Essay on my state of mind

landscape photography of trees on shoreline
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1. Summer greeting

What a scorching hot and humid summer we are in Japan! We cannot survive without air-conditioned room these days, or we may die from severe heat stroke. In this summer, the following passages reminds me of unforgettable chorus by cicadas’;

Our journey from Penang to Singapore began at night. We were carried in darkness through the invisible forest. The noise of the insects among the trees was like an escape of steam. It pierced the roaring of the train as needle might pierce the butter. I had thought man pre-eminent at least in the art of noise-making. But a thousand equatorial cicadas could shout down a steel works; and with reinforcements they would be a match for machine-guns.

Aldous Huxley, Jesting Pilate, 1926

 ペナンからシンガポールへの僕らの旅は夜に始まった.僕らは暗闇の中、姿の見えない森を抜けて運ばれたのだ.木々の間の虫の喧騒はまるで蒸気の発散のようだった.汽車の咆哮がいともたやすくバターを突き刺すように僕らの耳をつんざいた.人類は少なくとも騒がしくすることに於いてずば抜けていると僕は思っていた.しかし、幾千もの赤道セミは鋼鉄の音をかき消したのだった.機関銃をもって等しいくらいに.

オルダス・ハクスリー、ピラトはふざけて、1926年

I am sincerely wishing that everyone stays in good shape, and all of us get through this unprecedented disaster of pandemic.

2. Settlement

As I drove across the prefectural border on the highway for some private reasons a few weeks ago, I felt a nauseous sentiment that I had sensed so long time ago, which equivalently annoyed me when I suffered from clinical depression since two years ago. The ache that I felt was just like my heart locked up by unseen power, that is commonly known as psychological stress. The damage I took from familial issues that concerned my marriage with my partner, and my career as a psychiatrist had collapsed due to the major depression that is still hard for me to approve. The place I passed by was the closest highway interchange from where I was born and brought up. I remember the uneasiness bore in my mind every time I saw the traffic sign which indicated that my birthplace was very close. And as I went far from the city, I realised that I felt better, which was an unexpected phenomena.

 先日、私的な理由で高速道路の県境を走っていると、かつて私が抱いていた悪心のようなものを感じたのでした.それは私が二年前にかかったうつ病の時と同じような不快感でした.心理的ストレスとして知られる、恰も見えない力によって、心に鍵がかかったような苦痛が私に生じたのです.私が受けた配偶者に関する家族的な諸問題からの傷や、うつ病のために精神科医としてのキャリアが閉ざされたことは未だに受け入れがたいことです.私が通り過ぎたところというのは、私が生育した場所に最も近い高速のICでして、私は標識がその場所を指し示すたびに不愉快な気持ちが芽生えたことを覚えています.そして街を通り過ぎると気持ちが楽になったことに気づいたのですが、これは予想外の現象でした.

I wondered, if the psychological stressor can be attributed to my “two years ago” matters, does this mean that my mental problem should not be diagnosed as depression, but an adaptive disorder? According to DSM-V classification, the basis of the diagnosis is the presence of a precipitating stressor and a clinical evaluation of the possibility of symptom resolution on removal of the stressor. Hmm……

 もし、心理学的なストレス因子が私の「二年前」のことに起因するのであれば、これは私の心理的問題がうつ病ではなくて、適応障碍なのではないかとふと思ったのです.DSM-Vの分類によれば、診断の基本は、気分を害するストレス因子が存在し、ストレス因子が除かれることによって症状の解消がみられる可能性の臨床的評価をすることとあります.ふむふむ.

Fortunately, now I am rather happy living with my wife, and able to go for work as a “headshrinker”. And I believe that I am good enough to maintain family finances so far. Objectively, I think I behave as a healthy person except for the truth that I am still being prescribed minor tranquilliser. However, I must say that I am not a man that I used to be. I cannot be healthier than anymore, there has been a feeling of disquiet in my mind since I got mentally ill.

 幸いにも今、私は割と幸せに妻と生活できていて、さらに精神科医として勤務できています.私は今のところ、家計を回すこともできている方だと思っています.傍から見れば、未だに抗うつ薬を処方されている事実を除いて私は元気に見えるでしょう.しかしながら私はかつての私とはやはり違うのです.これ以上元気になることもないでしょうし、私が病気になってからはずっと不穏な空気が心の中に留まっているのです.

Why would I have to be bothered with such a disgusting feeling for a long time? This is quite a troublesome psychological dynamics that I honestly don’t want to admit. But I have to keep soldier on.

 どうして私はこんなに長く忌々しい感情に悩まされなければならないのでしょうか.こいつは大変厄介な心理学的力動というもので、正直言って認めたくないものです.しかし前に進まなければならないのですね.

As a medical profession, I do not judge by myself, but I think I am getting better than before. In other words, the mental state may be in remission. Chances are that I will plan on having a few more practical licenses for my career, if the condition gets better than before. The other day, my doctor in charge and wife cheered me up with words that “You look better. But don’t be hurry-scurry, take it easy.” Much appreciated.

 医師として私は自分を診断するということはしませんが、おそらく私の体調は以前よりも良くなっているようです.換言すればこれは寛解なのかもしれません.一応機会があればキャリアに向けてより実用的な資格を取ることも検討しています.もしこのまま調子が良ければの話ですが.そういえば先日、主治医や妻が「いい感じじゃないですか、でも焦らず、気楽に」と言ってくれたのです.感謝ですね.

After all, I think that the rightness whether I have been in adaptive disorder or major depression, is quite a difficult issue to define them. Moreover, It is because so intimate the relation between weakened adaptiveness and mood disorder that the two can scarcely be thought apart. But if we take the DSM-V classification in consideration, the length of being affected by mental disorder, which had led me to severe disfunction of thought and emotion, it is rather better to say that I have been in depression disorder. This may be evident to all readers by browsing my past articles, the flows of my thought seems a bit awkward and illogical. I owe you an apology.

