tomorrow, you will write it under your own stipulation

This is a good tiding

Khadit ayh miṣru biskutak

Matustakhsrsh fiha Ṣotak

Bitaktab bikarih bishuruṭak

Di boshret kheir

خدت ايه مصو بسكوتك

ماتستخسرش فيها صوتك

بتكتب بكره بشروطك

دي بشرة خير

CHORUS

Go call out for the ‘Saīdi’,

and your nephew from ‘Port Saīd’,

and the youth from ‘Alexandria’

for this is a gathering of men

CHORUS

Qawm nadi ‘a alsa’aidi

Wabn akhuk alburas’aidi

Walshabab alaskandraniu

allamuh di limat rijal

CHORUS

قوم نادي ع الصعيدي

وابن اخوك البورسعيدي

والشباب الاسكندراني

المه دي لمة رخال

And I will come with those from ‘Sohag’ and ‘Qina’, ‘Sinai’

those from ‘Al Mahalla’ who are the best of best

and the beautiful ‘Nubians’

No need to double check on the people from Suez

Everything is now jumbled together

And the people from ‘Al Ismailiyyah’ who have been through alot

Talk to me about the people from ‘Sharqiyya’

and together we are stronger

and together we are stronger

And Our hope is high

Wana haji m’a alswhaji

Walmhlawy ally myah myah

Walnubh aljumal

Matuṣysh alsaw aysh

Aldnya hayiṣuh kdh kdh

Walahasma’alawyh yamana kaduu al’ada

Klmny’a alsharaquh

wakhna waya b’aḍaqwaa

wa’amlna kabir

وانا هاجي مع السوهاجي

والمحلاوي اللي ميه ميه

والنوبه الجمال

ماتوصيش السوايسه

الدنيا هايصه كده كده

والاسماعلاويه ياما كادوا العدا

كلمني ع الشراقوه

واحناويا بعض اقوى

وآملنا كبير

VERSE 2

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 2

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 2

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

The people from ‘Beheira’, ‘Menoufiya’, or “Damietta’

Those people are closer to me than my friends

‘Halayb’ are all family and friends

go call out for them

Buhayri manawafi aw dimyatiun

Dual aqrbly min akhwati

Halayb ahl waqarayib

Nadiluhum rh

بحيري منو في أو دمياطي

دول اقربلي من اخواتي

حلايب أهل وقرايب

ناديلهم رح

And the thing that stands out most

Is for us to see our beloved ones from ‘Giza’

Oh greetings with a thousand paces

towards the people of ‘Maturuh!

*Back to CHORUS

Waiktara hajah fiha miaza

Nashuf habaybana fi alijiza

Ya murhab alf khuṭuh ‘aziza

Banas maṭuruh

*Back to CHORUS

واكتر حاجه فيها ميزة

نشوف حبايبنا في الجيزة

يا مر حب ألف خطوه عزيزة

بناس مطروح

*Back to CHORUS

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

それでエジプトが何を得たっていうのさ

小さな声ではだめだ

明日、君は契約を結ぶ

絆(بشرة حير)のことさ

「サイーディ」たちのために声を出そう

「ポート・サイード」にいる甥にもね

「アレクサンドリア」の若者も

これは人々の集いなんだ

僕は「ソハグ」と「キーナ」、「シナイ」のみんなと一緒に行くよ

「アル・マハラ」の奴らは最高さ

「ヌバ」の美しい人も一緒だよ

「スエズ」のみんなはひと目でわかる

ごったがえしてきたな

苦労人の「アル・イスマリーヤ」のみんな

僕に「シャルキーヤ」の人たちのことを聞かせてよ

みんなで強くなるんだ

みんなで強くなるんだ

志を高く持って

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

「ビハイラ」「メヌフィヤ」「ダミエッタ」のみんな

一番の仲良しかもね

「ハライブ」は僕らの家族で友人だ

声を出そう

大事なことは「ギザ」の最愛の人に会いに行くことだ

幾千の足取りが

「マトゥルフ」に向かって出迎えに行くようだ!

和訳:三郎

.شكر

The Book of Tea: 20

Acknowledgement

謝辞

訳者あとがき

 かねがね私は「訳者あとがき」というものを書きたいと思っていた.ついにその日が来るとは!私にとって初の長編翻訳の完成だ.訳者あとがき、と記すことができ、大変光栄に思う.すごく嬉しくて感慨深い.

