ゲーム小話

良いゲームの条件とは

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 今回は普段よりもゆるふわな話をしようと思う.皆さんはゲームはお好きですか.私はまぁまぁ好きだ.ゲームといってもビデオゲームの話だ.バックギャモンや麻雀のような卓上ゲームももはやビデオゲームで再現できてしまうので、ビデオゲーム⊇ゲームということで包摂してしまおうと思う.異論は認めたい.

 良いゲームの条件とはなんだろうか.これをどう考えるかはなかなか楽しい.ソフトの単純な売上数で考えると圧倒的な大差で「Minecraft」が一位である.このゲームを知らない人のために言っておくと(知らない人がいるのか??)、レゴのような立方体のブロック(ボクセル)で構成された世界を自由に散策できるサンドボックスゲームである.自由度は極めて高い.確かに楽しい.この自由度の高さとユニークなデザインが支持されている理由だろうと思う.ちなみに二位は「Grand Theft Auto V」だがこちらは題名からして年齢制限が存在する.お父さんやお母さんのいない間にこっそりやるゲームの代表格かもしれない.こちらも自由度は高い.三位はWii Sportsである.こちらはゲームに親和性のなかった家族をターゲットにした任天堂の戦略の賜物であろう.

 では自由度が高いゲームは優れたゲームなのだろうか.自由度は一つの条件になるかもしれない.しかしマリオシリーズの初期は純粋に赤帽のおっさんがキノコを食べつつひたすら左から右へ走り、ぴょんぴょん飛び跳ねてゴールを目指すだけのゲームであった.なのにシリーズ累計では世界で最も売れた作品群だ.まぁシリーズで考えるとマリオはモータースポーツに、テニス、サッカーしつつバスケして、すごろくゲームに興じ、殴り合うかと思えばRPGの主役を張るので厳密に言えば内容は作品でかなり違う.一つひとつの作品に自由度が高いわけではなく、登場するジャンルのフリ幅が広い.

 シリーズ二位はテトリスである.落ち物パズルの先駆けといえる.これはもともと教育目的で作られた旧ソビエトの作品だったが、様々な会社にライセンスを渡したこともありヒットとなった.筆者もよく遊んだが、そこまで好きでもない.とはいいつつ、T-spinを決めたときは気持ちがいい.自由度の高い前者と比べ、こちらはシンプルなルールにとことん徹している.

 三位はポケットモンスターシリーズ、縮めてポケモンシリーズであるが、単なるポケモンを愛玩するだけのゲームに成り下がっておらず、純粋なターン制バトルゲームとして作品を追うごとに洗練されている.相手の手の内を読んで、いかに最適な一手を出すかは年齢を問わず楽しめるはずだ.最新作においてポケモンは890体近くいるので、集めるのもよし、屈強な戦士に育てるのもよい、お気に入りの意匠のポケモンが見つかればなおさら愛着がわく.このゲームの奥深さはやってみないとわからない.

 四位はFIFAシリーズ、要するにサッカーゲームである.実在する選手を自分で動かして試合に勝つ、というのはよくよく考えると、ロボットを動かして相手を倒すとか、ヒーローになりきって敵を倒す、ような構図と同じように思う.これが世界的に有名なスポーツだからこそ多くの人の心を掴むのだろう.スーパースターとの同一化、もしくはナショナルチームやクラブチームとの連帯感は一人ひとりにとって特別なものになるかもしれない.私は学生のときに少しやらせてもらうことがあったが、これも非情に楽しいゲームの一つである.

 五位はGrand Theft Autoシリーズである.速度違反、窃盗、暴行、殺害、警察からの逃走……人々はそんなに刺激がほしいのかな?ギャングがはびこる大都会で青年が一旗揚げるべく、周囲のチンピラと時には協力し、時には対立する、というシナリオが設けられているがそれを活かすも殺すもプレイヤーの操作次第な作品.やはりギャングスタものは倫理的な問題のために常に批判にさらされるし、ゲーム害悪説の格好の餌食となる.民家にロケット弾を打ち込めるのはこの作品くらいだろう.

 こうした例をもとに考えてみると結構難しい.自由度、デザイン、戦略性、操作性・快適性どれも重要だと思う.どれか一つでも欠けてしまえば辛辣なユーザーからは「クソゲー」と罵倒されかねない.(一方「クソゲー」をこよなく愛する好事家もいる.これを倒錯と呼ぶかはわからないが楽しみ方の一つであろう)自由度を高めれば操作性や快適性に差し支える可能性もあるし、倫理観についても考えさせられる.デザインに力を注ぎすぎればゲームそのものや戦略性に支障がでてしまう恐れもある.

Sid Meier’s Civilization

 少し話を変えよう.