 結局、私が適応障碍なのかうつ病なのか、どちらが正しいのかという疑問は実に定義し難い難しい問題なのでしょう.さらに言うと、両者の関係はあまりにも密接であるからして、脆弱化した適応性と気分障碍の間は切り離して考えることが殆どできないのです.しかしながら、もしDSM-Vの分類を斟酌すれば、つまり精神障碍の罹病期間が私に与えた深刻な思考と感情の機能不全によって、むしろ私はうつ病にあると言えそうです.これは読者の皆さんにとっては過去の記事を見直すと明確かもしれません.思路がややぎこちなくて論理性を欠いているようでして.申し訳ないと思います.

In the end, I am neither angry nor upset myself for what I felt in the motorway, I must tell that I was just keen to describe the fact that occurred to my mind. Yet it was indescribable event for me to note in my native language, foreign language(English) helped me tidy up my thoughts instead. Thanks to this work of writing, probably I may be gradually reaching a settlement with my self-conflict.

 終いに、私は高速道路での体験について怒りや苛立ちを表明しているわけではなく、私は単に自分の中に生じた事象を描写したいという一心だったのです.しかし日本語では名状しがたい出来事には違いなく、その代わりに外国語が私の思考を整理する助けになりました.書くという作業のおかげでおそらくは私は次第に自分の心と折り合いを付けつつあるのかもしれません.

Thanks for reading.

ありがとうございました.

On Melancholy Hill

 気分障碍の歴史

Melancholia, Lucas Cranach der Ältere

 前の記事で、私は「うつ」がよくわからない、と述べた.自身の勉強のためにも、様々な書物を平積みにして少しずつ調べることにした.結果、わからないところも新たに増えた一方で、非常に興味深く理解をすることができたように思う.とはいいつつ今回お話するのは、かなり表層的なところになるので難しくはない.病理の話はそんなにしない.

 うつ、抑うつ(Depression)とは、内因性疾患としてのうつ病と、状態像ないし、症候群としての抑うつ状態の両方を指す.「ぼくはなんだか憂鬱なんです」、というのは状態像であり、「あの症例は『うつ』だと考えられます」は疾患を指す.ややこしいのは名詞と補語が混在しているからだろう.以下は弘文堂の「精神症候学:第二版」からの部分引用になる.この書籍は8200円する大変高価な書籍だが、その値打ち以上の価値がある.ありとあらゆる精神現象が解説されている.今っぽくいうと、マジでやばい.濱田秀伯という学者が著した本だが、西丸四方の「精神医学入門」並の意義がある.この二冊は傑出している.西丸四方の本には貴重な写真が掲載されている、というのも見事である.読み物としても面白い.

 まず日本語での「うつ」について触れてみると、「うつ」という言葉はそもそも「鬱蒼とした密林」の「鬱」であり、これは香草をぎゅうぎゅうに容器に入れて発酵させた、という会意文字らしい.キビヤックのような閉塞感は感じられるが、どちらかといえば、「憂鬱」の「憂」が本質を当てているように思う.角川古語辞典を参照すると、「憂ふ(うれふ)」には、①嘆き悲しみを人に訴える;「からい目を見さぶらいひて.誰にかは憂へ申し侍らむ」(枕草子)(ひどい目にあいまして.どなたに訴え申し上げましょうか)②心を悩ます.思いわずらう;「期する所なきものは、憂へながら止まり居り」(方丈記)「将来に望みのないものは、思い煩いながらとどまっている」③病気で苦しむ.わずらう;「昔は身の病を憂へき、今は人の病を癒やしぬ」(今昔物語)「昔は自身の病気で苦しんだ.今は人の病気を治している」というものがある.これ以上の資料が手元にないが、少なくとも十二世紀までには「憂ふ」という言葉が完成し広まっていたと考えていいだろう.それ以前がどうなっていたかはわからないが、中国医学に由来する用語があっただろうし、それなりの学識があったに違いない.余談だが、紀元前200年頃の文献「黄帝内経」の癲狂篇にはうつ状態、躁状態と思われる症状記載があるという.

 さて、内因うつ病は誘引のない生物学的発症をし、精神運動制止が強く、体重減少や早朝覚醒、症状の日内変動を伴うという.精神病性うつ病もこれと同義だが、幻覚・妄想、錯乱を伴う重症例に用いることがあると思う.アメリカ精神医学会の編纂したDSM-3以降では内因性うつ病を大うつ病(Major depressive disorder)と呼んでいる.では小うつ病があるかといえば、ない.いい加減である.軽度うつ病(Mild Depression)という言い方はあるようだが、なんだかタバコの銘柄みたいだ.中国ではうつ病を抑郁症、台湾では憂鬱症というらしい.

 内因性うつ病にうつ病相のみを繰り返す単極うつ病、躁のみあるいは躁うつ二つの病相を併せ持つ、双極うつ病・双極感情障碍という区別をしたのは、レオンハルトという人物が初めてで、それは1959年のことだという.以来、アングスト、ペリスらが多数例の調査から単極性・双極性の区別を確立した.双極うつ病を、躁病相を伴うⅠ型と軽躁を伴うII型に区分する見方は、ダナーの1970年の発表以来であり、後者はDSM-4以降、双極II型障碍として独立項となった.1983年発表のアキスカルという人の概念からは双極II型障碍、気分変調症、気分循環症などを連続体(スペクトラム)と見ることもある.さて、たくさんの人名が出てきて「これはブラウザバックだなァ」と辟易する人がいるかもしれないが全く気にしなくていい.音楽好きが「カート・コバーンが……、キース・リチャードが……、ポール・マッカトニーが……」と言うのと同じ次元にある.

 キールホルツは1971年の発表で、うつ病を身体因、心因、内因の三つに分け、内因を身体因と心因の間に位置づけたが、一般的にはこれを基準にして考えることが多いようだ.つまり、脳卒中のあとに抑うつをきたした場合は身体因を考えるし、軍隊に入って、厳しい教練を機に抑うつをきたせば心因を考える.ではそれ以外何も思い当たらない、いやはやわからないぞ、という場合に内因性を考える、という具合だ.すごく曖昧だから気にしなくていい.日本では1975年に発表された病前性格、発病状況、病像、治療への反応、経過を踏まえた六型に分けた、笠原・木村分類が知られている.これは、みすず書房の「うつ病臨床のエッセンス」に詳しい.良い本だ.参考までに分類をあげておくと、メランコリー性格型うつ病、循環型うつ病、葛藤反応型うつ病、偽循環病型分裂病、悲哀反応、その他にわかれる.ちなみに現在では積極的に用いられていない.メランコリー新和型が生き残っているくらいか.ではメランコリーとはなんであろうか、ということになる.

