The Book of Tea: 20

Acknowledgement

謝辞

訳者あとがき

 かねがね私は「訳者あとがき」というものを書きたいと思っていた.ついにその日が来るとは!私にとって初の長編翻訳の完成だ.訳者あとがき、と記すことができ、大変光栄に思う.すごく嬉しくて感慨深い.

 読者の方はどのように感じてくださっただろうか.拙い翻訳だと思われるのも無理はない.天心の英文が素晴らしいと感じてくださったなら、訳者冥利に尽きる.私の目的はほとんど成就したと言ってよいだろう.彼の「茶の本」は七章に分かれている.どれも彼の知識の奥深さを語り、日本文化が海外に正しく評価されていない怒りと、自国ですらも理解されていない嘆きを冷静に、しかし情熱的に語る.

 天心は若くして英文に親しんだ.Ernest Fenollosa(アーネスト・フェノロサ)と知り合い、助手として彼の美術品収集に助力したことはよく知られている.英語との親和性が高い彼の描く文学世界は、美しく格調高く、しめやかであると思う.特に最終章は圧巻である.利休の死を描く最期の茶会は私にとって、彼がやはり日本人なのだと強く思う特徴があった.

 利休が門弟を招いて、彼らが待合に入った瞬間.時制が現在に回帰するのだ.詳しくいえばAs they look into–からである.これまでの評論はもっぱら過去形で説明を行ってきたのだが、この利休の最期の描写は、弟子たちの悲しみと緊張感に溢れる空気感をリアルタイムで説明するものである.

 この時制に関する日本語の特性は、以前の記事で紹介した.せっかくのなので再度掲載しておこう.

 敢えて出来事を時制変化を用いずに表現することは、特に我が国の文学的物語(narrative)の特徴として、多いに知られているものである.日本語について述べれば、そもそも日本語の文法は現在、過去、未来を鋭く区別しない.

 心のうちに祈念して、目を見ひらいひたれば、風も少し吹よはり、扇も射よげにぞなったりける.与一鏑をとってつがひ、よっぴいてひやうどはなつ.

 上記は「平家物語」において、那須与一が沖の波間に揺れる小舟に差し出した扇を海岸から射落とす場面である.過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法ははるか以前から知られている.矢を放つ主人公の動作のみが現在形である.神仏への祈念と風の静まりから決定的行動へ移る描写の現在形は際立ち、その一瞬の光景を浮かび上がらせる.これは決して暴力的というわけにはいかないだろうが、一気に読み手、聞き手を引き込むという点で、強力な誘導である.強制力を持つわけである.

 一方、近代ヨーロッパ語の場合は、動詞の語尾変化や助動詞と動詞の併用により、出来事の過去・現在・未来を、文法的に明示する.その中でも厳格な文法から一定の緩みを見ることができる.以下の例文を示す.

Alors, une idée l’exaspéra. C’était une saleté que ces dames voulaient lui faire en se conduisant mal chez elle. Oh! Elle voyait clair! …

Émile Zola, Vuillaume, 1876

 その時、一つの考えが頭をよぎって彼女は激しく苛立った.このご婦人方は、彼女の家で無作法に振る舞って、嫌がらせをしたんだ.ああ、はっきりわかるわ.

Dora stopped listening because a dreadful thought had struck her. She ought to give up her seat. She rejected the thought, but it came back. There was no doubt about it. 

Iris Murdoch, The Bell, 1958

 ドーラは恐ろしい考えが急に頭に浮かんできて、会話に耳を傾けるのをやめた.私が席をゆずるのが当然だわ.ドーラはその考えを打ち消したが、再び考えは戻ってきた.譲らなければならない.

 上記はいずれも登場人物の意識にのぼった考えを描出した文である.仏文では自由間接話法(Discours Indirect Libre/Style Indirect Libre)とよび、英文では描出話法(Represented Speech)ともいう.こうした技法を意識の流れ手法(Stream of Consciousness Technique)と呼ぶようである.このような技法は伝達動詞の支配から自由になる話法であるが、時制は必ず間接話法と同様に照応を求められる.時制は自由にはならず、時制が日本語のように読者を現在へ引き込むのではない.読者・聴者の意識が、あたかも作中の登場人物の意識であるかのように、過去へ誘うのであろう.強い言い方をすれば過去へ引きずり込むのだろう.

「記憶/物語」を読んで 2

 寡聞にして私は、時制のゆるい英文表現をこれ以外に知らない.おそらくあるのだろうが、限定的なのだろうと思われる.岡倉天心が日本人であるからこそ、彼以外に為し得ない日英ハイブリッドとも言える文学的表現の醍醐味を私達は味わうことができる.少なくとも私はそのように理解し、心躍らせながら作品を読み、翻訳をした.もう一度是非ご覧いただこう.In art the Present is the eternal.という句が沁みる.

–On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony. Mournfully at the appointed time the guests met at the portico. As they look into the garden path trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts. Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns. A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter. One by one they advance and take their places. In the tokonoma hangs a kakenoma, –a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things. The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth this woes to departing summer. Soon the host enters the rooms. Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all. According to established etiquette, the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage. Rikiu places the various articles before them, with the kakemono. After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir. The bowl alone he keeps. ‘Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man.” He speaks, and breaks the vessel into fragments.

The ceremony is over; the guest with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room. One one only, the nearest and dearest, is requested to remain and the end. Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto concealed. Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:

 すべて時制は現在形なのだ.天心はおそらく、このことを意図して書いたのではないか.だとすれば天心は大変な才覚を忍ばせている.ずるいというか恨めしいというか.利休の門弟が入室した瞬間に、時制が現在に回帰するのだ.私達は、利休とその門弟との最期の茶会に参席しているような臨場感に包まれる.ぐいと一気に引き込まれる.そして利休が自刃する瞬間までもが、現在にある.そう、自刃し、辞世の句を読むまでは.

“Welcome to thee,

O sword of eternity!

Through Buddha

And through Dharma alike

Thou hast cleft thy way.”

With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.

 利休の絶唱は原文では以下のものとなる.

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺提る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

「力囲希咄」(りきいきとつ)とは「腸をしぼって思わず発する一喝、一声」を言う.唐木順三をして「㘞地一声の怒電」というようである.静かな諦念とは相容れない激しい気負いなのだという.

「㘞地一声の怒電はまさに対立の頂点であったが故に、その故を以て対立を超える」

 これはヘーゲルの弁証法的な考えに通ずる命題である.

 あまりイメージがつかない人は、武論尊による「北斗の拳」が大いに参考になるだろう.ケンシロウに経絡秘孔を突かれ敗北する人々は「あべし」、「ひでぶ」といった声をあげて死亡する.これこそ力囲希咄、㘞地一声の怒電であろう.形容しがたい声とでもいうのか.断末魔の叫びともいえる.この声を以て人は死を、諦念を超越しようとする.

 だが、天心の英文にはその「力囲希咄」に相応するものがない.なぜか.様々な訳者のあとがきにもその考察がある.決して、天心にとって利休の死は弁証法的な対立がテーマではなかった.止揚することが本意ではない.利休が彼岸へ渡ることで、

Harmony with the great rhythm of the universe

となることが重要なのであったという.私も強く同調する.天心にとって死の超克などどうでもよかった.従容として死を受け入れ、永遠の世界へ潔く旅立つことを良しとした.それが日本人の、日本文化の真髄なのだと.これは手塚治虫による「火の鳥」が理解の参考になる.登場人物は皆生への希求が甚だしく、死を恐れる.しかし、火の鳥は死を恐れず、一つの超生命体ともいうべき「コスモゾーン」への融合を受け入れるよう優しくも厳しく諭す.おそらく、天心の思い描く世界はこの「コスモゾーン」への融合、死との融和であった.幸いにして、この思想は引き継がれた.

 しかし、不幸にして天心は敗北した.西洋文明の怒涛のロジックに負けた.もちろん、我々も負けた.死をいたずらに美化する我が国の虚飾が作られた.圧倒的な敗北だ.作品には天心の諦観が、ペシミズムが浮かばれる.そして、我々の中に、私のようなものが天心の心情に投影を果たす.だから、天心の労苦は無駄ではない.天心は負けたが、彼の理念は生き続けている.この作品も宇宙の偉大な調律に調和し、世界中で愛され続けているのだ.私もこの調律に調和すべく、拙い翻訳を行ったわけである.翻訳の質としては敗北だが、これはこれでよい.こうして皆さんにお届けできたのだから.

本当にありがとうございました.

The Book of Tea: 19

Chapter VII

TEA-MASTERS

IN religion the Future is behind us. In art the Present is the eternal. The tea-masters held that real appreciation of art is only possible to those who make of it a living influence. Thus they sought to regulate their daily life by the highest standard of refinement which obtained in the tea-room. In all circumstances serenity of mind should be maintained, and conversation should be so conducted as never to mar the harmony of the surroundings. The cut and colour of the dress, the poise of the body, and the manner of waking could all be made expressions of artistic personality. These were matters not to be lightly ignored, for until one has made himself beautiful he has no right to approach beauty. Thus the tea-master strove to be something more than  the artist, —art itself. It was the Zen of aestheticism. Perfection is everywhere if we only choose to recognise it. Rikiu loved to quote an old poem which says: “to those long only for flowers, fain would I show the full-blown spring which abides in the toiling buds of snow covered hills.”

 宗教において「未来」は我々の後ろにある.芸術において「現在」とは永劫である.芸術の真の理解は生ける感化を作り出すことができるものにのみ行われる.こうして彼らは茶室で得られる最上級の風雅により日常の生活の調整をはかるのである.あらゆる状況下で精神の静穏は保たれるべきであり、周囲の調和を決して乱さぬように会話は行われるべきである.整髪と正装の色、体の姿勢、歩容は芸術的人格の表現でなされる.これらのことは軽んじられるべきではない.というのは、自身が美しくあろうとしない限り美に近づく権利はないからである.こうして茶の宗匠は芸術家よりも、芸術そのものよりも、それ以上のものになろうとするのである.それは審美主義の禅であった.完全性を認識しようとすることだけで、それはどこにでもあるのだ.利休は古い詩を引用することを好んだ.それは次のようなものである.

「花を待ち望むものに、なんとか地中から出そうとあがく、雪に覆われた芽にひそむ満開の姿を見せたいものだ」

花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや

Manifold indeed have been the contributions of the tea-masters to art. They completely revolutionised the classical architecture and interior decorations, and established the new style which we have described in the chapter of the tea-room, a style to whose influence even the palaces and monasteries built after the sixteenth century have all been subject. The many-sided Kobori-Enshiu has left notable examples of his genius in the Imperial villa of Katsura, the castles of Nagoya and Nijo, and the monastery of Kohoan. All the celebrated gardens of Japan were laid out by the tea-masters. Our pottery would probably never have attained its high quality of excellence if the tea masters had not lent to it their inspiration, the manufacture of the utensils used in the tea-ceremony calling forth the utmost expenditure of ingenuity on the part of our ceramist. The Seven Kilns of Enshiu are well known to all students of Japanese pottery. Many of our textile fabrics bear the names of tea-masters who conceived their colour or design. It is impossible, indeed, to find any department of art in which the tea-masters have not left marks of their genius. In painting and lacquer it seems almost superfluous to mention the immense service they have rendered. One of the greatest schools of painting owes its origin to the tea-master Honnami-Koyetsu, famed also as a lacquer artist and potter. Beside his works, the splendid creation of his grandson, Koho, and of his grandnephews, Korin and Kenzan, almost fall into the shade. The whole Korin school, as it is generally designated, is an expression of Teasim. In the broad lines of this school we seem to find the vitality of nature herself. 

 なるほど茶の宗匠の芸術への貢献は多方面にわたっている.彼らは古典建築と内装装飾に完璧に革命をもたらし、茶室の章において述べた新しい様式を確立したのであり、十六世紀の後、寺院や宮殿さえをも感化した様式が皆主体となったのである.多彩な才能をもつ小堀遠州はその才能を桂離宮、名古屋城や二条城、そして孤篷庵の寺院において目覚ましい例を残した.日本の名高い庭園はすべて茶の宗匠によって設計されたものである.もし茶人がその霊感を貸すことがなかったならば、我が国の陶器は高品質の優越を獲得することはなかったであろう.茶会で用いられる道具の工芸は我が国の陶芸家の創意工夫の類まれな努力を要する.遠州の七窯は日本の陶芸を学ぶものにとって知られている.我が国の織物にはその色彩や意匠を考案した茶人の名を冠している.事実、茶人がその才覚を残さずにおかなかった分野を探すことはできない.絵画と彫刻において彼らが貢献した膨大な奉仕について言及するのはほとんど無駄であるように思われる.

 茶人である本阿弥光悦に起源を持つ絵画の偉大な流派の一つは、蒔絵、陶芸でも名を馳せている.彼の作品に加え、彼の孫である、光甫や甥の子供である光琳や乾山の素晴らしい創作は陰りを帯びてしまうほどである.光琳派、総じて名付けられるのは、茶道の表現と言われる.この流派の太い線において我々は自然そのものの生命力を見出す.

