アンウェル

 例年よりも早く入梅した地域もあり、天気の良くない日々が続いていますね.いかがお過ごしでしょうか.

 照度が少ない時間が続いたり、湿気でムシムシするとなんだか調子が悪い、なんか変な感じがするという方は少なくないはず.エアコンで除湿はしたいけど体が冷えるし、かといってつけないでおくと暑苦しい感覚.眠れないったらありゃしない.日差しが戻ればものすごく眩しくてしんどい.あ’’〜しんど.これって自分だけがおかしいんじゃないかしら?いえいえ大丈夫です.みんなちょっとアレなんです.体調が悪いと変に感覚が研ぎ澄まされたり、情報の解像度が上がってしまって、聴覚や視覚などの知覚に影響を及ぼすんです.強引ながら今日はそんな曲を少しだけ紹介したいと思います.キミならすぐにわかってくれると思う.

Unwell

Matchbox Twenty, from “More Than You Think You Are”, 2002

Song and lyric by Rob Thomas

All day Staring at the ceiling

Making friends with shadows on my wall

All night Hearing voices telling me

That I should get some sleep

Because tomorrow might be good for something

Hold on I’m feeling like I’m headed for a Breakdown

I don’t know why

I’m not crazy, I’m just a little unwell I know, right now you can’t tell

But stay awhile and maybe then you’ll see

A different side of me

I’m not crazy, I’m just a little impaired I know, right now you don’t care

But soon enough you’re gonna think of me

And how I used to be me

Talking to myself in public

Dodging glances on the train

I know I know they’ve all been talking ‘bout me

I can hear them whisper

And it makes me think there must be something wrong

With me

Out of all the hours thinking

Somehow I’ve lost my mind

I’m not crazy, I’m just a little unwell I know, right now you can’t tell

But stay awhile and maybe then you’ll see

A different side of me

I’m not crazy, I’m just a little impaired I know right now you don’t care

But soon enough you’re gonna think of me

And how I used to be

I’ve been talking in my sleep

Pretty soon they’ll come to get me

Yeah, they’re taking me away

I’m not crazy, I’m just a little unwell I know, right now you can’t tell

But stay awhile and maybe then you’ll see

A different side of me

I’m not crazy I’m just a little impaired I know, right now you don’t care

But soon enough you’re gonna think of me

And how I used to be

Hey, how I used to be How I used to be, yeah

Well I’m just a little unwell

How I used to be

How I used to be

一日中天井を見つめて

壁の影と友達になって

一晩中聞こえてくる声が言うんだ

もう少し寝るといい

明日はマシになるかもしれないからって

ちょっと待ってくれ、僕はぶっ壊れそうな感じがする

よくわかんないけど

僕はおかしいんじゃない、今ちょっと調子が悪いんだ、キミは気づかないと思う

でもちょっと待てばキミならわかるのかな

もう一つの僕のこと

僕はおかしいんじゃない、今ちょっと足りてないんだ、どうでもいいのかもしれないけど

すぐに気づいてくれると思う

昔の自分がいかに僕そのものなのかを

人前で独り言を言っていると

電車で視線を避けていると

わかってる、わかってるさ、みんな僕のことを言っている

ひそひそ話が聞こえる

僕のせいなんじゃないかって思ってしまう

ずっとずっと考え続けてると

どうにかなってしまうんだ

僕はおかしくなんてない、今ほんの少し具合が悪いんだって、わからないと思うけど

ちょっとすればわかってくるんじゃないかな

もう一人の僕を

おかしくなんてない、少し不足してるのさ、どうでもいいのかもしれないけど

でもキミならすぐに気づいてくれると思う

僕がどんな感じだったかって

寝てるときも僕は喋りっぱなし

もうすぐ奴らが僕を捕まえに来る

連れ去ろうとするんだ

僕はおかしいんじゃない、今ちょっと調子が良くないんだ、気づかないと思うけど

少しすればわかるのかな

もう一つの僕を

おかしくなんてない、少し不足してるのさ、どうでもいいのかもしれないけど

でもキミならすぐに気づいてくれると思う

僕がどんな感じだったかって

ね、僕がどんな感じだったかってさ

なぁ、ちょっとアレなんだ

僕がどんな感じだったかって

僕がどんな感じだったかって

ご自愛ください.

虚しさに包まれて

They shall not grow old

 つい最近「They shall not grow old」という映画を観た.ニュージーランド・英国の合作であるこの映画はThe Great War、つまり第一次世界大戦のさなかに撮影された映像を現代に再編集したドキュメンタリーである.監督はPeter Jackson氏.「指輪物語」の映像化で有名な人物である.氏の祖父が大戦に従軍したことも大きいのか、かなりの資料から抽出した映像と音声は語り得ぬものと語り得るものをうまく融合させ、当時の空気感を現代に再帰させている.なにかと「AIでフルカラーに、当時の映像を再現!!」ということばかりに関心が行きがちだが、着色技術は今に始まったことではない.ただ、我々視聴者の映像に対する没入感を一層強化していることに違いは無い.

 戦争の直前から映画は始まる.戦争の始まりは人々にとって唐突であった.戦争と聞いても皆ポカンとせざるを得ない、現実味の薄さがインタビューから伺われる.やがて戦争へ行くことは一種の冒険であるかのように、欧州の青年たちの心を掻き立てた.「クリスマスまでには終わるさ」という淡い期待を粉微塵に破壊する機関銃と毒ガスと塹壕戦が彼らを待っていた.このような台詞はよく知られているだろう.勇み足で戦地へ赴く若者の姿は数多く記録されている.皆ニコニコしているのだ.若者がじゃれ合いふざけ合う姿は軍服を除けば、世界中でどこでもありそうな光景である.

 渡仏した英国兵は戦線が膠着していることを知る.各国が開発した新兵器は、いかに効率的に素早く敵を抹殺するかを考えて作られたはずだった.しかし、これらはかえって戦線が停滞する要因となった.ライフリング機構によって射程と命中率が向上し、弾道学の研究は砲弾の軌道を計算することに寄与した.だから皆塹壕を掘って防ぐことにした.雨でぬかるんだ塹壕は悪質な衛生環境で、凍傷と感染症が兵士を襲い、足が真っ黒になって壊死してしまうものも多くいた.黄色い毒ガスも兵士の恐怖を駆り立てた.繰り返し響く砲弾の爆発音はシェルショックと呼ばれる現象を引き起こし、激しい痙攣と失立失歩の症状は、いわばヒステリーの一つとされた.これは後の戦争神経症や心的外傷の研究の嚆矢となった.いまでもYouTubeでシェルショックの症状を観ることができるが、この症状の苛烈さは凄まじい.

 やがて戦争は終わり、生き残ったものはようやく故郷に帰ることができた.だが証言から語られる言葉は切ない.故郷の人からは一体どの面をさげて帰ってきたのか、というような心無い言葉をかけられ、復員した兵士たちは就労につくことを断られたものもいた.暖かく迎えてくれると思いきや、もはや自分の居場所はなかったのだった.銃後の世界ではまったく戦地の様子は知られなかった.知ろうともしなかったのかもしれない.もちろん歓待した家族も合っただろう.だが全員がそうではなかった.国のため、正義のためという名目で命がけで戦ったはずなのに、どういうわけか何もかもが虚しい.戦争における一つの核心を浮き上がらせているように思う.

 哀愁に満ちて映画は終わる.エンディングで流れる当時の流行曲「Mademoiselle from Armentière」は底抜けに明るい陽気な音楽ではあるが、映像を一通り観終えた直後には「Mademoiselle from Armentière, parlez-vous?」とひたすら繰り返す歌詞に当時の空虚感を感じてしまう.しつこいほどに繰り返されるこの英語とフランス語のごちゃまぜのフレーズは、深い意味もなく延々と続く.

 そういうわけで私は、戦争を題材にした映画を年末年始に続き、胸糞悪い後味とともに興味深く観ることができたのだった.この映画を手放しで賛美するつもりは無いが、いわゆるリアリズムを追求したどこぞの戦争映画よりも見応えがある.