Melancholia I, Albrecht Dürer

 メランコリー(Melancholie)は抑うつ、うつ病の別名、というのが歴史的経緯を加味して考えると妥当だろう.古代ギリシアのmelancholia、μελαγχολίαから来ている.これは黒胆汁(black bile)のことであり、黒胆汁が鬱滞して症状が起こる、という体液説に基づいている.心配と悲しみの続く患者は黒い胆汁を「ぐぉお’’え’’ぇ~~~!!」と吐いたらしく、そういう人は黒胆汁ともたらす思考と感情の病気にあると考えられた(それどころではないはず).現代の認識で言うと、正常な胆汁の色は黄褐色である.ビリルビン結石ならば真っ黒な色だが、口から出ることは無い.そして胆汁の異常な色は緑や混濁したものになる.今の時代に黒いものを吐いた人がいた場合は、イカスミパスタを食べ過ぎたため…ではなくて、凝固した血液成分が混ざったものを吐いた可能性が考えられるから、医療機関への相談がよさそうだ.

 黒い色、というのは胆汁だけではなく、気分そのものを表象するようになった.おフランスでメランコリーという言葉が用いられたのは十二世紀らしいが、憂鬱をさす表現に、idees noires, broyer du noir, ドイツではSchwarz sehen, イタリアではvedere tutto neroなどがある.青も憂鬱を代表する色で「マリッジブルー」「マタニティブルー」「ブルーマンデー」はよく知られているし、音楽ジャンルの「Blues」はまさに憂いを歌っている.そしてメランコリー(Melancholie)と青い花であるオダマキ(Ancolie)の語呂合わせは詩の定番であったようだ.邦楽のポップスでも「メランコリニスタ」という曲があるし、冒頭の歌詞は「メランコリニスタ 静かなハイで眠れない」という絶妙なセンスである.

 メランコリーという言葉は次第に多義性を帯びる.悲しみだけでなく、あらゆる情熱の過剰と同義語となり、この延長としてピネルという医師の文脈では、一徹な考えに支配された部分精神病を意味し、クレペリンのいうメランコリーは、退行期うつ病の別名となり、コタール症候群や緊張病に発展する妄想性障碍の一種を示した.ややこしいのは有名なフロイトおじさんが、喪失体験の悲哀・憂いをメランコリーと呼んでいることだ.これはややこしい.なぜややこしいのかといえば、シュナイダーというおっさんによる区別のためだ.シュナイダーというのは統合失調症における一級症状というのを提案した人で有名である.メランコリーというのはこれまで述べたテクストでいう内因性のうつに相当する言葉で、原因不明なのに気持ちが晴れ晴れしない状態をいう.一方、1917年にフロイトが行ったのは、愛や依存を喪失する体験に伴う感情をメランコリーと呼んだことであった.気にしないで次へ進もう.

 では現代ではメランコリーはどのように扱うのか.多義性を帯びつつある現代のメランコリーは定義が難しいので、DSM-5の診断基準にも記載(メランコリアの特徴を伴う)がある「メランコリー親和型」を述べておこう.

 テレンバッハ(1961)や下田(1932)という人らは「うつ」になりやすい性格、とうのがあるのではないかと考えた人で、こういう人らは力動的にうつ病になると論じ、執着性性格、メランコリー型(Typus Melancholicus)という気質を挙げた.凝り性、苦労性、律儀、実直な人、秩序志向で良心的な性格が代表的で、この傾向が破綻する主体環境事情即ち状況におかれると、うつ病に至ると考えたのであった.先程述べた笠原・木村分類に出てきたメランコリー性格型うつ病は、下田・テレンバッハの文脈を踏襲している.これは結構説得的で、いまでも一般に流布するうつ病のイメージ像に近いように思う.テレンバッハの指摘したのは、こうした人は「秩序愛」が大きな特徴だ、と述べたことであった.背後には「他者との円満な関係の維持」が中核にあり、その具体的表現は、人と争わない、人と衝突しそうになるときは自分が引く、いやといえない、義理人情、慣習、挨拶を大切にする、などである.彼らは発病以前はなんら内的葛藤を経験しておらず、場合によっては過剰適応といえるくらいの「いい子ちゃん」であるという.仕事などには精力的で凝り性なエネルギーは、発病時には臨床像的には軽躁的、躁的に見えるくらいになる(躁的防衛).発病状況に関してまとめると、転勤・昇進・転職、結婚、転居、負傷、負担の増加、出産、愛するもの・財産の喪失が挙げられるそうで、多くは多重的に起こるという.一般のうつ病は一つの理由で起こるのではないことがわかる.あなたの周りにこのような人はいませんか.

 他方、「マニー」という言葉がある.Moneyのことではなくて、Manie, Maniaのことである.日本でも、何かに熱中して造詣が深いことを「マニア」というだろう.今ではオタクという言い方をするのかな.オタクもだいぶ民主化してきたように思う.「マニアックな言い方をすると……」という言い方も耳にするかもしれない.これは厳密には躁病の病相のことをいう.気分高揚と意欲増進を主徴とする状態像で、観念奔逸、誇大妄想、刺激性、転導性、抑制消失、逸脱行為を伴う.難しい言葉が並ぶがとりあえず保留しておく.マニーという言葉も古代ギリシアに由来するようで、mania, μανιαはヒポクラテス以前から慢性に経過する発熱のない精神の乱れ、隔離を要する激しい興奮状態をさしたらしい.濱田によればフランス語には十四世紀末に登場するが、十七世紀初頭からは乱暴で奇異な行動に導く、理に合わない極端な考えという意味も併せ持つようになったという.