Great as has been the influence of the tea-masters in the field of art, it is as nothing compared to that which they have exerted on the conduct of life. Not only which they have exerted on the conduct of life. Not only in the usages of polite society, but also in the arrangement of all our domestic details, do we feel the presence of the tea-masters. Many of our delicate dishes, as well as our way of serving food, are their inventions. They have taught us to dress only in garments of sober colours. They have instructed us in the proper spirit in which to approach flowers. They have given emphasis to our natural love of simplicity, and shown us the beauty of humility. In fact, through their teachings tea has entered the life of the people.

  芸術の分野に茶人が及ぼした影響は大きいが、人生の執り成しに重きをおくことと比べるほどではない.彼らは人生の執り成しにのみ重きをおいたわけではない.上流社会の用法においてだけでなく、あらゆる我ら自国の家庭の整理においても、重きをおいており、我々は茶人の存在を感じるのである.我が国の繊細な料理の多くは、食材を提供する方法と同じように、彼らの発明である.彼らは地味な衣服を着るよう説いた.花に歩み寄るときの正しい心構えを教えてくれた.簡素さに対する自然な愛を強調し、人情の美しさを示した.事実、彼らの教えを通して茶は人々の生活に入っていったのだ.

Those of us who know not the secret of properly regulating our own existence on this tumultuous sea of foolish troubles which we call life are constantly in a state of misery while vainly trying to appear happy and contented. We stagger in the attempt to keep our moral equilibrium, and see forerunners of the tempest in every cloud that floats on the horizon. Yet there is joy and beauty in the roll of the billows as they sweep outward toward eternity. Why not enter into their spirit, or, like Liehtse, ride upon the hurricane itself?

 我々が人生と呼ぶ愚かな障碍という怒涛の海に浮かぶ自分の存在を正しく律する秘訣を知らぬものは、幸せかつ満足しているように甲斐なくあがく惨めな状態に絶えずある.我々は千鳥足で倫理的平衡を保とうとし、地平線に浮かぶ嵐の先駆けを見る.しかし喜びと美しさは永遠へ志向する外へ吹き抜けるように、うねりの中にある.その魂の中になぜ入ろうとしないのか、列氏のように旋風に乗ろうとしないのか.

He only who has lived with the beautiful can die beautifully. The last moments of the great tea-masters were as full of exquisite refinement as had been their lives. Seeking always to be in harmony with the great rhythm of the universe, they were ever prepared to enter the unknown. The “Last Tea of Rikiu” will stand forth forever as the acme of tragic grandeur.

 美しいものとともに生きてきたものが、美しく死ぬことができる.偉大な茶人の最後の瞬間はその人生と同じように非常に美しく高潔であった.宇宙の調べとともに調和の中において常に探求しているので、彼らは未知の領域に入る覚悟ができていた.「利休の最後の茶」は悲劇的終局の極致であり続けるだろう.

Long had been the friendship between Rikiu and the Taiko-Hideyoshi, and high the estimation in which the great warrior held the tea-master. But the friendship of a despot is ever a dangerous honour. It was an age rife with treachery, and men trusted not even their nearest kin. Rikiu was no servile courtier, and had often dared to differ in argument with his fierce patron. Taking advantage of the coldness which had for some time existed between the Taiko and Rikiu, the enemies of the latter accused him of being implicated in a conspiracy to poison the sespot. It was whispered to Hideyoshi that the fatal potion was to be administered to him with a cup of the green beverage prepared by the tea-master. With Hideyoshi suspicion was sufficient ground for instant execution, and there was no appeal from the will of the angry ruler. On privilege alone was granted to the condemned–the honour of dying by his hand.

 利休と太閤秀吉との友情は長かったので、偉大な武将がその茶人に抱く尊敬も厚かった.しかし君主との友情は危険な名誉でもあった.裏切りの流行した時代であったから、武将は最も近い血族でさえ信用しなかった.利休は盲従的廷臣ではなかったので、気性の荒い庇護者にも異を唱える勇気があった.太閤と利休の間に存在したいくらかの冷涼な関係につけこみ、利休の敵は専制君主に毒を盛ろうとする陰謀を企てていると非難した.茶人によって準備された緑の飲み物が入った碗に致命的な毒が入っているという噂が秀吉の耳に入った.疑念の秀吉は即時に処刑を命ずる十分な根拠であり、怒れる君主に従う以外方法はなかった.唯一の権利は自らの手で死ぬ名誉であった.

On the day destined for his self-immolation, Rikiu invited his chief disciples to a last tea-ceremony. Mournfully at the appointed time the guests met at the portico. As they look into the garden path trees seem to shudder, and in the rustling of their leaves are heard the whispers of homeless ghosts. Like solemn sentinels before the gates of Hades stand the grey stone lanterns. A wave of rare incense is wafted from the tea-room; it is the summons which bids the guests to enter. One by one they advance and take their places. In the tokonoma hangs a kakenoma, –a wonderful writing by an ancient monk dealing with the evanescence of all earthly things. The singing kettle, as it boils over the brazier, sounds like some cicada pouring forth this woes to departing summer. Soon the host enters the rooms. Each in turn is served with tea, and each in turn silently drains his cup, the host last of all. According to established etiquette, the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage. Rikiu places the various articles before them, with the kakemono. After all have expressed admiration of their beauty, Rikiu presents one of them to each of the assembled company as a souvenir. The bowl alone he keeps. ‘Never again shall this cup, polluted by the lips of misfortune, be used by man.” He speaks, and breaks the vessel into fragments.

 自己を犠牲にすることに定められた日に、利休は主要な弟子を最後の茶会に招いた.嘆きに満ちて、約束の時間に客は待合に集まった.庭路に目をやると木々は震えているように見え、家を求めてさまよう幽霊のすすり泣きのように葉がざわめいた.冥府の前の厳しい歩哨のように石灯籠が立っている.希少な香の香りが茶室から漂う.それは客人が入室を許される招きである.一人ひとり、前に出て席につく.床の間にかかる掛けの間は、万物の儚さについて扱う古の僧侶によって書かれた見事な書があった.火鉢の上で湧いている茶釜の音は、夏の別れを悲しみ鳴く蝉の音に似ている.やがて主人が部屋に入る.各々茶がもてなされ、黙々と碗を飲み干し、主人が最後に飲む.しきたりに従い、主賓が茶具の閲覧を申し出る.掛け物とともに、利休は様々な品を彼らの前に置いた.最後に皆がそれらの美しさをたたえ、利休はその器を一つずつ、集うものに形見として手渡した.碗だけが彼のところに残った.

「不遇の唇によって汚れた、この小さな器を、決して使わせまい」

 彼はそう言い、粉々に砕いた.

The ceremony is over; the guest with difficulty restraining their tears, take their last farewell and leave the room. One one only, the nearest and dearest, is requested to remain and the end. Rikiu then removes his tea-gown and carefully folds it upon the mat, thereby disclosing the immaculate white death robe which it had hitherto concealed. Tenderly he gazes on the shining blade of the fatal dagger, and in exquisite verse thus addresses it:

 茶会は終わった.涙を堪えがたい客は最後の別れを述べ、部屋を後にした.ただ一人だけが、最も親近なものが最期を見届けるよう頼まれた.利休は茶会の衣服を脱ぎ、注意深く畳の上にたたむと、隠れていた真っ白な死装束が現れる.優しいまなざしで彼は輝く生殺の刃を見つめ、それに呼びかけ次のような見事な句を詠んだ.

“Welcome to thee,

O sword of eternity!

Through Buddha

And through Dharma alike

Thou hast cleft thy way.”

汝よ、来たれ、

永遠の剣よ

仏陀を

達磨をも

汝は切り裂き道を拓くのだ.

With a smile upon his face Rikiu passed forth into the unknown.

 微笑とともに利休は永遠の世界へと旅立った.

人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺提る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

千利休


これで茶の本は終わります.長い間ご愛読ありがとうございました.

もちろん、これまで通りブログは続いていきます.

The Book of Tea: 18

(What’s the Story) Morning Glory

The birth of the Art of the Flower Arrangement seems to be simultaneous with that of Teaism in the fifteenth century. Our legends ascribe the flower arrangement to those early Buddhist saints who gathered the flowers strewn by the storm and, in their infinite solicitude for all livings things, placed them in vessels of water. It is said that Soami, the great painter and connoisseur of the court of Ashikaga-Yoshimasa, was one of the earliest adepts at it. Juko, the tea-master, was one of his pupils, as was also Senno, the founder of the house of Ikenobo, a family as illustrious in the annals of flowers as was that of the Kanosin painting. With the perfecting of the tea-ritual under Rikiu, in the latter part of the sixteenth century, flower arrangement also attains its full growth. Rikiu and his successors, the celebrated Oda-waraku, Furuta-Oribe, Koyetsu, Kobori-Enshiu, Katagiri-Sekishiu, vied with each other in forming new combinations. We must remember, however, that the flower worship of the tea-masters formed only a part of their aesthetic ritual, and was not a distinct religion by itself. A flower arrangement, like the other works of art in the tea-room, was subordinated to the total scheme of decoration. Thus, Sekishiu ordained that white plum blossoms should not be made use of when snow lay in the garden. “Noisy” flowers were relentlessly banished from the tea-room. A flower arrangement by a tea-master loses its significance if removed from the place for which it was originally intended, for its lines and proportions have been specially worked out with a view to its surroundings. 

 生花の芸術の誕生は十五世紀の茶道と同時のように思われる.我々の伝説は、生花を嵐によって撒き散らされた花に集った初期の仏教徒の聖人に帰するとして、万物の生けるものへの無限の配慮において、水の器にそれを活けたのであった.偉大な画家であり、足利義政の宮廷の鑑定家であった相阿弥は、初期の生花の達人であった.茶の宗匠であった珠光は、彼の門弟の一人で、狩野の絵画のように生花の年代記が輝かしい池坊の創始である専応も門弟であった.

 千利休のもと茶の儀礼の完成にともなって、十六世紀の後期に、生花は完全な成長を成し遂げた.利休とその後継者、有名な織田有楽、古田織部、光悦、小堀遠州、片桐石州が新たな組み合わせを作ろうと切削した.

 しかしながら、私達が覚えておかないとならないのは、茶の宗匠の花の礼賛は彼らの審美的儀礼の一部をつくったに過ぎないことであり、そのものによる明らかな宗教ではなかったということである.生花は、茶室での芸術の他の作品のように、装飾の全体の図式に従属したのである.

 こうして石州は庭に雪が積もったときに寒梅を使うべきでないと決めた.「騒がしい」花は茶室から容赦なく追放された.茶の宗匠による生花は本来そうあるべき場所から除かれればその意義を失うのである.というのは、その線と釣り合いが特に周囲と景観に作用していたからであった.

The adoration of the flower for its own sake begins with the rise of “Flower-Masters,” toward the middle of the seventeenth century. It now becomes independent of the tea-room and knows no laws save that that the vase imposes on it. New conceptions and methods of execution now become possible, and many were the principles and schools resulting therefrom. A writer in the middle of the last century said he could count over one hundred different schools of flower arrangement. Broadly speaking, these divide themselves into two main branches, the Formalistic and the Naturalesque. The Formalistic schools, led by the Ikenobo, aimed at a classic idealism corresponding to that of the Kano-academicians. We possess records of arrangements by the early masters of this school which almost reproduce the flower paintings of Sansetsu and Tsunenobu. The Naturalesque school, on the other hand, as its name implies, accepted nature as its model, only imposing such modifications of form as conduced to the expression of artistic unity. Thus we recognise in its works the same impulses which formed the Ukiyoe and Shijo schools of painting.

 花自身のための称揚が「生花の宗匠」の興隆とともに始まったのは、十七世紀の中期にかけてであった.今や茶室から独立し、花瓶に課す法則を覗いて何もないことを知っている.

 新たな構想と方法の実践が今や可能となり、多くは原理とそれを生み出す流派であった.十九世紀の中期におけるある文人は生花には百以上の流派が計上できるといった.大まかに言えば、これらは様式派と自然主義派の二つの主流に分けられる.池坊の流れを組む様式派は、狩野派のそれに付随する古典的理想主義を目指した.山雪と常信の花の絵とほとんど再現したにひとしい、この流派の早期の宗匠たちによる記録がある.一方で、自然主義派はその名前が示す通り、自然をその模範として受容し、芸術的統合の表現に貢献するような形の修正を行うに過ぎなかった.

 このようにして我々はその作品において浮世絵と四条派の絵画を形作った同一の衝動を認めることができる.

It would be interesting, had we time, to enter more fully than is now possible into the laws of composition and detail formulated by the various flower-masters of this period, showing, as they would, the fundamental theories which governed Tokugawa decoration. We find them referring to the Leading Principle(Heaven), the Subordinate Principle(Earth), the Reconciling Principle(Man), and any flower arrangement which did not embody these principles was considered barren and dead. They also dwelt much on the importance of treating a flower in its three different aspects, the Formal, the Semi-Formal, and the Informal. The first might be said to represent flowers in the stately costume of the ballroom, the second in the easy elegance of afternoon dress, the third in the charming deshabille of the boudoir.