臓躁病

この映画を観て私は日本における、ある特集を思い出した.2018年にNHKスペシャルで放映された番組は私の中で強く印象深い.「隠された日本兵のトラウマ〜陸軍病院8002人の”病床日誌”〜」と題したドキュメンタリーは、太平洋戦争において、軍部が日本兵の精神疾患を隠蔽しようとした目論見から辛くも逃れ、約8000例の病床日誌=カルテが千葉県の国府台病院で保存されていたことを明らかにする.その日誌から伺われる内容からは戦争の邪悪さが極まりない.私は形容し難い深い悲しみに包まれた.今でもNHKオンデマンドで110円で視聴することができる.自販機で水を買うつもりで我々はおぞましい歴史に思いをはせることができる.

 先程述べたシェルショックは、第一次世界大戦で顕著だった戦争の傷跡だが、その現象は日本の軍部も承知していたようだ.しかし皇軍にはそんなものは一人もいない、という一種の虚栄によって隠蔽されてしまった.とはいっても戦線の拡大に伴って国府台病院には毎年1000人近い患者が入院した.軍部は密かに優秀な医師を集め、戦争神経症の研究に当たらせたのだという.ここで神経症について軽く触れておくと、神経症とは現在の不安障碍、強迫性障碍、ストレス障碍(適応障碍)、解離性障碍身体表現性障碍、摂食障碍を包摂した症候群と理解するほうが良いだろう.正式な定義はされていないように思う.神経症という言葉は今となっては極めて多義的で曖昧であるために正式な診断には用いない.さきほどの下位分類の病名を用いる.さて、神経症は、ジークムント・フロイトの「ヒステリー」研究から始まった.ヒステリーという言葉は子宮を語源とする現象であり、古くは「子宮に何か悪いものがつかえている、飛び跳ねている」ような理解をされた.明治期の精神医学者、呉秀三は「ヒステリー」を「臓躁病」と訳しているが、これは「金匱要略」という古典にある婦人臓躁=子宮虚血にちなんでいる.こういう命名センスはすごい.

 鋭い方ならお気づきだろうが、ヒステリーは太古に子宮を起源とする現象と考えられたために女性特有の症候とみなされた.しかしながら、第一次世界大戦によって痙攣、失立失歩、転換症状が男性の兵士に続々と出現したことから、ヒステリーは男性にもおこるものだという理解が次第になされた.そして研究視察に訪れた日本の軍医もそのような理解をしつつあった.だが、事態が我が国に及ぶと、すなわち太平洋戦争が勃発し戦線が中国大陸や太平洋に拡大するにつれて、先の大戦におけるシェルショックのような症例が出現した.軍部はこの事実を隠すために、こうした戦争神経症を皆、「臓躁病」として、世間の人々には病態の憶測を困難にさせた.軍部は戦争期に精神疾患に罹患した兵士の一部を国府台陸軍病院に収容させるのであった.現存するカルテは約8000例であるが、それはごく一部であろう.兵站と輸送路の貧しさを考えれば、戦線で見捨てられ診断に至らなかった症例が多くいたはずである.自殺例も多かったであろう.

 その国府台陸軍病院に入院している症例を写した映像がある.まぎれもなくシェルショックである.意識清明だが激しく四肢を痙攣させるものもいれば、腕が震えてしまってコップの水を飲めないものもいる.全く歩けないものもいる.そばにいる軍医は完全に困惑している.こうした症例の処遇にはかなり苦労したであろう.力のある若い男性が痙攣すれば無理にでも鎮静をかけるしかないが、痙攣しては内服も静脈注射もできないために鎮静剤の筋注しかない.1940年代に使用可能な薬剤はかなり限られているだろうから、バルビツールくらいが関の山だろうか.あとは拘束か隔離をするほかなかったはずである.おそらく.治療という治療はほとんどできなかったのではないか.

 ドキュメンタリーを観ると、非常に度し難い過去を知る.戦線に送られる兵士は徴兵制に基づき、徴兵検査を経て、甲乙丙に分けられる.しかし検査で要件を満たさないものがいれば、徴兵にとられることはなかった.建前としては.当時知的障碍に相当するものは精神薄弱や白痴とされ、本来は除外されるべきであった.しかし戦線の長期化と兵力の減少から、そうした人々さえも徴兵にとるようになっていたのだという.当時の診療録には年齢は知能検査で四歳相当とある症例が記録されている.年齢を尋ねても「___わかりません」、人と馬の相違を答えよ「___わかりません」こうした人々はほとんどが温厚かつ優しい性格であり、農業や家事手伝いをしてすごしていたはずだったのに、戦争に駆り出され狂気の渦に飲まれ、ぼろぼろにされてしまった.上官の私的制裁によって理不尽な暴行を受けたものもいた.許されぬ制裁が彼らの心をますます蝕んだ.

 戦争神経症だけでなく、精神分裂病として不可逆的な心の傷を負ったものもいた.典型的な例を出そう.結婚してまだ数年.生まれたばかりのこどもがいる20代の父親.彼のもとに召集令状が届き、山東省の戦地に送られる.戦地は中国共産党が率いる八路軍が潜伏しており、市民かゲリラ兵か見分けがつかない状態であった.いつ襲われるかわからない恐怖.周りの人が敵にみえる.こうした極度の緊張感.年端もいかない少年を殺してしまったために、いつまでも殺人の感触がぬぐえない.兵士の日誌には「いつまでも殺した記憶が消えない」と独白している.苦痛を消すことはできない.やがて彼に狂気が訪れる.徐々に幻覚妄想が出現する.「死ね」という声が消えない.「死ね.死ね.死ね____」戦争という緊迫した状況下で分裂病を発病することは、クラウス・コンラートの「分裂病のはじまり」に詳しい.一度精神に破綻をきたせば、突如大声を出すし、刀を振り回すこともあった.幸運にも帰国して実家にかえったとしても、社会は冷たい.「生きて虜囚の辱めを受けず」である社会は生きて帰ることを許さなかったし、ましてや狂人を食わせる飯もない.家族も肩身がせまい.もちろん健康な成人男性だけではなく、さきほどの知的障碍に相当する者の心も容易に蝕まれた.戦争が終わっても彼らには恩給すらなかった.未復員という、帰る先すらないものが数多くいたそうだ.家に帰ったとしても結局は座敷牢に閉じ込められた.私宅監置は1950年まで続いた.戦争は糞だ.

 こうしたことを知るだけでも十分痛ましいのに、これを隠蔽した事実が自分の国にあることは大変な悲しみである.ドン引きである.当時治療方法が無いとはいえ、つくづく人材を大切にしない時代であったと思うし、そういう名残が今でも残っているこの国は過去から学んでいないように思ってしまう.呉秀三の「わがくに十何万の精神病者は実にこのやまいを受けたるの不幸のに、このに生まれたるの不幸をぬるものというべし」という言葉はよく沁みる.この言葉が現代に語り継がれているのは、そういうことなのだろう.自身が当事者や周囲の援助者でないものにとってこの事実は全くと言っていいほど知る機会が無い.自分は決してそうならないであろうという傲慢さが垣間見える.

 私は正食に言って今の精神科医療に対して楽観できていない.誤解なくいえば熱心に従事されている方には心から尊敬している.だが学会や製薬会社のキャッチがかつてよりもはるかに空虚に感じられる.五分で精神療法は提供出来ない.そう思うのは私が病気だからか?現実をみないでものを語っているからか?臨床の前線にいないからか?今の私は到底戦線に復帰できそうも無い.耐え難い屈辱と、私にかけられた悪辣な呪詛がレジリエンスを弱らせているように思う.だがなんとか腐らずに怒りを昇華させて、できる限りの医療を実践するしかない.私は怒りを出すことが苦手だが、怒ることだってある.この数年ずっと怒っている.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英語学習についての個人的見解

楽しくやれたらいい

 自然科学において、最も根拠のある主張、すなわちエビデンスが高いものというのは、メタアナリシス研究に基づく結果だという.その下には無作為対照研究(Randomised Control Trial: RCT)がある.さらにさらに根拠の低い試験や研究があり、最も根拠のないものは、(実は)専門家の意見である.だから専門家の意見をあてにするな、とはいわないが、「自分で取捨選択せよ」ということになる.逆にメタアナリシスの結果で帰無仮説が棄却されたからといってその仮説が正しいわけではない.尤もらしいだけだ.こういった誤解は現代でも続いている.ちなみに私は自然科学の畑を出自に持つが、「尤もらしい」とかいう妙な曖昧さが好きでない.