 Areteo di Cappadocia

 さてさて、マニーとメランコリーの関連を考えてみると、どうやら「カッパドキアのアレタイオス」という人まで遡るようだ.彼は紀元後二世紀ごろの人物で、現在のトルコにあるカッパドキアの市民であったらしく、かつてはローマ帝国の属州であった.広くはギリシア人という理解で良いようだ.この人は精神に限らず様々な症状に関する考察を残しており、糖尿病やセリアック病、喘息、てんかん、肝臓悪性腫瘍に対する記述があるようである.すごいね!十七世紀のウィリス、十九世紀のホーンバウムという人は一人の患者に長短さまざまな周期で悲哀と爽快が交代する、という例を報告している.精神医学においてマニーとメランコリーが一つの疾患体系に組み入れられたのは1854年のファルレーという人物の発表が始まりで、循環狂気と名付けられていたが、バイアルジェという人は重複精神病という言い方をした.同時期に、カールバウムというおじさんが気分循環症として同様の病態を記載した.1899年にクレペリンが躁うつ病という概念を確立してからは、この呼名が現在も残っている.病院に残っている古いカルテを見ると、MDIという略語があるが、これはドイツ語でいう躁うつ病、Manisch-Depressives Irreseinの略であり、ドイツ医学の名残が感じられる.とはいっても今どきMDIという人はほとんどいないように思うから知っても仕方がない.断っておくと、現在は双極性障碍という言い方がベターだ.

 この双極性障碍という名称は1980年のDSM-3からで、これまでは統合失調症と双璧をなす精神疾患の一つとしての躁うつ病から変貌を遂げ、感情調整の障碍の症候群として位置づけられた.上述したように、DSM-4では双極性障碍はI型とII型に分けられているが、このII型という分類はかなり曖昧な枠付であり、おそらく医師の間でもII型の診断には議論が生じるであろう.I型とII型がどのように異なるかはここでは触れないでおく.少なくとも積極的に診断を下すような病名ではないと思う.現在はDSM-5が学会、臨床、法学で多く用いられているが、行政の基準はWHOの策定したICD-10である.すでにICD-11というものがバージョンアップして存在しているが、いまだにICD-10なのだ.DSM-5では双極性障碍の分類はI型、II型に分類されているのに対し、古いICD-10では分類されておらず、双極性障碍はひとくくりとなっている.行政の書類と言えば、診断書はもちろん、非自発的入院の届け出、障碍年金や障碍手帳などであるが、臨床の名称と行政での名称が異なるのは大変な不都合である.最後の方は私のただの愚痴だ.

というわけで

 こうして振り返ると実に多くの人が登場し、闊達に学説を唱えてきたように思う.紀元前から中世、近代までは大きく進歩したわけではなかったが、近代からの学問の発達が凄まじいように感じる.特にフランス・ドイツのブーストが著しいが、私のぼんやりとした感想を言えば、哲学や思想の発展が大きく関与していると思う.それだけではなく、合理主義や科学技術の進歩が宗教性・魔術性、体液説を退けたことも大きいだろう.そこで一つ私が気になっているのは、中東世界における精神医学の歩みである.古代ギリシアの学問が中東に輸入され、以来、イスラム世界はそれをユナニ医学(ギリシアの医学)として発展させたようである.確かにイスハーク・イブン・イムラン、アリー・アル・アッバース・アル・マジュスィらがメランコリーの概念をコンスタンティヌス・アフリカヌスを経て西洋に広めた功績は目覚ましいし、イブン・シーナーのような人物は十一世紀に「医学典範」を著し、この医学が十九世紀まで実践されたというのだから、なかなかあっぱれなのであるが、「本当にそんなものなのか??」という疑問が生じてしまっている.つまり、イスラム世界はずっとガレノスの体液説を信じ続けてきた、というのはにわかには信じがたい、というのが私の率直な感想である.彼らには彼らなりのロジックがあったのではないか?今で言う精神病理学があったのではないか、という気がしているのだ.狂気は悪霊ジンが取り憑いているからだ、という説明では私は満足しない.彼らには彼らの知られざる叡智があるのではないかと私は勝手に期待している.私達がアクセスできる文献で知ることができるのは、西欧と我が国の医学史がほとんどで中東やアフリカはかなり少ないように思う.インドのアーユルヴェーダももちろん気になる.だがインド世界は一度保留しておこう.ではどうするのか、と言われれば自分で調べるしかあるまい.まぁ、ひらがなとカタカナと数千文字の漢字の音訓を覚え、複雑な格助詞の使い方をマスターした我々日本人にとって、正則アラビア語はなんとかなりそうだ、という前向きな気持ちで捉えておこう.アラビア文字はたった28文字しかないのだから.まずはコツコツと地固をして、準備をしておくことにする.

 最後に

 最近はうつ病にも様々なタイプが提唱されている.アキスカル、内海らのSoft Bipolor、非定型うつ病(DSM)、現代型うつ病(松浪)、未熟型うつ病(阿部)、職場結合型うつ病(加藤)、ディスチミア新和型うつ病(樽味、神庭)など.様々な知見が増えていき、議論が活発になるのは良い.だがこれだけあるとなんだかよくわからなくなってくる.いや、ぶっちゃけよくわからない.うつ病百花繚乱にもほどがある.

 だが世界に70億人以上人間がいれば、それだけ呈する気分の波も異なって当然だ.性格や気質は人それぞれだ.似た所もあれば、似てないところもある.あなたの体にコードされている遺伝情報、一塩基がほんの少し違うだけで発病しやすさや、抗うつ薬の反応性も予後も異なるであろうことは、現代の医学が教えてくれている.だから、百年前にすでにうつ病になりやすい性格や気質を試論したテレンバッハや下田らは実に見事であるように思う.ともかく皆さんはメランコリーについてなんとなくわかっていただけただろうか.ここまでお疲れ様でした.ありがとうございました.

 

 

 

告白

 このブログをご覧になっている人が一体どのような方々なのか、およそ検討がつかないのですが、私はここで一つの告白をしたいと思います.私の嫌な過去に対する供養の儀式だと思ってください.