 時間があり、その時期の多様な花の宗匠による様式だった構成と細部の法則を、より十分に今や堪能することができればさぞかし興味深いであろう.そうすれば徳川期の装飾を治めた基礎的理論があきらかになろう.彼らは指導的原則「天」、従属的原則「地」、調和的原則「人」について述べ、それらの原則に具体的に表現できない生花は不毛で死んだものと考えられた.これら三つの観点、すなわち「正式」、「半正式」、「略式」(真、行、草)があり、花の扱い方の重要性を説明している.最初のものは舞踏室の正装に合うような花を、二番目は簡素で華やかなアフタヌーンドレスを着る時の花を、三番目は寝室の可愛らしい普段着を着る時の花だといえよう.

Our personal sympathies are with the flower-arrangements of the tea-master rather than with those of the flower-master. The former is art in its proper setting and appeals to us on account of its true intimacy with life. We should like to call this school the Natural in contradiction to the Naturalesque and Formalistic schools. The tea-master deems his duty ended with the selection of the flowers, and leaves them to tell their own story. Entering a tea-room in late winter, you may see a slender spray of wild cherries in combination with a budding camellia; prophecy of spiring. Again, if you go into a noon-tea on some irritatingly hot summer day, you may discover in the darkened coolness of the tokonoma a single lily in a hanging vase; dripping with dew, it seems to smile at the foolishness of life.

 個人的には花の宗匠よりもむしろ茶の宗匠が活けた花に共感する.それはその生命との親密さに基づいて我々を魅了し独特な配置を行う芸術である.我々はこの流派を「自然主義派」および「様式派」と区別して「自然派」と呼びたい.茶の宗匠らは自分の義務は花の選定で終わると考え、葉に自分の物語を言って聞かせるようにしたのである.

 晩冬に茶室に入ると、蕾のある椿、それは春の予言であり、ともに野桜の華奢な配置をみる.もう一つ、暑い夏の日、いらいらしながら正午の茶に赴くと、床の間の暗い涼しさの中に掛け花瓶に一輪の百合があり、露に濡れているのを見る.花は人生の愚かさに笑いかけているように見える.

A solo of flowers is interesting, but in a concerto with painting and sculpture the combination becomes entrancing. Sekishiu once placed some waterplants in a flat receptacle to suggest the vegetation of lakes and marshes, and on the wall above he hung a painting by Soami of wild duck flying in the air. Shoha, another tea-master, combined a poem on the Beauty of Solitude by the Sea with a bronze incense burner in the form a fisherman’s hut and some wild flowers of the beach. One of the guests has recorded that he felt in the whole composition the breath of waning autumn.

 花の独奏も興味深いが、絵画や彫刻との共演もうっとりするものだ.石州はかつてある水草を平らな盆におき、湖と干潟を暗示させ、壁には相阿弥による鴨が飛んでいる絵を掛けたのであった.もう一人の茶の宗匠である、紹巴というものは、浜の野草と漁夫の小屋を模した青銅の香炉を焚いて海辺の孤独の美の詩を添えた.ある客人は全体の構成に去りゆく秋を感じたと記録に残している.

Flower stories are endless. We shall recount but one more. In the sixteenth century the morning-glory was as yet a rare plant with us. Rikiu had an entire garden planted with it, which he cultivated with assiduous care. The fame of his convolvuli reached the ear of the Taiko, and he expressed a desire to see them, in consequence of which Rikiu invited him to a morning tea at his house. On the appointed day Taiko walked through the garden, but nowhere could he see any vestige of the convolvulus. The ground had been leveled and strewn with fine pebbles and sand. With sullen anger the despot entered the tea-room, but a sight waited him there which completely restored his humour. On the tokonoma, in a rare bronze of Sung workmanship, lay a single morning-glory—the queen of the whole garden!

 花の物語はきりがない.もう一つだけで終わりにしよう.十六世紀には朝顔は日本人にとって希少な植物であった.利休は一面に朝顔を植え、根気強く育てた.彼の朝顔の名声が太閤の耳に届くと、太閤は朝顔を見たいと思った.その結果、利休は彼を自宅で朝の茶に招いた.約束の日に太閤は庭を通ったが、朝顔はどこにもなかった.地面は平らになり細かい丸石が敷かれていた.怒りの君主は茶室に入ると、彼を待つ光景は彼をすっかり喜ばせた.床の間には、宗の希少な青銅の作品の中に一輪の朝顔があったのである.庭全体の女王とでもいうべきものであった.

In such instances we see the full significance of the Flower Sacrifice. Perhaps the flowers appreciate the full significance of it. They are not cowards, like men. Some flowers glory in death —certainly the Japanese cherry blossoms do, as they freely surrender themselves to the winds. Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Yoshino or Arashiyama must have realised this. For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams; then, as they sail away on the laughing waters, they seem to say: “Farewell, O Spring! We are on to Eternity.”

 このような例から、我々は花の犠牲というものを十分に理解できる.おそらく花はそのことを十分に理解しているのだろう.彼らは人間のように、腰抜けではない.ある花は死によって栄光を得る.日本の桜はそうであり、気ままに風に身を任せるのである.吉野や嵐山の桜吹雪の前に立つものは誰もがこのことを理解するにちがいないであろう.一瞬で花は宝石を散りばめた雲のように漂い、水晶の流れの上を踊る.そして、笑う水を流れていくのである.彼らはこう言っているように思える.

「春よ、さらば.我らは永遠に旅立つ」

 ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました.

The Book of Tea: 17

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The Art of Floriculture in the East

Why were flowers born so beautiful and yet so hapless? Insects can sting, and even the meekest of beasts will fight when brought to bay. The birds whose plumage is sought to deck some bonnet can fly from its pursuer, the furred animal whose coat you covet for your own may hide at your approach. Alas! The only flower known to have wings is the butterfly; all others stand helpless before the destroyer. If they shriek in their death agony their cry never reaches our hardened ears. We are ever brutal to those who love and serve us in silence, but the time may come when, for our cruelty, we shall be deserted by these best friends of ours. Have you not noticed that the wild flowers are becoming scarcer every year? It may be that their wise men have told them to depart till man becomes more human. Perhaps they have migrated to heaven.

 なぜ花はこうも美しいのに、不遇なのであろうか.昆虫は刺すことができ、そして最も従順な動物も窮地では戦おうとする.帽子を飾るための羽毛として狙われる鳥は逃げることができるし、あなたがたがやたらと欲しがる毛皮の動物も近づけば隠れるのだ.悲しいことよ.翼を持つことが知られる花は蝶だけである.他は為す術もなく破壊者の前で立ち尽くすのだ.断末魔を挙げれば、その声は我々の耳には届くことはない.我々は静寂の中我々を愛し、奉仕するものに対して残忍であるが、その残忍さのために、最大の友に見放されてしまうときがくるかもしれない.野草が年々少なくなってきているのに気づいているだろうか.彼らの賢人が人々がより人情にあふれるまで地上から去れといったのかもしれない.おそらく彼らは天国へ移ったのだろう.

Much may be said in favour of him who cultivates plants. The man of the pot is far more humane than he of the scissors. We watch with delight his concern about water and sunshine, his feuds with parasites, his horror of frosts, his anxiety when the buds comes slowly, his rapture when the leaves attain their lustre. In the East the art of floriculture is a very ancient one, and the loves of a poet and his favourite plant have often been recorded in story and song. With the development of ceramics during the Tang and Sung dynasties we hear of wonderful receptacles made to hold plants, not pots, but jewelled palaces. A special attendant was detailed to wait upon each flower and to wash its leaves with soft brushes made of rabbit hair. It has been written8 that the peony should be bathed by a handsome maiden in full costume, that a winter-plum should be watered by a pale, slender monk. In Japan, one of the most popular of the Nodances, the Hachinoki, composed during the Ashikaga period, is based upon the story of an impoverished knight, who, on a freezing night, in lack of fuel for a fire, cuts his cherished plants in order to entertain a wandering friar. The friar is in reality no other than Hojo-Tokiyori, the Haroun-Al-Raschid of our tales, and the sacrifice is not without its reward. This opera never fails to draw tears from a Tokio audience even to-day.

 植物を育てる人について、彼らは大いに結構なことである.植木鉢を使うものは鋏を使うものよりも人道的である.水と日光に気を配り、寄生虫と反目し、霜を恐れ、蕾が膨らむのが遅いときの不安、葉が輝くときの歓びを見て我々は嬉しく思う.東洋では草花栽培の技術はとても古いもので、詩人の植物に対する愛情と愛好するそれは、しばしば物語に記録されたものである.磁器の発達とともに唐と宋王朝の間、我々は素晴らしい容器が作られたようだ.それは植木鉢ではなく、宝石を散りばめた御殿であった.特別な従者がそれぞれの花に派遣され、花ごとに仕え、兎の毛でできた柔らかい刷毛で葉を洗うのであった.牡丹は正装した侍女が水をやるべきと書かれていて、寒梅は蒼白の、痩せた僧侶が水をやるべきともある.日本では最も有名な能楽の一つに、足利時代の間に書かれた「鉢の木」があり、貧窮の武士が、凍える夜に、火を起こす燃料がなく、旅の托鉢僧をもてなすため、自分の大事にしていた植木を切った話に基づいている.その托鉢僧は実際には他でもない北条時頼であり、いわばハールーン・アッラシードである.その犠牲は報われることはない.この劇は今日でさえも東京の聴衆の涙を誘わずにはいられないのである.

Great precautions were taken for the preservation of delicate blossoms. Emperor Huensung, of the Tang dynasty, hung tiny golden bells on the branches in his garden to keep off the birds. He it was who went off in the springtime with his court musicians to gladden the flowers with soft music. A quaint tablet, which tradition ascribes to Yoshitsune, the hero of our Arthurian legends, is still extant in one of the Japanese monasteries.9 It is a notice put up for the protection of a certain wonderful plum-tree, and  appeals to us with the grim humour of warlike age. After referring to the beauty of the blossoms, the inscription says: “Whoever cuts a single branch of this tree shall forfeit a finger therefor.” Would that such laws could be enforced nowadays against those who want only destroy flowers and mutilate objects of art!

 繊細な花の保全のため、大変な用心が行われた.唐王朝の皇帝、玄宗は小さな金の鐘を庭の木の枝につけて鳥を寄せ付けなかった.春に宮廷楽団とともに優しい音楽で花を喜ばせたのは彼であった.我が国のアーサー王伝説の英雄である源義経が書いたとする奇妙な札が日本の寺院の一つにいまだ残っている.ある見事な梅の木の守護のためにかけられており、戦時の不気味なユーモアともに我々の心を打つ.花の美しさに言及した後、銘には「この木の枝一つでも切ったものはみな指を失う(一枝を伐らば、一指を剪るべし)」と書かれている.今日、花を滅ぼし芸術を破壊する人々に対してこうした法律ができないものだろうか!

Yet even in the case of pot flowers we are inclined to suspect the selfishness of man. Why take the plants from their homes and ask them to bloom mid strange surroundings? It is not like asking the birds to sing and mate cooped up in cages? Who knows but that the orchids feel stifled by the artificial heat in your conservatories and hopelessly long for a glimpse of their own Southern skies?

 しかし、鉢植えの場合でさえ、我々は人の身勝手を訝しむのである.なぜ植物を植えてあるところから抜き取り、見知らぬ場所の中で開花するようにさせるのだろうか.籠の中の鳥に歌い、仲間と一緒になるよう頼むのと違うのか.蘭があなた方の家の温室の中の人工的な熱によって抑圧され、南方の空をひと目見たいと切なく希望していると誰が知ろうか.

The ideal lover of flowers is he who visits them in their native haunts, like Taoyuenming,10 who sat before a broken bamboo fence in converse with the wild chrysanthemum, or Linwosing, losing himself amid mysterious fragrance as he wandered in the twilight among the plum-blossoms of the Western Lake. ’Tis said that Chowmushih slept in a boat so that his dreams might mingle with those of the lotus. It was this same spirit which moved the Empress Komio, one of our most renowned Nara sovereigns, as she sang: “If I pluck thee, my hand will defile thee, O Flower! Standing in the meadows as thou art, I offer thee to the Buddhas of the past, of the present, of the future.”

 理想的な花の愛好家とは、花の自生する場所に訪れ、破れた竹垣に座り、野生の菊と会話する陶淵明のような人物か、西湖のほとりの梅花の中を黄昏時に逍遥しながら、不思議な香りの中、我を忘れた林和靖である.周茂叔は夢が蓮と混ざり合うように、舟の中で眠りについたと言われている.

