なぜ亀吾郎法律事務所は法律に門外漢なのか

近づくといつも出てきて挨拶してくれるごろうちゃん.

If a writer of prose knows enough about what he is writing about he may omit things that he knows and the reader, if the writer is writing truly enough, will have a feeling of those things as strongly as though the writer had stated them. The dignity of movement of an iceberg is due to only one-eighth of it being above water. A writer who omits things because he does not know them only makes hollow places in his writing. A writer who appreciates the seriousness of writing so little that he is anxious to make people see he is formally educated, cultured or well-bred is merely a popinjay. And this too remember; a serious writer is not to be confounded with a solemn writer. A serious writer may be a hawk or buzzard or even a popinjay, but a solemn writer is always a bloody owl.

Ernest Hemingway, Death in the Afternoon, 1932

 自分が書いているものを十分に承知しているのなら、作家はその箇所を省略してもよい.もし作家が真実を書いているとすれば、読者は省略された箇所をあたかも作家が実際に書いたかのように強く感ずるのである.氷山の動きに威厳があるのはその一角が水面から見えているからこそだ.自分が知らないからといって物事を省略する作家は作品に空白を空けるしかない.執筆において真剣味が全く無い作家は自分が立派に教育を受けただとか、教養があるとか、育ちが良いといったことを気に留めているか、ただ自惚れているに過ぎぬ.次のこともよく覚えておくことだ.真面目な作家をもったいぶった作家と混同してはいけない.真面目な作家は勇猛なタカでもあり、老獪なノスリでもあり、自惚れ屋のオウムでもあるやもしれぬが、もったいぶった作家は常に血に飢えたフクロウなのだ.

アーネスト・ヘミングウェイ、「午後の死」、1932年


 しばし尋ねられる質問に、なぜお宅は法律事務所を名乗っているのか、なぜ法律事務所なのに法律は門外漢なのかといったものがある.全くごもっともなご指摘かと思う.

 確かに一般の法律事務所は一人以上の弁護士が法律事務を業とする事業体である.弊事務所はその条件に一切該当しない.誰一人として弁護士はいない.代わりに亀2匹と文鳥がいるに過ぎない.亀吾郎法律事務所はどこにありますか、とお尋ねになっても地球のどこにも建っていない.ふざけているのかと問われれば、ふざけていると答えるし、真面目にやれと言われれば、常に真面目にやっておりますと答える.

 目の前に書いてあることを正直に受け取ると、往々にして損をするということはよく知られている事実ではないだろうか.この商品を買って使えば、肌ツヤがよくなるだとか、膝の軟骨が再生するといったものはテレビで数分おきに流れる常套句であるし、政治家の挨拶でしっかりやりますと言うのを聞いても誰も特に感動はしない.これさえやれば30分でできる!という本のタイトルは30分の実現を保証しない.近所を走る車は速度制限を遵守していない.嘘をついてはいけないと言う人は多い.しかし、世の中はほとんど不条理である.本当に大事なことは小さく書いてあるか、書かかれていないことが多い.私はそういうことに気づくのにだいぶ時間がかかった.

 亀吾郎法律事務所は上記の背景を参考にして設立された.法律に門外漢であるのは真実である.私は法律について本当に何も知らない.私は法律の専門家ではないから法の名前と条文をお話することはできない.しかし、かろうじて生きている.皆さんはどうだろうか.

 弊事務所は目に見えない事象を取り扱うことを生業としている.当所長(吾郎)は明示されていないものほど雄弁に”嘘でないもの”を語ると考えている.亀吾郎法律事務所は現代の趨勢に対するアンチテーゼを掲げているのかもしれない.誰かの言葉を借りるならば、アンチテーゼなくして止揚はないという.この事務所はささやかな反逆の精神を以てより善いものを目指していきたいと思っている.

陽の光

雑然とした中に思わぬ秩序があったりする.

 あくる夏らしい日.それは燦々と降り注ぐ陽光を身に浴びる日でもあり、冷えたビールを飲みたくなる日でもあり、バーベキュー日和ともいえる日.どこかドライブしてもいい.砂浜で日焼けしたくなるような穏やかな日だった.