 さて、私がこれから話すことは自然科学の領域ではない.そもそも自然科学と人文科学というのは境界不明瞭だからあまりそういう話をしても仕方がない.エジプトとリビアの間に南北の直線を引いたようなものだ.どちらかといえば人文科学の話をする.私は亀吾郎法律事務所の職員に過ぎず、英語の先生ではない.専門家でも無い.だから自然科学の序列に従えば、この話は最も信憑性がないことになってしまう.「自分から信頼度をさげるとはやはり愚か者め」とお思いの一部諸兄は、落ち着いていただきたい.この論理でいくとあらゆるYouTubeの投稿者が熱く持論を語る行為がすべて虚しくなってしまう.だがそうでは無いだろう.私は、個人的な経験を未来の他者と分有できるか、可能性に賭けてみたいだけだ.

私の話から

 私にとっての初の語学体験は、公文式の英語のときだったと記憶する.単なるCDプレーヤーから流れる英文を聞いて、適切な回答を記述するトレーニングを要請された.

 小学二年生か三年生だったか.「あぁ、今日も洒落臭えなぁ」と思って課題をこなしていたところ、全身を駆け巡る極彩色の電撃が一閃.次の英文を書いた.

The hill is high.

私は英文から並々ならぬ霊感を受けた.

「今、自分は文章を作ったぞ」

という猛烈な興奮.当時の自分にとっては第二文型などどうでもよかった.傍から見れば、「いつもぼーっとしている〇〇くんがなんだかニヤニヤしているな、大丈夫かな」くらいだ.しかし、私は独自に創造という営為を成し遂げた、ホモ・サピエンスを自称するに等しいくらいの感動と自負に満ちていた(後にホモ・サピエンスは撤回した).

 この感興は忘れがたい.私に「自分史」というものがあれば間違いなく、世紀の大事件だった.そこから私は狂ったようにCDプレーヤーを再生した.そして聞きすぎて幾つものプレーヤーを破壊した.

 中学一年生の頃にはちょうど、「生き残った魔法使いの少年」が大人気になりつつあるころだった.私は「賢者の石」を一晩で読み終えたが、生ビール中ジョッキ一つでは足りないおっさんのように物足りなかった.実に見事な翻訳だった.どうやら本国では次回作「秘密の部屋」が出ているらしい.私はウズウズした.

「そうか、原著を読めばよい」

 早速あの手この手で入手し、「Philosopher’s Stone」を読み始めた.一頁目から苦戦した.当時の自分には知らない語だらけだった.文法もよくわからない.一文、一文を辞書を引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引きまくった.辞書とは今でも良き友人だ.中学校では朝の十五分間に読書の時間があった.辞書と本を持ち込んで、辞書を引く作業を続けた.辞書を使い倒す習慣が始まったのはこの頃からだろう.現在辞書はほぼ電子化した.Macintoshのパソコンを使っている方は、「辞書」のアプリケーションをぜひ利用していただきたい.大変優れた名脇役だ.私がブログを書く時はこれが欠かせない.中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スウェーデン語、ノルウェー語、イタリア語、ポルトガル語、アラビア語……類語辞典も一部あるのが良い.

 話を戻そう.第七巻の最終章にたどり着いたときは魂が震えたものだ.その時には大学生になっていたと思う.そこまで時間がかかったのは他にも本を読み始めたからだ.幼児のころに絵本で読んだ「ガリバー旅行記」がとてもとても面白く、原書で読んでみようか、と思い書店で買って読んだときの打ちのめされた感覚も忘れがたい.知っている方ならわかるが、初版が1726年だ.読めなくはないが、古めかしく知らない単語がこれまた並ぶ.私はスラスラ読んで、ガリバーとともにリリパット王国にたどり着き、彼が巨人として火事の宮殿に小便をかける場面を読みたいと思っていたのに、なかなかリリパットにたどり着かなかった.「ガリバー旅行記」は途中で諦めてしまった.受験勉強も差し迫ってきたという事情もあった.Johnathan Swift(ジョナサン・スウィフト)の作品に込めた真意を知るに私は青すぎた.

自分に合う参考書を選ぼう

 やはり、私にとって天啓であり革命とも言える出会いは原仙作の「英文標準問題精講」に尽きる.間違いなくRevelationでありRevolutionだった.今でもズタボロの雑巾のように大事に取っておいている.時々見返してはニヤニヤするし、英文を書く時の参考にする.ヘミングウェイ、ラッセル、エリオット、ウルフ、チャーチル、アインシュタイン、ニュートン、フィッツジェラルド、ミルン、オールビー、ミルトン.

 皆、私の心強い協力者である.故人だが.

 この本が私を受験勉強の苦しみから助けてくれたといっても良い.とはいえこの本は圧倒的に手強い.一般的な日本の大学入試のレベルを超えるだろう.だが、TOEICやTOEFLのひどくつまらない英文を読まされるよりは、はるかに気休めになる.「私が」文を読んでいる、という気にさせる.なんとか理解してみせようぞ、という気概をもたせてくれた.そして文の構造がつかめたときの心地よさといったら.当時の先達が「覚えるくらい何周もしろ」というので私も少なくとも三週はしたはずだ.一周目でつまづいた文章にまた出くわすと、まるで著者たちが「おかえり」と言っている気がしたものだ.

 私はTOEICのような共通試験のスコアで競り合うような議論は好きではない.私もTOEICやTOEFLは何度か受けたが、できればもう受けたくない.就職、入学の足がかりとして用意されるその試験は性質上、「ビジネス」に即した内容が多い.広告、新聞、メール、インタビューなどが題材になっている.どれも架空の内容で全体的に虚無感じるのは私だけか.「試験とはそういうもんだ、おとなしく口を閉じてろ、馬鹿者め」というお叱りがあるかもしれぬ.だがつまらない文をつまらないといって何が悪いのか.作成者の顔が見えない、というのがどうも気に入らない.「はいはい、委託されたのでとりあえず作っておきましたよ」というやっつけ感を感じてしまう.

 それに比べ、英文標準問題精講は、裏表紙に引用元の著者の写真が並んでいる(モノクロのせいか、遺影の様にも見えてしまう).誰某が書いている、とわかるのはとても良い.もちろん出典もある.だから後でさらに読みたくなった時に書店に行けば良いのだ.それに彼らが心血を注いだであろう、文章に見られる技巧、散文へのエネルギーが感じられる.それから編集者である原仙作・中原道喜の訳と解説に安定感がある.

 私にとって、名文や名著とそうでないものの違いを厳格に述べることは出来ない.だから上記の意見は誤解かもしれない.しかし、TOEICなどの勉強は問題の解き方を覚えるだけのような、手段が目的となってしまう危険に陥りやすいと思う.TOEICの先にある目的があれば、努力するに越したことはないだろう.楽しくやれたらいい.もし書き手の顔、意思を感じられるような時事の話題に触れたいのであれば、英字新聞をおすすめする.私は現在、Japan Timesの電子版を購読するようにしている.六ヶ月間の月額百円キャンペーンをやっている.よかったらどうぞ.もちろん利益相反はない.

文法について

 非専門家である私から、英文法について述べられることを挙げるとすれば、一つは、「文型」を意識して読むことだ.これはかなり重要な要素で、おろそかにしている人が多い.もう一つは「これは口語的だとか、文語だからあまり使わない方が良い」という意識を持ちすぎないことだと思う.この軛のせいで損をしている人は多いように思う.文語で書いて何が悪い.会話も文語を基礎にして何がいけないと言うのか.「表現が固いじゃん」固くて何がいけないのか.「もっとCasualな表現あるからそっちのほうがいいよ」という指摘は、表現の幅を自ら狭めているCasualtyに過ぎないと思う.それからまともな文法書を買うことが大切だ.私はロイヤル英文法を持っているが、単色刷りのシンプルな構成と大きな字、索引の充実は好感が持てる.一冊あれば一生使える.これで二度と買わなくて良いのだ.作文や文法について参考書を紹介するならば、さきほどの中原道喜や佐々木高政を挙げる.