 読者の方はどのように感じてくださっただろうか.拙い翻訳だと思われるのも無理はない.天心の英文が素晴らしいと感じてくださったなら、訳者冥利に尽きる.私の目的はほとんど成就したと言ってよいだろう.彼の「茶の本」は七章に分かれている.どれも彼の知識の奥深さを語り、日本文化が海外に正しく評価されていない怒りと、自国ですらも理解されていない嘆きを冷静に、しかし情熱的に語る.

 天心は若くして英文に親しんだ.Ernest Fenollosa(アーネスト・フェノロサ)と知り合い、助手として彼の美術品収集に助力したことはよく知られている.英語との親和性が高い彼の描く文学世界は、美しく格調高く、しめやかであると思う.特に最終章は圧巻である.利休の死を描く最期の茶会は私にとって、彼がやはり日本人なのだと強く思う特徴があった.

 利休が門弟を招いて、彼らが待合に入った瞬間.時制が現在に回帰するのだ.詳しくいえばAs they look into–からである.これまでの評論はもっぱら過去形で説明を行ってきたのだが、この利休の最期の描写は、弟子たちの悲しみと緊張感に溢れる空気感をリアルタイムで説明するものである.

 この時制に関する日本語の特性は、以前の記事で紹介した.せっかくのなので再度掲載しておこう.

 敢えて出来事を時制変化を用いずに表現することは、特に我が国の文学的物語(narrative)の特徴として、多いに知られているものである.日本語について述べれば、そもそも日本語の文法は現在、過去、未来を鋭く区別しない.

 心のうちに祈念して、目を見ひらいひたれば、風も少し吹よはり、扇も射よげにぞなったりける.与一鏑をとってつがひ、よっぴいてひやうどはなつ.

 上記は「平家物語」において、那須与一が沖の波間に揺れる小舟に差し出した扇を海岸から射落とす場面である.過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法ははるか以前から知られている.矢を放つ主人公の動作のみが現在形である.神仏への祈念と風の静まりから決定的行動へ移る描写の現在形は際立ち、その一瞬の光景を浮かび上がらせる.これは決して暴力的というわけにはいかないだろうが、一気に読み手、聞き手を引き込むという点で、強力な誘導である.強制力を持つわけである.

 一方、近代ヨーロッパ語の場合は、動詞の語尾変化や助動詞と動詞の併用により、出来事の過去・現在・未来を、文法的に明示する.その中でも厳格な文法から一定の緩みを見ることができる.以下の例文を示す.

Alors, une idée l’exaspéra. C’était une saleté que ces dames voulaient lui faire en se conduisant mal chez elle. Oh! Elle voyait clair! …

Émile Zola, Vuillaume, 1876

 その時、一つの考えが頭をよぎって彼女は激しく苛立った.このご婦人方は、彼女の家で無作法に振る舞って、嫌がらせをしたんだ.ああ、はっきりわかるわ.

Dora stopped listening because a dreadful thought had struck her. She ought to give up her seat. She rejected the thought, but it came back. There was no doubt about it. 

Iris Murdoch, The Bell, 1958

 ドーラは恐ろしい考えが急に頭に浮かんできて、会話に耳を傾けるのをやめた.私が席をゆずるのが当然だわ.ドーラはその考えを打ち消したが、再び考えは戻ってきた.譲らなければならない.

 上記はいずれも登場人物の意識にのぼった考えを描出した文である.仏文では自由間接話法(Discours Indirect Libre/Style Indirect Libre)とよび、英文では描出話法(Represented Speech)ともいう.こうした技法を意識の流れ手法(Stream of Consciousness Technique)と呼ぶようである.このような技法は伝達動詞の支配から自由になる話法であるが、時制は必ず間接話法と同様に照応を求められる.時制は自由にはならず、時制が日本語のように読者を現在へ引き込むのではない.読者・聴者の意識が、あたかも作中の登場人物の意識であるかのように、過去へ誘うのであろう.強い言い方をすれば過去へ引きずり込むのだろう.

