On Melancholy Hill

 気分障碍の歴史

Melancholia, Lucas Cranach der Ältere

 前の記事で、私は「うつ」がよくわからない、と述べた.自身の勉強のためにも、様々な書物を平積みにして少しずつ調べることにした.結果、わからないところも新たに増えた一方で、非常に興味深く理解をすることができたように思う.とはいいつつ今回お話するのは、かなり表層的なところになるので難しくはない.病理の話はそんなにしない.

 うつ、抑うつ(Depression)とは、内因性疾患としてのうつ病と、状態像ないし、症候群としての抑うつ状態の両方を指す.「ぼくはなんだか憂鬱なんです」、というのは状態像であり、「あの症例は『うつ』だと考えられます」は疾患を指す.ややこしいのは名詞と補語が混在しているからだろう.以下は弘文堂の「精神症候学:第二版」からの部分引用になる.この書籍は8200円する大変高価な書籍だが、その値打ち以上の価値がある.ありとあらゆる精神現象が解説されている.今っぽくいうと、マジでやばい.濱田秀伯という学者が著した本だが、西丸四方の「精神医学入門」並の意義がある.この二冊は傑出している.西丸四方の本には貴重な写真が掲載されている、というのも見事である.読み物としても面白い.

 まず日本語での「うつ」について触れてみると、「うつ」という言葉はそもそも「鬱蒼とした密林」の「鬱」であり、これは香草をぎゅうぎゅうに容器に入れて発酵させた、という会意文字らしい.キビヤックのような閉塞感は感じられるが、どちらかといえば、「憂鬱」の「憂」が本質を当てているように思う.角川古語辞典を参照すると、「憂ふ(うれふ)」には、①嘆き悲しみを人に訴える;「からい目を見さぶらいひて.誰にかは憂へ申し侍らむ」(枕草子)(ひどい目にあいまして.どなたに訴え申し上げましょうか)②心を悩ます.思いわずらう;「期する所なきものは、憂へながら止まり居り」(方丈記)「将来に望みのないものは、思い煩いながらとどまっている」③病気で苦しむ.わずらう;「昔は身の病を憂へき、今は人の病を癒やしぬ」(今昔物語)「昔は自身の病気で苦しんだ.今は人の病気を治している」というものがある.これ以上の資料が手元にないが、少なくとも十二世紀までには「憂ふ」という言葉が完成し広まっていたと考えていいだろう.それ以前がどうなっていたかはわからないが、中国医学に由来する用語があっただろうし、それなりの学識があったに違いない.余談だが、紀元前200年頃の文献「黄帝内経」の癲狂篇にはうつ状態、躁状態と思われる症状記載があるという.

 さて、内因うつ病は誘引のない生物学的発症をし、精神運動制止が強く、体重減少や早朝覚醒、症状の日内変動を伴うという.精神病性うつ病もこれと同義だが、幻覚・妄想、錯乱を伴う重症例に用いることがあると思う.アメリカ精神医学会の編纂したDSM-3以降では内因性うつ病を大うつ病(Major depressive disorder)と呼んでいる.では小うつ病があるかといえば、ない.いい加減である.軽度うつ病(Mild Depression)という言い方はあるようだが、なんだかタバコの銘柄みたいだ.中国ではうつ病を抑郁症、台湾では憂鬱症というらしい.

 内因性うつ病にうつ病相のみを繰り返す単極うつ病、躁のみあるいは躁うつ二つの病相を併せ持つ、双極うつ病・双極感情障碍という区別をしたのは、レオンハルトという人物が初めてで、それは1959年のことだという.以来、アングスト、ペリスらが多数例の調査から単極性・双極性の区別を確立した.双極うつ病を、躁病相を伴うⅠ型と軽躁を伴うII型に区分する見方は、ダナーの1970年の発表以来であり、後者はDSM-4以降、双極II型障碍として独立項となった.1983年発表のアキスカルという人の概念からは双極II型障碍、気分変調症、気分循環症などを連続体(スペクトラム)と見ることもある.さて、たくさんの人名が出てきて「これはブラウザバックだなァ」と辟易する人がいるかもしれないが全く気にしなくていい.音楽好きが「カート・コバーンが……、キース・リチャードが……、ポール・マッカトニーが……」と言うのと同じ次元にある.