聞くことについて

 聞こえた文章を書き取る訓練が最も良いように思う.これは筆記の練習にもなる.かつて私はディクテーションの鬼となったことがあった.「The Phantom of the Opera:オペラ座の怪人」という映像作品がある.小説や劇でも有名だ.Andrew Lloyd Webber という作曲家が映画に向けて書いた曲(どれも壮大だ)があり、私は当時、高校生の頃、自宅にオペラを響かせて歌詞を聞き取り、自作で歌詞カードを作ったことがあった.何百回か、延々とオペラが鳴り響いていたので頭がおかしくなりかけたが、語と語の連結を推測したり、発音と抑揚、文章の構造を考える上で良い訓練になった.オペラの歌詞を聞き取るだけで難易度が高いので、後々流行りのポップスやロック・ミュージックを聴いて歌詞を書き出しては、後日公開されている歌詞と照合する、という遊びをやっていた.高校生にしてはそこそこ狂っていた(やっぱりおかしくなっていたじゃないか!)方だが、自分は楽しんでいたと思う.この訓練は多言語でも応用が効く.今度はアラビア語でやってみようか.

話すことについて

 話すことは不肖あまり自信がない.発音と抑揚の付け方は幾分か指南できると思う.ただし私は非専門家だから、最も信頼におけない人材であることを断った上で話をする.発音に関して、海外で暮らしていないと発音が上手にならないのではないか、そう思っている人が多すぎて気の毒である.そんなことはない.小林克也という反例がいる.彼は大変きれいな英語を話すラジオDJで、彼は実に堂々と、崩れた英語を話す海外の連中と会話を成立させる.あっぱれである.彼の流暢さは抑揚の置き方にある.山下達郎もきれいな英語を話すと思う.Ride on Time〜

 また、RとLの違いにこだわりすぎる人が多い.聞き取れるに越したことはないが、初学者には酷だ.そういう人はイギリス英語を身に着けたら良いのではないか.Rの発音があまり気にならなくなる.それに子音をしっかり発音するので、文字と発音が一致して、きれいに聞こえる.私は中学生くらいに気づいてそうすることにした.かつてユース・ホステルの相部屋にいた英国人の青年と話をしたときに「君はいいイギリス英語を話すね」とお世辞を言われたのは良い思い出だった.あれは世辞だ.自慢話はこれくらいにしよう.

 先天的なバイリンガル、すなわち幼少期に外国に滞在したという、外国語のOSをインストールできた人々は外国語を話す時に脳内言語設定が切り替わるようだが、私はそうはいかない.だが、切り替わらなくたって良いじゃないか.言語体系の異なる我々が頑張って、別の言語を覚えようとしているのだ、文法がわかるだけでも素晴らしいと自信に思ったほうがいい.私だったら頭の中でおちおち英作文をする.ゆっくり丁寧に考えたら良い.

まとめ

 大した話はできなかったが、自分の主張は伝えられたのでこれでよしとする.結局は「学問に王道はなし」、ということになる.しかしながら原仙作によれば捷径はある.だから嘆かないでほしい.楽しく突き抜けるのがいいと思う.自分にとって親和性の良い題材を選ぶことが良いだろう.

 最後にミルトンの詩を紹介して締めよう.これは以前の亀吾郎語学教室でも引用した.語学を勉強する時はいつもこれを意識する.我々は地獄から這い出ようとする魔王サタンと同じだ.

Long is the way

And hard, that out of Hell leads up to Light.

Gates of adamant,

Barring us out, prohibit all ingress.

–John Milton, Paradise Lost

私の小論にお付き合いくださりありがとうございました.

بشرة حير/Boshret Kheir/Good Tiding

 こんにちは.久しぶりの三郎こと、さぶちゃんです.今日は楽しい楽しいアラブ・ポップをお届けします.歌手はエジプトの(多分)大御所、Hussain Al Jassmi | حسين الجسمي|フサイン・アルジャスミーです.さぶちゃんは、日本人からすると癖の強いアラブ・ポップスの中からリズミカルで耳に残る軽妙な楽曲を発掘しました!

 エジプト版「アジアの純真」に少し似ているかな.Billy Joelの「We didn’t start Fire」っぽいかも.いろんな地名が出てきます.全エジプトの友愛をよびかける曲なので、政治色があるのかな、と勘ぐる諸兄もいるかもしれませんが、「We are the World」みたいなもんでしょ.語頭や語尾で音韻を踏んでいて気持ちがいいです.

 物足りなくなってきた人がいれば、Remix版もYouTubeにあります!やったぜ.

 最期にさぶちゃんの和訳を載っけておきました.よかったらどうぞ.

VERSE 1

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 1

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 1

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

What did Egypt gain from your silence

Do not belittle your voice

Tomorrow, you will write it under your own stipulation

This is a good tiding

Khadit ayh miṣru biskutak

Matustakhsrsh fiha Ṣotak

Bitaktab bikarih bishuruṭak

Di boshret kheir

خدت ايه مصو بسكوتك

ماتستخسرش فيها صوتك

بتكتب بكره بشروطك

دي بشرة خير

CHORUS

Go call out for the ‘Saīdi’,

and your nephew from ‘Port Saīd’,

and the youth from ‘Alexandria’

for this is a gathering of men

CHORUS

Qawm nadi ‘a alsa’aidi

Wabn akhuk alburas’aidi

Walshabab alaskandraniu

allamuh di limat rijal

CHORUS

قوم نادي ع الصعيدي

وابن اخوك البورسعيدي

والشباب الاسكندراني

المه دي لمة رخال

And I will come with those from ‘Sohag’ and ‘Qina’, ‘Sinai’

those from ‘Al Mahalla’ who are the best of best

and the beautiful ‘Nubians’

No need to double check on the people from Suez

Everything is now jumbled together

And the people from ‘Al Ismailiyyah’ who have been through alot

Talk to me about the people from ‘Sharqiyya’

and together we are stronger

and together we are stronger

And Our hope is high

Wana haji m’a alswhaji

Walmhlawy ally myah myah

Walnubh aljumal

Matuṣysh alsaw aysh

Aldnya hayiṣuh kdh kdh

Walahasma’alawyh yamana kaduu al’ada

Klmny’a alsharaquh

wakhna waya b’aḍaqwaa

wa’amlna kabir

وانا هاجي مع السوهاجي

والمحلاوي اللي ميه ميه

والنوبه الجمال

ماتوصيش السوايسه

الدنيا هايصه كده كده

والاسماعلاويه ياما كادوا العدا

كلمني ع الشراقوه

واحناويا بعض اقوى

وآملنا كبير

VERSE 2

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 2

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 2

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

The people from ‘Beheira’, ‘Menoufiya’, or “Damietta’

Those people are closer to me than my friends

‘Halayb’ are all family and friends

go call out for them

Buhayri manawafi aw dimyatiun

Dual aqrbly min akhwati

Halayb ahl waqarayib

Nadiluhum rh

بحيري منو في أو دمياطي

دول اقربلي من اخواتي

حلايب أهل وقرايب

ناديلهم رح

And the thing that stands out most

Is for us to see our beloved ones from ‘Giza’

Oh greetings with a thousand paces

towards the people of ‘Maturuh!

*Back to CHORUS

Waiktara hajah fiha miaza

Nashuf habaybana fi alijiza

Ya murhab alf khuṭuh ‘aziza

Banas maṭuruh

*Back to CHORUS

واكتر حاجه فيها ميزة

نشوف حبايبنا في الجيزة

يا مر حب ألف خطوه عزيزة

بناس مطروح

*Back to CHORUS

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

それでエジプトが何を得たっていうのさ

小さな声ではだめだ

明日、君は契約を結ぶ

絆(بشرة حير)のことさ

「サイーディ」たちのために声を出そう

「ポート・サイード」にいる甥にもね

「アレクサンドリア」の若者も

これは人々の集いなんだ

僕は「ソハグ」と「キーナ」、「シナイ」のみんなと一緒に行くよ

「アル・マハラ」の奴らは最高さ

「ヌバ」の美しい人も一緒だよ

「スエズ」のみんなはひと目でわかる

ごったがえしてきたな

苦労人の「アル・イスマリーヤ」のみんな

僕に「シャルキーヤ」の人たちのことを聞かせてよ

みんなで強くなるんだ

みんなで強くなるんだ

志を高く持って

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

「ビハイラ」「メヌフィヤ」「ダミエッタ」のみんな

一番の仲良しかもね

「ハライブ」は僕らの家族で友人だ

声を出そう

大事なことは「ギザ」の最愛の人に会いに行くことだ

幾千の足取りが

「マトゥルフ」に向かって出迎えに行くようだ!

