小論あれこれ

二つのタイムズ

 12月16日から審査の結果「ジャパンタイムズ」紙と提携することとなり、小サイトに広告を掲載することに相成った.ありがたいことである.だから一応宣伝だけしておこう.「ジャパンタイムズ」とはいっても「ジャパンタイムズ・アルファ」といって、内容は平易な方かつ、一週間に一度の発行であるから小規模なものになる.つまりは英語の初学者に向いている、ということになる.和訳もついているという.そして電子媒体ももれなくついてくるそうだから、安心していただきたい.牛丼を頼むと味噌汁もついてくる感じか.時事に関心があって、英語の勉強を始めたい、という方にはおすすめしやすい.

 亀吾郎法律事務所は事務所らしく、「アルファではないジャパンタイムズ」を購読することにした(ということはオメガなのか?).月額100円のキャンペーン中であったからだ.100円ならばラーメン屋でトッピングを我慢すれば良い.電子版なので場所を取らずに済むのはとても良いと思う.とは言っても亀吾郎法律事務所のスタッフが新聞を取る狙いは別にある.極論、時事問題などどうしようもないのだ.クサガメにとっても人間にとっても.私達にできることは各々の素養を伸ばすことだ.私達は語学力のさらなる上達に心を傾けている.私はなぜ、自分の英文がぎこちなく、つまらないかを理解したような気がしている.結論からいえば、圧倒的に語彙力が足りないということだ.だからどうしても表現が平坦になる.「それでいいでしょ」という意見はごもっともなのだが、私はもっと深く、どこまでも深い語学の真髄のようなものを味わってみたいと密かに思っている.少なくともあと2000語から3000語は語彙を増やすことが必要だ.そのためにはどうするか、事務所のみんなが思いついたのは活字を読むことだ.「ジャパンタイムズ」を購読するメリットはもう一つある.抱き合わせで「ニューヨーク・タイムズ」が付帯する.二社の紙面を見比べるという面白いことができるではないか.特に社説は興味深い.できればブログに掲載して紹介することも考えたのだが、著作権の都合でそれはできない.だからこの楽しみは内輪でやるとしよう.

語彙を増やすには

 語学の勉強において、語彙を増やすことはしばしば難しい課題だと思う.それは長く、苦しい.まるで修行のようなものだ.私は高校生時代以来の修行に望むつもりでいる.だが、当時よりも技術革新が進んだおかげで覚える工夫さえすれば、あとは個人の資質次第、という幸運となった.では、どのようにするか.

 一つは明確な最終到達目標を掲げること.私の場合は「とある試験」を受けることで成就する、ということになるか.それは絶望ではなく希望的なものであるほうが良い.

 もう一つは、私だけの特権である「The Book of Tea」を再利用する方法である.「とある試験」に即した単語集を購入し、それに記されている2000語超の単語と照合する.これにはGoogleのSpreadsheetを使う.そのためにまずは手入力で2000語の単語を打ち込み、リストを作成する.続いて亀吾郎法律事務所のブログにある「The Book of Tea」の英文をすべて一編にしてPDF化する.この作業はGoogleのDocumentsを使う(のちにProject Gutenbergで簡単に手に入ることを知る).あとは⌘+Fで、単語集に載っている単語があるかを照会し、照会した単語と一緒に例文を抽出、独自の例文集を作成するというものだ.これに対して「なぜ、単語集に載っている例文を使わないのか」という質問が考えられる.なぜか.それには二つ理由がある.一つは、私の性癖だからだ.フフフ、何も言えまい.もう一つは「この私が』、単語を覚える」のであり、「私が単語集に覚えさせられる」のではない.私が時間をかけ、ATPを消費し、打ち込んだ努力の結晶は「私自身によってのみ為された営為」であり、一つの有機的な情動体験であると考えるからだ.人間やクサガメの記憶というのは、情動体験が伴うと定着しやすいことが知られている.ここでは肯定的な情動体験を利用し記憶の定着を深めることにする.要するに愛着が湧いている.

 だが流石に「The Book of Tea」だけでは2000語には及ばない.なので他の著作を検索中である.それも著作権が失効している作品が望ましい.また進捗があればお伝えしたいと思う.

 もう一つの脱出・超越

 以前述べた小論「超越・脱出」で幾つかの脱出方法を考察したことがあった.「欣求浄土に先行する厭離穢土の一貫性」、「解離現象」、「自殺」といった方法を挙げ、「異世界系小説」における関連性を考えることがあった.その時の私は懸命に「脱出」という方法について考えていたのだが、なかなか思いつかなかった.

 しかしながら、ここ最近、自分が実際にその体験「脱出・超越」をする運び(まさか自分がするとは思わなかった!)となった.これは本当に、本当に気が付かなかったのだが、その脱出と超越は思いもよらぬ方法で、しかも極めて現実的な方法であった.

 私は急遽第六部を執筆する構想を練っている.私が当時書いた冒頭の文章はでっち上げのつもりだったのに、なんだか自分の苦痛を表しているかのようで思わずハッとする.

「今」自分が置かれている状況がとても辛い、現状に満足していない、なんとかして抜け出したい.そんなとき私達はどうするだろうか.休暇を取る?仕事をしている人なら職場になんて言おうか.「言いづらくて……」「きっと上司に小言を言われる」「申請が面倒くさいのです」という感想を持つ人は少なくないだろう.

「法事がありまして……」嘘がバレたらどうしようと思う人もいるだろう、取れる休みもせいぜい1日2日だ.「風邪を引いたことにしよう」医療機関を受診した証明をもらってきてくださいと言われるとうまくいかない.嘘をつくにも頭を使う.もし休暇が取れたとしても行程を考えると思うと大変だ……お金もかかるし…… そう考えている人はきっと疲れている.疲れている人は多い.

いっそ誰も自分のことを知らないどこかに行ってしまいたい、そう夢想する人はいるだろう.私はそう考えたことがある.皆さんはどんなところに行くことを考えるだろうか.

近年の異世界系小説に見る超越と脱出:1 より

 私は私で形容し難い問題を抱えていて、なかなか前進することができなかった.考えても考えても出てこなかった.しかし案外答えは近くにあったのだ.実は私に最も近い人が答えを教えてくれていた.

 「もったいぶらずに早く答えを言えよ」と思う読者はどうかこらえていただきたい.ここで種を明かしては興が醒めてしまう.いつか追補記事を書くつもりだ.

 昔の執筆内容を振り返ると、当時の自分の考えていたこと、感じていたことがありありと蘇る.「あぁ、自分はこう考えていたのか」「あのときから、悩んでいたんだな」と感慨深い.私自身の精神病理を垣間見た気がする.思考の静止というのはこのような状態をいうのか、と.私は記事を書いて良かったと思う.これが自由連想法なのだろうか.それについても少しだけ触れることにしよう.

 結局、脱出は困難である.私は論考を書き進めながら、どんな結末になるかは私の筆任せにしていた.まぁ楽観できる結語を期待するのは難しい.一応、一時的な脱出は可能だ.旅行は脱出だが、死ぬまで旅行を続けることは現実的でない.帰還することが前提になる.亡命という手段はあるが、日本人はほとんどその選択肢をとらないだろう.もう一つは空想へ脱出すること.しかしこれは虚構にすぎず儚いものだ.それでもよければ脱出してもいいが、現実への諦念が色濃くなる.解離.これは条件付きの脱出だが、尋常ならざる苦痛が伴う.例外的な手段と考えるべきだ.