 この精神こそ、光明皇后、奈良朝で最も名高い人物の心を動かしたもので、彼女は次のように詠んだ.「もし我が汝をむしれば、我が手は汝を汚してしまう、花よ!草原に立つ汝のように、我も汝を過去の、現の、未来の仏に捧げよう」

わがために 花は手折らじ されどただ 三世の諸仏の 前に捧げん

However, let us not be too sentimental. Let us be less luxurious but more magnificent. `said Laotse: “Heaven and earth are pitiless.” Said Kobodaishi: “Flow, flow, flow, flow, the current of life is ever onward. Die, die, die, die, death comes to all.” Destruction below and above, destruction behind and before. Change is the only Eternal, –why not as welcome Death as Life? They are but counterparts one of the other, –the Night and Day of Brahma. Through the disintegration of the old, re-creation becomes possible. We have worshipped Death, the relentless goddess of mercy, under many different names. It was the shadow of the All devouring that the Gheburs greeted in the fire. It is the icy purism of the sword-soul before which Shinto-Japan prostrates herself even to-day. The mystic fire consumes our weakness, the sacred sword cleaves the bondage of desire. From our ashes springs the phoenix of celestial hope, out of the freedom comes a higher realisation of manhood.

 しかしながら、感傷的になりすぎるのはよそう.奢侈になりすぎずも、壮大になろう.老子はこういった、「天地は無慈悲である(天地不仁)」と.弘法大師は「流れ、流れ、流れ、流れる、生命はとどまることはない.死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死は皆に訪れる(生生生生暗生始、死死死死冥死終)」と言った.死はどこへいっても訪れる.上下、前後も破滅である.変化こそ永遠である.なぜ生と同じく死を歓迎しないのか.彼らは他方の片割れに過ぎない.梵天の「夜」と「昼」である.古きものの崩壊を通じて、再生が可能になる.我々は死、それは多くの異なる名のもと、容赦ない慈悲の女神を崇めてきた.拝火教徒が崇めたのはすべてを貪るものの影であった.今日の神道日本がひれ伏すのは剣魂の凍てつくような純粋であった.神秘的な炎は我々の弱さを燃やし、神聖な剣は欲望の奴隷を断ち切る.灰の中から天空の希望である鳳凰が生まれ、欲望より解かれた自由から、人類のさらなる自覚が生まれる.

Why not destroy flowers if thereby we can evolve new forms ennobling the world idea? We only ask them to join in our sacrifice to the beautiful. We shall atone for the deed by consecrating ourselves to Purity and Simplicity. Thus reasoned the tea-masters when they established the Cult of Flowers.

 世界の思想を高尚にする新たな形へ進化させることができるならば、なぜ花を滅ぼさないのか.我々は、花に求めるのは、美に対して自身を犠牲にすることだけである.我々は「純粋」と「簡素」に対して自分を捧げることによって行為の償いをしよう.こうして茶の宗匠が生花の法を定めたのである.

Anyone acquainted with the ways of our tea-and flower-masters must have noticed the religious veneration with which they regard flower. They do not cull at random, but carefully select each branch or spray with an eye to the artistic composition they have in mind. They would be ashamed should they chance to cut more than were absolutely necessary. It may be remarked in this connection that they always associate the leaves, if there be any, with the flower, for their object is to present the whole beauty of plant life. In this respect, as in many others, their method differs from that pursued in Western  countries, as it were, without body, stuck promiscuously into a vase.

 茶の宗匠と花の宗匠の流儀を知るものは誰しも花への宗教的崇拝に気づいたに違いない.彼らはむやみに収集するのではなく、各々の枝を注意深く選び、心の中にある芸術的構成を目的として目を凝らすのである.絶対に必要以上に切ってしまおうとする人は恥を知るがよい.この関係において、一つ言っておくと、もし葉があれば彼らは花と一緒に、常にそれを添えるのである.というのは彼らの目的とは植物の生命の全体の美しさを呈示することであるからだ.この観点において、他のものとおなじように、西洋諸国家において追い求めるものと方法が異なり、西洋では花梗だけが体裁なく花瓶に無造作に突っ込まれているのである.

When a tea-master has arranged a flower to his satisfaction he will place it on the tokonoma, the place of honour in a Japanese room. Nothing else will be placed near it which might interfere with its effect, not even a painting, unless there be some special aesthetic reason for the combination. It rests there like an enthroned prince, and the guests or disciples on entering the room will salute it with a profound bow before making their address to the host. Drawings from masterpieces are made and published for the edification of amateurs. The amount of literature on the subject is quite voluminous. When the flower fades, the master tenderly consigns it to the river or carefully buries it in the ground. Monuments even are sometimes erected to their memory.

 茶の宗匠が自身の得心のために花を活けるとき、花を床の間、日本の部屋の上座に配置する.その花の効果に干渉するかもしれないからその近くには何も置かれない.組み合わせに対するなんらかの特別な唯美的理由が無い限り、絵画でさえも配置しないのである.花は玉座に座る王子のように鎮座し、客人や子弟が入室すると、主人へ挨拶をする前に深く礼をして花を称える.傑作の絵画は素人の教化のために出版されている.主題における文献の量は大変豊富なものである.

 花がしおれると宗匠はやさしくそれを河に流すか土に埋めるのである.墓碑はその記憶に対して建てられることがある.

8 “Pingtse,” by Yuenchulung.

9 Sumadera, near Kobe. 神戸近郊の須磨寺のこと.

10 All celebrated Chinese poets and philosophers. 皆中国の有名な詩人、哲学者.

西洋のフラワーアレンジメントも素敵ですよね.きっと天心はそれを知っているはずです.ですが、なぜ彼がここまで東洋の文化を礼賛するのか.彼の文を追いかけた我々ならばもうわかりますね.

 次回で第六章は完結です.残るは第七章.お楽しみに!

The Book of Tea: 16

Chapter VI

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 第六章、花が始まります.この翻訳も終盤ですね.花への天心の気持ち、多くの人が共感できるのではないでしょうか.最初は詩的な美しい散文から始まりますが、四段落から始まる花目線の痛烈な描写といったら.

Flowers

IN the trembling grey of a spring dawn, when the birds were whispering in mysterious cadence among the trees, have you not felt the they were talking to their mates about the flowers? Surely with mankind the appreciation of flowers must have been coeval with the poetry of love. Where better than in a flower, sweet in its unconsciousness, fragrant because of its silence, can we image the unfolding of a virgin soul? The primeval man in offering the first garland to his maiden thereby transcended the brute. He became human in thus rising above the crude necessities of nature. He entered the realm of art when he perceived the subtle use of the useless.

 春の曙の薄明に、林の中で鳥たちが神秘的な調子でさえずるとき、彼らが仲間と花について会話をしているような気持ちになったことはないだろうか.確かに花の鑑賞は人類にとって愛の詩を唄った時と同時期であろう.花において優れているところは、その無自覚なゆえに美しく、その静寂ゆえの芳しさなくして、どうして我々は顕になっていない純潔の精神を想起できるだろうか.太古の男性が彼の恋人に初めて花飾りを贈ることで、彼は蛮人から超越したのである.彼は自然の粗雑な本能を脱してこうして人間となったのだ.彼は無用のものを巧妙に使うことを知覚したときに芸術の世界へ入ったのであった.

In the joy or sadness, flowers are our constant friends. We eat, drink, sing, dance, and flirt with them. We wed and christen with flowers. We dare not die without them. We have worshipped with the lily, we have meditated with he lotus, we have charged in battle array with the rose and the chrysanthemum. We have even attempted to speak in the language of flowers. How could we live without them? It frightens one to conceive of a world bereft of their presence. What solace do they not bring to the bedside of the sick, what a light of bliss to the darkness of weary spirits? Their serene tenderness restores to us our waning confidence in the universe even as the intent gaze of a beautiful child recalls our lost hopes. When we are laid low in the dust it is they who linger in sorrow over our graves.

 楽しいときや悲しいとき、花は我々の永遠の友人である.我々は食べ、飲み、踊り、そして彼らとうつつを抜かす.我々は花とともに婚礼を挙げ、洗礼する.花なくして死ぬことはできない.我らは百合とともに敬い、蓮とともに瞑想し、薔薇と菊とともに戦陣に集ってきた.我々は花言葉で話そうとさえした.彼らなしに生きていけるだろうか.花の存在のない世界を考えるだけで恐ろしい.病床に花がないとしたらどんなに悲しいだろうか、疲れ果てた魂の闇に祝福の光を与えるのは何だろうか.可愛らしい子供をじっと見つめることでさえ我々の失われた希望を呼び戻すように、花の透き通った優しさは宇宙における我々の衰えつつある信頼を取り戻してくれる.我々が土に還るときに墓の上で悲しみに寄り添ってくれるのは花である.

Sad as it is, we cannot conceal the fact that in spite of our companionship with flowers we have not risen very far above the brute. Scratch the sheepskin and the wolf within us will soon show his teeth. It has been said that man at ten is an animal, at twenty a lunatic, at thirty a failure, at forty a fraud, and at fifty a criminal. Perhaps he becomes a criminal because he has never ceased to be an animal. Nothing is real to us but hunger, nothing sacred except our own desires. Shrine after shrine has crumbled before our eyes; but one altar forever is preserved, that whereon we burn incense to the supreme idol, –ourselves. Our god is great, and money is his Prophet! We devastate nature in order to make sacrifice to him. We boast that we have conquered Matter and forget that it is Matter that has enslaved us. What atrocities do we not perpetrate in the name of culture and refinement!

 悲しいことに、我々は花との友情にもかかわらず、あまり獣性を脱していないことを隠せずにいる.羊の皮を剥げばたちまち我々の中の狼が牙をむく.人は十代になると獣になり、二十代で狂人になり、三十代で失意にくれ、四十代で詐欺師となり、五十代で罪人となるといわれてきた.おそらく動物であることを辞めたことがないゆえに罪人になるのである.飢えを除いて現実的なものはなく、自己の望みのほか神聖なものはない.我々の眼前にある神社仏閣が次々に壊れてしまった.しかし一つの祭壇は保存されて、そこで我々は「自己」という至上の偶像に香を炊くのである.神は偉大で、金銭はその預言者である!私達は自然を犠牲にするため自然を破壊する.我々は物質を征服したのだと鼻にかけるも、物質が我々を従えているのだということを忘れている.文化と洗練という名の下、我々が犯す残虐性のほどはなんとひどいものか!

Tell me, gentle flowers, teardrops of the stars, standing in the garden, nodding your heads to the bees as they sing of the dews and the sunbeams, are you aware of the fearful doom that await you? Dream on, sway and frolic while you may in the gentle breezes of summer. Tomorrow a ruthless hand will close around your throats. You will be wrenched, torn asunder limb by limb, and borne away from your quiet homes. The wrench, she may be passing fair. She may say how lovely you are while her fingers are still moist with your blood. Tell me, will this be kindness? It may be your fate to be imprisoned in the hair of one whom you know to be heartless or to be thrust into the button-hole of who would not dare to look you in the face were you a man. It may even be your lot to be confined in some narrow vessel with only stagnant water to quench the maddening thirst that warns of ebbing life.

 教えてほしい、優しい花よ、星の涙よ、庭に立ち、蜂が雫の歌を口ずさむと蜂と日光に頭を垂れている花よ、汝は待ち構える恐ろしい運命に気づいているのか.夢見よ、揺らぎ戯れて夏の優しい微風にいる間は.明日は無慈悲な手がお前の喉を締めてしまうかもしれない.拗じられ、手足が分たれ、静かな生家から離れてしまうかもしれぬ.その一捻りは行きずりの淑女かもしれぬ.その指がお前の血でまだ湿っている間に、お前がどんなに愛らしいか告げるやもしれないのだ.これが優しさなのだろうか.お前にとって非常なものの髪に閉じ込められるか、お前が男ならばお前の顔を見ようともしない女のボタンの穴にねじ込まれる運命かもしれないのだ.命の衰退を警告する狂わせるような渇きを満たす、よどんだ水ばかりの狭い瓶に留められるのは、お前の定めなのかもしれぬ.

Flowers, if you were in the land of the Mikado, you might some time meet a dread personage armed with scissors and a tiny saw. He would call himself a Master of Flowers. He would claim the rights of a doctor and you would instinctively hate him, for you know a doctor always seeks to prolong the troubles of his victims. He would contort your muscles and dislocate your bones like any osteopath. He would burn you with red-hot coals to stop your bleeding, and thrust wires into you to assist your circulation. He would diet you with salt, vinegar, alum, and sometimes, vitriol. Boiling water would be poured on your feet when you seemed ready to faint. It would be his boast that he could keep life within you for two or more weeks longer than would have been possible without his treatment. Would you not have preferred to have been killed at once when you were first captured? What were the crimes you must have committed during your past incarnation to warrant such punishment in this?