和訳:三郎

.شكر

帰納と演繹、アイデンティティ

音楽の嗜好について

 亀吾郎法律事務所のごろうちゃんとさぶちゃんの間で、奇しくも一致した見解がある.今回はそれについて話をするとともに、世の中の難しい質問に対するトラブルシューティングを試みたい.


「好きな音楽は何ですか」「最近何聴いているの」

と訊かれるとやや返答に困ってしまうことがないだろうか.

「ウ~ン、IncognitoやJamiroquaiのようなアシッド・ジャズかなぁ」「何聴いているって言われても新旧の曲だからなぁ」「Nile Rodgersのような楽曲もいいかも」「うん」

 熱烈なファンや説明がうまい人でない限り、「好きな音楽」を説明することは難しいのではないか.ジャンルを答えればいいのか、アーティストを答えればいいのか.曲名なのか.演奏のとあるパートなのか、声なのか.

 例えば、さぶちゃんはPost Maloneの”The Circles”という曲が気に入っているが、決して他の曲が好きなわけではない.ごろうちゃんはHiroshi Watanabeの“Get it by your hands”という曲がフェイバリットなのだが、他の曲に詳しいわけではない.

 要するに「へぇ、Post Maloneが好きなんだ」と誤解されたくないのである.せっかくのいい声なのにライブ中も喫煙しているので、肺がんや喉頭がんなどの発がんリスクが高くて医療人としてヒヤヒヤする.歌手生命が危ぶまれる.さらにはいつの間にか入れ墨だらけになってしまい容姿も正直に言えば、怖い系の人になってしまった.発言の途中に必ず、Fで始まる用語を使うので、無作法な人なのかなと心配になる.つまり、人柄には惹かれない.歌唱力は抜群だが、他の曲に対する感動はそこまでとはいかない.とはいっても、”The Circles”は歌詞もメロディも郷愁を誘う美しいロック・ミュージックだと思う.

 つまり、もっと簡単にいうと、質問者が勝手に帰納的結論を導かないでほしいと思うことがある.前提が真だからといって、結論が真では無いのだ.ごろうちゃんが「虹」が好きだからと言って、「電気グルーヴ」が好き、ということにはならない.

 では、「ロック」が好きなのか、と言われるとこれまた難しい.ロック・ミュージックは多義的過ぎる.ごろうちゃんとさぶちゃんは、面倒くさがりなので「そうです」と答えるそうだ.相手がどのような文脈で言っているかわからない場合は、「そうです」といってそうそうに議論を切り上げることにする事が多い.

 ロックにもグラム・ロックや、グランジ・ロック、メタル、カントリーなど様々だ.一つのジャンルのなかに複数の下位分類があることは我々はよく知っている.しかし私達は日常の会話でそれを無意識に忘れてしまうことがあるのかもしれない.

 つまり、これらから何を述べたいのかといえば、「好きな音楽はなにか」という問いに対して、「〇〇です」という回答は難しいということ、そして私達亀吾郎法律事務所のスタッフは「曲一つひとつに対して愛着を持つのであって、よほどその音楽家に通じていない限り、どのアーティストが好きだ、とはいえない」ということだ.

 この議論は他のカテゴリについてもいえると思う.文学もそうかもしれない.好きな旅行先、好きな車、好きな衣服のブランド.皆さんはうまく説明できるだろうか.

 我々、亀吾郎法律事務所が提案するこうした質問に対する回答は、

「うーん、一概に言えないですね」「あなたはいかがですか」

というものである.あぁ、なんと凡庸なのだろうか.だが聞き手の意図を、文脈を確認するためにはこれが無難だ.相手がどのような答え方をするかで、自分の態度を決めればよい.答えがある人は自分の言葉を紡げば良い.このテーマは答えをもたない人のためにある.J. Lacanによれば、自分の欲望は他者の欲望だ、という.自分が何を欲しているかは、他者が何を求めているかを知ればよい.

 会話はひどく難しい.

ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 13

Chapter V 第五章

Photo by Pixabay on Pexels.com

 雨の日は寒いですね.空気が一段と冷たくなるのを感じます.皆さんお元気ですか.ついに「茶の本」も五章に突入です.岡倉節ともいえる彼の芸術論、楽しいですよ.第三段落の文は美しいです.こういう文章が書けたらいいなぁ.

Art Appreciation 芸術鑑賞

HAVE you heard the Taoist tale of the Taming of the Harp?

 皆は「琴ならし」という道教徒の話を聞いたことがあるだろうか.

Once in the hoary ages in the Ravine of Lungmen7 stood a Kiri tree, a veritable king of the forest. It reared its head to talk to the stars; its roots struck deep into the earth, mingling their bronzed coils with those of the silver dragon that slept beneath. And it came to pass that a might wizard made of this tree a wondrous harp, whose stubborn spirit should be tamed but but the greatest of musicians. For long the instrument was treasured by the Emperor of China, but all in vain were the efforts of those who in turn tried to draw melody from its strings. In response to their utmost strivings there came from the harp but harsh notes of disdain, ill-according with the songs they fain would sing. The harp refused to recognise a master.

 かつて太古の時代、竜門の渓谷に桐の木があり、森の真の王であった.高くそびえ星々と会話した.根は地中奥深く生え、青銅のとぐろを巻き、白銀の龍がそばで眠っていた.そして有能な仙人がその木を竪琴に変えた.だがその堅固な精神をならすことは偉大な音楽家だけであった.中国の皇帝によってその楽器は宝物とされたが、みなが順番に弾こうとしてその努力はすべて無駄になった.最大の努力に対して竪琴からは侮蔑の荒々しい音が、喜んで歌おうとすると音色は気分を害するものであった.竪琴は主を認めることを拒んだのである.

At last came Peiwoh, the prince of harpists. With tender hand he caressed the harp as one might seek to soothe an unruly horse, and softly touched the chords. he sang of nature and the seasons, of high mountains and flowing waters, and all the memories of the tree awoke! Once more the sweet breath of spring played amidst its branches. The young cataracts, as they danced down the ravine, laughed to the budding flowers. Anon were heard the dreamy voices of summer with its myriad insects, the gentle patterning of rain, the wail of the cuckoo. Hark! a tiger roars, – the valley answers again. In autumn; in the desert night, sharp like sword gleams the moon upon the frosted grass. Now winter reigns, and through the snow-filled air swirl flocks of swan and rattling hailstones beat upon the boughs with fierce delight.

 ついに竪琴弾きの第一人者である伯牙が現れた.優しい手付きで悍馬を手懐けるように琴を愛撫し、優しく弦に触れた.彼は自然と季節を歌い、山々について、流水について、そしてあの木の記憶がすべて目覚めたのだ.再び泉の甘美な息吹がその枝の中から現れた.青春の奔流が渓谷で踊りだすと、花の蕾に笑いかけた.すぐさま夏の無数の虫たちの夢のような声が聞こえ、雨模様の優しさ、郭公の鳴き声が聞こえる.聞くのだ.虎が吠える.渓谷にこだまする.秋には荒涼とした夜、霜の降りた草の頭上に月の光が鋭い剣のように照らす.今や冬が訪れ、雪舞う空気に白鳥の群れが渦巻き、荒れる霜は喜々として枝を打つのである.