 そして自殺.究極の手段.たった一度きり.すべてが終わるが、本当にすべて終わる.苦しみも悲しみも消える.だが、かけがえのない存在や生きていたとき感じた正の感情、思い出、何もかも消えてしまう.そして死を考え続け、選ぶことはとてつもなく辛い作業だ.残された人にとっても.

近年の異世界系小説における超越と脱出:5 より

 私は、「脱出は困難」としていた.何度でも言うが本気でそう思っていた.頑迷になっていたのだろうかと思うくらい.私は何時間も何日も考えていたことだったがここ最近まで気づくことができなかった.無意識のうちに気づいていたのかもしれないが、心の中で必死に打ち消していたのだろう.本当に情けない.だが文章は嘘をつかなかったわけだ.

 私はただ死ぬことばかりを考えていたようにも思う.当時から死は魅力的だった.今は少しだけ魅力が減ったのかもしれない.それでもタナトス(死への欲動)は妖しく微笑むことがある.今でも次のような気持ちは変わらない.本当に吐き気がする.

 私は少ない経験ながらも若い人から高齢の方まで、悲痛な面持ちで診察室を訪ねてくる患者さんを相手にしてきた.皆職場を契機にうつ病や適応障害といった診断名になる.どなたも口を揃えて言うのは、休むにも休めなくて……私がいないと……仕事がなくなってしまったら……

 そういった言葉はとてもとても良くわかる.それぞれの言葉に対して私なりに説得力のある説明を試みたつもりだが、それではあまりに時間が足りなかった.一人の診察にかけられる時間は極めてわずかだった.たかが5分ではわずかな時間に何かしたくても神の言葉でない限り、その人を健康な世界へ導き勇気づけることは私にとってはあまりにも難しい.社会資源を目一杯使おうという言葉は聞こえがいいが、私のいたところでは資源は足りていなかった.だが「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」と言われているようで悔しくてたまらなかった.抗うつ薬をいくら出しても真のリカバリには遠いことは目に見えていた.如何に数を捌くかが求められた.私はその職場を離れることになった.今考えただけでも吐き気がする.そして私自身の不甲斐なさと力量不足があったことを認めざるを得ない.私は今でも申し訳ない気持ちでいるし、何か他にできたのではないかとずっと悔やんでいる.恥ずかしい話だが、私は電話相談や面接で「死にたい」という患者さんに「自殺してはいけない理由」をうまく説明できたと思ったことがないことをここに告白する.どう説明したらよいかかれこれ考えているが未だに名案が浮かばない.誓ってこれまで一度たりと手を抜いたことはなかったが、職業人として失格なのではと思うこともある.

同上

 今でも職業人として失格だと思うが、私は私なりの方法で償いをしたいと思う. 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました.

 

Gitanjali: 2

 ラビンドラナート・タゴールによる「ギタンジャリ」の序文はウィリアム・バトラー・イェイツによって記されたものです.前回に続き、今回もその翻訳です.読んでいただければわかるのですが、簡単な単語なのに日本語にすることが難しい.とても難しいのです.直観ではわかる一方、誰かに伝えようとする瞬間から、日本語に変換する難しさを感じてしまいます.これは日英の文法構造が異なるからなのか.私が理解できていたとしても英→日は誰にとっても困難なのだろうか.それとも私が「わかっていない」からなのか.もし後者だとすれば自分の非力さが悲しい.英文の構造を守りつつ、日本語の柔軟さを意識して訳してみましたが、なんだかしっくりこないですね.

Introduction

I

Other Indians came to see me and their reverence for this man sounded strange in our world, where we hide great and little things under the same veil of obvious comedy and half-serious depreciation. When we were making the cathedrals had we a like reverence for our great men? 

“Every morning at three—I know, for I have seen it”—one said to me, “he sits immovable in contemplation, and for two hours does not awake from his reverie upon the nature of God. His father, the Maha Rishi, would sometimes sit there all through the next day; once, upon a river, he fell into contemplation because of the beauty of the landscape, and the rowers waited for eight hours before they could continue their journey.” 

He then told me of Mr. Tagore’s family and how for generations great men have come out of its cradles. 

“Today,” he said, “there are Gogonendranath and Abanindranath Tagore, who are artists; and Dwijendranath, Rabindranath’s brother, who is a great philosopher. The squirrels come from the boughs and climb on to his knees and the birds alight upon his hands.” 

I notice in these men’s thought a sense of visible beauty and meaning as though they held that doctrine of Nietzsche that we must not believe in the moral or intellectual beauty which does not sooner or later impress itself upon physical things. 

I said, “In the East you know how to keep a family illustrious. The other day the curator of a Museum pointed out to me a little dark-skinned man who was arranging their Chinese prints and said, ‘That is the hereditary connoisseur of the Mikado, he is the fourteenth of his family to hold the post.'” 

He answered. “When Rabindranath was a boy he had all round him in his home literature and music.” I thought of the abundance, of the simplicity of the poems, and said, “In your country is there much propagandist writing, much criticism? We have to do so much, especially in my own country, that our minds gradually cease to be creative, and yet we cannot help it. If our life was not a continual warfare, we would not have taste, we would not know what is good, we would not find hearers and readers. Four-fifths of our energy is spent in the quarrel with bad taste, whether in our own minds or in the minds of others.”

“I understand,” he replied, “we too have our propagandist writing. In the villages they recite long mythological poems adapted from the Sanscrit in the Middle Ages, and they often insert passages telling the people that they must do their duties.”

 他のインド人たちが私に会いに来た.そして、見え透いた喜劇や、半分本気の軽蔑にかこつけて、大小の事物を隠してしまう我々の世界においては奇妙に映ってしまうこの男(タゴール)に敬意を表しに来た.自国の偉人に敬意を表すように、我々が大聖堂を建てるのはいつのことになるだろうか.

 「毎朝三時に、ええ、私は観たことがありますのでね」ある人が私に言った.

 「彼(タゴール)は座って決して動かず物思いに耽るのです.そして二時間は神のなすがままに夢想から覚めることがありません.彼のお父上はマハー・リシーといって、時折そこで翌日までずっと座り続けるのでした.あるとき、河の上で、お父上は景色の美しさのために物思いに耽り始めました.漕手は彼らが旅を続けるまで八時間待っていたのですよ」

 そうして彼はタゴール氏の家族とそのゆりかごから偉大な人物がいかに幾世代にわたり生まれてきたかを教えてくれたのだった.

 「今日はどうやら、ゴゴネンドラナート、それにアバニンドラナート・タゴール、みな芸術家ですね.そしてドウィジェンドラ、ラビンドラナートの兄弟がいますね、彼は素晴らしい哲学者です.リスたちが枝からやってきて膝の上に登りますし、鳥たちは手の上に降りて止まりますよ」

 私は、こうした人々の思考に視覚的な美の感覚を見出す他に、あたかも彼らが、道徳を信奉してはならないか、あるいは何れにせよ物質的なものを超越し、自身に感銘を与えることのない理知的な美を信じてはならないというニーチェの教義を抱いているような気持ちがするのだ.

 私は「東洋では家の功績を保ち続けるにはどうするかを知っていますね.ある日、中国の印刷物を整頓していた美術館の学芸員が背の低い浅黒い肌の男を指差してこういったのです、『彼は帝の先祖代々の鑑定家ですよ、彼は家名を守る十四代目なのです』」といった.

 彼はこう答えた.「ラビンドラナートが少年の頃、彼の家の周りすべてには文学や音楽がありふれていましたよ」

 私には余剰という考えが、あの詩の簡素さが思い浮かんだ.そして、彼はこう言った.