 選択緘黙 Selective Mutism

DSM- 5: 313.23 (ICD-10: F94.0)

A. 他の状況で話しているにもかかわらず、話すことが期待されている特定の社会的状況(例:学校)において、話すことが一貫してできない.

B. その障碍が、学業上、職業上の成績、または対人的コミュニケーションを妨げている.

C. その障碍の持続期間は、少なくとも一ヶ月(学校の最初の一ヶ月だけに限定されない)である.

D. 話すことができないことは、その社会的状況で要求されている話し言葉の知識、または話すことに関する楽しさが不足していることによるものではない.

E. その障碍は、コミュニケーション症(例:小児期発症流暢症)ではうまく説明されず、または自閉症スペクトラム症、統合失調症、または他の精神病性障碍の経過中にのみ起こるものではない.

DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引

 私はある特定の場面で、話すことができない状態が続いていることに苦痛と疑問を感じていました.それも小学生の小さい頃からです.それは学校ではなく、初対面の人前でもなく、新しい場面でもありませんでした.どこでなのかはご想像におまかせします.頭の中には感情が湧き上がっているのに、言葉が出てこない.ときに真っ白になって言語が創造されないのです.言葉を失う、という表現がぴったりでしう.「要領が悪い」「生きる力がない」「お前はこうなるといつも喋らなくなるな」と言われるのが常套句でした.別に喋りたくなくてそうなるんじゃない、どうすればいいんだ、ずっとそう思っていました.多少は改善されたかもしれませんが、今でも緘黙は出現してしまうでしょう.私が成人するまで、本当にしんどかったのです.ずっと自身がもてませんでした.そして怖かったのです.おそらく緘黙は恐怖と関連づいているのでしょう、不本意ながら私はそれを体験しました.いまでもその体験は無慈悲に現在へと回帰します.フラッシュバックというやつです.フラッシュバックが起こると強烈な希死念慮と、自分を傷つけたい衝動が生じます.お前はそんな状態で仕事しているが大丈夫か、と思うかもしれませんが、私は決して顔には出しませんし、傷つけることはありません.仕事をしているときは全力でペルソナを入れ替えるので、今の仕事には決して支障を来すことはありません.

 私が臨床精神医学の道に進むまで、その疑問は解決されませんでしたが、のちに私は上記の診断基準が妥当のなのではないかと思うようになりました.自分で自分を診断することは決してしませんが、もし私のドッペルゲンガーがいれば「きっとあなたは緘黙で大変なんでしょう」というはずです.それは長く思い悩んでいた現象に納得をさせる一方で、死ぬまで永遠に解かれることのない呪いでもあるように今は思ってます.これは私の感想です.病気で苦しんでいる方はどなたにも早い回復を祈っていますし、精神疾患は適切なサポート下で本当によくなるのです.誤解しないでくださいね.

なぜ精神科医を志したのか

 なぜ私は精神医学の道を志したのでしょうか.それは様々な人々から訊かれることがあります.今でもあります.一つの答えとして「人間に興味があるから」というものをよく使います.それは決して趣味が人間観察です、とか、ヘルシンキ宣言を無視するようなものではありません.もっと詳しくいうと人文科学的な立場で言えばわかりやすいでしょう.「人間の営為がいかにして行われるか、その正常性と異常性の違いとは」といったものになります.それに対する返答は「ふーん」がほとんどで、質問者の意図に沿わなかった可能性がありますが、私にはそれ以外答えようがありませんでした.患者さんを良くしたいという気持ちは当然ありますし、それに対して心血注いでいたつもりです.

 ですが、私はうつ病という病気になって気づいたことがあります.おそらく私が興味を抱いていた人間というのは「自分」だったのでしょう.最も究極的に知りたかったのは自分自身だったのではないか、自分自身を最も癒やしたかった、自分に自自信を持ちたかった、そのように感じています.つまり自己治療的な願望が根底にあった可能性が高いのです.ですがそんな医者が患者さんを助けられるかといえば、そうではないのでしょう.無意識にせよ、自己中心的な私が病魔にとらわれることになってしまうのは最悪の皮肉で、最低な結果で私は自分を癒やすことが叶ってしまいました.本当に最低です.

不条理との葛藤

 私は初期臨床研修を終えてから、精神科専門医と精神保健指定医を取得して精神科診療の王道を突き進み、究極的には精神病理学の研究をしたいと思っていました.精神病理学はこのブログでも散々取り上げている話題ですが、要するに「精神現現象の機構を追求する学問」です.唯一の本質追求の学問です.後期研修として精神病理学で名を馳せたとある大学の医局に入局し、日本精神神経学会の専門医プログラムに入るという、ごく一般的なキャリアプランにありました.

 週四日の大学勤務すなわち外来と病棟勤務、平日の一日は「研究日」と称する外勤日で、関連病院へ外来と当直をする日でした.研究とは何なのでしょうか.ずっと思っていました.研究日とは建前で、要するにバイトを課せられる日なのでした.というのは大学の給与では薄給なので、必然的に相対的に割の良い外勤をして、医者としての帳尻をあわせることが構造化されていたのです.外勤先では勤務先の常勤医にひどいパワー・ハラスメントとセクシュアル・ハラスメントを受けました.申し送りと私への了承なしに、自分の外来患者を私に送りつけるという、倫理的に常軌を逸した行動が続きました.その人物は脅迫的な文章をどうして知ったかわからりませんが私のメールアドレス宛に送りつけてくるのでした.成人以降、私の魂が傷ついたのはおそらくそれが始まりでしょう.もちろん教授や医局長、診療部長、外勤先の病院長に相談をしました.教授は真摯に対応してくださいましたが、外勤先の院長はその人物を擁護する立場に回りました.私の人間不信と権威、精神科医への失望は増していったように思います.私は大いに傷つきました.ですが悔しさと反面教師をバネに臨床に従事しました.とある先生に「あなたは精神医学の何に興味があるの」と訊かれたことがありました.「病理です」と答えると、「えっ?もうそんなの終わってるでしょ」と言われ、虚無感を感じたのを覚えています.後にその先生が開業して、ホームページの自己紹介文で「精神病理学の豊かな土壌で研修し」という文言を織り込んだのを見た時に、非常に落胆し、どいつもこいつもなんてずるいやつだ、と感じたことを覚えています.