Then Peiwoh changed the key and sang of love. The forest swayed like an ardent swain deep lost in thought. On high, like a haughty maiden, swept a cloud bright and fair; but passing, trailed long shadows on the ground, black like despair. Again the mode was changed; Peiwoh sang of war, of clashing steel and trampling steeds. And in the harp arose the tempest of Lungmen, the dragon rode the lightning, the thundering avalanche crashed through the hills. In ecstasy the Celestial monarch asked Peiwoh where in lay the secret of his victory. “Sire,” he replied, “others have failed because they sang but of themselves. I left the harp to choose its theme, and knew not truly whether the harp had been Peiwoh or Peiwoh were the harp.”

 それから伯牙は旋律を変え愛を歌った.森が熱心な田舎者のように夢中であった.横柄な高くとまった女中のように、雲が輝き、通り過ぎる.地上に長い影が尾を引き、絶望のように黒い.再び調子が変わった.伯牙は争いを歌う.剣戟の音、軍馬の駆ける音を歌った.そして竜門の嵐が起きると、竜が稲妻に乗り、雪崩が轟々と丘に落ちた.中国の皇帝は恍惚として伯牙になぜ、彼は琴を勝ち取ったのか尋ねた.「陛下、」彼は答えた.「彼らはみな自分たちのことを歌ったからです.私は琴に主題を選ばせました.そして琴が伯牙であったか伯牙が琴であったかどうかは本当はわからないのでした.」

This story illustrates the mystery of art appreciation. The masterpiece is a sympathy played upon our finest feelings. True art is Peiwoh, and we the harp of Lungmen. At the magic touch of the beautiful the secret chords of our being are awakened, we vibrate and thrill in response to its call. Mind speaks to mind. We listen to the unspoken, we gaze upon the unseen. The master calls forth notes we know not of. Memories long forgotten all come back to us with a new significance. Hopes stifled by fear, yearnings that we dare not recognise, stand forth in new glory. Our mind is the canvas on which the artists lay their colour; their pigments are our emotions; their chiaroscuro the light of joy, the shadow of sadness. The masterpiece is of ourselves, as we are of the masterpiece.

The sympathetic communication minds necessary for art appreciation must be based on mutual concession. The spectator must cultivate the proper attitude for receiving the message, as the artist must know how to impart it. The tea-master, Kobori-Enshiu, himself a daimyo, has left to us these memorable words: “Approach a great painting as thou wouldst approach a great prince.” In order to understand a masterpiece, you must lay yourself low before it and await with bated breath its least utterance. An eminent Sung critic once made a charming confession. Said he: “In my young days I praised the master whose pictures I liked, but as my judgement matured I praised myself for liking what the masters had chosen to have me like.” It is to be deplored that so few of us really take pains to study the moods of the masters. In our stubborn ignorance we refuse to render them this simple courtesy, and thus often miss the rich repast of beauty spread before our very eyes. A master has always something to offer, while we go hungry solely because of our own lack of appreciation.

 この話は芸術鑑賞の秘訣をよく説明している.傑作とは我々の最も細やかな感性との交響曲である.真の芸術は伯牙であり、我々が竜門の琴なのだ.美の秘術で我々の存在という秘密の琴線が目を覚ます.その呼びかけに震え、わななく.精神は精神に語りかける.我々は聞こえないものに耳を澄ます.我々は見えないものを凝視する.達人は我々の知らないこと旋律を呼び起こす.長く忘れられた記憶は新たな意味を持って回帰する.恐怖によって押し込められた希望、我々があえて認知せずにいた仰望は、しきりに新たな栄光にいたるべくと前に立つ.私達の精神は芸術家が色付けをする画布である.描画の絵具は情緒である.明暗法は喜びの光であり、悲しみの影である.傑作は我々の中にあるように我々は傑作の中にいるのだ.

 

 芸術鑑賞に必要なこの情緒的な心の交流は相互譲歩に基づかねばならない.観衆は芸術家がどのように分かつか知らねばならないように、言伝を受け取る適切な態度を養わねばならない.茶の宗匠、小堀遠州は自身が大名であったが、つぎのような忘れがたい言葉を残している.

 「汝が偉大な太子に近づくように偉大な絵に歩み寄れ」

 傑作を理解するためには、その前では自身を低く、固唾を呑んで一言も発しないようにせよ.宗の著名な批評家は見事な告白を行った.

 「若かりしころ、自分の好きな絵画の宗匠を崇めたが、私は歳をとって宗匠が私が好みにあわせて絵を描いてくれたものを好む自分を讃えるようになったのだ」

 達人の作法を骨を折ってでも学ぶ人がまったくいないことは実に嘆かわしい.我々の頑固な無知においてこの単純な思いやりを拒むのである.そうして我々はしばしば眼前から見事な美の饗応を見逃すことがある.宗匠はつねに何かごちそうを与えてくれる.我々が自身の鑑賞の仕方を知らないゆえに一人腹をすかせるのだ.

7 The Dragon Gorge of Honan. 竜門の峡谷 河南省の竜門峡谷のこと.

最後まで読んでくださりありがとうございます.

お知らせ

Photo by Adrianna Calvo on Pexels.com

 こんにちは.いつも亀吾郎法律事務所をご贔屓くださりありがとうございます.

 弊事務所はブログを開設してから来月で六ヶ月目になります.投稿した記事がどれだけ閲覧されてきたか確認すべく、Google Analyticsを導入しました.そして検索キーワードを分析するためGoogle Search Consoleを始めました.さらにGoogle AdSenseを申請して、広告掲載を始めることになりました.皆さんも途中から広告があるな、とお気づきになったのではないかと思います.

 サイトの注目度を集め、より多くの人に見てもらうことで私たち事務所スタッフ一同の執筆への動機づけを高めたいと思い、Search Engine Optimisationと呼ばれる検索エンジンに対する工夫も始めることとしました.

 これらは一般的なブログの中で知られた常套手段ですから特別なことでは無いのですが、私たちにとっては見知らぬ世界であり大変新鮮味を感じています.

 何よりも大切なのは、わかりやすく見やすいサイトにすること.知識不足や技術不足でまだまだ納得できていないところは多々ありますが、少しずつ改良を重ねているつもりです.まずはこれまで煩雑だったブログタイトルを簡素なものにしました.

 そして同じシリーズ連載ものは通し番号をつけることで順序がわかるようにしました.今後も同一の規則を適用するようにしていきます.完結した連載ものは何らかの形で再び気軽に見てもらえるように、アーカイブ化を目指そうと思っています.見づらさ等、ご指摘の際は気軽にお願いします.連載ものは以下の通りです.(10月30日現在)

現象学シリーズ:「赤の現象学」に統一 (連載中)

プラトンの饗宴シリーズ:「饗宴」に統一 (完結済み)

茶の本翻訳シリーズ:「The Book of Tea」に統一 (連載中)

時間論シリーズ:「私の時間論」に統一 (完結済み)

超越・脱出シリーズ:「近年の異世界系小説にみる超越と脱出」 (完結済み) 

記憶/物語シリーズ:「記憶/物語を読んで」に統一 (連載中)

 その他記事は単発ものです.例外に大学院時代の課題がありますが試験投稿的側面が強いのでここでは紹介は割愛します.

 自分でいうのもおこがましいですが、どれも自分の記事の独自性に自信を持っています.引用は多いですが、その分、私の頭の中でしかたどり着けないであろう思考をできるだけ開示しているつもりです.翻訳も参照こそすれど、すべて私の文体です!

 もし「これやって!」という希望があれば社会通念にかんがみて快くお受けしたいと思います.もちろん、真面目な話だけでなく、私の好きなゲーム、自動車、料理、旅行の話もしたいと考えています.

 現象学は難しいので、少しずつ気長に連載していきます.焦らず、楽しく.

これからもよろしくお願いします!

*ファントム空間論の連載は都合によりしばらく見合わせます.

What I have in my mind

This article is a translation of previous one.

When I was browsing books about great writers or writings, I coincidentally made the acquaintance of other writers frequently, that mainly attracted me in the past, whereas I had suspended further research on them. I never anticipated to find out the notification in the book that one and another had actually met or they had been in the same place before, or he/she had been quoted as an example of their story. That was like unexpectedly completing a piece of gigantic jigsaw puzzle which is very hard in the process of making, I felt an ease which was the same sense of fitting something accurately in my heart. If I were to see as a flying creature the vast ground from the highest view among obscure clouds, it might be as well as seeing slight landscape through a chink which is getting wider. So I would fain tell viewers about my tiny experiences which are short, and to write down my prospect as well.