「あなたの国ではたくさんの伝道師による作品や批評があるのですか.我々にはなすべきことがたくさんあります.特に私達の国では、我々の精神が徐々に創造性を静止させつつある状態です.しかしどうすることも出来ないのです.もし我々の人生が頻発する戦争になかったら、味わうことはなかったでしょうね.何が良いのかを知ることはなかったでしょう.人生には聞く側と読む側がいるということに気づかなかったと思うのです.我々の活力のうち八割は、自分の考えかそれとも他人のかどうかともあれ、悪い経験である諍いに費やされるのです」

「私にはわかりますよ」

 彼は続けてこう述べた.

「我々も伝道師によって書かれた作品があるのですよ.この村ではみな中世のサンスクリットからもたらされた長い神話の詩を暗唱するのです.そして彼らは節を挟んで自分たちのなすべきことについて人々に語り聞かせるのです」

拙いもので恐縮でしたがここまで読んでくださりありがとうございました.

Gitanjali: 1

 イエーツからタゴールへ.ラビンドラナート・タゴールの著作、ギタンジャリから、序文の一部を抜粋.以下はイエーツの寄稿した序文になります.翻訳は亀吾郎法律事務所のエース、吾郎が行います.米国、インド、日本で著作権が失効しています.私達は原著に敬意を持って翻訳します.

From W. B. Yeats to R. Tagore. An introduction of “Gitanjali” by Rabindranath Tagore, Yeats wrote the recommendation for the work. Goro, our chief editor of Kamegoro Law Firm hereby dares to translate his introduction with full respect.

The copyright of “Gitanjali” has expired in the United States, India, and Japan.

Introduction

I

A few days ago I said to a distinguished Bengali doctor of medicine, “I know no German, yet if a translation of a German poet had moved me, I would go to the British Museum and find books in English that would tell me something of his life, and of the history of his thought. But though these prose translations from Rabindranath Tagore have stirred my blood as nothing has for years, I shall not know anything of his life, and of the movements of thought that have made them possible, if some Indian traveller will not tell me.” 

It seemed to him natural that I should be moved, for he said, “I read Rabindranath every day, to read one line of his is to forget all the troubles of the world.” I said, “An Englishman living in London in the reign of Richard the Second had he been shown translations from Petrarch or from Dante, would have found no books to answer his questions, but would have questioned some Florentine banker or Lombard merchant as I question you. For all I know, so abundant and simple is this poetry, the new Renaissance has been born in your country and I shall never know of it except by hearsay.” 

He answered, “We have other poets, but none that are his equal; we call this the epoch of Rabindranath. No poet seems to me as famous in Europe as he is among us. He is as great in music as in poetry, and his songs are sung from the west of India into Burmah wherever Bengali is spoken. He was already famous at nineteen when he wrote his first novel; and plays, written when he was but little older, are still played in Calcutta. I so much admire the completeness of his life; when he was very young he wrote much of natural objects, he would sit all day in his garden; from his twenty-fifth year or so to his thirty-fifth perhaps, when he had a great sorrow, he wrote the most beautiful love poetry in our language”; and then he said with deep emotion, “words can never express what I owed at seventeen to his love poetry. After that his art grew deeper, it became religious and philosophical; all the aspirations of mankind are in his hymns. He is the first among our saints who has not refused to live, but has spoken out of Life itself, and that is why we give him our love.”

I may have changed his well-chosen words in my memory but not his thought. “A little while ago he was to read divine service in one of our churches—we of the Brahma Samaj use your word ‘church’ in English—it was the largest in Calcutta and not only was it crowded, people even standing in the windows, but the streets were all but impassable because of the people.”

 数日前、私は腕利きと評判のベンガル人の医師に次のように言った.「私はドイツ語を知らないのです.しかし、もしドイツの詩人の翻訳が私を感動させたとしたら、私は大英博物館に行き、その人の人生について、思想について教えてくれるような英語の本を探すと思います.しかし、ラビンドラナート・タゴールのこれら散文の翻訳は私をひどく興奮させた以外の何ものでもなかったのです.にも関わらず、もしインド人の旅人が私に教えてくれなかったらば、私は彼の人生について全く知らず、これら著作を可能にした思考の動きについても知らなかったのです」

 私が動揺するであろうことは彼にとって当然のようであった.「私はラビンドラナートの本を毎日読んでいますよ.彼の一文を読むことは世界の悩みをすべて忘れることですから」と彼は言ったからだ.私はこう言った.「リチャード二世の統治下における、ロンドン在住のとある英国人はダンテあるいはペトラルカ詩集の翻訳を見せられたのですが、彼は自分の疑問に対する答えを本に見いだせなかったのです.しかし私があなたに質問するように、フィレンツェの銀行家やロンバルディアの商人も問いかけをしたでしょう.私の知る限り、この詩歌が申し分なく、しかも簡素であるので、新たな文芸復興があなたの国で生まれたことを、私は噂なしに知ることはなかったのです」

 彼はこう答えた.「インドには他にも詩人がいますよ.しかし彼と同じのものはいませんね.ラビンドラナートの時代といってよいでしょう.彼が我々の中で有名なのと同じ様にヨーロッパで有名な詩人はいないように思いますがね.それに彼の歌はベンガル語が話される西インドからビルマで歌われているのですよ.彼は初めて小説を書いた十九歳のときに既に有名でした.劇も彼が少し歳をとってから書かれました.いまでもカルカッタで演じられています.私は彼の人生の完全性を大いに讃えているのです.彼がとても幼かったとき、自然にあるものをたくさん書いていましたね.庭に一日中いたものです.二十五歳から三十五歳でしょうか、彼が深い悲しみに包まれたとき、彼は私達の言葉で最も美しい愛の詩を書いたのです」そして彼は感慨深く、次のように述べた.「私が十七歳のときに彼の愛の詩に受けたものは、言葉にすることができません.彼の芸術が深みを増すほど、それはより敬虔でより哲学的になりました.彼の賛歌には人間の熱望すべてがあったのです.彼は、生きることを拒まぬ人々の中で最初の慈悲深い人でしたが、人生そのものについては語るのでしたよ.そしてそのことが彼に我々が愛を注ぐ理由なのです」

 私は彼の考えではなく、彼の記憶の中にある彼の吟味された言葉を変えたのだろう.「少し前、教会、つまり我々がブラフマーサマージ、あなた方の言葉の英語で教会というものの一つで、彼は神聖な奉仕について読むところでした.教会はカルカッタで最も混んでいるだけでなく最も大きいのですが、人々は窓辺に立ってさえいました.その人々のせいで道が通れなくなったのでした」

 序文の一部を試験的に投稿してみました.これからどんな話が始まるのでしょう.序文でワクワクするのは久しぶりです.

ありがとうございました.

英語学習についての個人的見解

楽しくやれたらいい

 自然科学において、最も根拠のある主張、すなわちエビデンスが高いものというのは、メタアナリシス研究に基づく結果だという.その下には無作為対照研究(Randomised Control Trial: RCT)がある.さらにさらに根拠の低い試験や研究があり、最も根拠のないものは、(実は)専門家の意見である.だから専門家の意見をあてにするな、とはいわないが、「自分で取捨選択せよ」ということになる.逆にメタアナリシスの結果で帰無仮説が棄却されたからといってその仮説が正しいわけではない.尤もらしいだけだ.こういった誤解は現代でも続いている.ちなみに私は自然科学の畑を出自に持つが、「尤もらしい」とかいう妙な曖昧さが好きでない.