「記憶/物語」を読んで 2

 寡聞にして私は、時制のゆるい英文表現をこれ以外に知らない.おそらくあるのだろうが、限定的なのだろうと思われる.岡倉天心が日本人であるからこそ、彼以外に為し得ない日英ハイブリッドとも言える文学的表現の醍醐味を私達は味わうことができる.少なくとも私はそのように理解し、心躍らせながら作品を読み、翻訳をした.もう一度是非ご覧いただこう.In art the Present is the eternal.という句が沁みる.

–On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony. Mournfully at the appointed time the guests met at the portico. As they look into the garden path trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts. Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns. A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter. One by one they advance and take their places. In the tokonoma hangs a kakenoma, –a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things. The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth this woes to departing summer. Soon the host enters the rooms. Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all. According to established etiquette, the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage. Rikiu places the various articles before them, with the kakemono. After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir. The bowl alone he keeps. ‘Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man.” He speaks, and breaks the vessel into fragments.

The ceremony is over; the guest with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room. One one only, the nearest and dearest, is requested to remain and the end. Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto concealed. Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:

 すべて時制は現在形なのだ.天心はおそらく、このことを意図して書いたのではないか.だとすれば天心は大変な才覚を忍ばせている.ずるいというか恨めしいというか.利休の門弟が入室した瞬間に、時制が現在に回帰するのだ.私達は、利休とその門弟との最期の茶会に参席しているような臨場感に包まれる.ぐいと一気に引き込まれる.そして利休が自刃する瞬間までもが、現在にある.そう、自刃し、辞世の句を読むまでは.

“Welcome to thee,

O sword of eternity!

Through Buddha

And through Dharma alike

Thou hast cleft thy way.”

With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.

 利休の絶唱は原文では以下のものとなる.

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺提る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

「力囲希咄」(りきいきとつ)とは「腸をしぼって思わず発する一喝、一声」を言う.唐木順三をして「㘞地一声の怒電」というようである.静かな諦念とは相容れない激しい気負いなのだという.

「㘞地一声の怒電はまさに対立の頂点であったが故に、その故を以て対立を超える」

 これはヘーゲルの弁証法的な考えに通ずる命題である.

 あまりイメージがつかない人は、武論尊による「北斗の拳」が大いに参考になるだろう.ケンシロウに経絡秘孔を突かれ敗北する人々は「あべし」、「ひでぶ」といった声をあげて死亡する.これこそ力囲希咄、㘞地一声の怒電であろう.形容しがたい声とでもいうのか.断末魔の叫びともいえる.この声を以て人は死を、諦念を超越しようとする.

 だが、天心の英文にはその「力囲希咄」に相応するものがない.なぜか.様々な訳者のあとがきにもその考察がある.決して、天心にとって利休の死は弁証法的な対立がテーマではなかった.止揚することが本意ではない.利休が彼岸へ渡ることで、

Harmony with the great rhythm of the universe

となることが重要なのであったという.私も強く同調する.天心にとって死の超克などどうでもよかった.従容として死を受け入れ、永遠の世界へ潔く旅立つことを良しとした.それが日本人の、日本文化の真髄なのだと.これは手塚治虫による「火の鳥」が理解の参考になる.登場人物は皆生への希求が甚だしく、死を恐れる.しかし、火の鳥は死を恐れず、一つの超生命体ともいうべき「コスモゾーン」への融合を受け入れるよう優しくも厳しく諭す.おそらく、天心の思い描く世界はこの「コスモゾーン」への融合、死との融和であった.幸いにして、この思想は引き継がれた.

 しかし、不幸にして天心は敗北した.西洋文明の怒涛のロジックに負けた.もちろん、我々も負けた.死をいたずらに美化する我が国の虚飾が作られた.圧倒的な敗北だ.作品には天心の諦観が、ペシミズムが浮かばれる.そして、我々の中に、私のようなものが天心の心情に投影を果たす.だから、天心の労苦は無駄ではない.天心は負けたが、彼の理念は生き続けている.この作品も宇宙の偉大な調律に調和し、世界中で愛され続けているのだ.私もこの調律に調和すべく、拙い翻訳を行ったわけである.翻訳の質としては敗北だが、これはこれでよい.こうして皆さんにお届けできたのだから.

本当にありがとうございました.