 キールホルツは1971年の発表で、うつ病を身体因、心因、内因の三つに分け、内因を身体因と心因の間に位置づけたが、一般的にはこれを基準にして考えることが多いようだ.つまり、脳卒中のあとに抑うつをきたした場合は身体因を考えるし、軍隊に入って、厳しい教練を機に抑うつをきたせば心因を考える.ではそれ以外何も思い当たらない、いやはやわからないぞ、という場合に内因性を考える、という具合だ.すごく曖昧だから気にしなくていい.日本では1975年に発表された病前性格、発病状況、病像、治療への反応、経過を踏まえた六型に分けた、笠原・木村分類が知られている.これは、みすず書房の「うつ病臨床のエッセンス」に詳しい.良い本だ.参考までに分類をあげておくと、メランコリー性格型うつ病、循環型うつ病、葛藤反応型うつ病、偽循環病型分裂病、悲哀反応、その他にわかれる.ちなみに現在では積極的に用いられていない.メランコリー新和型が生き残っているくらいか.ではメランコリーとはなんであろうか、ということになる.

Melancholia I, Albrecht Dürer

 メランコリー(Melancholie)は抑うつ、うつ病の別名、というのが歴史的経緯を加味して考えると妥当だろう.古代ギリシアのmelancholia、μελαγχολίαから来ている.これは黒胆汁(black bile)のことであり、黒胆汁が鬱滞して症状が起こる、という体液説に基づいている.心配と悲しみの続く患者は黒い胆汁を「ぐぉお’’え’’ぇ~~~!!」と吐いたらしく、そういう人は黒胆汁ともたらす思考と感情の病気にあると考えられた(それどころではないはず).現代の認識で言うと、正常な胆汁の色は黄褐色である.ビリルビン結石ならば真っ黒な色だが、口から出ることは無い.そして胆汁の異常な色は緑や混濁したものになる.今の時代に黒いものを吐いた人がいた場合は、イカスミパスタを食べ過ぎたため…ではなくて、凝固した血液成分が混ざったものを吐いた可能性が考えられるから、医療機関への相談がよさそうだ.

 黒い色、というのは胆汁だけではなく、気分そのものを表象するようになった.おフランスでメランコリーという言葉が用いられたのは十二世紀らしいが、憂鬱をさす表現に、idees noires, broyer du noir, ドイツではSchwarz sehen, イタリアではvedere tutto neroなどがある.青も憂鬱を代表する色で「マリッジブルー」「マタニティブルー」「ブルーマンデー」はよく知られているし、音楽ジャンルの「Blues」はまさに憂いを歌っている.そしてメランコリー(Melancholie)と青い花であるオダマキ(Ancolie)の語呂合わせは詩の定番であったようだ.邦楽のポップスでも「メランコリニスタ」という曲があるし、冒頭の歌詞は「メランコリニスタ 静かなハイで眠れない」という絶妙なセンスである.

 メランコリーという言葉は次第に多義性を帯びる.悲しみだけでなく、あらゆる情熱の過剰と同義語となり、この延長としてピネルという医師の文脈では、一徹な考えに支配された部分精神病を意味し、クレペリンのいうメランコリーは、退行期うつ病の別名となり、コタール症候群や緊張病に発展する妄想性障碍の一種を示した.ややこしいのは有名なフロイトおじさんが、喪失体験の悲哀・憂いをメランコリーと呼んでいることだ.これはややこしい.なぜややこしいのかといえば、シュナイダーというおっさんによる区別のためだ.シュナイダーというのは統合失調症における一級症状というのを提案した人で有名である.メランコリーというのはこれまで述べたテクストでいう内因性のうつに相当する言葉で、原因不明なのに気持ちが晴れ晴れしない状態をいう.一方、1917年にフロイトが行ったのは、愛や依存を喪失する体験に伴う感情をメランコリーと呼んだことであった.気にしないで次へ進もう.

 では現代ではメランコリーはどのように扱うのか.多義性を帯びつつある現代のメランコリーは定義が難しいので、DSM-5の診断基準にも記載(メランコリアの特徴を伴う)がある「メランコリー親和型」を述べておこう.