 花よ、もしお前が御門の国にいるならば、鋏と小鋸をもった恐ろしい人物にあうことがいくらかあるかもしれない.彼は自身を花の宗匠と呼ぶ.彼は医者の権限を主張しお前は本能的に嫌うだろう.なぜなら医者というのは常にその患者の厄介事を引き延ばそうとするからだ.彼は筋肉を捻じ曲げ、整骨医の如く骨を脱臼させるだろう.赤く熱い炭で出血を止めようと燃やすだろう.そして、お前の循環を助けるために針金を突き刺すだろう.彼はお前に塩、酢、明礬、そして時折硫酸をかけて食うだろう.失神しそうに見える時、足に沸々とした湯が注がれるだろう.彼の治療なく放おっておいたよりも二、三週間ほど生きながらさせたといって自慢の種にするかもしれない.お前ならば最初に捕らわれたならばすぐに殺される方を選ぶであろう.このような罰を受けるとはお前の前世はどのような罪を犯したのだろうか.

The wanton waste of flowers among Western communities is even more appalling than the way they are treated by Eastern Flower Masters. The number of flowers cut daily to adorn the ballroom and banquet-tables of Europe and America, to be thrown away on the morrow, must be something enormous; if strung together they might garland a continent. Beside this utter carelessness of life, the guilt of the Flower-Master becomes insignificant. He, at least, respects the economy of nature, selects his victims with careful foresight, and after death does honour to their remains. In the west the display of flowers seemed to be a part of the pageantry of wealth, –the fancy of a moment. Whither do they all go, these flowers, when the revelry is over? Nothing is more pitiful than to see a faded flower remorselessly flung upon a during heap.

 西洋社会の間での無残な花の消費は東洋の花の宗匠によって扱われる方法よりもはるかに残忍である.アメリカやヨーロッパの舞踏室や晩餐の食卓を飾るため毎日何本もの花が切られ、翌日には捨てられる量は凄まじいに違いない.もしすべてを結んだら大陸を一周するであろう.それに加えこの圧倒的な生命への不注意、花の宗匠の罪はそれほどではない.彼は少なくとも、自然の経済を尊重し、犠牲を慎重な先見の明で選ぶ.そして彼らの残りに対して敬意を表する.静養では富の虚飾の一部のように花が陳列される.一瞬の享楽である.彼らはどこへいくのか.花よ、いつになれば幻想は終わるのだ.屍の山の上に無慈悲に投げられる花がしおれていくのを見るほど忍びないものはない.

The Book of Tea: 15

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People criticise a picture by their ear

One is reminded in this connection of a story concerning Kobori-Enshiu. Enshiu was complimented by his disciples on the admirable taste he had displayed in the choice of his collection. Said they, “Each piece is such that no one could help admiring. It shows that you had better taste than had Rikiu, for his collection could only be appreciated by one beholder in a thousand.” Sorrowfully Enshiu replied: “This only proves how commonplace I am. The Great Rikiu dared to love only those objects which personally appealed to him, whereas I unconsciously cater to the taste of the majority. Verily, Rikiu was one in a thousand among tea-masters.”

 このことと関連して、小堀遠州についてのある話が思い起こされる.遠州は彼の収集物から選定し並べたものに対して弟子は世辞を述べた.彼らは「どの品も褒めずにはいられない見事なものばかりです.あなたが利休よりも優れた鑑識をお持ちだと言うことですね.利休の品を理解できるのは千人に一人といませんよ」と述べた.悲しみにくれて遠州は次のように返事をした.「ということは私がいかに俗物かを示すにすぎない.偉大な利休はあえて自分だけが好むような品を愛した.しかし私は無意識にも多数派の嗜好に媚びたのだ.まさに利休は千人に一人の茶人である」

It is much to be regretted that so much of the apparent enthusiasm for art at the present day has no foundation in real feeling. In this democratic age of ours men clamour for what is popularly considered the best, regardless of their feelings. They want the costly, not the refined; the fashionable, not the beautiful. To the masses, contemplation of illustrated periodicals, the worthy product of their own industrialism, would give more digestible food for artistic enjoyment than the early Italians or Ashikaga masters, whom they pretend to admire. The name of the artist is more important to them than the quality of the work. As a Chinese critic complained many centuries ago, “People criticise a picture by their ear.” It is this lack of genuine appreciation that is responsible for the pseudo-classic horrors that to-day greet us wherever we turn.

 今日、芸術に対する表面上の熱狂が実際の感性に基づいていないというのは実に残念なことである.この我が国の民主的時代において自分たちの感情を顧みず人々が何が最も人気があることに対して喚いているのである.

 彼らは精錬なものではなく、高い値段のものを求める.服飾に凝ったものであり美しいものではない.大衆にとって彼ら自身の産業主義の価値ある製品である絵入り定期刊行物のほうが、礼賛するふりをしている初期のイタリア人や足利時代の巨匠よりも、芸術的享受にはより消化が良いだろう.作品の質よりも芸術家の名前がより重要なのである.中国の批評家が何世紀も前に「人々は絵を耳で批評する」と言った.今日我々がふりむけば目につく擬古典的な恐怖の数々に対して真の鑑賞の欠落が責任を負うべきである.

Another common mistake is that of confusing art with archaeology. The veneration born of antiquity is one of the best traits in the human character, and fain would we have it cultivated to a greater extent. The old masters are rightly to be honoured for opening the path to future enlightenment. The mere fact that they have passed unscathed through centuries of criticism and come down to us still covered with glory commands our respect. But we should be foolish indeed if we valued their achievement simply on the score of age. Yet we allow our historical sympathy to override our aesthetic discrimination. We offer flowers of approbation when the artist is safely laid in his grave. The nineteenth century, pregnant with the theory of evolution, has moreover created in us the habit of losing sight of the individual in the species. A collector is anxious to acquire specimens to illustrate a period or a school, and forgets that a single masterpiece can teach us more than any number of the mediocre products of given period or school. We classify too much and enjoy too little. The sacrifice of the aesthetic to the so-called scientific method of exhibition has been the bane of many museums.

 もう一つのよくある間違いは芸術を考古学と間違えることである.遺物から生まれる尊敬の念は人間の最大の特質であり、喜んで我々はそれを大きく育みたいと思う.古の巨匠たちは未来の教化への道を拓いたことに対して立派な敬意が評されるべきである.

 世紀の批判を無傷で抜けてきて、未だ栄光に包まれてやってきたという単事実でさえもわれわれの尊敬を集めるものだ.しかし人々の業績が単純に年齢で算定されるならば、我々は実際はおろかになるべきである.しかし我々は自分らの歴史的共感が審美的差別にを蹂躙していることを許容している.我々は芸術家が安らかに墓で眠りにつくときに称賛の花を手向ける.進化論を宿した十九世紀はより一層、種の中で個人の失見当の習慣を生み出した.蒐集家は時代や流派を説明しようと標本を集めることに神経質になり、二流の製品のいくつかよりも一つの傑作が与えられた時代や流派について我々に語ってくれることを忘れてしまうのである.我々はあまりに分類しすぎていて楽しむことがほとんどない.展示といういわゆる科学的理論のために審美的方法を犠牲にしたことが多くの美術館の悩みの種である.

The claims of contemporary art cannot be ignored in any vital scheme of life. The art of to-day is that which really belongs to us: it is our own reflection. In condemning it we but condemn ourselves. We say that the present age possess no art: –who is responsible for this? It is indeed a shame that despite all our rhapsodies about the ancients we pay so little attention to our own possibilities. Struggling artists, weary souls lingering in the shadow of cold disdain! In our self-centred century, what inspiration do we offer them? The past may well look with pity at the poverty of our civilisation; the future will laugh at the barrenness  of our art. We are destroying art in destroying beautiful life. Would that some great wizard might from the stem of society shape a mighty harp whose strings would resound to the touch of genius.

 同一時代の美術の主張は人生の企画において無視できるものではない.今日の芸術は実に私達に属しているものである.それは我々の反映である.それを断罪することは自身を断罪することにほかならない.今日の時代に芸術がないといういうものがいる.誰の責任というのか.古代に関する狂想曲にもかかわらず我々は自分の可能性に注意をほとんど払わないのは実に恥ずかしいことだ.苦しみもがく芸術家たち、冷たい侮蔑の影の中でさまよう疲れた魂たち!自己中心の世紀において、どのような霊感を我々はかれらに与えているのか.我々の文明が貧困だと過去が哀れみをもって見るのも無理はない.未来は芸術の不毛さを笑うだろう.我々美しいものを破壊することで芸術を破壊している.だれか大魔術師が社会の幹から有能な竪琴を作り出し、その弦が天才に触れて鳴り響かないだろうか.

天心、多いに怒っております.この議論、今も変わらない気がしませんか.

次回、第六章です.ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 14

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 茶の本、第五章の続きです.天心はどこか現代人に対して冷笑的な印象を文体に漂わせます.諦観すら感じます.どこか寂しげでもあります.なんとなくそんな気がします.

To the sympathetic a masterpiece becomes a living reality towards which we feel drawn in bonds of comradeship. The masters are immortal, for their loves and fears live in us over and over again. It is rather the soul than the hand, the man than the technique, which appeals to us, – the more human the all the deeper is our response. It is because of this secret understanding between the master and ourselves that in poetry or romance we suffer and rejoice with the hero and heroine. Chikamatsu, our Japanese Shakespeare, has laid down as one of the first principle of dramatic composition the importance of taking the audience into the confidence of the author. Several of his pupils submitted played for his approval, but only one of pieces appealed to him. It was a play somewhat resembling the comedy of Errors, in which twin brethren suffer through mistaken identify. “This,” said Chikamatsu, “has the proper spirit of the drama, for it takes the audience into consideration. The public is permitted to know more than the actors. It knows where the mistake lies, and pities the poor figures on the board who innocently rush to their fate.”

 傑作への共感は、友愛の絆によって惹きつけられ、生ける現実となる。達人たちは不死身である.その愛と恐怖が私達の中で幾度と生きているからである.手錬よりはむしろ魂が、技巧よりは人が、我々にとって魅力的である.より人間味が増すほど、我々の反応も深みが増すのである.巨匠と私達の間のこの暗黙の了解あればこそ詩歌や物語において我々が主人公とともに苦楽を共にすることができるのである.

 日本のシェイクスピアである近松門左衛門は、劇の脚本の第一原則の一つとして、作家の秘密に聴衆を引き込む重要性に重きを置いた.彼の門弟の何人かは彼に認められようと脚本を描いてきたが、一部のみが認められたに過ぎなかった.それはどこかシェイクスピアの「間違いの喜劇」に似ている脚本で、双子の兄弟が同一人物と誤認されることで苦労する話であった.「これこそ」と近松は言った.「演劇の本来の精神を持っている.聴衆を考慮に入れているからだ、大衆は役者よりも知る必要があるのだ.皆はどこに誤りがあるか知っていて、自分の運命に無垢に突っ走る哀れなや人物に同情するのだ」.

The great masters both of the East and West never forgot the value of suggestion as a means for taking the spectator into their confidence. Who can contemplate a masterpiece without being awed by the immense vista of thought presented to our consideration? How familiar and sympathetic are they all; how cold in contrast the modern commonplaces! In the former we feel the warm outpouring of man’s heart; in the latter only a formal salute. Engrossed in his technique, the modern rarely rise himself above. Like the musicians who vainly invoked the Lungmen harp, he sings only of himself. His works may be nearer science, but are further from humanity. We have an old saying in Japan that a woman cannot love a man who is truly vain, for there is no crevice in his heart for love to enter and fill up. In art vanity is equally fatal to sympathetic feeling, whether on the part of the artist or the public.

 洋の東西を問わず、巨匠は観衆に秘密を打ち明けることに暗示の価値を示すことを決して怠らない.我々の想定に対し示される思考の圧倒的な広がりによって畏敬の念を抱かずに傑作を吟味できるものはいるだろうか.

 それらはどれだけ親密で共感的であろうか.それとひきかえ現代の凡作の冷ややかさといったら.かつて我々は傑作に人の心から湧き出る温かみを感じたものだ.後にただの儀礼的な文句になってしまった.自身の技芸に没頭し、現代人は自身を超えることはほとんどなくなった.竜門の竪琴を呼び覚ませなかった音楽家のように、自身のことばかり歌うのである.彼の作品は科学に近いところにあるのかもしれないが、人情からはかけ離れている.日本の諺に、見栄はる男は女に好かれない、というのがあるが、そんな男に入り込み満たすための心の裂け目はない.芸術において虚栄は芸術家の側であれ、聴衆の方であれ、共感的感情にとって同義であるように致命的である.

Nothing is more hallowing than the union of kindred spirits in art. At the moment of meeting, the art lover transcends himself. At once he is and is not. He catches a glimpse of Infinity, but words cannot voice his delight, for the eye has no tongue. Freed from the fetters of matter, his spirit moves in the rhythm of things. It is thus that art becomes akin to religion and ennobles mankind. It is this which makes a masterpiece something sacred. In the old days the veneration in which the Japanese held the work of the great artist intense. The tea-masters guarded their treasures with religious secrecy, and it was often necessary to open a whole series of boxes, one within another, before reaching the shrine itself –the silken wrapping within whose soft folds lay the holy of holies. Rarely was the object exposed to view, and then only to the initiated.