 「Sid Meier’s Civilization」という私の好きな米国のゲームがある.最近は全然やっていないが、かつては時間が溶けるくらい熱中したものだった.これは文明をモチーフにしたターン制ストラテジーゲームであり、プレイヤーは一つの文明を発展させながら特定の勝利条件に向かっていくため、他のプレイヤーとしのぎを削るのが醍醐味だ.あなたは一国の国政の意思決定を担う最重要人物であり、文明の興亡はあなたの手に委ねられる.Minecraftとは異なる高い自由度が存在する.人を選ぶが実に良いゲームだと思う.知育玩具にもなる.ウィリアム・マクニールの「世界史」やユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」を読むのもいいが、飽きたらCivをやろう!核開発もできるが年齢制限はない.ちびっこにも安心してオススメできる.今作から日本語対応になった.多言語でも遊べるから言葉の勉強にもなる.

 Civilizationシリーズは1982年に第一作が登場してから現在は第六作まで出ている.単純に他国と戦争をして相手を打ち負かすのではなく、外交手腕を活かして国際秩序を守ることも極めて重要になる.戦争をやたら仕掛ければ他国から煙たがられ、「世界の敵」となり総スカンになることもあるし、何もせずに内政に注力しすぎると、「お前の国はへなちょこだな(笑)」と煽られ、いつの間にか宣戦布告されてしまい自分の文明が滅ぶこともある.一手一手を長考し、最善手を導き出すプロセスがプレイヤーの人気を集めている.それだけでなく、史実とはかけ離れた世界を作り出すこともできてしまうのが、歴史好きな人の心をくすぐる.例えば、アメリカが枢軸国として戦う、だとか、ドイツがテングリ教の宗主国となり、16世紀に共産主義政治を成功させつつ核開発を行う、ようなメチャクチャな展開が起こる.「やっぱただのゲームじゃん!」と思うかもしれないが、私に言わせればこのゲームでの「ドイツ」「アメリカ」「シュメール」などは単なるシニフィアン(記号表現)に過ぎないし、実際にやってみればハチャメチャ楽しい.実際のところ、史実の歴史の方がひどい.

 特定の勝利条件とはなにか、といえば最新作について言うと六種類ある.「制覇勝利;他国のすべての首都を武力で制圧する」、「科学勝利;科学力を高め、地球外惑星に入植するため惑星探査機を送る」、「外交勝利;国際会議で他国から『世界の指導者』に選ばれる」、「文化勝利;文化芸術に力を入れ、自国の文化力が他国の文化を圧倒する」「宗教勝利;自国創始した宗教が世界の過半数の信者を獲得する」、「スコア勝利;規定のターン数に達した際に獲得したスコアが最も高い」といった具合だ.プレイヤーは紀元前4000年の太古からスタートする.降り立つ地形はゲームの度にランダムで生成され、内陸のこともあれば、海洋にある諸島のこともある.各文明のもつ長所を活かしながら文明を発展させていくのだが、あとは完全にプレイヤーの腕が試される.ちなみに私は最小限の自衛戦力を持つだけで、国力が弱いうちは外交では媚を売りつつ、ひたすら内政をし、最後に逆転するスタイルが好きだ.遊び方は人それぞれの癖が出ると思うし、それなりにプレイヤーのパーソナリティが露見するが、所詮はゲームなのだから楽しい.強大な武力による平和(?)を目指すこともできる.棍棒を携えて市民に「みんな、幸せかな?」と尋ねてまわるような恐怖政治を敷くこともできる.どこかの場面であなたが習ったであろう、知ったであろう歴史上の人物が登場する.「あぁ、こんな人いたなぁ」「この人、どんな人なんだろう」と興味が湧く人にはうってつけだ.背景の音楽もどこかで聴いたことのある曲が流れる.絵画・著作、思想、建築物への入り口になるかもしれない.

 プレイヤーに求められるのは、シューティングゲームやアクションゲームのような高い操作性や瞬時の判断ではなく、長期的な見通しを立て、一つひとつの意思決定を大事にすることだ.ゲームの上手さと言ってもジャンルで違う好例だ.「今、攻めたほうがいいのか、待ったほうがいいのか」.これは他の事象にも共通するリスク管理「あるある」だろう.そのような意味で、意思決定を楽しむのにこのゲームは非常に完成度が高いように思う.そして忍耐と煽り耐性も高くなれる.

 私が考えるこのゲームの面白さの一つは、「AI(コンピュータ)が憎たらしいほどにずる賢く、まるで人間のようなところ」にあると思う.かつてこのゲームにて凄腕プレイヤーが界隈で知られていたが、その人曰くAIには「強いAIと良いAI」がいる.「強いAI」は勝つためには何でもやるよう設計されているAIで、プレイヤーを容赦なく叩きのめすAIである.他方「良いAI」は長所があれば短所もあるような人間のような動きをする.凡ミスをするときもあれば信じられない動きをしてプレイヤーを翻弄する.このゲームの高難易度AIは「強くて良いAI」であると思う.プレイヤーが劣勢である場合は、盛んに煽ってくるし、友好条約を結んで仲良くしたかと思えば次のターンに平気で裏切る.そしてこちらが有利だとわかると手のひらを返したかのようにプレイヤーに媚びてくる.うーん、嫌な奴!反吐が出るぜッ!!だが一番嫌な奴はプレイヤー自身である.

激おこギルガメシュ.戦うのに理由はいらない.