 大学病院の当直室もお粗末なものでした.窓はなければ、常にカビの臭いと永遠に片付けられることのない誰かの汚いポルノグラフィティがロッカーにあり、シャワー室は一平米の空間でお湯がまともに出ないし、タオルや石鹸は持参しないといけない.私は贅沢は絶対に言いませんが、これまで勤めてきた病院の当直室の中で最もクソな部屋として表彰したいと思います.私のいた大学は若手を大事にしてくるところではなかったのです.それに気づくことができるにはもう遅すぎました.

 翌年は異動となり、症例経験のために措置入院施設である市中総合病院へ赴任しました.ここが私の王道キャリアプランの終焉の場でもありました.赴任初日に当直があることに驚きましたが、例の研究日に毎週大学へわざわざ出向いて、無給で外来をしないといけないことには閉口しました.労働に対する正当な対価が支払われないことは奇妙なことではないですか.これは私の先輩の先生がなんども上司に窮状を申し立てていましたが、是正されることは決してありませんでした.御恩と奉公のうち、奉公というやつでしょうか.私から言わせればこんなシステムはクソです.汚物以下の悪習です.私が労働契約を結んだのは異動先の病院だけです.大学とは契約を更新していませんし、いつの間にか無給派遣のような取り決めがなされていたのには愕然としました.現在になってこのようなシステムにしているのは私がいた大学だけではないことを知りました.おそらく日本全国でこのような御恩と奉公といった封建制度が存在しているのです.この話は大学病院医師の無賃金医療としてニュースになりましたが、それも例の感染症のもと消えてしまいました.今でも無給で多くの若手医師がこき使われている現状を考えると、悲しい気持ちになります.一日もはやくこのシステムがぶっ壊れねぇかなと祈っています.この問題を年配の医師に相談するのは無駄でした.「人がいないんだ」「俺もやったんだからさ」「患者さんとの関係を保っておくのにはいい機会じゃないか」という同調圧力と意味不明なロジックしかありませんでした.これをパラロジックというのですね.私が病気になってからこうした問題を医局にぶつけましたが、全く是正されることはありません.私が医局を去る理由になった一つです.

 私は不条理や理不尽な問題に対して、葛藤を処理する能力に欠けていたのかもしれません.ですが私の正義がどうしても許せませんでした.代償的行動として、私は仕事をさぼったわけではなく、利他的な行動を取りました.防衛機制の中でも高度な防衛です.目の前の症例には一つ一つ真摯に取り組んでいました.わずかに小康に至ってゆく過程、だんだん笑顔が出てくる過程を見るのが嬉しかったのです.こんな私でも役に立っている時がある、そう思えただけで頑張れるときがありました.その中で患者さんとの関わりが長くなるとどうしても転移の問題が出現し、お互いが乗り越えるまで診察室の場は緊張感を伴います.非常にストレスフルな労働環境の中で私は強力な陽性転移と陰性転移の生じた症例を対応せねばならず.私自身、逆転移が生じていることを理解しつつも、うまく折衝できていませんでした.

前駆期

 日に日に私はいらだちが隠せなくなり、当時交際していた妻にもそのことを指摘されましたが、私にはその頃自覚はありませんでした.妻には大変申し訳なく思っています.常勤先の病院でも常勤医との上下関係で大いに悩みました.そこではすでに常勤医同士で関係性が悪く、空気感が悪い職場でした.いつの間にか伝書鳩のような役割になってしまい、互いの利害調整役になってしまっていました.顕著なのは当直表を作れと命じられたことでした.当直を月に八回や九回入らないといけない状態が続き、当直明けも帰れない状態がつづくと流石に私の精神だけでなく、肉体にも障碍が出てきました.睡眠障碍です.だんだん眠れなくなりました.寝ている途中、悪夢で叫ぶこともありました.そんな馬鹿なと自分でも思いますが、夜驚というのは成人でもあるのだと、また一ついやなことを学びました.そして日中は動悸と悪心が常態化しました.食欲もなくなりました.趣味もできなくなりましたし、休日も病院から電話がかかってくるので、常に緊張感が漂っていました.

 ちょうど同時期、私は交際していた妻と同居していました.それはそれは仕事以外は素晴らしくて、このまま結婚してお互いに支え合えたらいいなと思っていました.妻のご両親には快く結婚を前提にした交際を認めていただきましたが、私の方はそうは行きませんでした.実家で報告をすれば尋問するかのように妻の身辺を延々と訊かれ嫌な気持ちになりましたし「こうでもしないとお前は話さないからな」と言われ「どうせすぐにこどもをつくるにきまっている」「興信所に頼んで身辺調査させる」と言われたときは心底血の気が引き、正直言って失望を通り越してドン引きしました.同棲も事前に話していましたが「そんなことは聞いていない」とされ、そもそも許可を取る話でもないのですがなぜか承認が必要な空気になり、私の責任問題をかなり咎められました.「そんなことだろうと思った」「やはりお前はしっかりしていない」「結婚は絶対に認めない」とされ私は心臓に鉄槌を打ち込まれました.ここで私の持病の緘黙が発動しましたが、妻を貶める発言は聞き逃さずどうしても許せませんでした.反逆の精神が沈黙を破った瞬間もありました.ですが私はもうズタズタでした.もう魂から黒い液体がドロドロと吹き出していて、鉄槌が食い込んで胸がぺしゃんこになった感覚でした.この時点で強烈な希死念慮が私を襲い、離人感を感じ家に帰りました.後に妻のメンタリティを揺さぶりました.妻を落胆させたことを本当に本当にすまなく思っています.それでも私と結婚してくれたことをありがたく嬉しく思っています.

とどめ

 同時期に私の外勤先で無給診療中に、私の車が職場駐車場で当て逃げにあったことが私の魂にとどめを刺しました.満身創痍で駐車場に向かうとフロントバンパーが惨めにもズタズタのぺしゃんこで、私の心とよく似ていました.「お前もズタズタになるなんて……」無機物の中で唯一感情を注いだ大事な大事な家族である車を当て逃げされたこと、それが自分の所属している職場の誰かであること、その人物が罪から逃げたという事実、責任感のあるはずの医療職が逃げたという事実が私の人間不信に決定打を与え、人間の潜在的な悪を心底恨みました.駐車場の監視カメラに写っているのでしょうが、私はすでに憔悴していて、犯人探しをする気力がなかったのです.警備員が目撃していたのですが「カメラに写っているか見てみます」とか行ってくれるわけでもなく、非協力的でした.私は絶望の連鎖でもうとにかく休みたくて、休みたくてしかたがなかったのです.吐き気のする職場から去って、一刻も早く妻の元に行きたかった.私にとって唯一の救いは妻でした.妻は私を慰めてくれて一緒に怒ってくれました.同時に悲しませてしまいました.

