ゴルディロックスの原理

消えた老婆

 前回の記事で触れたが、「三匹のクマ」に出てくる老婆は、教育上の観点から少女に差し替えられている.差し替えの理由は、しつけやマナーを教え込む目的があるからだ、という説が通説のようだが、もともとは老婆であった.当初の人物が老婆であったのはどういうことなのだろうか.ぜひ前回の記事を読んでから以下の小論を進めていただければ私にとってもあなたにとっても幸いである.

 この老婆、ただものではない.少なくとも住居侵入、器物損壊の悪行が指摘できると思う.窓と鍵を確認してから堂々と侵入する手口はおそらく初犯ではないのだろう.身なりが汚く、朝からふらふらしていたことから定住できる場所がない可能性を考える.浮浪者であったのだろうか.

 さらに家主がいつ戻って来るかわからないというのに、他人のベッドでぐうぐう寝る姿は大胆かつ無警戒だ.備品を破壊し、食事を平らげ、寝台を汚したにもかかわらず詫びもせず逃走するのは、その行為に呵責があるかともかく、常習的に行っていた可能性をさらに裏付ける.子グマの声で覚醒した老婆は、目の前にクマが三匹いるのを見て、即座に窓から飛び降り脱出する.その思い切りの良さは度肝を抜く.確かに目の前にクマが複数いれば、誰でもビビる.とはいっても高所から飛び降りる判断は賢明とはいえない.外傷のリスクは高いし、栄養状態が悪く筋力低下が示唆される高齢者が飛び降りれば、無傷では済まないはずだ.飛び降りた老婆の行方は不明となる.語り手の憶測が少し記述されて物語は終わる.

 悪事を働いた老婆はこれで懲りたろう.めでたしめでたし.悪霊退散、セーマン・ドーマン.……本当だろうか?なんだかオチにしっくりこないのは私だけだろうか?この物語はオチが釈然としないのである.この話の人物が老婆から金髪の少女、ゴルディロックス(Goldilocks)に差し替えたとしても、オチは変わらない.結局少女はクマの家を荒らし、逃走する.そして物語は唐突に終わる.本当に教訓は「無銭飲食、住居侵入、器物損壊をしてはいけません」というもので良いのだろうか.オチが落ち着かない.

邪悪さの彼方に

 老婆が完全な悪なのかというと、そういうわけではないのかもしれない.老婆にとって日常はその日暮らしのぎりぎりの生活で、窃盗をせずには生きていけない極限の環境にいたとすれば、道徳律を超越してやりくりする必要があったのかもしれない.しかし同情の余地はない.彼女に関する描写は少なくこれ以上の憶測を無限に呼ぶばかりだ.

 「三匹のクマ」の非人称の語り手は老婆を悪とし、クマを善良な性格としている.汚らしい老婆は、読者の陰性感情を掻き立て、老婆の邪悪性を浮き彫りにし、対照的に純粋無垢で善良なクマの立ち位置を明瞭にする.あまりに見え透いた明らかな善悪の二項対立は、人物を少女に置き換えて児童文学に着地点を置くしかないのかもしれない.だが今ひとつ収斂しきれていない.老婆が姿をくらまして話は終わり、クマたちは部屋をめちゃめちゃにされ途方に暮れて終わる.オチがすっきりしないのに、なぜこの物語は有名になったのだろうか.

ゴルディロックスはちょうど良い

 老婆にとって、少女ゴルディロックスにとって、子グマのお粥の温度はちょうどよくて、椅子の座り心地もベッドの寝心地もちょうど良かった.しかし大きなクマと中くらいのクマのそれらは熱すぎたり冷たすぎたり、硬すぎたり柔らかすぎたのだった.この物語を有名にしたのは、老婆とゴルディロックスの選択そのものなのであった.

 相反する二極の性質において、「ちょうどいい」適当な性質、傾向を表すものをゴルディロックスの原理:Goldilocks Principle」と呼ぶ.この「ちょうどいい」表現は、様々な分野で使われている.例えば、天文学の領域で地球は「ゴルディロックス惑星」という.経済学では「ゴルディロックス価格」、「ゴルディロックス市場」という表現を使うそうだ.発達心理学にも「ゴルディロックスの原理」が存在し、薬理学の分野でも「ゴルディロックスの原理」がある.私はこの原理を社会に出てしばらくしてから知るようになった.日本でこの表現はあまり流布していないように思うが、皆さんはご存知だろうか.ようやく本題に入ろう.天文学や経済学でのゴルディロックスは他の専門にゆずるとして、私の話しやすい分野で説明を試みたい.