 このゲームの難易度は八段階あるのだが、最高難易度は全プレイヤー(550万人)のうち5%しかクリアしていない.それだけ難しいと考えてよいだろう.それでも最新作は過去作よりも易しくなった.難易度が高くなるにつれ、AIには初期の拡張が有利になるように下駄を履かせている.この下駄がえげつない.その他の細かい数値もAIが有利になるように調整されている.将棋で言えば、飛車角落ちのようなものだ.そんな有利な条件で舐め腐った態度をとるAIなんて、ボコボコにするしかないじゃないか.もちろん、有人でプレイすることはできる.オンラインでもオフラインでも.一応家族で「桃鉄」みたい?に遊ぶことができる.そんな家族がいれば一度お邪魔してみたいが、そんな家族いるのか?おすすめはAIを相手にすることだ.

 ゲーム性を奥深くするものに、文明の指導者の多様さがあるだろう.史実に実在した(とされる)偉人・奇人がプレイヤーのアバターとして世界を創造するのだが、彼らには一人ひとり個性がある.武力に特化した指導者、外交に長けた人、内政屋、宗教家などがおり、先に述べた勝利条件のどれかに適した特性になっていることが多い.その特性を活かして勝ちに行くことが大切となる.

 また、彼らにはアジェンダ(行動規範)というものがあり、要するに好き嫌いがある.「科学・文化の発展に勤しむものを好む」、「領土拡張を好む」、「奇襲戦争を好む」、といったものがある.指導者を相手にするときはこうしたアジェンダを参照しながらご機嫌をとりつつ、最後に裏切ることが重要である.このゲームでは非情にならなければならない.だがこのゲームなら非情になれる!

 目まぐるしく進化するゲーム業界の中において、この作品は今でも燦然と輝く.なんとNintendo Switchでも発売されている!.このゲームは文明史を扱う都合上、政治的、宗教的なタブーやグレーゾーンに触れるのではないかと危ぶむ人もいるかもしれない.しかし安心していただきたい.この作品で嫌悪感を抱くことはほとんどない.あったとしても狡猾なAIの挙動くらいだ.あらゆるデリケートゾーンはクリアされている.それでもとやかくいう人には厳しいかもしれないが、ややコミカルに描写される指導者やゲームデザインは巧みに史実の歴史の凄惨さを躱している.さらにゲームは少しずつアップデートされ、ゲームバランスの調整がなされている.最新作は2016年に出されたゲームだが、今年の四月になっても無償のアップデートを設けている手厚さは素晴らしいと思う.一部課金することで追加される文明・指導者もあるが、そんなことをしなくても十分楽しい.もう一度言うと、課金なんかしなくても十分楽しい.そして、課金をしても誰も強くならない、というのが最高に良い.近年のゲームは課金をさせるマイクロトランザクションサービスが本当に多すぎる.それもゲームバランスを揺るがす課金は好ましくない.丸亀製麺のように、とり天を追加、かき揚げも追加、というトッピング程度ならいいと思う立場で私はいる.

 良いゲームとは

 まとめてみよう.私の考える良いゲームの十分条件とは、「意思決定のプロセスが楽しい」ゲームであることだ.そのプロセスの時間・空間的長短は問わない.レーシングゲーム、格闘ゲームとターン制ストラテジーゲームでは意思決定の過程は全く異なる.それでも楽しいのは、自分で導き出した答え・決定が、ある程度不確実性をもって反映されることにある.加えて言えば、その選択が簡単に取り消せないものが良いように思う.リスクベネフィットを天秤にかける緊張感、勝負に出る瞬間の興奮は娯楽の重要な要素だ.そのような意味でいえば、市場に出回っている多くのゲームは間違いなく、良いゲームだ.この世界は幸いにして、良いゲームで溢れている.あとは上手に付き合うだけだ.付け足しておくと、良いAIがいることも大切だ.

 ゲームは時間と金を費やして興じる娯楽.それが無駄なのかというと決してそうではない.本を読むのも同じく何かを消費する.食事もそうだ.旅行だってそうだ.スポーツもそうだろう.ゲームが一概に悪いわけではない.世界には良いゲームの方が多い.そういえばゲーム障碍というカテゴリをWHOはICD-11に組み込んだが、ゲームが臨床・社会の苦痛になる場合というのは、ゲーム障碍が主座なのではなくて、前景に何か深刻なものが見え隠れしていることが多いのではないか、と思う.つまり二次的な健康上の問題、という印象がある.何が見え隠れしているかはともかく、強烈な射幸心を煽るゲームシステム、課金サービスという市場側の加担ももちろん検討されるべきだ.もしゲーム障碍を考えるのであれば、我々は嗜癖の問題について、物質使用の問題について、依存の問題についても考えなければならないと思う.非情に難しい課題であるが、生理学的な視点と社会学的な視点、そして願わくば私の立場としては精神病理学の視座からも考えてみるべきだろう.

 最後に一ついっておくと、もしCivilizationをやってみたいと思うなら、Steamのプラットフォームでやるのが一番良いですよ〜.時々値引きをしていますからね〜.ここまでどうもありがとうございました.利益相反はありません.

 

 

 

 

 

 

 

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