 私の借りている家には小さな庭がある.庭と言ってもこじんまりとした、砂利の敷き詰めてある平面を言う.ところが嬉しいことにどんどん草が芽生えてきている.蔦は砂利を這い回るかのように伸び、自然発生のようにいつしか立派な植物がもこもこ生えてきて、妙な植生をなしてきている.私は植物の名前をこれっぽっちも知らない.だが、とても気分の良い空間で、私なりに庭らしくなってきた.実はこの庭には何も植えてはならないと契約書に書いてある.しかも生えてきたものは抜いて美化に務めろという.余計な面倒を起こしてほしくないので賃貸物件はこういうことになるのだろう.というわけで決して何かを植えることはしない.そもそも砂利に種を蒔く人は寡聞にして知らない.

 一般的に雑草といわれるものが、我々の思いに反して、立派に生育していく.何もしなくても好きにやってくれている.今では1/3くらいの面積を覆い尽くすようになった.なぜ抜かないのかと言われれば、私なりに美化に努めているからだというのが答えだ.ひねくれているなと言われればそうだが、一面砂利よりも趣があってよろしい.隣の家の人は定期的にまめまめしく抜くので、私も見習って同じことをしてみたが、抜いたところで平面は美しくなるわけでないし、そもそも容易に抜けるものではない。

 私はこれらを抜くことを諦めた。抜いても次々と生えてくるからだ。よく見ればそれぞれ愛嬌があるし、葉の上に佇むカエルを認めるだけでなく、アリがいそいそと歩哨にでかけているのを見る。カメムシは邪魔さえしなければ臭くないのだ.彼らの生活圏を侵すことはどうも心苦しい。生活を脅かしたところでどうせ徒労に終わる.であればありのままにしておいてこれからどのように繁ていくか見ていくほうが楽しそうだ.すでに私は楽しんでいる.勿論、洗濯物を干す場所や公共の空間は逸脱しないようにする.私の生活圏と小さな隣人の生活圏を共有しあい相互不可侵に務めるのが私の考えるところだ.他者からすればさぞかし無精者と思われるかもしれない.それは恒久平和のためには仕方ない.

 自分の思い通りにしたくてもそうはならないのは世の常.どんなに厳しく取り締まっても追い払っても、自分だけの世界でない限り決して思い通りにはならない.それは私の庭だけでなく世界で起きてきたことを見れば自ずから明らかだろう.北風は旅人の衣服を吹き飛ばすことはできなかった.私はやはりあの夏の太陽が好きだ.

談話異聞録

Hegelを読む所長.

 以下は亀吾郎法律事務所の職員である吾郎と三郎の雑談.

三郎「吾郎ちゃん、ついに超越と脱出の話を書き終えたねぇ、大変だったねぇ」

吾郎「うむ、大変だつたな.話をどのように纏めるかが難しくてな.さぶちやんには随分助けてもらつた.ありがたう」

三郎「まだ自分で問題提起するシリーズは終わってないけどね.あれはどうなるのさ」

吾郎「勿論、構想を大いに練つてゐるところだ.もう少し自分の中で知識を受肉せねばなるまい」

三郎「どういう展開になるかちょっとだけ教えてよ」

吾郎「無論いいだろう.実は木村敏の考え方を御紹介するつもりだ.時間についての彼の洞察は見事と言わざるを得まい」

三郎「そんなにすごいのかぁ、楽しみだねぇ.そういえば事務所の掃除夫のことなんだけど」

吾郎「いつも吾輩の口述を文章化して投稿してくれる奴のことか.他にも彼奴は賃料を払う、税金を払つたり、人間界と折り合いをつけてくれるな.納付額を見て具合を悪くしたようで大丈夫なのか.いつも掃除は雑だが、甲羅磨きが上手くなつてきた.彼奴がどうかしたか、最近独逸製の合成食に飽きてきたと伝えてくれ」

三郎「段々読者の皆さんが増えてきて嬉しいって言ってたよ、僕もテトラレプトミンは飽きてきたよ.でも吾郎ちゃん、鶏むね肉とかお刺身の血合いのところ食べすぎて具合悪くなったことあったでしょ.掃除夫の奥さんが心配してるから駄目だよ、また入院したら大変だよ」