 ここでクエチアピンが登場する

  世の中には様々な医薬品がある.容量用法が薬によって異なるのは、薬理や医学、生理学などを専門としない方でもなんとなくわかって頂けると思う.ここでクエチアピンという薬は薬理におけるゴルディロックスの一つであることをご紹介したい.

 クエチアピンは向精神薬である.その中でも抗精神病薬という分類に入る.抗精神病薬というのは主に統合失調症の治療薬、という意味で使われる.「精神病に抗う薬」という理解でいいと思う.では統合失調症にだけ使うのかというと、決してそういうわけではない.容量によって効能が変わるのが興味深く、使いようによっては大変便利な薬だ.少なくとも私はそう理解をしている.統合失調症だけでなく、双極性障碍のうつ病相、応用としてせん妄や睡眠の問題にも使うことができる.

 クエチアピンという薬剤は多様な神経伝達物質に働く.神経伝達物質はドパミン、ノルアドレナリン、セロトニン、ヒスタミン、ムスカリンといった名前がよく知られている.神経伝達物質の機能、というのは例えばドパミンという物質がドパミン受容体と呼ばれる部位に結合することで発揮される.鍵と鍵穴のような関係の理解で良いのかもしれない.ドパミンという鍵はドパミン受容体の鍵穴にのみ刺さって、解錠することができる、という感覚だ.解錠する、という例を作動とするなら、施錠は拮抗、という意味として理解できると思う.クエチアピンには、解錠と施錠の働きを持つ、いわば「合鍵」がたくさん付いていると考えていただきたい.たくさん合鍵を持っているお屋敷の執事を連想してもいいし、複数の通行手形を持っている商人、偽造パスポートをいくつも持っている諜報員でもいい.

 この「合鍵」のうち解錠専門を、アゴニストという.施錠専門を「アンタゴニスト」と呼ぶ.合鍵ではないドパミンやノルアドレナリンなど、生体内そのものの物質は「リガンド」という.これらの言葉は試験前の学生さん以外は忘れてしまっていい.鍵の比喩で例えづらいのは「パーシャルアゴニスト」という「合鍵」で、頑張って例えるなら、「ちょっとだけ開ける」作用である.鍵穴に半分くらい差すと、少しだけ扉が開くような意味合いと考えていただければ良い.「ちょっとだけ開ける」というのは「ちょっとだけ閉じる」のと同じ意味合いを持つ.なので「パーシャルアンタゴニスト」とは言わない.「パーシャルアゴニスト」は部分作動薬ともいう.これで役者の説明が整った.

 クエチアピンには、たくさんの合鍵がある.解錠専門の合鍵と、施錠専門の合鍵、ちょい開けの鍵.つまりは、複数の受容体に対してアゴニスト、アンタゴニストとパーシャルアゴニストの作用を持つ.この薬理学的特性がクエチアピンを「ゴルディロックス」足らしめているのだ.とはいってもまだピンとこないかもしれない.もう少し話を続けよう.

 ドパミン仮説とモノアミン仮説

 統合失調症の原因の一つにドパミンの機能異常が指摘されている.ドパミンが過剰に(中脳辺縁系の)ドパミン受容体に結合して作用することで、幻覚妄想などが生じると考えられている.だがドパミンだけではないとされているのが定説である.それのみでは極彩色の精神現象は説明出来ない.そして、うつ病の原因の一つにドパミン、セロトニンやノルアドレナリンといったモノアミンの機能異常が考えられている.詳しい説明をかなり省くが、例えばセロトニンが枯渇すると、抑うつを呈しやすい仮説が知られている.あくまで仮説である.これ以上の説明は論旨からずれてしまう.多くの精神疾患は未だに原因が明らかでない!