 さて、私がこれから話すことは自然科学の領域ではない.そもそも自然科学と人文科学というのは境界不明瞭だからあまりそういう話をしても仕方がない.エジプトとリビアの間に南北の直線を引いたようなものだ.どちらかといえば人文科学の話をする.私は亀吾郎法律事務所の職員に過ぎず、英語の先生ではない.専門家でも無い.だから自然科学の序列に従えば、この話は最も信憑性がないことになってしまう.「自分から信頼度をさげるとはやはり愚か者め」とお思いの一部諸兄は、落ち着いていただきたい.この論理でいくとあらゆるYouTubeの投稿者が熱く持論を語る行為がすべて虚しくなってしまう.だがそうでは無いだろう.私は、個人的な経験を未来の他者と分有できるか、可能性に賭けてみたいだけだ.

私の話から

 私にとっての初の語学体験は、公文式の英語のときだったと記憶する.単なるCDプレーヤーから流れる英文を聞いて、適切な回答を記述するトレーニングを要請された.

 小学二年生か三年生だったか.「あぁ、今日も洒落臭えなぁ」と思って課題をこなしていたところ、全身を駆け巡る極彩色の電撃が一閃.次の英文を書いた.

The hill is high.

私は英文から並々ならぬ霊感を受けた.

「今、自分は文章を作ったぞ」

という猛烈な興奮.当時の自分にとっては第二文型などどうでもよかった.傍から見れば、「いつもぼーっとしている〇〇くんがなんだかニヤニヤしているな、大丈夫かな」くらいだ.しかし、私は独自に創造という営為を成し遂げた、ホモ・サピエンスを自称するに等しいくらいの感動と自負に満ちていた(後にホモ・サピエンスは撤回した).

 この感興は忘れがたい.私に「自分史」というものがあれば間違いなく、世紀の大事件だった.そこから私は狂ったようにCDプレーヤーを再生した.そして聞きすぎて幾つものプレーヤーを破壊した.

 中学一年生の頃にはちょうど、「生き残った魔法使いの少年」が大人気になりつつあるころだった.私は「賢者の石」を一晩で読み終えたが、生ビール中ジョッキ一つでは足りないおっさんのように物足りなかった.実に見事な翻訳だった.どうやら本国では次回作「秘密の部屋」が出ているらしい.私はウズウズした.

「そうか、原著を読めばよい」

 早速あの手この手で入手し、「Philosopher’s Stone」を読み始めた.一頁目から苦戦した.当時の自分には知らない語だらけだった.文法もよくわからない.一文、一文を辞書を引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引いて、引きまくった.辞書とは今でも良き友人だ.中学校では朝の十五分間に読書の時間があった.辞書と本を持ち込んで、辞書を引く作業を続けた.辞書を使い倒す習慣が始まったのはこの頃からだろう.現在辞書はほぼ電子化した.Macintoshのパソコンを使っている方は、「辞書」のアプリケーションをぜひ利用していただきたい.大変優れた名脇役だ.私がブログを書く時はこれが欠かせない.中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、スウェーデン語、ノルウェー語、イタリア語、ポルトガル語、アラビア語……類語辞典も一部あるのが良い.

 話を戻そう.第七巻の最終章にたどり着いたときは魂が震えたものだ.その時には大学生になっていたと思う.そこまで時間がかかったのは他にも本を読み始めたからだ.幼児のころに絵本で読んだ「ガリバー旅行記」がとてもとても面白く、原書で読んでみようか、と思い書店で買って読んだときの打ちのめされた感覚も忘れがたい.知っている方ならわかるが、初版が1726年だ.読めなくはないが、古めかしく知らない単語がこれまた並ぶ.私はスラスラ読んで、ガリバーとともにリリパット王国にたどり着き、彼が巨人として火事の宮殿に小便をかける場面を読みたいと思っていたのに、なかなかリリパットにたどり着かなかった.「ガリバー旅行記」は途中で諦めてしまった.受験勉強も差し迫ってきたという事情もあった.Johnathan Swift(ジョナサン・スウィフト)の作品に込めた真意を知るに私は青すぎた.

自分に合う参考書を選ぼう

 やはり、私にとって天啓であり革命とも言える出会いは原仙作の「英文標準問題精講」に尽きる.間違いなくRevelationでありRevolutionだった.今でもズタボロの雑巾のように大事に取っておいている.時々見返してはニヤニヤするし、英文を書く時の参考にする.ヘミングウェイ、ラッセル、エリオット、ウルフ、チャーチル、アインシュタイン、ニュートン、フィッツジェラルド、ミルン、オールビー、ミルトン.

 皆、私の心強い協力者である.故人だが.

 この本が私を受験勉強の苦しみから助けてくれたといっても良い.とはいえこの本は圧倒的に手強い.一般的な日本の大学入試のレベルを超えるだろう.だが、TOEICやTOEFLのひどくつまらない英文を読まされるよりは、はるかに気休めになる.「私が」文を読んでいる、という気にさせる.なんとか理解してみせようぞ、という気概をもたせてくれた.そして文の構造がつかめたときの心地よさといったら.当時の先達が「覚えるくらい何周もしろ」というので私も少なくとも三週はしたはずだ.一周目でつまづいた文章にまた出くわすと、まるで著者たちが「おかえり」と言っている気がしたものだ.

 私はTOEICのような共通試験のスコアで競り合うような議論は好きではない.私もTOEICやTOEFLは何度か受けたが、できればもう受けたくない.就職、入学の足がかりとして用意されるその試験は性質上、「ビジネス」に即した内容が多い.広告、新聞、メール、インタビューなどが題材になっている.どれも架空の内容で全体的に虚無感じるのは私だけか.「試験とはそういうもんだ、おとなしく口を閉じてろ、馬鹿者め」というお叱りがあるかもしれぬ.だがつまらない文をつまらないといって何が悪いのか.作成者の顔が見えない、というのがどうも気に入らない.「はいはい、委託されたのでとりあえず作っておきましたよ」というやっつけ感を感じてしまう.

 それに比べ、英文標準問題精講は、裏表紙に引用元の著者の写真が並んでいる(モノクロのせいか、遺影の様にも見えてしまう).誰某が書いている、とわかるのはとても良い.もちろん出典もある.だから後でさらに読みたくなった時に書店に行けば良いのだ.それに彼らが心血を注いだであろう、文章に見られる技巧、散文へのエネルギーが感じられる.それから編集者である原仙作・中原道喜の訳と解説に安定感がある.

 私にとって、名文や名著とそうでないものの違いを厳格に述べることは出来ない.だから上記の意見は誤解かもしれない.しかし、TOEICなどの勉強は問題の解き方を覚えるだけのような、手段が目的となってしまう危険に陥りやすいと思う.TOEICの先にある目的があれば、努力するに越したことはないだろう.楽しくやれたらいい.もし書き手の顔、意思を感じられるような時事の話題に触れたいのであれば、英字新聞をおすすめする.私は現在、Japan Timesの電子版を購読するようにしている.六ヶ月間の月額百円キャンペーンをやっている.よかったらどうぞ.もちろん利益相反はない.