 芸術において血盟の精神よりも神聖なものはない.出会ってすぐさま、芸術愛好家は自身を超越するのである.一瞬、彼は存在すると同時に存在しない.彼は無限のきらめきを捉えるが、彼の喜びを紡ぐ言葉はない.目には舌がないからである.彼は物質の足枷から解放され、精神は物質の律動を動かすのである.かくして芸術が宗教の近縁たらしめ人間を高尚にするのである.こうして傑作がなにか神聖になるのである.かつて昔、日本人が宗教的な崇拝とともに抱いていた芸術家への敬意は厚かった.茶人たちは、秘密の宝物を守っていたが、御神体は絹で覆われた柔らかく折りたたまれたもので、それに達するには一つまた一つと、いくつもの箱を開ける必要があった.それを見ることができる人は限られていた.見る場合でも、秘伝を授かった者のみに限られた.

At the time when Teaism was in the ascendency the Taiko’s generals would be better satisfied with the present of a rare work of art than a large grant of territory as a reward of victory. Many of our favourite dramas are based on the loss and recovery of a palace of Lord Hosokawa, in which was preserved the celebrated painting of Dharuma by Sesson, suddenly takes fire through the negligence of the samurai in charge. Resolved at all hazards to rescue the precious painting, he rushes into the burning building and seizes the kakemono, only to find all means of exit cut off by the flames. Thinking only of the picture, he slashes open his body with his sword, wraps his torn sleeve about the Sesson and plunges it into the gaping wound. The fire is at last extinguished. Among the smoking embers is found a half-consumed corpse, within which reposes the treasure uninjured by the fire. Horrible as such tales are, they illustrate the great value that we set upon a masterpiece, as well as the devotion of a trusted samurai.

 茶道が興隆する時代になると、太閤の諸将たちは勝利の報奨として広大な領土よりも希少な美術品を送られるほうが満足に感じたのであった.我々の好みの劇には細川氏の邸宅の損失と復興を主題にしたものがあり、そこには雪村による達磨の絵が保存されていたが、突如、侍の警護の不注意から失火したのである.貴重な絵画を救助するためあらゆる注意を排して、侍は燃える建物に駆け込み、掛け物を掴んだが、炎によって退路が絶たれたことを知るのみであった.絵画のことだけを考え、彼は刀で自身の体を切り裂き、裂けた袖で雪村の絵を包み、開いた傷口に容れたのであった.火事はとうとう消し止められた.灰燼の中に半焼の死体が見つかり、中には火から無傷の宝物が安置してあった.こうした話は、忠臣の侍の献身はもちろん、我々が傑作にかける価値の重さが、凄まじいことをよく説明している.

We must remember, however, that art is of value only to the extent that it speaks to us. It might be a universal language if we ourselves were universal in our sympathies. Our finite nature, the power of  tradition and conventionality, as well as our hereditary instincts, restrict the scope of our capacity for artistic enjoyment. Our very individuality establishes in one sense a limit to our understanding; and our aesthetic personality seeks its own affinities in the creation of the past. It is true that with cultivation our sense of art appreciation broadens, and we become able to enjoy many hitherto unrecognised expressions of beauty. But, after all, we see only our own image in the universe, –our particular idiosyncrasies dictate the mode of our perceptions.  The tea-masters collected only objects which fell strictly within the measure of their individual appreciation.

 しかしながら、我々は芸術が語りかける度合いがあることを覚えておかねばならない.我々が共感において普遍的であるならば普遍的な言語が存在するであろう.我々が有限の存在であり、伝統と因習の力があることは、遺伝的本能と同等に、芸術の楽しみに対する度量の視野を制限するものである.我々のこの独自性がある意味で理解に制約を課している.そして審美的人格がその過去の創造に親近感を抱くことを求めるのだ.なるほど醸成により我々の芸術鑑賞感覚が広がること、そして美の多くの未だ見ぬ表現を享受することができるのである.しかし、結局は宇宙において自分の心象を見るのみである.我々固有の特殊な性質が自身の知覚の様式を支配するのである.茶人も独自の鑑賞の測りを厳格に落とし込むことができる物品のみを蒐集したのであった.

 おそらく天心が文中で述べた双子の話は「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」でしょう.ここまで読んでくださり、ありがとうございます.

The Book of Tea: 13

Chapter V 第五章

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 雨の日は寒いですね.空気が一段と冷たくなるのを感じます.皆さんお元気ですか.ついに「茶の本」も五章に突入です.岡倉節ともいえる彼の芸術論、楽しいですよ.第三段落の文は美しいです.こういう文章が書けたらいいなぁ.

Art Appreciation 芸術鑑賞

HAVE you heard the Taoist tale of the Taming of the Harp?

 皆は「琴ならし」という道教徒の話を聞いたことがあるだろうか.

Once in the hoary ages in the Ravine of Lungmen7 stood a Kiri tree, a veritable king of the forest. It reared its head to talk to the stars; its roots struck deep into the earth, mingling their bronzed coils with those of the silver dragon that slept beneath. And it came to pass that a might wizard made of this tree a wondrous harp, whose stubborn spirit should be tamed but but the greatest of musicians. For long the instrument was treasured by the Emperor of China, but all in vain were the efforts of those who in turn tried to draw melody from its strings. In response to their utmost strivings there came from the harp but harsh notes of disdain, ill-according with the songs they fain would sing. The harp refused to recognise a master.

 かつて太古の時代、竜門の渓谷に桐の木があり、森の真の王であった.高くそびえ星々と会話した.根は地中奥深く生え、青銅のとぐろを巻き、白銀の龍がそばで眠っていた.そして有能な仙人がその木を竪琴に変えた.だがその堅固な精神をならすことは偉大な音楽家だけであった.中国の皇帝によってその楽器は宝物とされたが、みなが順番に弾こうとしてその努力はすべて無駄になった.最大の努力に対して竪琴からは侮蔑の荒々しい音が、喜んで歌おうとすると音色は気分を害するものであった.竪琴は主を認めることを拒んだのである.

At last came Peiwoh, the prince of harpists. With tender hand he caressed the harp as one might seek to soothe an unruly horse, and softly touched the chords. he sang of nature and the seasons, of high mountains and flowing waters, and all the memories of the tree awoke! Once more the sweet breath of spring played amidst its branches. The young cataracts, as they danced down the ravine, laughed to the budding flowers. Anon were heard the dreamy voices of summer with its myriad insects, the gentle patterning of rain, the wail of the cuckoo. Hark! a tiger roars, – the valley answers again. In autumn; in the desert night, sharp like sword gleams the moon upon the frosted grass. Now winter reigns, and through the snow-filled air swirl flocks of swan and rattling hailstones beat upon the boughs with fierce delight.

 ついに竪琴弾きの第一人者である伯牙が現れた.優しい手付きで悍馬を手懐けるように琴を愛撫し、優しく弦に触れた.彼は自然と季節を歌い、山々について、流水について、そしてあの木の記憶がすべて目覚めたのだ.再び泉の甘美な息吹がその枝の中から現れた.青春の奔流が渓谷で踊りだすと、花の蕾に笑いかけた.すぐさま夏の無数の虫たちの夢のような声が聞こえ、雨模様の優しさ、郭公の鳴き声が聞こえる.聞くのだ.虎が吠える.渓谷にこだまする.秋には荒涼とした夜、霜の降りた草の頭上に月の光が鋭い剣のように照らす.今や冬が訪れ、雪舞う空気に白鳥の群れが渦巻き、荒れる霜は喜々として枝を打つのである.

Then Peiwoh changed the key and sang of love. The forest swayed like an ardent swain deep lost in thought. On high, like a haughty maiden, swept a cloud bright and fair; but passing, trailed long shadows on the ground, black like despair. Again the mode was changed; Peiwoh sang of war, of clashing steel and trampling steeds. And in the harp arose the tempest of Lungmen, the dragon rode the lightning, the thundering avalanche crashed through the hills. In ecstasy the Celestial monarch asked Peiwoh where in lay the secret of his victory. “Sire,” he replied, “others have failed because they sang but of themselves. I left the harp to choose its theme, and knew not truly whether the harp had been Peiwoh or Peiwoh were the harp.”

 それから伯牙は旋律を変え愛を歌った.森が熱心な田舎者のように夢中であった.横柄な高くとまった女中のように、雲が輝き、通り過ぎる.地上に長い影が尾を引き、絶望のように黒い.再び調子が変わった.伯牙は争いを歌う.剣戟の音、軍馬の駆ける音を歌った.そして竜門の嵐が起きると、竜が稲妻に乗り、雪崩が轟々と丘に落ちた.中国の皇帝は恍惚として伯牙になぜ、彼は琴を勝ち取ったのか尋ねた.「陛下、」彼は答えた.「彼らはみな自分たちのことを歌ったからです.私は琴に主題を選ばせました.そして琴が伯牙であったか伯牙が琴であったかどうかは本当はわからないのでした.」

This story illustrates the mystery of art appreciation. The masterpiece is a sympathy played upon our finest feelings. True art is Peiwoh, and we the harp of Lungmen. At the magic touch of the beautiful the secret chords of our being are awakened, we vibrate and thrill in response to its call. Mind speaks to mind. We listen to the unspoken, we gaze upon the unseen. The master calls forth notes we know not of. Memories long forgotten all come back to us with a new significance. Hopes stifled by fear, yearnings that we dare not recognise, stand forth in new glory. Our mind is the canvas on which the artists lay their colour; their pigments are our emotions; their chiaroscuro the light of joy, the shadow of sadness. The masterpiece is of ourselves, as we are of the masterpiece.

The sympathetic communication minds necessary for art appreciation must be based on mutual concession. The spectator must cultivate the proper attitude for receiving the message, as the artist must know how to impart it. The tea-master, Kobori-Enshiu, himself a daimyo, has left to us these memorable words: “Approach a great painting as thou wouldst approach a great prince.” In order to understand a masterpiece, you must lay yourself low before it and await with bated breath its least utterance. An eminent Sung critic once made a charming confession. Said he: “In my young days I praised the master whose pictures I liked, but as my judgement matured I praised myself for liking what the masters had chosen to have me like.” It is to be deplored that so few of us really take pains to study the moods of the masters. In our stubborn ignorance we refuse to render them this simple courtesy, and thus often miss the rich repast of beauty spread before our very eyes. A master has always something to offer, while we go hungry solely because of our own lack of appreciation.

 この話は芸術鑑賞の秘訣をよく説明している.傑作とは我々の最も細やかな感性との交響曲である.真の芸術は伯牙であり、我々が竜門の琴なのだ.美の秘術で我々の存在という秘密の琴線が目を覚ます.その呼びかけに震え、わななく.精神は精神に語りかける.我々は聞こえないものに耳を澄ます.我々は見えないものを凝視する.達人は我々の知らないこと旋律を呼び起こす.長く忘れられた記憶は新たな意味を持って回帰する.恐怖によって押し込められた希望、我々があえて認知せずにいた仰望は、しきりに新たな栄光にいたるべくと前に立つ.私達の精神は芸術家が色付けをする画布である.描画の絵具は情緒である.明暗法は喜びの光であり、悲しみの影である.傑作は我々の中にあるように我々は傑作の中にいるのだ.

 

 芸術鑑賞に必要なこの情緒的な心の交流は相互譲歩に基づかねばならない.観衆は芸術家がどのように分かつか知らねばならないように、言伝を受け取る適切な態度を養わねばならない.茶の宗匠、小堀遠州は自身が大名であったが、つぎのような忘れがたい言葉を残している.

 「汝が偉大な太子に近づくように偉大な絵に歩み寄れ」

 傑作を理解するためには、その前では自身を低く、固唾を呑んで一言も発しないようにせよ.宗の著名な批評家は見事な告白を行った.

 「若かりしころ、自分の好きな絵画の宗匠を崇めたが、私は歳をとって宗匠が私が好みにあわせて絵を描いてくれたものを好む自分を讃えるようになったのだ」

 達人の作法を骨を折ってでも学ぶ人がまったくいないことは実に嘆かわしい.我々の頑固な無知においてこの単純な思いやりを拒むのである.そうして我々はしばしば眼前から見事な美の饗応を見逃すことがある.宗匠はつねに何かごちそうを与えてくれる.我々が自身の鑑賞の仕方を知らないゆえに一人腹をすかせるのだ.

7 The Dragon Gorge of Honan. 竜門の峡谷 河南省の竜門峡谷のこと.

最後まで読んでくださりありがとうございます.

The Book of Tea: 12

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Adobe of Fancy

Hello. The chapter four ends in this page and we’ll move on next chapter later. The translation was quite challenging but so comfy to me when the work came to the end. His style of writing is vigorous, contains a profound knowledge, and full of overwhelming passion. I can but manage to appreciate it by reading hundred times and trying to find what Tenshin meant to claim.