吾郎「ぐぬぬ.あれより上等なものが市販化されているではないか」

三郎「レプトミンスーパーのこと?あれ美味しいよね.エビの香りがしてさぁ.あれ食べるともとのレプトミンには戻れないよ、でも掃除夫は値段が高いから渋ってるんだって」

吾郎「そうか.だが彼奴等はこの前伊太利亜料理店に行つてStrangozziやTagliatelleなるパスタを鱈腹食べたと聞いたぞ、妻の方は仔羊の炙り肉を注文したそうだし、掃除夫は偉そうに豚肉の網焼き肉を食べて『この豚は間違いなく徳の高い豚だ!前世で大変尊い徳を積んだに違いない.豚への価値観が変わる大変な代物だ!』と変なことをほざいていたと」

三郎「変なことを言うのはいつもだよ.何かの一周年と納車三周年を記念して、ということらしいよ.法律事務所も一周年を迎えたらお祝いだね、僕らも車が修理から戻って来たらドライブ行こうよ、早く乾いた6気筒の音が聴きたい.なんでも新しいブレーキパッドがPAGIDなんだって?」

吾郎「よく知つているね.なんでも制動力と耐久力を兼ね合わせるようだ.金は掃除夫が払うと言つていた.吾輩は西日本の方へ行つてみたいなァ、温泉や神社仏閣、美術館、景勝地を巡つて心を揺らす体験をしたい」

三郎「吾郎ちゃんはそういうの好きだよね.僕は車のシートに包まれると固定力があって、いい意味で狭いから密閉感があって.車の中に入り込むというか一体感を感じるような.赤子が卵の中にいるような安心感ってのは言いすぎかもしれないけど、ほっとするんだ.エンジンが真後ろにあるからなのかな.幌を開けて風に当たるのもいいけど、雨音が幌を打つ音も好き.」

吾郎「さぶちやんはポエチツクなところがあるな、ドライブは雨でも楽しいのは同感だ、休みをとつて脱出しようか」

亀吾郎法律事務所が目指すとこ

About a month has passed since we founded Kamegoro law office.
Posting articles continuously makes us realise that we could gradually see things we aimed for.
Now we would like to reconsider our weblog statement.

Our mottos are set out as follows.

Firstly, To make the blog as lucid, peaceful and cozy place for anyone who visit.
The site should be joyful, healthy and humorous.

Secondly, with a humble mind, to correctly understand Psychiatry and Psychopathology as a medical profession. In order to achieve this object, I will widely cultivate my knowledge for Humanities and Natural science. And I will earnestly exert myself to master not only English but other languages such as French, German and Arabic.

Thirdly, to cherish my family.

Should you need the detail of second statement, I, (Goro) have to say that I’ve believed the intense possibility of the study of Psychopathology. For understanding its essence and position, I think that it is not sufficient to learn only Natural science but necessary to study the time flow started from Phenomenology proposed by E. Husserl, to K. Jaspers who dedicated his passion to Descriptive Psychiatry. Moreover, clear understanding is required for the academic stream continues to present, and knowing how the criticisms occurred. We elaborately set an ultimate goal to learn the thoughts of J. Lacan, who is still influential on present Psychoanalysis, originated by S. Freud. Then I solemnly and humbly wish to translate their wisdoms to non-professional people.

 

 亀吾郎法律事務所を開設して1ヶ月になりました.

 ある程度勢いに任せて記事を投稿すると、少しずつ自分の目指すところが見えてきたような感じがします.ここでブログの方向性を確認したいと思っています.

 内容は以下の通りです.

 一つは、このブログを誰にとってもわかりやすく心安らぐ場所とすること.楽しく健康的にユーモアを尊重した場であること.

 

二つは、医師として謙虚に精神医学・精神病理学を正しく理解すること.そのために自然科学・人文科学の知識を十分に得ること.英語のみならず仏語、独語、亜語の勉強を真摯に行います.

 

三つは、家族を愛すること.