文法について

 非専門家である私から、英文法について述べられることを挙げるとすれば、一つは、「文型」を意識して読むことだ.これはかなり重要な要素で、おろそかにしている人が多い.もう一つは「これは口語的だとか、文語だからあまり使わない方が良い」という意識を持ちすぎないことだと思う.この軛のせいで損をしている人は多いように思う.文語で書いて何が悪い.会話も文語を基礎にして何がいけないと言うのか.「表現が固いじゃん」固くて何がいけないのか.「もっとCasualな表現あるからそっちのほうがいいよ」という指摘は、表現の幅を自ら狭めているCasualtyに過ぎないと思う.それからまともな文法書を買うことが大切だ.私はロイヤル英文法を持っているが、単色刷りのシンプルな構成と大きな字、索引の充実は好感が持てる.一冊あれば一生使える.これで二度と買わなくて良いのだ.作文や文法について参考書を紹介するならば、さきほどの中原道喜や佐々木高政を挙げる.

聞くことについて

 聞こえた文章を書き取る訓練が最も良いように思う.これは筆記の練習にもなる.かつて私はディクテーションの鬼となったことがあった.「The Phantom of the Opera:オペラ座の怪人」という映像作品がある.小説や劇でも有名だ.Andrew Lloyd Webber という作曲家が映画に向けて書いた曲(どれも壮大だ)があり、私は当時、高校生の頃、自宅にオペラを響かせて歌詞を聞き取り、自作で歌詞カードを作ったことがあった.何百回か、延々とオペラが鳴り響いていたので頭がおかしくなりかけたが、語と語の連結を推測したり、発音と抑揚、文章の構造を考える上で良い訓練になった.オペラの歌詞を聞き取るだけで難易度が高いので、後々流行りのポップスやロック・ミュージックを聴いて歌詞を書き出しては、後日公開されている歌詞と照合する、という遊びをやっていた.高校生にしてはそこそこ狂っていた(やっぱりおかしくなっていたじゃないか!)方だが、自分は楽しんでいたと思う.この訓練は多言語でも応用が効く.今度はアラビア語でやってみようか.

話すことについて

 話すことは不肖あまり自信がない.発音と抑揚の付け方は幾分か指南できると思う.ただし私は非専門家だから、最も信頼におけない人材であることを断った上で話をする.発音に関して、海外で暮らしていないと発音が上手にならないのではないか、そう思っている人が多すぎて気の毒である.そんなことはない.小林克也という反例がいる.彼は大変きれいな英語を話すラジオDJで、彼は実に堂々と、崩れた英語を話す海外の連中と会話を成立させる.あっぱれである.彼の流暢さは抑揚の置き方にある.山下達郎もきれいな英語を話すと思う.Ride on Time〜

 また、RとLの違いにこだわりすぎる人が多い.聞き取れるに越したことはないが、初学者には酷だ.そういう人はイギリス英語を身に着けたら良いのではないか.Rの発音があまり気にならなくなる.それに子音をしっかり発音するので、文字と発音が一致して、きれいに聞こえる.私は中学生くらいに気づいてそうすることにした.かつてユース・ホステルの相部屋にいた英国人の青年と話をしたときに「君はいいイギリス英語を話すね」とお世辞を言われたのは良い思い出だった.あれは世辞だ.自慢話はこれくらいにしよう.

 先天的なバイリンガル、すなわち幼少期に外国に滞在したという、外国語のOSをインストールできた人々は外国語を話す時に脳内言語設定が切り替わるようだが、私はそうはいかない.だが、切り替わらなくたって良いじゃないか.言語体系の異なる我々が頑張って、別の言語を覚えようとしているのだ、文法がわかるだけでも素晴らしいと自信に思ったほうがいい.私だったら頭の中でおちおち英作文をする.ゆっくり丁寧に考えたら良い.

まとめ

 大した話はできなかったが、自分の主張は伝えられたのでこれでよしとする.結局は「学問に王道はなし」、ということになる.しかしながら原仙作によれば捷径はある.だから嘆かないでほしい.楽しく突き抜けるのがいいと思う.自分にとって親和性の良い題材を選ぶことが良いだろう.

 最後にミルトンの詩を紹介して締めよう.これは以前の亀吾郎語学教室でも引用した.語学を勉強する時はいつもこれを意識する.我々は地獄から這い出ようとする魔王サタンと同じだ.

Long is the way

And hard, that out of Hell leads up to Light.

Gates of adamant,

Barring us out, prohibit all ingress.

–John Milton, Paradise Lost

私の小論にお付き合いくださりありがとうございました.

بشرة حير/Boshret Kheir/Good Tiding

 こんにちは.久しぶりの三郎こと、さぶちゃんです.今日は楽しい楽しいアラブ・ポップをお届けします.歌手はエジプトの(多分)大御所、Hussain Al Jassmi | حسين الجسمي|フサイン・アルジャスミーです.さぶちゃんは、日本人からすると癖の強いアラブ・ポップスの中からリズミカルで耳に残る軽妙な楽曲を発掘しました!

 エジプト版「アジアの純真」に少し似ているかな.Billy Joelの「We didn’t start Fire」っぽいかも.いろんな地名が出てきます.全エジプトの友愛をよびかける曲なので、政治色があるのかな、と勘ぐる諸兄もいるかもしれませんが、「We are the World」みたいなもんでしょ.語頭や語尾で音韻を踏んでいて気持ちがいいです.

 物足りなくなってきた人がいれば、Remix版もYouTubeにあります!やったぜ.

 最期にさぶちゃんの和訳を載っけておきました.よかったらどうぞ.

VERSE 1

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 1

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 1

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

What did Egypt gain from your silence

Do not belittle your voice

Tomorrow, you will write it under your own stipulation

This is a good tiding

Khadit ayh miṣru biskutak

Matustakhsrsh fiha Ṣotak

Bitaktab bikarih bishuruṭak

Di boshret kheir

خدت ايه مصو بسكوتك

ماتستخسرش فيها صوتك

بتكتب بكره بشروطك

دي بشرة خير

CHORUS

Go call out for the ‘Saīdi’,

and your nephew from ‘Port Saīd’,

and the youth from ‘Alexandria’

for this is a gathering of men

CHORUS

Qawm nadi ‘a alsa’aidi

Wabn akhuk alburas’aidi

Walshabab alaskandraniu

allamuh di limat rijal

CHORUS

قوم نادي ع الصعيدي

وابن اخوك البورسعيدي

والشباب الاسكندراني

المه دي لمة رخال

And I will come with those from ‘Sohag’ and ‘Qina’, ‘Sinai’

those from ‘Al Mahalla’ who are the best of best

and the beautiful ‘Nubians’

No need to double check on the people from Suez

Everything is now jumbled together

And the people from ‘Al Ismailiyyah’ who have been through alot

Talk to me about the people from ‘Sharqiyya’

and together we are stronger

and together we are stronger

And Our hope is high

Wana haji m’a alswhaji

Walmhlawy ally myah myah

Walnubh aljumal

Matuṣysh alsaw aysh

Aldnya hayiṣuh kdh kdh

Walahasma’alawyh yamana kaduu al’ada

Klmny’a alsharaquh

wakhna waya b’aḍaqwaa

wa’amlna kabir

وانا هاجي مع السوهاجي

والمحلاوي اللي ميه ميه

والنوبه الجمال

ماتوصيش السوايسه

الدنيا هايصه كده كده

والاسماعلاويه ياما كادوا العدا

كلمني ع الشراقوه

واحناويا بعض اقوى

وآملنا كبير

VERSE 2

This is an easy task, and you can do it

To the world you will speak out

And take an oath to make it better

You have been quiet too long

VERSE 2

Di farkit k’aab wahatmilha

Qaṣad aldunya hatquliha

Wuḥad buqaa ‘ahad tadilha

Siktiti ktir

VERSE 2

دي فركة كعب وهتملها

قصاد الدنيا هتقولها

وخد بقى عهد تعد لها

سكتت كتير

The people from ‘Beheira’, ‘Menoufiya’, or “Damietta’

Those people are closer to me than my friends

‘Halayb’ are all family and friends

go call out for them

Buhayri manawafi aw dimyatiun

Dual aqrbly min akhwati

Halayb ahl waqarayib

Nadiluhum rh

بحيري منو في أو دمياطي

دول اقربلي من اخواتي

حلايب أهل وقرايب

ناديلهم رح

And the thing that stands out most

Is for us to see our beloved ones from ‘Giza’

Oh greetings with a thousand paces

towards the people of ‘Maturuh!