 よって治療はシンプルに考えると、過剰なものにはブレーキを、足りないものは補充をすればよい、それか代謝されるモノアミンを少なくすれば良い.ここでブレーキとなるのが、施錠専門の合鍵、アンタゴニストである.補充を促すのはモノアミンに関して「再取込み阻害」という表現が適切となる.古い薬剤は強力なブレーキと、強力なセロトニン・ノルアドレナリンの再取込み阻害が売りだったが、その分、反動となる副作用が目立ったために、改良が続けられたという経緯がある.そこで、パーシャルアゴニストという部分的なアゴニストの有用性が注目されてきた.部分的に解錠を行うことで、ブレーキを適度にかけつつ、副作用を低減することができるとされている.そのような考えのもとで、新薬が開発されている.

 そんな中、クエチアピンはゼネカ社(現アストラゼネカ社)によって1985年に開発、1997年から米国で使用、日本では2001年から承認されている薬剤だ.大きな特徴にドパミンD2受容体アンタゴニスト作用と、セロトニン(5HT)受容体のサブファミリーの一つ、5HT2Aのアンタゴニスト作用を持つ.活性代謝物のノルクエチアピンはさらに5HT1Aパーシャルアゴニスト作用や、5HT7、5HT2c、H1(ヒスタミン)受容体アンタゴニスト作用、ノルアドレナリン再取り込み阻害をもつ.ごちゃごちゃしてお腹いっぱいになってしまうだろうが、要するにたくさんの合鍵を持っているということだ.

 

図1:主要な抗精神病薬の受容体結合親和性.引用元:Expert Review of Neurotherapeutics 15(10) Page:1219-1229 (2015)
図2:クエチアピンの受容体結合親和性(Ki)を対数で図示.数値が小さいほど結合親和性が高く、アンタゴニストとして作用する.

 一応、図を二つ提示する.図1は各抗精神病薬によって、結合親和性が違う=合鍵によって閉めやすさが異なる、ということを示している.図2はクエチアピンの結合親和性の数値、Kiを対数レーダーチャートで図示したものである.受容体によってかなり親和性が異なるということがパッと見でわかれば良い.

 日本におけるクエチアピンの処方可能最大量は一日750mgである.もし、統合失調症治療をクエチアピンだけでやろうとすると(そんなことはほとんどないはずだが)300mg-400mg以上使用する必要がある.仮に600mg使用したとしよう.その場合、クエチアピンのドパミンD2受容体占拠率が80%以上を占める.もちろん他の受容体の遮断(施錠)も生じるのだが、D2受容体が顕著となる.この600mgのクエチアピンを大きなクマに例えてみよう.

 もし、うつ病(正確には双極性障碍のうつ病相)の治療で用いるとすれば、300mg相当を使う必要がある.双極性障碍のうつ病相に適応があるクエチアピンの徐放剤(商品名ビプレッソ)は300mgまで使用することが推奨される.この場合、5HT2c受容体アンタゴニスト、ノルアドレナリン受容体再取り込み阻害作用が目立って発揮される.この300mgのクエチアピンを中くらいのクマに例えることにする.

 鎮静や催眠を促すための量は25mgや50mgが適当なことが多い.この場合、H1受容体拮抗(施錠)作用だけが現れる.つまり、すごく眠くなる.不穏で落ち着かないような場合、従来の睡眠薬ではなかなか眠れないような強固な睡眠障碍があるような場合にこのクエチアピンは宵の明星のような輝きを放つ.この50mgのクエチアピンを子グマに例えることにしよう.

 だんだん、薬理におけるゴルディロックスの意味合いがわかってきただろうか.

 ゴルディロックスの選択

 ここで、前回の「三匹のクマ」の話をもう一度思い出していただきたい.もしゴルディロックスが二十歳くらいの女性になったとしよう.彼女は不運にも悩める魂を持っていて、幻覚に怯え、得体の知れぬ声が聞こえるとしよう.姿なき声に導かれて深い森に入っていった彼女はとある一軒家を見つけ、家の中で大きなクマクエチアピンフマル酸錠600mgを発見した!この場合、彼女にとって、この容量は幻覚妄想といった陽性症状に効果てきめんである.

 あるいは、活発であった少女ゴルディロックスがひどく憂鬱でふさぎ込んでいた場合、彼女にとって中くらいのクマのクエチアピン300mgは救済になるであろう.5HT2c受容体アンタゴニスト、ノルアドレナリン受容体再取り込み阻害作用が暗鬱な魂に潤いを与えてくれる.