 特に二番目について詳しく述べると、私、吾郎は精神病理学という学問の強い可能性を感じてきました.その学問を理解し、学問が置かれている立場を知るためには自然科学を学ぶだけでなく、E. Husserl(フッサール)の唱える現象学からK. Jaspers(ヤスパース)の記述精神医学、そして現在に至る流れと為される批判を理解する必要があると思っています.S. Freud(フロイト)に始まる精神分析学の系譜を辿り、現在も多大な影響力をもつJ. Lacan(ラカン)の思想を理解することを大々的に究極的な目標として掲げています.そして願わくば、専門としない方々に控えめに思いを伝えたいと思っています.

私の時間論:破

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 前回、時間について自分なりに問題を提起した.時間が過去から未来へ直線的に進むモデルは説得的だが、果たして正しいのだろうか.ということを述べた.これは結構難しい問題であることは自身で自覚していて、問題提起した自分を少しながら後悔しているところもある.涙を流し、挫けながら話を進めていくことにする.

  現在の物理学の最先端に、ループ量子重力理論という学説が生じているそうだ.その理論の研究者の一人、Rovelliの著書である”L’ordine del tempo”, (邦題:時間は存在しない)を偶々読む機会があった.私はループ量子重力理論ならびにその方程式を説明する立場でもなければ力量もない.数式を見たところで、大学受験の苦い記憶が蘇るだけだ.一応、本書の説明を借りるとRovelliらは時空がスピンネットワークと呼ばれる網の相互作用によって生じると考えている.申し訳ないが何を言っているのかわからない.宇宙の記述には時間の変数を必要としないという.だから「時間は存在しない」という邦題がついているのかもしれない.それでもよくわからないが.本書でスピンネットワークについての説明は深堀りされない(深堀りしないでほしい).極めて高度な方程式の話をしてもほぼすべての読者を放心させてしまうし、本書は売れないと思う.幸いにして本編には、

⊿S≧0

だけが記される.これは熱力学第二法則、熱は熱いものから冷たいものにしか移らず、その逆はない.という事実を述べている.当初は熱の不可逆性を示す式であったが、後の物理学者であるボルツマンによって、これは分子や原子の乱雑さを表す尺度であることがわかった.Sはエントロピーという重要な科学の量を表し、⊿はSの変化量を示す.そして唯一、過去と未来を認識している式だという.原始の宇宙のエントロピーが低い、すなわち秩序だっている状態からビックバンにより徐々に拡散し膨張してゆく乱雑な宇宙の姿を過去と未来に対比させれば、その式の言わんとすることは何となくわかる.しかしなぜ、過去の宇宙はエントロピーが低いのかという疑問が生じる.

 著者の答えを簡単にいうならば「偶々」だそうだ.根本のレベルにおけるこの世界は、時間に順序付けられていない出来事の集まりだという.えっ.それらの出来事は物理的な変数同士の関係を実現しており、これらの変数は元来同じレベルにある.世界のそれぞれの部分は変数全体のごく一部と相互に作用していて、それらの変数の値が「その部分系との関係におけるこの世界の状態」を定める.ということは、宇宙には無数の変数があって、それらが影響しあっているということ?何か決まった変数の値によって、世界の状態が決まるということか.うーん.