*Back to CHORUS

Waiktara hajah fiha miaza

Nashuf habaybana fi alijiza

Ya murhab alf khuṭuh ‘aziza

Banas maṭuruh

*Back to CHORUS

واكتر حاجه فيها ميزة

نشوف حبايبنا في الجيزة

يا مر حب ألف خطوه عزيزة

بناس مطروح

*Back to CHORUS

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

それでエジプトが何を得たっていうのさ

小さな声ではだめだ

明日、君は契約を結ぶ

絆(بشرة حير)のことさ

「サイーディ」たちのために声を出そう

「ポート・サイード」にいる甥にもね

「アレクサンドリア」の若者も

これは人々の集いなんだ

僕は「ソハグ」と「キーナ」、「シナイ」のみんなと一緒に行くよ

「アル・マハラ」の奴らは最高さ

「ヌバ」の美しい人も一緒だよ

「スエズ」のみんなはひと目でわかる

ごったがえしてきたな

苦労人の「アル・イスマリーヤ」のみんな

僕に「シャルキーヤ」の人たちのことを聞かせてよ

みんなで強くなるんだ

みんなで強くなるんだ

志を高く持って

簡単なことさ、君ならできる

世界に向けて 声に出せ

もっとうまくやるって誓うのさ

君はずいぶん静かだったじゃないか

「ビハイラ」「メヌフィヤ」「ダミエッタ」のみんな

一番の仲良しかもね

「ハライブ」は僕らの家族で友人だ

声を出そう

大事なことは「ギザ」の最愛の人に会いに行くことだ

幾千の足取りが

「マトゥルフ」に向かって出迎えに行くようだ!

和訳:三郎

.شكر

The Book of Tea: 18

(What’s the Story) Morning Glory

The birth of the Art of the Flower Arrangement seems to be simultaneous with that of Teaism in the fifteenth century. Our legends ascribe the flower arrangement to those early Buddhist saints who gathered the flowers strewn by the storm and, in their infinite solicitude for all livings things, placed them in vessels of water. It is said that Soami, the great painter and connoisseur of the court of Ashikaga-Yoshimasa, was one of the earliest adepts at it. Juko, the tea-master, was one of his pupils, as was also Senno, the founder of the house of Ikenobo, a family as illustrious in the annals of flowers as was that of the Kanosin painting. With the perfecting of the tea-ritual under Rikiu, in the latter part of the sixteenth century, flower arrangement also attains its full growth. Rikiu and his successors, the celebrated Oda-waraku, Furuta-Oribe, Koyetsu, Kobori-Enshiu, Katagiri-Sekishiu, vied with each other in forming new combinations. We must remember, however, that the flower worship of the tea-masters formed only a part of their aesthetic ritual, and was not a distinct religion by itself. A flower arrangement, like the other works of art in the tea-room, was subordinated to the total scheme of decoration. Thus, Sekishiu ordained that white plum blossoms should not be made use of when snow lay in the garden. “Noisy” flowers were relentlessly banished from the tea-room. A flower arrangement by a tea-master loses its significance if removed from the place for which it was originally intended, for its lines and proportions have been specially worked out with a view to its surroundings. 

 生花の芸術の誕生は十五世紀の茶道と同時のように思われる.我々の伝説は、生花を嵐によって撒き散らされた花に集った初期の仏教徒の聖人に帰するとして、万物の生けるものへの無限の配慮において、水の器にそれを活けたのであった.偉大な画家であり、足利義政の宮廷の鑑定家であった相阿弥は、初期の生花の達人であった.茶の宗匠であった珠光は、彼の門弟の一人で、狩野の絵画のように生花の年代記が輝かしい池坊の創始である専応も門弟であった.

 千利休のもと茶の儀礼の完成にともなって、十六世紀の後期に、生花は完全な成長を成し遂げた.利休とその後継者、有名な織田有楽、古田織部、光悦、小堀遠州、片桐石州が新たな組み合わせを作ろうと切削した.

 しかしながら、私達が覚えておかないとならないのは、茶の宗匠の花の礼賛は彼らの審美的儀礼の一部をつくったに過ぎないことであり、そのものによる明らかな宗教ではなかったということである.生花は、茶室での芸術の他の作品のように、装飾の全体の図式に従属したのである.

 こうして石州は庭に雪が積もったときに寒梅を使うべきでないと決めた.「騒がしい」花は茶室から容赦なく追放された.茶の宗匠による生花は本来そうあるべき場所から除かれればその意義を失うのである.というのは、その線と釣り合いが特に周囲と景観に作用していたからであった.

The adoration of the flower for its own sake begins with the rise of “Flower-Masters,” toward the middle of the seventeenth century. It now becomes independent of the tea-room and knows no laws save that that the vase imposes on it. New conceptions and methods of execution now become possible, and many were the principles and schools resulting therefrom. A writer in the middle of the last century said he could count over one hundred different schools of flower arrangement. Broadly speaking, these divide themselves into two main branches, the Formalistic and the Naturalesque. The Formalistic schools, led by the Ikenobo, aimed at a classic idealism corresponding to that of the Kano-academicians. We possess records of arrangements by the early masters of this school which almost reproduce the flower paintings of Sansetsu and Tsunenobu. The Naturalesque school, on the other hand, as its name implies, accepted nature as its model, only imposing such modifications of form as conduced to the expression of artistic unity. Thus we recognise in its works the same impulses which formed the Ukiyoe and Shijo schools of painting.

 花自身のための称揚が「生花の宗匠」の興隆とともに始まったのは、十七世紀の中期にかけてであった.今や茶室から独立し、花瓶に課す法則を覗いて何もないことを知っている.

 新たな構想と方法の実践が今や可能となり、多くは原理とそれを生み出す流派であった.十九世紀の中期におけるある文人は生花には百以上の流派が計上できるといった.大まかに言えば、これらは様式派と自然主義派の二つの主流に分けられる.池坊の流れを組む様式派は、狩野派のそれに付随する古典的理想主義を目指した.山雪と常信の花の絵とほとんど再現したにひとしい、この流派の早期の宗匠たちによる記録がある.一方で、自然主義派はその名前が示す通り、自然をその模範として受容し、芸術的統合の表現に貢献するような形の修正を行うに過ぎなかった.

 このようにして我々はその作品において浮世絵と四条派の絵画を形作った同一の衝動を認めることができる.

It would be interesting, had we time, to enter more fully than is now possible into the laws of composition and detail formulated by the various flower-masters of this period, showing, as they would, the fundamental theories which governed Tokugawa decoration. We find them referring to the Leading Principle(Heaven), the Subordinate Principle(Earth), the Reconciling Principle(Man), and any flower arrangement which did not embody these principles was considered barren and dead. They also dwelt much on the importance of treating a flower in its three different aspects, the Formal, the Semi-Formal, and the Informal. The first might be said to represent flowers in the stately costume of the ballroom, the second in the easy elegance of afternoon dress, the third in the charming deshabille of the boudoir.