 テレンバッハ(1961)や下田(1932)という人らは「うつ」になりやすい性格、とうのがあるのではないかと考えた人で、こういう人らは力動的にうつ病になると論じ、執着性性格、メランコリー型(Typus Melancholicus)という気質を挙げた.凝り性、苦労性、律儀、実直な人、秩序志向で良心的な性格が代表的で、この傾向が破綻する主体環境事情即ち状況におかれると、うつ病に至ると考えたのであった.先程述べた笠原・木村分類に出てきたメランコリー性格型うつ病は、下田・テレンバッハの文脈を踏襲している.これは結構説得的で、いまでも一般に流布するうつ病のイメージ像に近いように思う.テレンバッハの指摘したのは、こうした人は「秩序愛」が大きな特徴だ、と述べたことであった.背後には「他者との円満な関係の維持」が中核にあり、その具体的表現は、人と争わない、人と衝突しそうになるときは自分が引く、いやといえない、義理人情、慣習、挨拶を大切にする、などである.彼らは発病以前はなんら内的葛藤を経験しておらず、場合によっては過剰適応といえるくらいの「いい子ちゃん」であるという.仕事などには精力的で凝り性なエネルギーは、発病時には臨床像的には軽躁的、躁的に見えるくらいになる(躁的防衛).発病状況に関してまとめると、転勤・昇進・転職、結婚、転居、負傷、負担の増加、出産、愛するもの・財産の喪失が挙げられるそうで、多くは多重的に起こるという.一般のうつ病は一つの理由で起こるのではないことがわかる.あなたの周りにこのような人はいませんか.

 他方、「マニー」という言葉がある.Moneyのことではなくて、Manie, Maniaのことである.日本でも、何かに熱中して造詣が深いことを「マニア」というだろう.今ではオタクという言い方をするのかな.オタクもだいぶ民主化してきたように思う.「マニアックな言い方をすると……」という言い方も耳にするかもしれない.これは厳密には躁病の病相のことをいう.気分高揚と意欲増進を主徴とする状態像で、観念奔逸、誇大妄想、刺激性、転導性、抑制消失、逸脱行為を伴う.難しい言葉が並ぶがとりあえず保留しておく.マニーという言葉も古代ギリシアに由来するようで、mania, μανιαはヒポクラテス以前から慢性に経過する発熱のない精神の乱れ、隔離を要する激しい興奮状態をさしたらしい.濱田によればフランス語には十四世紀末に登場するが、十七世紀初頭からは乱暴で奇異な行動に導く、理に合わない極端な考えという意味も併せ持つようになったという.

Areteo di Cappadocia.jpg
 Areteo di Cappadocia

 さてさて、マニーとメランコリーの関連を考えてみると、どうやら「カッパドキアのアレタイオス」という人まで遡るようだ.彼は紀元後二世紀ごろの人物で、現在のトルコにあるカッパドキアの市民であったらしく、かつてはローマ帝国の属州であった.広くはギリシア人という理解で良いようだ.この人は精神に限らず様々な症状に関する考察を残しており、糖尿病やセリアック病、喘息、てんかん、肝臓悪性腫瘍に対する記述があるようである.すごいね!十七世紀のウィリス、十九世紀のホーンバウムという人は一人の患者に長短さまざまな周期で悲哀と爽快が交代する、という例を報告している.精神医学においてマニーとメランコリーが一つの疾患体系に組み入れられたのは1854年のファルレーという人物の発表が始まりで、循環狂気と名付けられていたが、バイアルジェという人は重複精神病という言い方をした.同時期に、カールバウムというおじさんが気分循環症として同様の病態を記載した.1899年にクレペリンが躁うつ病という概念を確立してからは、この呼名が現在も残っている.病院に残っている古いカルテを見ると、MDIという略語があるが、これはドイツ語でいう躁うつ病、Manisch-Depressives Irreseinの略であり、ドイツ医学の名残が感じられる.とはいっても今どきMDIという人はほとんどいないように思うから知っても仕方がない.断っておくと、現在は双極性障碍という言い方がベターだ.