 著者はトランプカードで宇宙の特殊性と「偶々」感を説明していた.自分なりに考えてみよう.高校時代の昼休みよくやった大富豪(大貧民)を例に取る.山札からカードが配られて自分の手札に「2」や「ジョーカー」があると嬉しくなったものだ.同じ番号の手札があるのもいい.これは一つの「偶々」であろう.「日本国A県B市C高等学校1年3組の昼休みの教室で繰り広げられる5人程度の大富豪」という小宇宙では有力な手札であったが、これが友人の気まぐれで革命が起きてしまうと、「2」や「A」は戦力を失う.友人という変数によって宇宙の秩序が変わるわけだ.他の友人がさらに革命返しをすればさらに宇宙の秩序は変わる.友人の出身はA県の近隣なのだが、もしこれが日本全国から集う全寮制高校だとすると、その宇宙で繰り広げられる大富豪という系はもう少しややこしくなるだろう.ご当地ルールというのが少なからず存在する.別の言い方でローカルルールだ.「8切り」「スペ3返し」はよく知られていると思うが、「11バック」なども存在するときもある.カードの色柄を強制する「しばり」が適用されればさらに宇宙の秩序は異なってゆく.これも参加者という変数によって宇宙の成り立ちは異なる.無論、参加者の技量という変数もあるだろう.いい手札なのにプレイヤーがぼんくらならば、捨札に収束する手札の順序はまた異なる.(これは新たな山札として未来に繰り広げられる別宇宙の運命を示唆する)もし友人が飽きてしまって、ブラックジャックがしたい、ポーカーをやろう、最後は7並べしようぜ.ということになれば、同じ手札でもカードのもつ意味は大きく変わる.学校の先生という別宇宙の観測者の存在がいたとすれば、「ま〜たあいつらなんかやってるな」というつぶやきが生じることも考えられる.「日本国A県B市C高等学校1年3組の昼休みの教室で繰り広げられる5人程度の大富豪」という広大な宇宙が「なんか」で片付けられてしまうのは、宇宙を眺める立場によってこそ異なる.大富豪を始めたのは「偶々」なのに.

 微粒子レベルでは存在しない不可逆なエントロピーの増大が、我々の知覚する巨視的な世界では生じるという.我々の知覚する世界は曖昧なかたちで記述されるからこそエントロピーが存在するのだと.(生徒からすれば大富豪という新たな宇宙を創造する営みをしているが、学校の先生は生徒がカードゲームでざわついてるという粗い見方をする)私達のものの見方が粗視化(ぼやけ)と深く結びついているために熱という概念やエントロピーという概念、過去のエントロピーのほうが低いという考え方をしてしまう.自然を近似的、統計的に記述したときにはじめて生じるものなのだという.

 どうもピンと来ない.私は、本に記されている通り、説明を試みようとしているのだが、目を凝らして空を掴むような気持ちだ.過去と未来が違うのは、世界を見る我々の見方が曖昧だからだという.そんなことでいいのか.私の例えは正しいのだろうか.曖昧とはなんだろうか.私たちが経験するこの時間経過は、実は自分が世界を詳細に把握することができないからだという事実だというが……

 なんだか、別にうまくもなんともない食べ物を、無理やり「うまいでしょ!」と言われて、必死に咀嚼している感じだ.しかし開き直ったら良い.わからないと.そこが重要だと思う.世界的に優秀な一部の人々が唱える学説はどうやら複雑怪奇だ.私達の見る世界は曖昧だからこそ時間が流れているように感じるというが、そこをもう少し詳しく考えてみたい.世界に時間が存在しようが存在しなかろうがこのさいどうでもいい.なぜ、私達は過去から未来へ時間が流れているように感じるのか.幸いにして筆者はこの疑問に寄り添ってくれる.私はなんとかして食らいつく.

 次回でこのシリーズは最終回.ですが亀吾郎法律事務所の連載ははまだまだ続きます.弊事務所は今後、英文和訳や和文英訳での投稿も考えています.何かこういうものを訳してみてほしいということがありましたら、事務所連絡先まで気軽にお願いします.

 

本を整頓するということ

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“To arrange your books on the shelves properly is a difficult task. If you arrange them according to their contents you are sure to get an untidy shelf. If you arrange them according to their size and colour you get an attractive shelf, but you may lose of the books which you want.”

A. A. Milne, Not That It Matters

 亀吾郎法律事務所は様々な要請によって読むべき書物が増えてきている.となれば蔵書すべき本棚が必要であって、刻一刻とその必要性は増している.弊事務所はカツカツなのだが、思い切って良い本棚を買って新たな空間を構成するのも良いだろうと考えている.さて、こんなことを言うと捕らぬ狸の皮算用と言われてしまうのだが、本棚を買ってからどのように本を配置しようかと思いを巡らせてしまう.そんなときに思い浮かぶのは上の文章である.簡素な文章だが恒久的に発生するであろう読書人の悩ましさを現している気がする.

 私なりの訳を下記に載せておく.