 最後に老年期を迎え、少しずつ見当識がぼんやりしてきた老女ゴルディロックスがふらふらと彷徨い、三匹のクマの一軒家に侵入してしまったとしよう.彼女は夜になると眠れず急にそわそわ落ち着かなくなってしまっている.このような場合、ふと彼女が口にした子グマのクエチアピン50mgはまさにちょうどよい睡眠薬として機能して、ついでに子グマのベッドでぐーすか寝てしまうのである.(もしかして寝起きの老女が見たクマの姿は幻覚だったのだろうか)

 以上がざっくりとした精神薬理学としての「ゴルディロックスの原理」の説明になる.これを要約すると以下のようになるだろう.

 ある特定の疾患に対して「ちょうどいい」となる薬剤は、その薬剤の用量によって異なる.薬理におけるゴルディロックスの原理とは、薬効が強すぎることもなく、弱すぎることのない「ちょうどいい」程度で薬剤が受容体と結合した状態をいうもしその用量が多すぎたり、少なすぎたりすると、その効能は他の疾患にとっての「ちょうどいい」となる可能性がある.

 こうした「ちょうどいい」状態は臨床場面によってまちまちで、アゴニストとアンタゴニストの間の絶妙なバランスをどのようにとるかにかかっている.そしてそのバランスをいかにして取るかは、臨床家の絶え間ない悩みであり、挑戦でもある.

最後に

 「ゴルディロックスの原理」の話はこれでおしまいとなる.いかがだっただろうか.童話や民間伝承、神話がもとになっている用語やことわざ、例えというのは意外と多いようだ.その中でも「ゴルディロックスの原理」は群を抜いて特殊かつ広範な用法をされるのではないかと思う.相反する二極の性質において「ちょうどいい」適当なものというのは、多くの人が求めるのに対して、各々によって程度が異なる絶妙な難しさを持つ.このような葛藤は臨床の立場だけでなく、あらゆる学問で存在することから、おそらく全宇宙の次元において通ずる問題なのかもしれない.

 改めて原作を考えてみると、老婆にとって子グマのお粥も椅子もベッドも「ちょうどいい」ものだったがどれもつかの間の状態に過ぎなかった.クエチアピンの疾患に対する至適濃度も一時的なものに過ぎない.地球と太陽の位置関係も時間が経てばいつか崩れる.老婆の電光石火の逃走と、崩れ落ちる物語のオチは、この世界の均衡が刹那的であることを暗に示しているのだろうか.考えすぎだろうか.

ここまで読んでくださりありがとうございました.

 

 

 

 

 

三匹のクマ

 これから紹介する物語はロバート・サウジー(Robert Southey)により民話をまとめて1834年に世に出されたものです.もしかすると、中にはこの話を聞いたことがあるかもしれません.この童話の寓意はあらゆる学問の領域において広く用いられているのですが、ご存知ですか.キーワードは「ゴルディロックス」.以下の翻訳は拙訳ですが、私が行っております.原文は1837年のものをウィキソースから参考にしています.日本ではレフ・トルストイ(Lev Tolstoy)による再話が伝わったほうが早いためか、絵本ではトルストイ作、とされているものが多いようですね.

THE STORY OF THE THREE BEARS

 時は昔、三匹のクマが森の中の一軒家で一緒に暮らしていました.一匹は幼く、小さな子グマで、もう一匹は中くらいのクマ、もう一匹は大人の大きなクマでした.みんなはお粥を入れる器をそれぞれもっていて、小さな器は子グマの、中くらいの器は中くらいのクマの、大きな器は大人の大きなクマのものでした.それからみんなはそれぞれ自分用の椅子をもっていて、小さな椅子は子グマ、中くらいの椅子は中くらいのクマ、大きな椅子は大人のクマのものでした.そしてみんなはそれぞれ自分のベッドをもっていて、小さなベッドは、子グマ、中くらいのベッドは中くらいのクマ、大きなベッドは大人のクマのものでした.