The name, Adobe of Fancy, implies a structure created to meet some individual artistic requirement. The tea-room is made for the tea-master, not the tea-master for the tea-room. It is not intended for posterity and is therefore ephemeral. The idea that everyone should have a house of his own is based on an ancient custom of the Japanese race, Shinto superstition ordaining that every dwelling should be evacuated on the death of its chief occupant. Perhaps there may have been some unrealised sanitary reason for this practice. Another early custom was that a newly built house should be provided for each couple that married. It is on account of such customs that we find the Imperial capitals so frequently removed from one site to another in ancient days. The rebuilding, every twenty years, of Ise Temple, the supreme shrine of the Sun-Goddess, is an example of one of these ancient rites which still obtain at the present day. The observance of these customs was only possible with some such form of construction as that furnished by our system of wooden architecture, easily pulled down, easily built up. A more lasting style, employing brick and stone, would have rendered migrations impracticable, as indeed they became when the more stable and massive wooden construction of China was adopted by us after the Nara period.

 数寄家、趣味の家という名はある芸術的な要求を満たすために作られた建造物であるという意味を含む.茶室は茶の宗匠のために作られたのであり、茶室のための茶の宗匠が作られたのではない.後世のためではなく、それゆえに儚い.誰もが自前の家を持つべきだという考えは日本人の古代の慣習に基づき、神道の迷信が命ずるところには、すべての住宅が家長の死ぬ際は避引き払わなければならない.おそらくなんらかの無意識な衛生概念のために実践されたのであろう.

 もう一つの早期の慣習とは新婚の各々の夫婦に新築を与えるべきだというものであった.そうした慣習は遷都のためであるとわかる.伊勢神宮は、改装は二十年毎に行われる.崇高な太陽女神の神殿であるが、古代のしきたりを今でも保っている一例である.こうした慣習を観察することは、あるいくらかの建築様式、すなわち、たやすく壊し、たやすく建てることのできる木造建築の我が国の体系により備えられるものとしてのみはじめて可能であった.

 より耐久性のある、煉瓦と石を用いるものがあるが、これによって転居が不可能になって、安定し強靭な中国の木造建築が奈良時代以降に用いられた.事実、移動は不可能となった.

With the predominance of Zen individualism in the fifteenth century, however, the old idea became imbued with a deeper significance as conceived in connection with the tea-room. Zennism, with the Buddhist theory of evanescence and its demands for the mastery of spirit over matter, recognised the house only as temporary refuge for the body. The body itself was but as a hut in the wilderness, a flimsy shelter made by tying together the grasses that grew around, –when these ceased to be bound together they again became resolved into the original waste. In the tea-room fugitiveness is suggested in the thatched roof, frailty in the slender pillars, lightness in the bamboo support, apparent carelessness in the use of commonplace materials. The eternal is to be found only in the spirit which, embodied in these simple surroundings, beautifies them with the subtle light of its refinement.

 しかしながら、禅の個人主義の優勢に伴い十五世紀には、古い思想は、茶室との関係において得られたものとして、より深い意味が吹き込まれた.

 禅道は、仏教徒の無常の理論と精神が物質を優越することを修得するためのその要請を伴って、肉体を一時的な避難のための家としてみなされた.肉体そのものは荒野に建てられた小屋に過ぎず、地面に生える草を結びあわせて作られた脆いしのぎ、それらが解けてしまうと再び荒れ地に戻るのである.茶室において儚さとは藁葺き屋根を意味し、細い柱の脆さ、竹の支えの軽さ、ありふれた物質をつかうことの見え透いた無造作なところに込められている.

 永遠とは精神にのみ見られる、すなわち、素朴な環境に体現し、みずからの上品なかすかな光とともに美化するものの中においてのみである.

That the tea-room should be built to suit some individual taste is an enforcement of the principle of vitality in art. Art, to be fully appreciated, must be true to contemporaneous life. It is not that we should ignore the claims of posterity, but that we should seek to enjoy the present more. It is not that we should disregard the creations of the past, but that we should try to assimilate them into our consciousness. Slavish conformity to traditions and formulas fetters the expression of individuality in architecture. We can but weep over those senseless imitations of European buildings which one beholds in modern Japan. We marvel why, among the most progressive Western nations, architecture should be so devoid of originality, so replete with repetitions of obsolete styles. Perhaps we are now passing through an age of democratisation in art, while awaiting the rise of some princely master who shall establish a new dynasty. Would that we loved the ancients more and copied them less! It has been said that the Greeks were great because they never drew from the antique.

 茶室が個人の好みに合わせるために建てられるべきというのは芸術における生命力の原理の強い主張である.芸術を、十分な理解に耐えるためには、同時代の生活にとり真実でならなければならない.私達が後代の主張を無視するべきであるというのではなくて、現在をより享受せよということである.過去の創造物を無視するというわけではなく、自分の意識に吸収しようとすべきである.伝統と形式への奴隷のような従順とは建築において個人主義の表現の枷である.

 我々は現代日本にそびえるヨーロッパ建築の風情のない模倣を嘆かざるを得ない.我々は驚く.なぜ最も先進的な西洋国家の中で建築がかくも独創を欠いて、時代遅れの様式を繰り返しているのはなぜかと.

 おそらく我々は芸術の民主主義化の時代にいるのだが、一方で新たな王朝を築く名君の勃興を待っている.願わくば昔を愛するより多く、模倣を少なくすることを!ギリシアが優れていたのは彼らが古代様式の域から脱していないことにあると言われている.

The term, Adobe of Vacancy, besides conveying the Taoist theory of the all-containing involves the conception of a continued need of change in decorative motives. The tea-room is absolutely empty, except for what may be placed there temporarily to satisfy some aesthetic mood. Some special art object is brought in for the occasion, and everything else is selected and arranged to enhance the beauty of the principal theme. One cannot listen to listen to different pieces of music at the same time, a real comprehension of the beautiful being possible only through concentration upon some central motive. Thus it will be seen that the system of decoration in our tea-rooms is opposed to that which obtains in the West, where the interior of a house is often converted into a museum. To a Japanese, accustomed to simplicity of ornamentation and frequent change of decorative method, a Western interior permanently filled with a vast array of pictures, statuary, and bric-à-brac gives the impression of mere vulgar display of riches. It calls for mighty wealth of appreciation to enjoy the constant sight of even a masterpiece, and limitless indeed must be the capacity for artistic feeling in those who can exist day after day in the midst of such confusion of colour and form as is to be often seen in the homes of Europe and America.

 「空き家」という言葉は万物が含有するという道教徒の理論を伝えるだけでなく、装飾的な主体において絶えず変化する必要があるという概念をもっている.いくらかの審美的雰囲気を一時的に満たすために、配置すべきものを除いて、茶室はまったくの空虚である.

 状況によって何らかの特別な芸術品が持ち込まれるが、すべては原理的な題目の美しさを強化するために選定され配置される.異なる音色を同時に聞き分ける人はいない.中枢の主題へ集中することでのみ美的存在の真の鑑賞は可能になる.このようにして茶室における装飾の体系は西洋、邸宅の内装がしばしば美術館に変わるところ、において持っているものの対極である.

 日本人にとって、装飾の簡素さや装飾方法の頻繁の変化に親しんでいる我々にとって、西洋の内装の変わることなくずらりと並んだ絵画、像、骨董品が富豪のただの卑しい陳列という印象を与える.

 一つの傑作でさえも常に鑑賞を楽しむためには大きな鑑賞の豊かさが必要である.ヨーロッパやアメリカの家庭でしばしば見られる色彩と様式のそうした混乱のさなかに何日もいられる者における芸術的感性とは、実に無限を要するのであるにちがいない.

“The Adobe of the Unsymmetrical” suggests another phase of our decorative scheme. The absence of symmetry in Japanese art objects has been often commented on by Western critics. This, also, is a result of a working out through Zennism of Taoist ideals. Confucianism, with its deep-seated idea of dualism, and Northern Buddhism with worship of a trinity, were in no way opposed to the expression of symmetry. As a matter of fact, if we study the ancient bronzes of China or the religious arts of the Tang dynasty and the Nara period, we shall recognise a constant striving after symmetry. The decoration of our classical interiors was decidedly regular in its arrangement. The Taoist and Zen conception of perfection, however, was different. The dynamite nature of their philosophy laid more stress upon the process through which perfection was sought than upon perfection itself. True beauty could be discovered only by one who mentally completed the incomplete. The virility of life and art lay in its possibilities for growth. In the tea-room it is left for each guest in imagination to complete the total effect in relation to himself. Since Zennism has come become that prevailing mode of thought, the art of the extreme Orient has purposely avoided the symmetrical as expressing not only completion but repetition. Uniformity of design was considered as fatal to the freshness of imagination. Thus, landscapes, birds, and flowers became the human figure, the latter being present in the person of the beholder himself. We are often too much in evidence as it is, and in spite of our vanity even self-regard is apt to become monotonous.

 「非対称の家」は我々の装飾的様式のもう一つの段階であることを意味している.日本美術品において対称を欠くことに対して西洋の批評家の指摘を受けてきた.これもまた、道教徒思想の禅道を通じて築かれた結果である.

 儒教の二元論の考えに深く根ざすもものと、仏教の三位一体の崇拝は対称性の表現に反対するものではない.事実、古代の中国の青銅あるいは唐王朝と奈良時代の宗教芸術を学ぶとすれば、我々は対称性の絶え間ない努力を認める.我が国の古典的内装の装飾は決定的に規則的配列である.しかしながら道教徒と禅の完全の理念は異なっていた.彼ら哲学の動的本質は、完全とは、完全そのものよりも完全を探求する過程を重視することにある.

 真の美は精神的に、不完全なものを完成させたものによってのみ発見される.生命の力強さとは成長の可能性にある.茶室では、全体の効果が自身との関わりのなかで完成なものにするために客人各々の想像力に委ねられる.禅道が現在も残る思考の様式となって以来、極東の芸術は表現としての対称性を完全だけでなく、反復をも故意に避けた.

 意匠の画一性は想像力の新鮮味にとり致命的と考えられた.そうして、風景、鳥、花が人物像よりも好ましい主題となった.後者はそれを所有するひとそのものである.我々はありのままの自己を表現することが余計すぎていて、我々の空虚さにもかかわらず自己認識は単調になりがちである.

In the tea-room the fear of repetition is a constant presence. The various objects for the decoration of a room should be so selected that no colour or design shall be repeated. If you have a living flower, a painting of flowers is not allowable. If you are using a round kettle, the water pitcher should be angular. A cup with a black glaze should not be associated with a tea-caddy of black lacquer. In placing a vase on an incense burner on the tokonoma, care should be taken not to put it in  the exact centre, lest it divide the space into equal halves. The pillar of the tokonoma should be of a different kind of wood from the other pillars, in order to break any suggestion of monotony in the room.

 茶室では反復を避けようとする考えが持続しているのである.部屋の装飾に対する多彩な事物は選択されても色や意匠は反復されるべきではない.生花があれば、花の絵は不要である.丸い茶釜があれば、水差しは角張ったものであるべきだ.黒釉の茶碗は漆塗りの黒茶筒と合わせるべきではない.床の間に香炉や花瓶を配置するときは、中央に置くのではないようにして、それが均等に半分に空間を割かないようにすべきである.床の間の柱は他の柱とは異なる木材であるべきで、部屋の単調性を破るようにすべきである.

Here again the Japanese method of interior decoration differs from that of the Occident, where we see objects arrayed symmetrically on mantelpieces and elsewhere. In Western houses we are often confronted with what appears to us useless reiteration. We find it trying to talk to a man while his full-length portrait stares at us from behind his back. We wonder which is real, he of the picture or he who talks, and feel a curious conviction that one of them must be fraud. Many a time have we sat at a festive board contemplating, with a secret shock to on the dining-room walls. Why these pictured victims of chase and sport, the elaborate carvings of fishes and fruit? Why the display of family plates, reminding us of those who have dined and are dead?

 ここでまた、日本の室内装飾方法が西洋の、我々が見る事物がマントルピースやどこもかしこもに対称に並べてあるところのそれと異は異なる.西洋の邸宅において我々はしばしば無用の繰り返しのように思われるものに出くわす.ある男が彼の等身大の肖像画が飾ってある前で当人と話をしていることがある.我々はどちらが本物なのかと思うのである.絵の男か、話をしている男か、そしてどれかが偽物だという奇妙な確信をもつのである.

 我々は宴会に着座して、晩餐会の壁に密かな衝撃を何度も受ける.なぜ狩りの犠牲の絵が、魚や果物の精巧な彫刻が描かれているのか.なぜかつてともに食事し、亡くなったことを思い起こすような家紋の描かれた器が並んでいるのだろうか.

