お正月過ぎて

people walking on the street
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ゲームの話

 お正月はNintendo Switch Onlineで提供されるスーパーファミコンのソフトをNintendo Switchで遊んだ.1994年に発売された「スーパードンキーコング:Donkey Kong Country」を久々にプレイしたが、十分楽しめた.十字キーと4つのボタンで遊べる仕組みを作った人々の功績は素晴らしい.特に横井軍平氏には感謝だ.英国レア社が発表した上記タイトルは、スーパーファミコンの描画機能の極致といえる美しさであり、David Wise氏の作曲する楽曲は世界観の構築に大きく寄与している.

 当時はテレビにつないで遊んでいたものが今や携帯ゲームとして遊べるようになるとは思わなかった.しかも無料で.久々に遊ぶとこのゲームの作り込みに関心する.敵として登場するクレムリン軍団のどこか憎めない動作も微笑ましい.踏みつけたり、樽を投げつけると、「ンガッー!」と間抜けな声をあげて倒れる動作が懐かしくて、つい音量をあげてしまった.ドンキーコングはじめコングファミリーたちもか弱いので、敵と遭遇し、どこかかすりでもすれば、たちまち退場となり、ゲームオーバーとなる.この厳しさは現在のゲームにはなかなかないだろう.

「うちの子ったらゲームばかりしてるんですの」

 当時幼少期を過ごした皆様はきっとご家族にそう言われたことであろう.だが我々は我々で様々な死線をかいくぐり、試行錯誤していたのだと主張したい.

 もう一つ、HAL研究所から出された1996年の「星のカービィスーパーデラックス」は横スクロールアクションゲームの傑作といっても過言ではないだろう.これも今やNintendo Switchで遊べるようになったのだから今のキッズたちは果報者だ.オムニバス形式の「スーパーデラックス」は、カービィの美味しい要素を詰め込んだ贅沢なお弁当といった感じで、スーパーファミコンの黄金期の一つであった.久々にプレイして、当時の懐かしさを味わうことができたのは良いことだった.

久々に映画鑑賞

 お正月には他に別のことをした.Amazon Primeで映画を観たのだった.まずは「日本のいちばん長い日:Japan’s Longest Day」という映画で、1967年のものと、2015年のものがある.私は両方観たのだがどちらも興味深く観ることができた.昭和20年8月14日から15日にかけて、ポツダム宣言受諾をめぐる閣僚内の対立、陸軍内部の摩擦、この狭間にいる陸軍大臣、阿南惟幾の葛藤が描かれる.

 天皇を除いて登場人物全員がものすごい汗をかいている姿は、いい意味でむさ苦しく、陸軍青年将校の戦争継続を最後の最後まで希望する姿は、恐ろしいほど鬼気迫るものであった.特に2015年版の松坂桃李氏演じる畑中少佐が阿南大臣にブチ切れるシーンは演技にしてはできすぎるほどの逆上であり、瞬時に顔面を紅潮させ、顔の血管が怒張し、両手が骨折しかねないほどの力で上司の机をぶっ叩く姿は、周囲もドン引きする空気を出していた.このシーンは自身の理想が、尊敬していた上司によって即座に打ち砕かれる彼の精神的脆さをも表していたように私には感じられた.

 一方で、師団長を躊躇せずに射殺する肝の座りようは、彼の志が全くぶれないことの証であり、ある種同胞にも容赦ない冷淡さを垣間見た.史実かどうかはともかく、動と静の二面を見事に演じたのだなぁと思う.

 当時の陸軍将校だけでなく、国民の一部が、戦争継続ができるとすっかり信じていたこと、本土決戦に持ち込めば日本に勝機があるという論理を本気で信憑していたこと、どうしてこのようなことを頑なに信じるようになったのだろうかと、少し考える機会になった.

 そして、現代の時勢に照らしてみて、「2021年は絶対にオリンピックを開催させる」「このコロナ禍を収束させてオリンピックを人々の希望にする」「スポーツ振興は国民の健康のためになる」という主張が政局の中枢から聞かれるのは、何か似たようなロジックが働いているのだろうか、とも考えてしまった.これ以上邪推はいけない.だが、主張する側も、もう少し説得力のある主張をしなければ.

 もう一つ、映画を観た.2016年公開の「シン・ゴジラ」を久々に見直してみた.ゴジラシリーズは昔から好きなのだ.官邸で未確認生物ゴジラについてアレヤコレヤと閣僚がまじめに議論する姿は、なんだか滑稽なのだが、ゴジラを厄災の暗喩として考えると、今回の疫病に対する人々の対応も似た構図になるのだろうかと、つい変な想像をしてしまう.さすがにコロナ禍では大地は揺れないし、放射線も観測されないのだが、いままで直面したことのない脅威に対して私達がどのように振る舞うか、この作品を考えた人々は我々に問題提起をしているのかな、とも考えてしまった.

 どうやらゴジラが東京を破壊するのは15回にわたるそうだ.戦争や震災を含めれば東京が壊れ再興してきた数は無数にわたるだろう.破壊のたびに都市は混沌をまといながら再生してきた.都市上空の風景は皇居以外ごちゃごちゃのカオスだ.電車でも車でも車窓から見える風景は無秩序だ.あってほしくはないが、おそらく今回のコロナ禍もめちゃくちゃのごちゃごちゃのドンガラガッシャーン!っといった感じで後味の悪い結末を迎えそうである.

 作中、ある人物が「国のトップがいなくなっても、すぐに代わりが決まるのがこの国のいいところだ」と言っていたような気がする.かなりの皮肉が込められているのだろうが、トップが決まっても中身がポンコツでは困ってしまう.同時に作中では「これからは若い人が国をひっぱっていってほしい」というセリフがあったような気もする.ほとんど同じセリフが「日本のいちばん長い日」にもあったように思う.昔から我々は同じテーマで悩んでいるのだなぁ.としみじみ思ったお正月であった.

 本年もよろしくお願いします.

 

 

 

投稿者:

吾郎

2020年6月にブログ開設.生き延びるための様々な問題を精神病理学に基づいて取り扱っています!ぜひぜひ気軽に遊びに来て下さいね.Our articles include essay, translation, study about literature, psychiatry(psychopathology), humanities.