 そしてとうとう私は発病しました.これは必然でした.全身を気だるさが覆い、無気力が私を支配しました.鉄槌で打ち込まれた傷がうずくように、胸が痛みました.息が苦しいような、焦燥感と閉塞感が私を包みました.何もできない.本当に何もできなかった.とんでもないことをしてしまった.とりかえしのつかないことをしてしまった.もうだめだ.死んでしまうしかない.さてどうやって死のうか.死ぬにも死ぬ気力がわかない.そういう観念が私を無限地獄の中で延々とループしました.日本精神病理学会で発表するはずの演題も全く完成しておらず、焦りと狼狽が湧きたちました.外から見ればただの屍ですが、脳内は異常な神経伝達物質の嵐だったでしょう.冷めていて中は熱いような状態かもしれません.学会はお流れになりました.以来、私は半端ものになってしまいました.キャリアも中途半端で終わってしまいました.病気を理由に医局を辞めましたが、本意はやはり別にありました.

法律事務所を設立

 ある日、妻が、私が亀が好きだったことを覚えていてくれて、もう一度亀を飼ったらどうかと言ってくれました.それが救いでした.ようやく私は体を動かして、新しい家族に出会うことになりました.それが吾郎ちゃんです.のちに三郎、さぶちゃんが加わり、にぎやかになりました.妻とこの二頭がいてくれて私は救われました.今でも吾郎ちゃんとさぶちゃんは私の大事な大事な家族です.そんな二頭にあやかってブログ「亀吾郎法律事務所」を作り、改名して今のブログに落ち着いています.好き勝手にものを書く楽しさを知り、いろんなことを勉強する動機づけになっています.これは大変ありがたいことです.これを助言してくれたのは妻でした.感謝してもしきれませんね.

最後に

 この告白はある種の告発でもありますが、もう一つ目的があります.決して怨恨のために書いているのではないことをお伝えしたいのです.こうして定期的に過去の記憶と対峙していくことで自分の感情を整理する狙いがあります.墓参りと同じものだと思えばいいのかもしれません.私の発病した日はある意味、私の命日です.○周忌と冗談を言うこともありますが半分本気なところもあります.喪の作業をちゃんと行うこと、私の歪んだ魂の供養を定期的に繰り返すことで、いつしか私の心は癒えるのかもしれません.瘉えないかもしれません.期待はしすぎないことです.私は今は転職して今はなんとか仕事を続けられていますが、これも供養の一貫だと思っています.先に述べたように私はおそらく精神科医を続けるべきではないような気がしています.かつてのキャリアプランは私にはもはや無理な感じがするのです.あの不条理をもう二度と味わいたくない、そういう気持ちでいっぱいです.かといって転科して他の医学を勉強するモチベーションは欠けていますから、別の方向性を模索しているところです.私の心には「要領のなさ」と「生きる力のなさ」が徹底的に刷り込まれているために、なかなか自己肯定感と自尊感情(セルフ・エスティーム)が芽生えてきませんが、これからは別の方向性で自分を癒やしていきたい、そう思っています.

 もし周囲に傷ついている人がいれば、それがあなたにとって近い人であれば、ときに駆け寄って支えることも必要ですが、それがかえってその人をひどく苦しめることがあります.良かれと思ってなにか行動することが毒になるのであればそれは偽善になりうるのです.自分がもたらす影響がどれだけ大きいか、自分の言動が当人にとってどのように作用するのか、それはよく吟味する必要があると思うようになりました.寓話「北風と太陽」が象徴的かと思います.私はもし医者を辞めたとしてもやはり太陽の立場になって遠くからポカポカと旅人を照らし、暖める側になりたいものです.自戒の意味を込めて.

 

 

近年の異世界系小説に見る超越と脱出:5

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 過去の連載はこちらをどうぞ.1 2 3 4

 脱出と超越について話をしてきた.日本の伝説、異世界系小説、解離.それらの脱出願望を見出し、文献を引用しつつ私なりに概説を試みた.最後にもう一つ脱出方法を取り上げ、試論を終えようと思う.

 思いつく方法は自ら命を絶つこと、自殺を考えざるを得ない.人には生における耐え難い苦しみや辛さから逃れるため、死を希求する動きがある.また時勢や状況によって死を選択しなければならないこともあった(生きて虜囚の辱めを受けず).

 自殺という言葉を様々な立場から確認してみる.世界保健機関(WHO)によれば「自殺という行為は単一の原因でなく、多くの要因が重層的に関わり合うことで帰結する現象」とする.なお、倫理学者でもあるI. Kantは「自殺は第一に意図的に引き起こされねばならず、第二に当事者自身の行為の直接の結果でなければならない」.一方、近代の自殺研究の嚆矢であるÉ. Durkheim(デュルケーム)は「死が、当人自身によってなされた積極的、消極的な行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合を、すべて自殺と名づける」という.

 定義はともかく、自殺は死への脱出と超越と言える.一つとして帰還はない.……ないのだが、転生として新たな生への帰還を成し遂げてしまうことがフィクションではある.実は前に述べた異世界系小説における転移の方法に、「自殺」がかなり多い.かなりといっても全体の何割が、といった概数は生憎示すことはできない.刻一刻と作品は生み出されているからだ.しかし、ランキング上位作品や、完結済みの作品において自ら死を選択するという手段は容易に認められる(メディア化された作品に自殺からの転生は見つからなかった).現世での主人公はブラック企業の社畜として疲労困憊している描写が散見される.悪辣な上司、連日常態化した徹夜勤務.このような状況が続けば大抵の人間は、抑うつ状態、うつ病に陥る可能性は十分にあると考える.過労が自殺のリスク因であることは知られた事実だが、こうしたこととは相反して、上記の記載が見受けられるということは、作者自身の現実を部分的に投影しているとして捉えても考えすぎではなかろう.作者らが自殺を企図したかどうかは明らかではないが、少なくとも自殺念慮が消極的にせよ存在していたのではないかと私は考えてしまう.小説を書く行為ができるならばある程度は生へのエネルギーがあるだろうと思うので、抑うつ状態にしては軽度なのかもしれない.だが自殺を通した異世界転移は歓迎し難い.なぜかと問われれば、もし仮に自殺による転生の物語が完成度が高く好評で、大衆の支持を得たとする.ギャルから高級官僚まで好評だ.ややもすれば自殺という行動に関して一定の誤解が生じる恐れがある.んなわけねーだろポンコツぅ、と思うかもしれないが、どうかんがえてもありえねーだろ、ということを人間は平気でしてしまうし思い込んでしまう.人類史を振り返れば明らかだろう.竹槍を投擲して鋼鉄の飛翔体を落とそうとする帝国があったような.