At first, I would like to mention of Khalil Gibran. I brought my mind to the translation of his poetry had been arranged among the works of Kamiya Mieko in the section of Misuzu Shobo in some bookshops since long time ago. I wondered his name supposed to be originated from west Asia, and I thumbed through one of Kamiya’s book. After that I knew that Kamiya Mieko was in the department of Psychiatry of Tokyo University, school of medicine, in which Kinoshita Mokutaro(Ohta Masao) was belong to the department of Dermatology as a professor. Such connection has directly nothing to do with literary meaning, however, people may get close each other unconsciously by somewhat called a gravity, I must say.

I learnt that Gibran was born in Lebanon, where the former Ottoman empire had occupied, and he has been famous for his poetry, especially “The Prophet” has been read worldwide. It is true that his works translated in Japanese are available in remote cities of Japan as well, nevertheless the original version can be purchased only online if living in local cities. It is all the more difficult to buy other language edition. The other day I found that Gibran firstly conceived the idea of “The Prophet” in Arabic. He went to the America in his youth and learnt skills of English, then he also went back home to receive higher education of Arabic.

Fortunately I got an ebook of “The Prophet” in English and Arabic version. I am not get used to read in Kindle, but it was a good purchase that I got it within 1,000Yen. As I read the introduction, that says it took twenty years to translate in Arabic. What a long journey it is! I cannot understand the concept of price tagging when I came across such a valuable book that is affordable less than 1,000Yen. I am also a member of Kindle unlimited in Amazon.com, so I am able to read the Japanese translation by Sakuma Takeshi for free. Then I have started to read it. What I felt was that it was easy to read and not many pages. But I have to mention that read easily and be comprehensible are not the same. The energy that the writer brought his heart to bear upon every single words must be so immense that I have to read it thoroughly. This is one of my utmost happiness to realise that I can examine it many times. As for the title “The Prophet”, it is a story like a manual of life course, the prophet Almustafa(المصطفى), teaches lessons to people who need guidance. I have not read the original poetry yet so it is not the time to speak of it. And I have got the reasonable reference book for studying Arabic at last, I would like to reverse translate gradually by using this ebook. Someday I would be happy to introduce the study result.

Secondly, I would fain speak of Rabindranath Tagore. Recently, I have very been attracted by the fact that non-English born person such as Gibran creates great English writings. Needless to say, Okakura Tenshin who is inordinately contributed to Kamegoro Law Firm is the one of greatest writer from non-Anglosphere, I believe. It is tremendously shameful for me to tell you that I thought that nothing better than using own language when expressing one’s own culture. How stupid I am! That is not true. At least Tenshin himself succeeded in attempting it in literature. Of course Gibran must have accomplished, not to mention Tagore and other writers who I do not know. I am very excited to know the fact all the more that Tenshin and Tagore knew each other, and visited their countries. It is said that Tagore has been to Tenshin’s tombstone when he died. Tagore was in Izura! He wrote “Gitanjali(গীতাঞ্জলি)” in Bengali, later on he wrote it again in English. Someday, I wish I could read his work.

I think that it is a huge encouragement for me to know that such people who are from non-Anglosphere write English literature. Particularly as for myself, who live in the world of totally different linguistic family, is quite an incentive.

I sometimes write articles in English, which are not praiseworthy contents and I think I am at best the third-rate writer. There must be many errors in my sentences. But I would like to keep writing my blog in English with my style. Then I would like to sophisticate my essay writing technique, not to be contented with the present situation, humbly tolerate the critics of others and review retrospectively by myself.

Finally, I would fain end the article by introducing a songwriter from Iceland. His name is Ásgeir Trausti. He speaks Icelandic but also good at writing beautiful lyrics in English.

Glistening nighttime dew, and she is walking with me.  

From the house of red, I hear a child crying.  

Foxes heading home, their prey hangs from their jaws.

And the forest knows, but it won’t share the secret.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.  

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

Death cannot take hold, if I can keep momentum.  

Fortresses of stone, turn into crystal tears soothed by southern winds; I’ve found my strength now.  

And nobody knows, and we must keep their secret.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

When the king takes sides, leaving moral minds; soldiers take their share. Nighthawks seem to sense that now is the time.

Deep inside them burns the raging fire of life.

He’ll take back what he owns.

Dýrð í dauðaþögn, 2012 (In the Silence, 2013)

Thank you for reading.

ニュー・ジャック・スイングに寄せて

Photo by Sebastian Ervi on Pexels.com

 ニュー・ジャック・スイング(New jack swing: NJS)という音楽ジャンルがある.ご存知でない方に素人なりの説明をすると、1980年代後半から90年前半にかけて流行したジャンルで、黒人音楽家を中心に、歌謡曲の音楽シーンを席巻したとされる.ジャズやポップスやリズム・アンド・ブルースに近いのかもしれない.

 この頃の私は、まだ存在も怪しく、人間としても曖昧な状態であったので記憶にない.NJSを知ったのは2000年代後半であった.その時は私は一介の浪人であり、主に川口市で住み込みで勉強をしていた.大学受験という戦場を生き残るべく、私は朧気な幽鬼(ゴースト・オブ・カワグチ)となって、満員電車の薄い酸素を吸い、都会のすえた臭いやタバコの煙を否応なく浴びていた. 

 とあるNJSの代表的な音楽家がその頃プロポフォールの呼吸抑制で死亡し、世間は皆こぞって「R. I. P.」という言葉を使いはじめ、小児性愛の嫌疑で煙たがられた彼を掌返しして、優れたエンターテイナーとして称賛し始めたときであったと思う.実際に傑出した人物であったのだが.

 私は、模擬戦ともいえる模試をいくつも受け終えて、ヘトヘトとなり川口市のショッピングモールにあるCDショップに癒やしを求めていた.音楽を聴くこと、寝ること、食事が癒やしだった.以前購入したエミネム(Eminem)のアルバム、「Relapse」を聴いたとき、それは覚醒剤の後遺症再燃を音楽にした内容で、曲も歌詞も病的に狂気じみていたために、買って興ざめしてしまった苦い経験があった.その失敗を繰り返したくないと思い、私はアルバム選びを慎重に行おうとしていた.エミネムを非難するつもりはなく、勿論、彼の曲には「Lose yourself」や「Stan」、「Without me」といった洗練された怒りと痛烈な風刺が込められたものが多く、浪人の身によく沁みたものであった.期待して新作を買いたくなっただけだった.

 訪れたCDショップも漏れなく「R. I. P.」で飾られた希代のエンターテイナーを追悼するコーナーを設け、悼みを経済の力にする意図があったように思う.私は結果的にその意図に便乗した.彼は御存知の通り、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)である.当時、CDはまだ売れていた時代で、ガラケーが流布していた.音楽配信が定額制(サブスクリプション)ではなかった頃で、もっぱら元データをパソコンに取り込んだり、携帯電話に移植することが求められた.そういった時代は、そういうものだとして、特に不自由しなかった.アルバムの表紙(ジャケット)は今でもそうかもしれないが、音楽家の思想・信条・作風を象徴する、そんな理解で私は鑑賞していた.

 「Dangerous」というアルバムがある.これは1991年に出た作品で、ジャクソンの黄金期にあったものだと思う.このアルバムのジャケットは奇怪である.彼の中性的な眼差しだけがベネチアンマスクのように縁取られており、何かを招くような門の華飾になっている.周囲には様々な偶像が描かれ、意味深なのか意味不明なのか、一目見てわかるようなものではなかった.背景は真っ暗で華美すぎる上記の装飾と対照的である.どこか無機的な彼の目線を除けば、静かな狂気を感じる.彼の栄光とその内面の陰りを示唆しているのかはわからないが、熱心なファンであれば十分な薀蓄を語るに足るデザインであろう.

 私はそのジャケットに惹かれた.ジャクソンのことは全く知らなかった.若干Freakyな人物なのかな、といった前情報しか知らなかった.偏見もなかった.だからあまり期待はしなかった.「Relapse」の教訓は生かされなかった.