 この双極性障碍という名称は1980年のDSM-3からで、これまでは統合失調症と双璧をなす精神疾患の一つとしての躁うつ病から変貌を遂げ、感情調整の障碍の症候群として位置づけられた.上述したように、DSM-4では双極性障碍はI型とII型に分けられているが、このII型という分類はかなり曖昧な枠付であり、おそらく医師の間でもII型の診断には議論が生じるであろう.I型とII型がどのように異なるかはここでは触れないでおく.少なくとも積極的に診断を下すような病名ではないと思う.現在はDSM-5が学会、臨床、法学で多く用いられているが、行政の基準はWHOの策定したICD-10である.すでにICD-11というものがバージョンアップして存在しているが、いまだにICD-10なのだ.DSM-5では双極性障碍の分類はI型、II型に分類されているのに対し、古いICD-10では分類されておらず、双極性障碍はひとくくりとなっている.行政の書類と言えば、診断書はもちろん、非自発的入院の届け出、障碍年金や障碍手帳などであるが、臨床の名称と行政での名称が異なるのは大変な不都合である.最後の方は私のただの愚痴だ.

というわけで

 こうして振り返ると実に多くの人が登場し、闊達に学説を唱えてきたように思う.紀元前から中世、近代までは大きく進歩したわけではなかったが、近代からの学問の発達が凄まじいように感じる.特にフランス・ドイツのブーストが著しいが、私のぼんやりとした感想を言えば、哲学や思想の発展が大きく関与していると思う.それだけではなく、合理主義や科学技術の進歩が宗教性・魔術性、体液説を退けたことも大きいだろう.そこで一つ私が気になっているのは、中東世界における精神医学の歩みである.古代ギリシアの学問が中東に輸入され、以来、イスラム世界はそれをユナニ医学(ギリシアの医学)として発展させたようである.確かにイスハーク・イブン・イムラン、アリー・アル・アッバース・アル・マジュスィらがメランコリーの概念をコンスタンティヌス・アフリカヌスを経て西洋に広めた功績は目覚ましいし、イブン・シーナーのような人物は十一世紀に「医学典範」を著し、この医学が十九世紀まで実践されたというのだから、なかなかあっぱれなのであるが、「本当にそんなものなのか??」という疑問が生じてしまっている.つまり、イスラム世界はずっとガレノスの体液説を信じ続けてきた、というのはにわかには信じがたい、というのが私の率直な感想である.彼らには彼らなりのロジックがあったのではないか?今で言う精神病理学があったのではないか、という気がしているのだ.狂気は悪霊ジンが取り憑いているからだ、という説明では私は満足しない.彼らには彼らの知られざる叡智があるのではないかと私は勝手に期待している.私達がアクセスできる文献で知ることができるのは、西欧と我が国の医学史がほとんどで中東やアフリカはかなり少ないように思う.インドのアーユルヴェーダももちろん気になる.だがインド世界は一度保留しておこう.ではどうするのか、と言われれば自分で調べるしかあるまい.まぁ、ひらがなとカタカナと数千文字の漢字の音訓を覚え、複雑な格助詞の使い方をマスターした我々日本人にとって、正則アラビア語はなんとかなりそうだ、という前向きな気持ちで捉えておこう.アラビア文字はたった28文字しかないのだから.まずはコツコツと地固をして、準備をしておくことにする.

 最後に

 最近はうつ病にも様々なタイプが提唱されている.アキスカル、内海らのSoft Bipolor、非定型うつ病(DSM)、現代型うつ病(松浪)、未熟型うつ病(阿部)、職場結合型うつ病(加藤)、ディスチミア新和型うつ病(樽味、神庭)など.様々な知見が増えていき、議論が活発になるのは良い.だがこれだけあるとなんだかよくわからなくなってくる.いや、ぶっちゃけよくわからない.うつ病百花繚乱にもほどがある.

 だが世界に70億人以上人間がいれば、それだけ呈する気分の波も異なって当然だ.性格や気質は人それぞれだ.似た所もあれば、似てないところもある.あなたの体にコードされている遺伝情報、一塩基がほんの少し違うだけで発病しやすさや、抗うつ薬の反応性も予後も異なるであろうことは、現代の医学が教えてくれている.だから、百年前にすでにうつ病になりやすい性格や気質を試論したテレンバッハや下田らは実に見事であるように思う.ともかく皆さんはメランコリーについてなんとなくわかっていただけただろうか.ここまでお疲れ様でした.ありがとうございました.