The simplicity of the tea-room and its freedom from vulgarity make it truly a sanctuary from the vexations of the outer world. There and there alone can one consecrate himself to undisturbed adoration of the beautiful. In the sixteen century the tea-room afforded a welcome respite from labour to the fierce warriors and statesman engaged in the unification and reconstruction of Japan. In the seventeenth century, after the strict formalism of the Tokugawa rule had been developed, it offered the only opportunity possible for the free communion of artistic spirits. Before a great work of art there was no distinction between daimyo, samurai, and commoner, Nowadays industrialism is making true refinement more difficult all the world over. Do we not need the tea-room more than ever?

 茶室の簡素さと粗野からの自由が外界の苛立たしさを解き放つ聖域なのである.そうして美の礼賛を煩わされずに身を捧げることを可能にするのである.十六世紀において茶室は歓待を提供し、荒くれ者の戦士と日本の再興と統合に従事する者が労働からの休息を提供する.十七世紀において、徳川の厳格な形式主義が確立してからの後、茶室は芸術的精神の自由な親交に対する唯一の機会をもたらした.

 偉大な芸術作品の前に大名、侍、そして領主に違いはなかった.今日、産業主義が世界中で真の風雅をより困難にしている.我々はこれまでないほど茶室が必要なときはないのではないか.

 いつもありがとうございます.

Goro

The chief editor and translator of Kamegoro Law Firm.

The Book of Tea: 11

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吾郎(ごろうちゃん)

ほとんどの記事を執筆しています.甲長20cm,体重900g超になりました.体格に負けないくらいずっしりと読み応えのある記事を目指しています.

 こんにちは.茶の本の続きになります.詩歌を訳すほうが、文章を訳すよりも大変でした.コツはあまり考えすぎずに直観でさささーっと訳してしまうことです.もとの歌を英訳した天心に関してはもはや何もいわなくていいでしょう.これが才能というやつですね.

A cluster of summer trees, A bit of the sea, A pale evening moon.

The simplicity and purism of the tea-room resulted from emulation of the Zen monastery. A Zen monastery differs from those of other Buddhist sects inasmuch as it is meant only to be a dwelling place for the monks. Its chapel is not a place of worship or pilgrimage, but a college room where the students congregate for discussion and the practice of meditation. The room is bare except for a central alcove in which, behind the altar, is a statue of Bodhi Dharuma the founder of the sect, or of Sakyamuni attended by Kashiapa and Ananda, the two earliest Zen patriarchs. On the altar, flowers and incense are offered up in memory of the great contributions which these sages made to Zen. We have already said that it was the ritual instituted by Zen monks of successively drinking tea out of a bowl before the image of Bodhi Dharma, which laid the foundations of the tea-ceremony. We might add here that the altar of the Zen chapel was the prototype of the Tokonoma, – the place of honour in a Japanese room where paintings and flowers are placed for the edification of the guests.

 茶室の簡素さと純粋さは禅林を見習うことによって生じたのであった.禅林は他の仏教宗派と異なるので僧侶にとってただの住所となっている.礼拝堂は崇拝や巡礼の場所ではなく、学生が問答と瞑想の練習のため集まる学問の部屋であった.その部屋は中央にくぼみがあり、祭壇の後ろには菩提達磨、流派の創始者あるいは迦葉と阿難陀が連なった釈迦牟尼の像があり、二人の初期禅道の祖師以外何もないのである.祭壇の上には、花と香が禅に対して賢人がなした偉大な貢献を記憶するために捧げられている.

 禅僧が菩提達磨の像の前でひとつの碗の茶を次々続けて飲む儀礼的なものだとすでに言及した.菩提達磨は茶の湯の創始者であった.禅の祭壇は床の間、すなわち絵画や花が客人を教化するために配置された日本の部屋の上座の原型であったと付言しよう.

All our great tea-masters were students of Zen and attempted to introduce the spirit of Zennism into the actualities of life. Thus the room, like the other equipments of the tea-ceremony, reflects many of the Zen doctrines. The size of  the orthodox tea-room, which is four mats and a half, or ten feet square, is determined by a passage in the Sutra of Vikramadytia. In that interesting work, Vikramadytia welcomes the Saint Manjushiri and eighty-four thousand disciples of Buddha in a room of this size, –an allegory based on the theory of the non-existence of space to the truly enlightened. Again the roji, the tea-room, signified the first stage of meditation, –the passage into self-illumination. The roji was intended to break connection with the outside world and to produce a fresh sensation conducive to the full enjoyment of aestheticism in the tea-room itself. One who has trodden this garden path cannot fail to remember how his spirit, as he walked in the twilight of evergreens over the regular irregularities of the stepping stones, beneath which lay dried pine needles, and passed beside the moss-covered granite lanterns, became uplifted above ordinary thoughts. One may be in the midst of a city, and yet feel as if he were in the forest far away from the dust and din of civilisation. Great was the ingenuity displayed by the tea-masters in producing these effects of serenity and purity. The nature of the sensations to be aroused in passing through the roji, differed with different tea-masters. Some, like Rikiu, aimed at utter loneliness, and claimed the secret of making a roji was contained in the ancient ditty:

 我が国の偉大な茶の宗匠はみな禅の学徒であり、禅道の精神を生活の実際に導入しようとした.このようにして、部屋は、茶の湯の他の道具の様に、禅の教義の多くを反映している.標準的な茶室の大きさは、四畳半あるいは十尺平方で、ヴィクラマーディティヤ王の経典「維摩経」の文によって決められている.興味深い作品の中で、ヴィクラマーディティヤ王は文殊菩薩と、四万八千のブッダの弟子をこの大きさの部屋で迎える.真に悟りを開いたものにとって空間は存在しないという理論に基づいた寓話である.

 再び路地、茶室は黙想の初段階と位置づける、自己啓発への小路である.路地は外界との連絡を絶ち、茶室そのものの審美主義の十分な楽しみにつながる新鮮な感覚を生み出すためにあった.

 庭道を歩く人は、常緑樹の黄昏を歩く時に乾いた松の葉が敷かれ、踏石が規則的な不規則性で並び、苔むした御影石の灯籠のそばを過ぎる時、その精神が普通の考えを離れ昇華するのを感じざるをえないだろう.

 都市の真っ只中にいるものは、まるで文明の塵芥から遠く離れた森林にいるかのような気持ちになる.

 茶の宗匠たちによって配置されたこれら静穏と純真の効果は見事な巧妙さであった.

 路地を通るときに生じる感覚の本質は、茶の宗匠によって異なる.例えば、利休は究極の寂寥を目指したが、路地の秘訣は次のような古歌に含まれていると主張した.

“I look beyond;

Flowers are not,

Nor tinted leaves.

On the sea beach

A solitary cottage stands

In the waning light

Of an autumn eve.”

私が向こうを見渡すと (見渡せば)

花はないし (花も)

紅葉もない.(紅葉もなかりけり)

浜辺には (浦の)

ひっそりと小屋が建つ (苫屋の)

秋の夕べの (秋の夕暮れ)

うす明かりの中で.

Others, like Kobori-Enshiu, sought for a different effect. Enshiu said the idea of the garden path was to be found in the following verses:

 一方、小堀遠州のように、異なる効果を求めたものもいた.遠州は庭の小道の着想は次の句に見いだされると述べた.

“A cluster of summer trees,

A bit of the sea,

A pale evening moon.”

夏の木々の群れ(夕月夜)

海がむこうに見える(海少しある)

淡い夕暮れの月 (木の間かな)

It is not difficult to gather his meaning. He wished to create the attitude of a newly awakened soul still lingering amid shadowy dreams of the past, yet bathing in the sweet unconsciousness of a mellow spiritual light, and yearning for the freedom that lay in the expanse beyond.

 この意味を集約することは難しくは無い.彼は新しく目覚めた魂が過去の影かかる夢の中で未ださまよう態度を作ろうとした.神秘的な心地よい光の甘美な無意識に浴し、遠く彼方に横たわる自由を切望するといったものである.

Thus prepared the guest will silently approach the sanctuary, and if a samurai, will leave his sword on the rack beneath the eaves, the tea-room being pre-ëminently the house of peace. Then he will bend low and creep into the room through a small door not more than three feet in height. This proceeding was incumbent on all guests, -high and low alike, – and was intended to inculcate humility. The order of precedence having been mutually agreed upon while resting in the machiai, the guests one by one will enter noiselessly and take their seats, first making obeisance to the picture of flower arrangement on the tokonoma. The host will not enter the room until all the guests have seated themselves and quiet reigns with nothing to break the silence save the note of the boiling water in the iron kettle. The kettle sings well, for pieces of iron are so arranged in the bottom as to produce a peculiar melody in which one may hear the echoes of a cataract muffled by clouds, of a distant sea breaking among the rocks, a rainstorm sweeping through a bamboo forest, or of the soughing of pines on some faraway hill.

 こうして、支度した客は聖域へと静かに近づく.そして侍であれば軒下に刀の鞘を置くと、茶室は優れて平穏の空間となる.そして人は腰を低くかがめて三尺もない高さの小さな扉を開けて部屋へ入ってゆく.この手続はどの客人も高貴だろうと低かろうと同じで、人情を教え込むようになっている.

 誰が先に入るか順番を決めるのは待合で待っている間に相互の了解で決まり、客人は一人ずつ音を立てずに入り着座する.最初に床の間の生花への敬意を表するのである.主催はすべての客人が着座し、静寂が支配し、茶釜の湯が沸騰する音が静けさを破るまで入室しないのである.

 茶釜の音がよく鳴り、鉄器のかけらが特有の音を奏でるのに底がちょうどよく整えられているからだ.それは雲によって瀑布が包まれた音、遠方の海が岩を穿ち、嵐が竹林を吹き曝し、どこか遠くの丘の松籟のように聞こえる.

Even in the daytime the light in the room is subdued, for the low eaves of the slanting roof admit but few of the sun’s rays. Everything is sober in tint from the ceiling to the floor; the guests themselves have carefully chosen garments of unobtrusive colours. The mellowness of age is over all, everything suggestive of recent acquirement being tabooed save only the one note of contrast furnished by the bamboo dipper and the linen napkin, both immaculately white and new. However faded the tea-room and the tea-equipage may seem, everything is absolutely clean. Not a particle of dust will be found in the darkest corner, for if any exists the host is not a tea-master. One of the first requisites of a tea-master is the knowledge of how to sweep, clean, and wash, for there is an art in cleaning and dusting. A piece of antique metal work must not be attacked with the unscrupulous zeal of the Dutch house wife. Dripping water from a flower vase need not be wiped away, for it may be suggestive of dew and coolness.

 日中でさえも部屋の明かりは抑えられている.というのは傾斜した屋根の低い軒がごくわずかな日光しか拾わないからである.

 天井から床の色合いまですべてがありのままである.客人は控えめの色の服装を注意して着ている.年月の出す円熟味はすべてに行き渡っていて、最近手に入れたのだとわかるものは皆禁じられている.竹の柄杓と麻の布巾は例外で新しいものと古いものの対照をなしている.両者は完璧に白く新しい.

 しかしながら茶室と茶道具が色あせようとすべてがまったく清潔なのである.真っ暗な隅に塵一つ無いのは、もしそれがあれば、その主催は茶人では無いからだ.茶の宗匠に求められる資質のうちの最初の一つは掃き方、清掃、洗浄の知識である.拭きとはたきには技芸があるからである.金属の骨董品は無作法で熱心なオランダの掃除婦にさせてはならない.花瓶からしたたる水を拭いてはならない.というのは雫と涼しさを与えるからである.

In this connection there is a story of Rikiu which well illustrates the ideas of cleanliness entertained by the tea-masters. Rikiu was watching his son Shoan as he swept and watered the garden path. “Not clean enough,” said Rikiu, when Shoan had finished his task, and bade him try again. After a weary hour the son turned to Rikiu: “Father, there is nothing more to be done. The steps have been washed for the third time, the stone lanterns and the trees are well sprinkled with water, moss and lichens are shining with a fresh verdure; not a twig, not a leaf have I left on the ground.” “Young fool,” chided the tea-master, “that is not the way a garden path should be swept.” Saying this, Rikiu stepped into the garden, shook a tree and scattered over the garden gold and crimson leaves, scraps of the brocade of autumn! What Rikiu demanded was not cleanliness alone, but the beautiful and the natural also.

 これに関連して、利休が茶の宗匠によって面白く清潔の思想について説明する話がある.利休は彼の息子、千紹安が庭の道を掃いているのを見た.「十分ではないよ」と利休が言ったのは、紹安が彼の仕事を終えた時で、やり直させようとしたのであった.一時間してくたくたになって息子は利休に「父上、もはや掃くところはありません.段差は三度洗いました.灯籠と木々は十分水をやりました.苔は新緑で輝いています.小枝や葉っぱ一枚も地面に落ちていません」と言った.「馬鹿者め」と利休は叱り、「庭の路地はそのように掃くのではないよ」このように言って、利休は庭に入り込んで木を揺すり庭に黄金色、紅色の葉っぱを散らし、秋の金襴の小布で覆ったのだ.利休が主張するのは清潔さだけでなく、美と自然そのものでもあった.

いつもいつも最後まで読んでくださりありがとうございます.