 とある日のことでした.三匹が朝ごはんのためにお粥をつくったあと、お粥の器にめいめい注いでから、食べ始めるのが早すぎて舌を火傷しないように、お粥が冷めるまで三匹は森へ散歩へでかけました.そしてみんなが歩いていると一人の小さなおばあさんが彼らの家にやってきました.おばあさんは行儀がよくて、正直者、というわけではありませんでした.まずおばあさんは窓を見て、次に鍵穴を覗き込みました.誰も家にいないとわかると、扉の掛けがねをおろしました.その扉はしっかりしまっていなかったのですが、クマたちは、良いクマなので、誰にもいやがらせをすることはありませんでしたし、誰かが自分たちを傷つけるだろうと疑ったこともありませんでした.そこで、小さなおばあさんは扉をあけて、家に入りました.おばあさんは机の上にあるお粥を見て、たいそう喜んだのでした.もしおばあさんが品の良い小柄な人物であったなら.クマたちが家に帰ってくるまで待っていたでしょう.ひょっとしたらみんながおばあさんをご飯にさそってくれたかもしれません.クマはみんないいクマなのですから.クマのお行儀が多少はがさつでも、とてもとても感じがよくてもてなしてくれるのです.けれどもおばあさんは図々しくて、悪い人でしたので、自分だけで食べ始めました.

 そこではじめにおばあさんは大きな大人のクマのお粥を味見しました.ですが、あまりにも熱すぎたのです.そしておばあさんはそのことに悪口を言いました.次に中くらいのクマのお粥を口にしました.ですがおばあさんにとっては冷たすぎました.おばあさんはまた悪口を言いました.それからおばあさんは小さな子グマのお粥の方へ行って食べてみると、それは熱すぎもせず、冷たくもなく、ちょうどいいのでした.おばあさんはとても気に入って、すべて平らげてしまいました.しかし行儀悪いおばあさんは小さな器にグチグチ言っていました.おばあさんにとっては量が十分でなかったのです.

 そして小さなおばあさんは大きなクマの椅子に座りましたが、あまりにも硬すぎました.それからおばあさんは中くらいのクマの椅子に座りました.ですがとても柔らかすぎました.それからそれからおばあさんは子グマの椅子に座りましたが、硬すぎもせず柔らかすぎず、ちょうどよかったのです.おばあさんは椅子の座面を突き抜けてしまうまで座って、床にドスンと尻もちをついてしまいました.意地悪なおばあさんはそれにも悪口を言いました.

 それから小さなおばあさんは階段をあがって、三匹のクマが寝る部屋に入りました.はじめにおばあさんは大きなクマのベッドに横になりましたが、ベッドの頭の位置があまりにも高すぎました.次に中くらいのクマのベッドに横たわりました.それは足の位置があまりにも高すぎたのでした.それから幼い小さな子グマのベッドに横になると、それは頭も足の位置も高すぎることはなく、ちょうどよかったのです.なのでおばあさんはすやすや眠りにつくまでくつろいでいたのでした.

 このころ、三匹のクマは自分たちのお粥はちょうど冷めているだろうと思っていました.なので朝ごはんを食べにもどることにしました.大きなクマのお粥にスプーンが入っているとき、ちょうどおばあさんはその場にはいませんでした.

「わたしのお粥に手をつけたのは誰だ!」

と大きなクマは、でっかく、ぶっきらぼうで、荒々しく言いました.そして中くらいのクマが自分のお粥を見ると、自分のものにもスプーンが刺さっていたのでした.スプーンは木のスプーンでした.もし銀のスプーンだったなら、意地悪なおばあさんはポケットにしまっていたでしょう.

「一体誰がぼくのお粥に手をつけたんだろう!」

中くらいのクマはほどほどの声で言いました.

 それから小さな小さな子グマは自分のを見ると、スプーンがあって、器にはきれいさっぱり何もなかったのでした.

「ねぇ、誰かがぼくのおかゆを全部たべちゃったよ!」

小さな、幼い声で子グマは言いました.

 こうして三匹のクマは誰かが家に入ってきて、子グマの朝ごはんを平らげてしまったことがわかると、家の中を調べ始めました.どうやら、小さなおばあさんが大きなクマの椅子から離れたときにクッションを戻していなかったのでした.

「誰だ、私の椅子に座ったのは!」

と大きなクマは、でっかく、ぶっきらぼうで、荒々しく言いました.

 それから小さなおばあさんは中くらいのクマの柔らかいクッションを椅子に敷いていたのでした.

「誰か、ぼくの椅子にすわったな!」

中くらいのクマはほどほどの声で言いました.

 ここまでくれば、おばあさんが三番目の椅子に何をしてしまったのかがわかるでしょう.