 自殺という行為だけでない.その要因たる社会構造を暗に肯定しかねないと考えるからだ.私は少ない経験ながらも若い人から高齢の方まで、悲痛な面持ちで診察室を訪ねてくる患者さんを相手にしてきた.皆職場を契機にうつ病や適応障害といった診断名になる.どなたも口を揃えて言うのは、休むにも休めなくて……私がいないと……仕事がなくなってしまったら……

 そういった言葉はとてもとても良くわかる.それぞれの言葉に対して私なりに説得力のある説明を試みたつもりだが、それではあまりに時間が足りなかった.一人の診察にかけられる時間は極めてわずかだった.たかが5分ではわずかな時間に何かしたくても神の言葉でない限り、その人を健康な世界へ導き勇気づけることは私にとってはあまりにも難しい.社会資源を目一杯使おうという言葉は聞こえがいいが、私のいたところでは資源は足りていなかった.だが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と言われているようで悔しくてたまらなかった.抗うつ薬をいくら出しても真のリカバリには遠いことは目に見えていた.如何に数を捌くかが求められた.私はその職場を離れることになった.今考えただけでも吐き気がする.そして私自身の不甲斐なさと力量不足があったことを認めざるを得ない.私は今でも申し訳ない気持ちでいるし、何か他にできたのではないかとずっと悔やんでいる.恥ずかしい話だが、私は電話相談や面接で「死にたい」という患者さんに「自殺してはいけない理由」をうまく説明できたと思ったことがないことをここに告白する.どう説明したらよいかかれこれ考えているが未だに名案が浮かばない.誓ってこれまで一度たりと手を抜いたことはなかったが、職業人として失格なのではと思うこともある.

 疾患は人の病的な要素を抽出して還元したものを言うだろう.血圧が高い状態で臨床的に問題なものを高血圧症、血糖値が高く様々な合併症を引き起こしうる病態を糖尿病と言ったりする.それはわかる.だが、月の残業時間が120時間以上で休日出勤が当たり前で、給料は良くないし、残業手当はでない.そんなうちに睡眠不足で慢性的に疲労があって、不安や焦りもあるし、死にたくて……そんな貴方はなんと適応障害です!社会に適応できていないから適応障害です.そんな馬鹿な.私はそういう考え方を好まない.社会構造を吟味せず個人の適応能力にゆだねて診断を下さざるを得ない現在の診断基準や社会のあり方は問題だと思う.隠さずに言えば社会の方に病理の比重が大きく存在していると思っている.だが、日本の社会構造を容易に変えられるかと問われると、そうはうまくいかない.これから私自身、社会学、労働研究、日本人の文化的背景をさらに学ぶ必要があると考えている.

 よって私は安易に自殺をしてほしくない.それがフィクションであっても.自殺をさらっと容認する社会はあってはならないと思う.表現の自由に則って好きなように作品を作るのはいい.沢山創作されるべきだ.だが、懸命に魂をすり減らしてもなお生きようと必死でいる方々を貶めるようなことは厳に慎まねばならない.かといって私はなろう系の一部の投稿者を批判するつもりは毛頭ない.ただ一つ言っておくと、自殺によって転生した後、ケロリとして異世界になじむ作品の描き方は葛藤を表出する人間らしくない.自殺を念慮するとき、その人には凄まじい死への欲動と生への渇望(タナトスとエロス)が入り乱れる.相反する考えが思考を支配するほどの強烈な葛藤が生じる.そんな葛藤を経て死を選んだはずの主人公が転生したとしたら、「なぜ俺は死ねなかったのか」と深く絶望しても不思議ではない.

 結局、脱出は困難である.私は論考を書き進めながら、どんな結末になるかは私の筆任せにしていた.まぁ楽観できる結語を期待するのは難しい.一応、一時的な脱出は可能だ.旅行は脱出だが、死ぬまで旅行を続けることは現実的でない.帰還することが前提になる.亡命という手段はあるが、日本人はほとんどその選択肢をとらないだろう.もう一つは空想へ脱出すること.しかしこれは虚構にすぎず儚いものだ.それでもよければ脱出してもいいが、現実への諦念が色濃くなる.解離.これは条件付きの脱出だが、尋常ならざる苦痛が伴う.例外的な手段と考えるべきだ.そして自殺.究極の手段.たった一度きり.すべてが終わるが、本当にすべて終わる.苦しみも悲しみも消える.だが、かけがえのない存在や生きていたとき感じた正の感情、思い出、何もかも消えてしまう.そして死を考え続け、選ぶことはとてつもなく辛い作業だ.残された人にとっても.

 近年の異世界系小説に見る脱出と超越の話はここまでになる.あまりうまくまとまらなかったが、私が長く考えていたことを文章にすることができたのでひとまずほっとしている.言葉足らずのところや言い回しがくどいところもあるかもしれない.そうした批判は真摯に受け止めたい.こうして文章を書くことで私はもっともっと学ばなければならないことに気づく.途方もなく.さぁ、どこから勉強しようかという気にもなる.私の力不足は勉強への動機づけの一つとなっている.

 ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました.皆様の寛容さと忍耐強さには脱帽です.亀吾郎法律事務所は今後も特集を組んで、様々なテーマに果敢に挑んで行きたいと思っています.ご声援よろしくお願い申し上げます.