 時間があり、その時期の多様な花の宗匠による様式だった構成と細部の法則を、より十分に今や堪能することができればさぞかし興味深いであろう.そうすれば徳川期の装飾を治めた基礎的理論があきらかになろう.彼らは指導的原則「天」、従属的原則「地」、調和的原則「人」について述べ、それらの原則に具体的に表現できない生花は不毛で死んだものと考えられた.これら三つの観点、すなわち「正式」、「半正式」、「略式」(真、行、草)があり、花の扱い方の重要性を説明している.最初のものは舞踏室の正装に合うような花を、二番目は簡素で華やかなアフタヌーンドレスを着る時の花を、三番目は寝室の可愛らしい普段着を着る時の花だといえよう.

Our personal sympathies are with the flower-arrangements of the tea-master rather than with those of the flower-master. The former is art in its proper setting and appeals to us on account of its true intimacy with life. We should like to call this school the Natural in contradiction to the Naturalesque and Formalistic schools. The tea-master deems his duty ended with the selection of the flowers, and leaves them to tell their own story. Entering a tea-room in late winter, you may see a slender spray of wild cherries in combination with a budding camellia; prophecy of spiring. Again, if you go into a noon-tea on some irritatingly hot summer day, you may discover in the darkened coolness of the tokonoma a single lily in a hanging vase; dripping with dew, it seems to smile at the foolishness of life.

 個人的には花の宗匠よりもむしろ茶の宗匠が活けた花に共感する.それはその生命との親密さに基づいて我々を魅了し独特な配置を行う芸術である.我々はこの流派を「自然主義派」および「様式派」と区別して「自然派」と呼びたい.茶の宗匠らは自分の義務は花の選定で終わると考え、葉に自分の物語を言って聞かせるようにしたのである.

 晩冬に茶室に入ると、蕾のある椿、それは春の予言であり、ともに野桜の華奢な配置をみる.もう一つ、暑い夏の日、いらいらしながら正午の茶に赴くと、床の間の暗い涼しさの中に掛け花瓶に一輪の百合があり、露に濡れているのを見る.花は人生の愚かさに笑いかけているように見える.

A solo of flowers is interesting, but in a concerto with painting and sculpture the combination becomes entrancing. Sekishiu once placed some waterplants in a flat receptacle to suggest the vegetation of lakes and marshes, and on the wall above he hung a painting by Soami of wild duck flying in the air. Shoha, another tea-master, combined a poem on the Beauty of Solitude by the Sea with a bronze incense burner in the form a fisherman’s hut and some wild flowers of the beach. One of the guests has recorded that he felt in the whole composition the breath of waning autumn.

 花の独奏も興味深いが、絵画や彫刻との共演もうっとりするものだ.石州はかつてある水草を平らな盆におき、湖と干潟を暗示させ、壁には相阿弥による鴨が飛んでいる絵を掛けたのであった.もう一人の茶の宗匠である、紹巴というものは、浜の野草と漁夫の小屋を模した青銅の香炉を焚いて海辺の孤独の美の詩を添えた.ある客人は全体の構成に去りゆく秋を感じたと記録に残している.

Flower stories are endless. We shall recount but one more. In the sixteenth century the morning-glory was as yet a rare plant with us. Rikiu had an entire garden planted with it, which he cultivated with assiduous care. The fame of his convolvuli reached the ear of the Taiko, and he expressed a desire to see them, in consequence of which Rikiu invited him to a morning tea at his house. On the appointed day Taiko walked through the garden, but nowhere could he see any vestige of the convolvulus. The ground had been leveled and strewn with fine pebbles and sand. With sullen anger the despot entered the tea-room, but a sight waited him there which completely restored his humour. On the tokonoma, in a rare bronze of Sung workmanship, lay a single morning-glory—the queen of the whole garden!

 花の物語はきりがない.もう一つだけで終わりにしよう.十六世紀には朝顔は日本人にとって希少な植物であった.利休は一面に朝顔を植え、根気強く育てた.彼の朝顔の名声が太閤の耳に届くと、太閤は朝顔を見たいと思った.その結果、利休は彼を自宅で朝の茶に招いた.約束の日に太閤は庭を通ったが、朝顔はどこにもなかった.地面は平らになり細かい丸石が敷かれていた.怒りの君主は茶室に入ると、彼を待つ光景は彼をすっかり喜ばせた.床の間には、宗の希少な青銅の作品の中に一輪の朝顔があったのである.庭全体の女王とでもいうべきものであった.

In such instances we see the full significance of the Flower Sacrifice. Perhaps the flowers appreciate the full significance of it. They are not cowards, like men. Some flowers glory in death —certainly the Japanese cherry blossoms do, as they freely surrender themselves to the winds. Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Yoshino or Arashiyama must have realised this. For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams; then, as they sail away on the laughing waters, they seem to say: “Farewell, O Spring! We are on to Eternity.”

 このような例から、我々は花の犠牲というものを十分に理解できる.おそらく花はそのことを十分に理解しているのだろう.彼らは人間のように、腰抜けではない.ある花は死によって栄光を得る.日本の桜はそうであり、気ままに風に身を任せるのである.吉野や嵐山の桜吹雪の前に立つものは誰もがこのことを理解するにちがいないであろう.一瞬で花は宝石を散りばめた雲のように漂い、水晶の流れの上を踊る.そして、笑う水を流れていくのである.彼らはこう言っているように思える.

「春よ、さらば.我らは永遠に旅立つ」

 ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました.

肌寒い雨の日

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ブログ開設七ヶ月目を迎えて

 2020年6月4日に亀吾郎法律事務所を立ち上げて半年がたった.12月5日現在で七ヶ月目となる.まだまだ七ヶ月か.という気持ちと、もう七ヶ月かという気持ちが4:6くらいで混合し一つの名状しがたい感慨となっている.

 半年が経過したところで、簡単にこれまでを振り返ってみることにする.以下は亀吾郎法律事務所を訪れた人、表示数(PV)、記事投稿数である.

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Visitors2576808113917054625
Blog Posts141414141014383
Table 1

 基本的に各項目は右肩あがりで表示数が増えている.フォロワーもWordpressだけで32人、ソーシャルメディアで10人.純粋に嬉しく思う.特に驚いているのが海外からの訪問数が安定して増えていることである.カナダ、アメリカ、オーストラリア、インド、中国あたりが特に多い.やはり英語での記事投稿が貢献しているのだろうか、それとも翻訳記事が目を引くのだろうか.この辺の考察はもうしばらく時間をかけてみないとわからないが、良い兆候のように思うので、このまま外国語記事も増やしてみたいと思う.目指すはオリエント世界である.アッサラーム・アライクム.

 投稿数は10月を除けば、一応は一ヶ月に14記事投稿している.概算すれば5000〜6000文字の記事をコンスタントに書いているので、記事の質はさておき、厚みとしては適当なものを続けられているように思う.このままのペースで淡々と続けられれば良い.