 「本を本棚にきちんと整頓することは難しい仕事である.本の内容に従って整理すると、間違いなく雑然とした本棚になるだろう.本の大きさや彩色に従って並べれば見栄えのする棚にはなるだろうが、手に取りたい本を見失うかもしれない」

 本は並べ替えができるが、本棚を替えることは基本的に無理なことである.というわけで、亀吾郎法律事務所は大枚をはたいて見栄えのよい書架を購入しようと思う.届いた暁には改めてブログに投稿する予定であるから、皆さんも事務所の一員となったつもりで楽しみにしていただきたい.

 そうそう、弊事務所に新しくラグを敷いた.ベルギー製のモカレンという模様のラグで、真緑のソファと程よい対照をなしていると密かに思っている.いつかご紹介できるかもしれない.

結婚式を間近で見るということ

 結婚式というのは凄まじいエネルギーを要するものです.つい最近、兄の結婚式に参列してきました.神前式を以て粛々と執り行われました.奈良時代(神護景雲元年)から存在するという、とある神様の祝福が得られ、二人は無事夫婦として結ばれることができました.この神様は複数の神体の総称で、調べたところによると、大国主大神、多紀理姫、味耜高彦根命の三神を祀っているようです.味耜高彦根命は大国主大神と多紀理姫の子ということですから、家族経営のようなものでしょうか.縦二列で歩きながら、本殿に向かいます.スピーカーで繰り返し流れる越天楽の音色に乗って、巫女が舞い、神主が笛を吹く.新郎と新婦は紋付袴と白無垢を装い、親族は和装や洋装の正装で望む.実に現代的で微笑ましい風景でした.神酒が注がれ、少し口に含んで味を確かめると、足元に吹く冷たい風を体から暖めてくれるような気持ちがして、なんだか心地よい感じがしました.二人は誓いの言葉を仲良く読み上げ、結婚指輪をつけて無事に儀式が終わると今度は記念撮影.記念撮影はこの前後で何度も何度も行われるのですが、新郎新婦の嬉しそうな表情であることやいかに.これには、悠久の神々も恥じ入るような仲睦まじさで、私は視線をどこに向けてよいのかわからなくなってしまいました.

 本殿に参る前には有名な橋を渡るのですが、そこは一大観光地でもあります.夫妻はホテルの仕組んだロンドンタクシーを送迎車に見立てて乗車し、19世紀のおえらいさんのよう.我々は国産中型バスに乗り込み、昔なつかしバス旅行を思い出します.車を降りると様々な人々が偶然にも拍手など祝福をしてくれて嬉しいやら恥ずかしいやら.私が当人であったらあらゆる眼差しを受けてそのまま消え入りたいくらいでした.ただそういうわけにはいかないので真面目な顔をして歩きました.滅多に見ない景色でしたので、少しキョロキョロしてしまいました.澄んだ清流と、朱の橋が対照を成す色彩は見ていて飽きないものでした.自然といってもほとんどが人工物ではありますが、昔から工夫された景観を用いて催される結婚式もなかなかに立派です.いつまでも少年のような新郎と凛として溌剌な新婦の晴れ舞台にふさわしい景勝であったといえましょう.

 結婚式の披露宴会場は1873年創業の老舗ホテルでした.こちらで会食が催され、仏式洋食のフルコースが提供されました.その味は正統派であろう、万人に好まれる味で、丁寧な下準備と作り手の技巧が容易に想像できました.せっかくですからメニューを紹介しましょう.乾杯の音頭は私が務めましたが、あまりうまくまとまりませんでした.謹んでお詫び申し上げます.

 オードブルは帆立貝のムースいくら添え.ムースの濃厚な味は食欲をそそります.キウイフルーツの爽やかなソースが魚介の臭みを消して、彩りも豊かにしているようでした.食事の途中で新郎新婦は来賓をよそにまた記念撮影へ席を外してしまいました.夕刻に絶好の場所があるとカメラマンがそそのかしたようです.しばらく帰ってきませんでした.

 スープは湯波の入ったコンソメスープ.市販のコンソメ顆粒を使う身としては、これ以上ない肉の香り引き立つ濃厚なスープという感じがしました.台湾で飲んだ牛肉スープによく似ています.琥珀色の透き通る液体は素朴ですが極めて熟練を要するであろう一品でした.