 学生寮に戻り、私はCDプレイヤーにディスクをはめて、再生した.ガラスの割れる音がして、

“One, two, three, jam…”

という声がし始めてまもなく、今まで聴いたこともない音が、私を揺さぶった.何だ、この音作りは.何かを引きずるような、叩きつけるような、打ちのめすような旋律は.それにこの透き通るようでパンチの効いた声は聴いたことがない.これがマイケル・ジャクソンか.

 すかさず私は、付属の歌詞カードを眺めた.最近はCDを買わないので事情を知らないが、当時のCD付属の歌詞と和訳が乗った小冊子はとても好きだった.誰だかわからないふざけた名前の人物が、歌手の来歴と曲の紹介を綴っていて、純粋な読み物として面白かったのだ.現在はどうなっているのだろうか.

 一曲目は「Jam」という.歌詞からして果物を煮込んで瓶詰めにしたものではなさそうだ.

“Jam, it ain’t too much for me to”

と歌詞には繰り返しある.Jam、という言葉をどう訳するかが鍵のようだ.語順からしてto不定詞の後であるから、動詞として用いるはずである.あるいは先頭に来ているから、やはり動詞の命令形として一部使いそうだ.という推測はつく.私が当時読んだ歌詞カードには「jam」は次のように訳してあった.

「集中せよ」(*Wikipediaの記事では「集中よ」とある)

 ふーむ.と私は疑りながらも、一応の説得力を持つ訳だなと当時は思わざるを得なかった(*集中よ、の訳はよくわからない).辞書で引いても「集中」という解釈は出てこない.さてどうしたものか.ところで”it ain’t too much for me to”に触れておくと、ain’tというのは、is not, am not, are notの略という理解で良いだろう.Itは形式主語であり、意味上の主語はforに続くmeである.つまり、「私にとって(to以下は)多すぎることはない」、「私には(to以下は)どうということはない」、「(to以下は)どうってことないぜ」の意で通せる.(to以下)のことはjamにもつながるので後述する.

 彼の歌詞の訳はウェブ上で沢山あるので今はいつでも参照できる.私がゴースト・オブ・カワグチだった頃、そういうものはまだ少なかったから、言葉を調べたり、訳を考えるには己の髄脳で考えるのが早かった.才能が許せばの話だが.当時は才能が許さなかったので、今考えている次第である.かといって今の私に才能があるわけではない.

 jamはあまり良い意味で用いられないことが多い認識である.例えば、交通渋滞はtraffic jamである.これが最もjamの名詞的用法として理解しやすいだろう.Thesaurusで調べてみれば、

1. a traffic jam: tailback, line, stream, hold-up, obstruction, congestion, bottleneck, stoppage

2. informal I’d tell you if we ever got into a real jam: predicament, plight, tricky situation, ticklish situation, awkward situation, spot of trouble, bit of bother, difficulty, problem, puzzle, quandary, dilemma, muddle, mess, quagmire, mire, imbroglio, mare’s nest, dire straits; with nowhere to turn

といった具合である.動詞はというと、

1. he jammed a finger in each ear: stuff, shove, force, ram, thrust, wedge, press, push, stick, squeeze, compress, confine, cram, pack, sandwich, insert.

2. several hundred friends and celebrities jammed into the shop students soon jammed the streets: crowd, pack, pile, press, squeeze, cram; throng, occupy, fill, overfill, overcrowd; obstruct, block, clog, congest; North American mob.

3. the rudder had jammed: stick, become stuck, catch, seize (up), become immobilised, become unable to move, become fixed, become wedged, become lodged, become trapped.

であり、何かがギュウギュウ詰めになっている、鮨詰め状態で閉塞している状態を表していることに変わりない.辞書的にそんなに良い意味ではない.正月の福袋をもらいにギュウギュウになる人々を見て良い気はしない.ギュウギュウ詰めで嬉しいのは餃子や肉まん、焼売などだろう.

 ジャムが果実を煮詰めて濃縮したもの(concentration)と考えれば、濃縮という言葉を人間の動作に適用すると「集中」といった言葉になるのかもしれない.しかし、待てよ.

“Jam, it ain’t too much for me to”

ばかりに気を取られていると大意を見失うやもしれない.以下に歌詞の一部を引用する.

Nation to nation all the world must come together
Face the problems that we see
Then maybe somehow we can work it out
I asked my neighbor for a favor she said later
What has come of all the people have we lost love of what it’s about

I have to find my peace cuz no one seems to let me be
False prophets cry of doom
What are the possibilities
I told my brother there’ll be problems,
Times and tears for fears,
We must live each day like it’s the last

Go with it, Go with it,

Jam
It ain’t too much stuff
It ain’t too much
It ain’t too much for me to
Jam
It ain’t It ain’t too much stuff
It ain’t Don’t you
It ain’t too much for me to

The world keeps changing
Rearranging minds and thoughts predictions fly of doom
The baby boom has come of age
We’ll work it out

I told my brothers
Don’t you ask me for no favors
I’m conditioned by the system
Don’t you talk to me
Don’t scream and shout

She prays to god, to Buddha
Then she sings a Talmud song
Confusions contradict the self
Do we know right from wrong
I just want you to recognize me in the temple
You can’t hurt me
I found peace within myself

 「私」の願いが他者たる社会へ届かない現実と、それでも社会へ協力を呼びかける「私」、といった具合だろうか.解釈は多義的になるとしても大筋は間違ってはいまい.メッセージ性はさておき、jamの意味を考えると「集中せよ」よりも「集結せよ」「集え」のほうが私見では良さそうである.その理由は歌詞の冒頭が一つになりうるだろう.「come together」は一緒になる、一つになる、という意味だ.「国家や人々が一つになって問題を直視せねば」という歌詞からわかるように、社会の関心を呼びかける文意を考慮すると、jamは「concentrate」よりも「unite」寄りの理解が適切と思われる.音楽の用語でジャムというのは、複数人が集まって即興の演奏をするような、ゴチャゴチャ感を含んだものを言うらしい.セッションというやつか.黒人の音楽一家を出自にもつジャクソンにとってjamは決して否定的な意味ではなく、むしろ人が集まることで偶然生まれる無限の可能性を言うのかもしれない.uniteという言葉は力強いが物言いがはっきりしているだけに、政治的な意味合いを含み得る.jamの方が音としてもシンプルで、通っぽく、俗っぽくて良い.昭和のツッパリみたいな言い方をすると、「つるむ」というのか.

 では訳はどのように反映させたら良いか.これは難しい問題である.韻を意識せずに訳することが許されるなら、「集まろう」、「まとまろう」、「さぁ一緒に」と言った具合だろうか.うまくいかない.団結でも良いが、「労働者よ、団結せよ!」のような誤解をされてしまうのも氏に失礼である.単なる命令形では上からの物言いで高圧的な感じを与える.のび太くんに「俺たち友達だよな?な?友達ですって言えよ」というジャイアンのようになってしまう.

「俺とつるもうぜ」

となると、男子生徒が一緒にトイレに行く「連れション」になってしまいそうで、私は採用できない.うむむむ.難しい.私はjamの訳を今でも10年近くずっと考えている.

 私は「Dangerous」以来、ジャクソンの歌うNJS調の曲が好みの一つになった.彼自身がどういう人物かはともかく氏の音楽は浪人時代の学業の賦活剤となった.聴力に悪影響を及ばさない程度に大音量で聴いていた.電車内のノイズキャンセラー、試験前の緊張感を緩和するメンターとして浪人時代の秋以降、ずっと聴いていたのだった.私の脳内セロトニン濃度を一定に保てたのは氏のおかげかもしれない.

 NJSが今も残っているのかどうか知らないが、私にとってこの音楽ジャンルは私の心を強く揺さぶった(swingした)であり、洋楽への関心をより惹きつけた重要な用語である.この曲を聴いたのは9月のことだった.私にとって9月は秋の訪れだけでなく、新たな音楽との歴史的邂逅でもあった.今でもこの季節になるとNJSが脳裏を揺さぶる.

ここまで読んでくださりありがとうございました.