「誰かがぼくの椅子に座ってて、椅子をこわしちゃったよ!」

子グマは小さく弱々しい声で言いました.

 それから三匹のクマはもっと調べなければ、と思いました.クマたちは寝室へと上がりました.すると、おばあさんはすでに大きなクマの枕を引っ張り出していたのでした.

「私のベッドで横になって寝ているのは誰だ!」

と大きなクマは、でっかく、ぶっきらぼうに、荒々しく言いました.

 そしておばあさんは中くらいのクマの長枕を引っ張り出していたのでした.

「誰だろう、ぼくのベッドで寝ていたのは!」

中くらいのクマはほどほどの声で言いました.

 小さな子グマが自分のベッドを見に行くと、長枕がありました.そして長枕と枕の上には小さなおばあさんの、無頓着なせいで醜く汚れた頭がありました.

「ぼくのベッドで寝てるのは誰!いまもここにいる!」

子グマは小さくかすかな声で弱々しく言いました.

 小さなおばあさんは寝ている時に、大きくぶっきらぼうで荒々しい声を聞いていたのですが、あまりにもぐっすりと寝ていたので、風の唸るような音か、雷の轟きくらいにしか思いませんでした.おばあさんは中くらいのクマの声も聞こえていましたが、夢の中で誰かが喋っているようにしか思えませんでした.しかし、おばあさんが子グマの小さなか細い、弱々しい声を聞いたとき、それはとても鋭く、甲高い声だったのですぐに目が覚めました.起きてからおばあさんは、ベッドの一方に三匹のクマがいるのを見ると、反対側に転がり込んで、窓へ走りました.窓は開いていたのでした.というのもクマはいいことが好きで、きちんとしている三匹はいつも寝室の窓を朝起きた時に開けていたからです.おばあさんは飛び降りました.そして落ちる最中に首を折ったか、森に逃げ込んで姿をくらましたのでしょうか.森からの逃げ道を見つけてから巡査に捕まって、浮浪者であるとされて拘置所に送られたのかどうか、知る由もありません.ですが三匹のクマはおばあさんの姿を二度と見ることはありませんでした.

 

Once upon a time there were Three Bears, who lived together in a house of their own, in a wood. One of them was a Little, Small, Wee Bear; and one was a Middle-sized Bear, and the other was a Great, Huge Bear. They had each a pot for their porridge, a little pot for the Little, Small, Wee Bear; and a middle-sized pot for the Middle Bear, and a great pot for the Great, Huge Bear. And they had each a chair to sit in; a little chair for the Little, Small, Wee Bear; and a middle-sized chair for the Middle Bear; and a great chair for the Great, Huge Bear. And they had each a bed to sleep in; a little bed for the Little, Small, Wee Bear; and a middle-sized bed for the Middle Bear; and a great bed for the Great, Huge Bear.

One day, after they had made the porridge for their breakfast, and poured it into their porridge-pots, they walked out into the wood while the porridge was cooling, that they might not burn their mouths, by beginning too soon to eat it. And while they were walking, a little old Woman came to the house. She could not have been a good, honest old Woman; for first she looked in at the window, and then she peeped in at the keyhole; and seeing nobody in the house, she lifted the latch. The door was not fastened, because the Bears were good Bears, who did nobody any harm, and never suspected that any body would harm them. So the little old Woman opened the door, and went in; and well pleased she was when she saw the porridge on the table. If she had been a good little old Woman, she would have waited till the Bears came home, and then, perhaps, they would have asked her to breakfast for they were good Bears, — a little rough or so, as the manner of Bears is, but for all that very good natured and hospitable. But she was an impudent, bad old Woman, and set about helping herself.

So first she tasted the porridge of the Great, Huge Bear, and that was too hot for her; and she said a bad word about that. And then she tasted the porridge of the Middle Bear, and that was too cold for her; and she said a bad word about that, too. And then she went to the porridge of the Little, Small, Wee Bear, and tasted that; and that was neither too hot, nor too cold, but just right; and she liked it so well, that she ate it all up; but the naughty old Woman said a bad word about the little porridge-pot, because it did not hold enough for her.