 魚料理は真鯛のソテー トマトソース.真鯛の肉がふわりと口のなかで壊れてゆきます.トマトソースが酸味と塩味を乗せて風味を奥深くしていく、皮はサクサクとしてすべてが計算づくといった品でした.パンが止まりません.夫婦は帰ってきました.

 口直しにシャーベットがやってきました.おそらくラズベリーでしょうか.口直しとはこういうものだと思わせるキリリとした冷たさと清涼感で次に運ばれてくるメイン料理への期待感を掻き立てます.

 肉料理は霧降高原牛フィレ肉のステーキ キノコのソース.しめじとしいたけをソテーし赤ワインで仕立てたソースという感じでしょう.シンプルな構成ながらもフィレ肉のとほどよく合わさり、美味しいの一言です.付け合せはブロッコリーとクレソン、柑橘の香り付けした人参のグラッセ.匠の業が光ります.奇をてらわず、王道を突き進んだレシピは老舗ホテルの伝統としてずっとあるのでしょう.

 デザートはムース・オ・ショコラ、メロン.チョコレートムースのしっとりとした風味.ベタつかず香り高い上品な甘さ、メロンも少し若い程よいシャキシャキ具合でいずれも嫌なところが微塵もない品でした.最後に珈琲を頂戴し、いよいよお開きかと思うと、突如プロジェクタとスクリーンが用意され、結婚式の総括を動画で振り返るものでした.こういう演出は数ある結婚式で観たことあるのですが、其の中に自分の兄が写っているとなんとも奇妙な感じがしました.奥さんとなる方はなかなかに綺麗に写って、それは見栄えがいいのです.その対となる相手が自分の兄ですから、まるで兄が女性と一緒に芝居をしているような.うまいたとえが思いつきませんが、難しい感覚でした.親父は嬉しそうな表情でした.向こうのご両親は涙を浮かべておりました.ほんの一コマが巧妙なアングルで撮影され、うまくぼかし、頃合いの良い速度に調整しているのですから、あらゆる動作が神がかって見えてしまうので、涙を流しても無理はないかもしれません.これも大国主大神の為せる業か.いいえ、ちょうど夏至の日ですからきっと夏の夜の夢なのでしょう.他にも新郎新婦の両親に花束と記念品贈呈の場面もありました.なんともお涙頂戴の場面です.妖精の仕業に決まっています.

  私にとってはこういう演出はどちらかというと苦手な方で、このような状況がややもすれば絶命してしまうに違いありません.ものすごい集中を要します.ですが、当人たちは至極幸福に包まれ、絶頂に差し掛かっているので無粋なことはしませんでしたし、唯一の兄がめでたく結ばれるのですから誠に結構なことです.披露宴が大団円に終わり、解散かと思いきや、さらに記念撮影が二人の中で行われました.あたりは日が沈んで真っ暗ですが、二人には夜の帳は降りずキラキラしていたのです.カメラの閃光、この日だけ許される気取ったポーズ、最後の最後までまばゆい光を放つ新たな夫婦の誕生を目の当たりにしました.我々はすでにエネルギーがそこをついてしまい、幻惑してクラクラしてきたので帰路につくことになりましたが、彼らはその煌めきを我々の前で絶やすことはありませんでした.さぁ、いつまでやっていたのでしょうね.

 厳しく窮屈な時代で執り行われた結婚式でしたが、実にめでたい一日でした.そのめでたい夫婦に新たな生命が誕生するというのですから、この先も楽しみです.私は変な叔父さんとなって、お子さんが反抗期を迎えたころに優しく出迎えるべく、修練を重ねていく所存です.

ご挨拶

 はじめまして.このブログの管理人です.このサイトはどこかにありそうな法律事務所のホームページを模して、只々自分の身の回りに起きた出来事や思考をまとめるためのものです.主に人文科学、時折精神医学について控えめに考察を述べます.

 事務所は実在しませんが、個性豊かなスタッフは皆さんの周りのどこかで静かに暮らしています.以後、当事務所を今後ともご贔屓いただけますよう一同心より願っております.どうぞよろしくお願いいたします.

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