Then the little old Woman sate down in the chair of the Great, Huge Bear and that was too hard for her. And then she sate down in the chair of the Middle Bear, and that was too soft for her. And then she sate down in the chair of the Little, Small, Wee Bear, and that was neither too hard, nor too soft, but just right. So she seated herself in it and there she sate till the bottom of the chair came out, and down came hers, plump upon the ground. And the naughty old Woman said a wicked word about that too.

Then the little old Woman went up stairs into the bed-chamber in which the three Bears slept. And first she lay down upon the bed of the Great, Huge Bear; but that was too high at the head for her. And next she lay down upon the bed of the Middle Bear; and that was too high at the foot for her. And then she lay down upon the bed of the Little Small, Wee Bear; and that was neither too high at the head, nor at the foot, but just right. So she covered herself up comfortably, and lay there till she fell fast asleep.

By this time the Three Bears thought their porridge would be cool enough; so they came home to breakfast. Now the little old Woman had left the spoon of the Great, Huge Bear, standing in his porridge.

“Somebody has been at my porridge!”

said the Great, Huge Bear, in his great, rough, gruff voice. And when the Middle Bear looked at his, he saw that the spoon was standing in it too. They were wooden spoons; if they had been silver ones, the naughty old Woman would have put them in her pocket.

“SOMEBODY HAS BEEN AT MY PORRIDGE!”

said the Middle Bear, in his middle voice.

Then the Little, Small, Wee Bear, looked at his, and there was the spoon in the porridge-pot, but the porridge was all gone.

“Somebody has been at my porridge, and has eaten it all up!”

said the Little, Small, Wee Bear, in his little, small, wee voice.

Upon this the Three Bears, seeing that some one had entered the house, and eaten up the Little, Small, Wee Bear’s breakfast, began to look about them. Now the little old Woman had not put the hard cushion straight when she rose from the chair of the Great, Huge Bear.

“Somebody has been sitting in my chair!”

said the Great, Huge Bear, in his great, rough, gruff voice.

And the little old Woman had squatted down the soft cushion of the Middle Bear.

“SOMEBODY HAS BEEN SITTING IN MY CHAIR!”

said the Middle Bear, in his middle voice.

And you know what the little old Woman had done to the third chair.

“Somebody has been sitting in my chair, and has sate the bottom of it out!”

said the Little, Small, Wee Bear, in his little, small, wee voice.

Then the Three Bears thought it necessary that they should make farther search; so they went up stairs into their bed-chamber. Now the little old Woman had pulled the pillow of the Great, Huge Bear, out of its place.

“Somebody has been lying in my bed!

said the Great, Huge Bear, in his great, rough, gruff voice.

And the little old Woman had pulled the bolster of the Middle Bear out of its place.

“SOMEBODY HAS BEEN LYING IN MY BED!”

said the Middle Bear, in his middle voice.

And when the Little, Small, Wee Bear, came to look at his bed, there was the bolster in its place; and the pillow in its place upon the bolster and upon the pillow was the little old Woman’s ugly, dirty head which was not in its place, for she had no business there.

“Somebody has been lying in my bed, and here she is!”

said the Little, Small, Wee Bear, in his little, small, wee voice.

The little old Woman had heard in her sleep the great, rough, gruff voice, of the Great, Huge Bear; but she was so fast asleep that it was no more to her than the roaring of wind, or the rumbling of thunder. And she had heard the middle voice of the Middle Bear, but it was only as if she had heard some one speaking in a dream. But when she heard the little, small, wee voice, of the Little, Small, Wee Bear,’ it was so sharp, and so shrill, that it awakened her at once. Up she started; and when she saw the Three Bears on one side of the bed, she tumbled herself out at the other, and ran to the window. Now the window was open, because the Bears, like good, tidy Bears, as they were, always opened their bed-chamber window when they got up in the morning. Out the little old Woman jumped; and whether she broke her neck in the fall; or ran into the wood and was lost there; or found her way out of the wood, and was taken up by the constable and sent to the House of Correction for a vagrant as she was, I cannot tell. But the Three Bears never saw any thing more of her.

 ここまで読んでくださりありがとうございました.サウジーの散文では老婆がクマの家を荒らすのですが、やがて物語の寓意を児童のしつけやマナーを学ばせるための教訓として、主人公を金髪の少女、「ゴルディロックス」に差し替えたという説があります.次回、「ゴルディロックスの原理」について具体的に紹介してみたいと思います.