成功報酬型広告について

 亀吾郎法律事務所は広告を掲載して報酬を得る仕組みとして、Google Adsenseというものを申請している.掲載を始めたのは10月くらいだったか、当時50記事も満たなかった状態だったが、幸運にも審査は一度で通過することができた.あまりにも個性が強すぎたせいかもしれない.ちなみに広告収入の総計は$1.31(邦貨換算で136円)である.これならば駄菓子が買えるのだから、なかなか文章の力というのはすごいものだと驚かされる. 広告収入は二次的な目的である.私の真の企ては、自分の思考の整理と自分が勉強したことや考察の可視化である.そこにちょっとしたお小遣いが入るのであれば、様々な脳内報酬系が刺激されるのだから、決して悪くはない.広告が邪魔だと思う方は面目ないと思う.AdBlockなどを導入して広告を消していただくのは自由である.

 さらに弊事務所は成功報酬型広告にも足を突っ込むことにした.通常の法律事務所にはできないことをするのが、亀吾郎法律事務所の圧倒的な強みである.つまりは事務所の記事にAmazon Japanの広告を掲載、広告を通じて購買に至った顧客がいた場合に、吾郎ちゃんとさぶちゃんに成功報酬が支払われる、という具合である.実はこれはまだ始めたばかりで、180日以内に一定の実績を積まないと継続できないため、正式な運用では無い.広告とはいってもその形式はこちらである程度選べるので、主張が強くないものを記事の最後にまとめて掲載するようにしている.ほとんどは書籍である.亀吾郎法律事務所が選んだ主題に関連する書籍を掲載している程度であり、視覚的な邪魔にはあまりならないと思う.書籍の画像をクリックするとAmazon.co.jpにジャンプする.他の読者の批評、値段、関連書籍を見比べてぜひ参考にしていただければと思っている.弊事務所では成功報酬型広告を文末の参考文献程度に扱っていると考えてほしい.

今後の連載について

 初見以外の読者の方ならご存知だろうが、そろそろ「The Book of Tea」の翻訳が終焉を迎える.最後は千利休が力囲希咄の〇〇をするようだからぜひ楽しみにしてほしいと思っている.

 私が考えているのは、次回作のことだ.次の翻訳は何にしようかな、と思案している最中で、既に翻訳されたものよりは、未翻訳の珍品を発掘して翻訳したいという邪な考えが私の脳内を占拠している.Rabindranath Tagoreも良いのだが既に高良とみによる優れた翻訳がある.Iris Murdochもなかなか面白そうであるが、長編小説の翻訳であるとこちらの気力が持たない可能性がある.う〜ん、難しい.

 おいおい、現象学ファントム空間論が残ってるじゃないか、という熱心な読者もいるかもしれない.その通りである.こちらは同時進行でちびちびやっていく.現象学がご無沙汰であるのは、やはり扱うテーマが重厚だからで、決してサボりではない.Edmund Husserlのみで現象学を扱うのはいささか無理があるように思っていて、ネタを収集するべく現在渉猟に出かけているのである.まずはMartin Heideggerの「存在と時間」を読んでから構想を練るつもりだ.決して中途半端にはしないのでどうか楽しみに待ってもらえれば幸いだ.そもそも「確信成立条件」をブログで示そうなどという目的は壮大にもほどがあるだろう.時間がかかるに決まっている.

記事の英訳について

 翻訳といえば、岡真理による「記憶/物語」の評論を英訳してみようと思って、すでに一話は英訳してみたのだった.正直にいえば自信がない.突然聖人君子のような人がスッと現れて無償で添削してくれる、なんてことがあればいいが、あるわけないので、どんどん突き進むのみである.この特集も最後まで完結させて、日英の記事として海外にも分有したいと思う.

 というわけで、私にとっては書きたいことが土山のようにある.ネタがつきることはないだろう.書くことも辛くない.むしろ作品が完成すると一種のカタルシスすら感じる.だが、私の凡庸な頭脳ではこれ以上の投稿スピードは出せないし、記事をまとめる力もそこまでない.千手観音くらい手があればなぁ、なんてことも考えたが、それはそれで大変だろう.

最後に 

 本記事はとある楽曲を紹介して締めくくりたい.私にとって今日のような肌寒い冬の曇天には宇多田ヒカルの曲が特にしっくりくるのである.

♪心の電波 届いてますか 罪人たちの Heart Station

 亀吾郎法律事務所が皆さんのHeart Stationであればいいなと密かに願っております.ここまで読んでくださりありがとうございました.

 

 

The Book of Tea: 16

Chapter VI

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 第六章、花が始まります.この翻訳も終盤ですね.花への天心の気持ち、多くの人が共感できるのではないでしょうか.最初は詩的な美しい散文から始まりますが、四段落から始まる花目線の痛烈な描写といったら.

Flowers

IN the trembling grey of a spring dawn, when the birds were whispering in mysterious cadence among the trees, have you not felt the they were talking to their mates about the flowers? Surely with mankind the appreciation of flowers must have been coeval with the poetry of love. Where better than in a flower, sweet in its unconsciousness, fragrant because of its silence, can we image the unfolding of a virgin soul? The primeval man in offering the first garland to his maiden thereby transcended the brute. He became human in thus rising above the crude necessities of nature. He entered the realm of art when he perceived the subtle use of the useless.

 春の曙の薄明に、林の中で鳥たちが神秘的な調子でさえずるとき、彼らが仲間と花について会話をしているような気持ちになったことはないだろうか.確かに花の鑑賞は人類にとって愛の詩を唄った時と同時期であろう.花において優れているところは、その無自覚なゆえに美しく、その静寂ゆえの芳しさなくして、どうして我々は顕になっていない純潔の精神を想起できるだろうか.太古の男性が彼の恋人に初めて花飾りを贈ることで、彼は蛮人から超越したのである.彼は自然の粗雑な本能を脱してこうして人間となったのだ.彼は無用のものを巧妙に使うことを知覚したときに芸術の世界へ入ったのであった.

In the joy or sadness, flowers are our constant friends. We eat, drink, sing, dance, and flirt with them. We wed and christen with flowers. We dare not die without them. We have worshipped with the lily, we have meditated with he lotus, we have charged in battle array with the rose and the chrysanthemum. We have even attempted to speak in the language of flowers. How could we live without them? It frightens one to conceive of a world bereft of their presence. What solace do they not bring to the bedside of the sick, what a light of bliss to the darkness of weary spirits? Their serene tenderness restores to us our waning confidence in the universe even as the intent gaze of a beautiful child recalls our lost hopes. When we are laid low in the dust it is they who linger in sorrow over our graves.

 楽しいときや悲しいとき、花は我々の永遠の友人である.我々は食べ、飲み、踊り、そして彼らとうつつを抜かす.我々は花とともに婚礼を挙げ、洗礼する.花なくして死ぬことはできない.我らは百合とともに敬い、蓮とともに瞑想し、薔薇と菊とともに戦陣に集ってきた.我々は花言葉で話そうとさえした.彼らなしに生きていけるだろうか.花の存在のない世界を考えるだけで恐ろしい.病床に花がないとしたらどんなに悲しいだろうか、疲れ果てた魂の闇に祝福の光を与えるのは何だろうか.可愛らしい子供をじっと見つめることでさえ我々の失われた希望を呼び戻すように、花の透き通った優しさは宇宙における我々の衰えつつある信頼を取り戻してくれる.我々が土に還るときに墓の上で悲しみに寄り添ってくれるのは花である.

Sad as it is, we cannot conceal the fact that in spite of our companionship with flowers we have not risen very far above the brute. Scratch the sheepskin and the wolf within us will soon show his teeth. It has been said that man at ten is an animal, at twenty a lunatic, at thirty a failure, at forty a fraud, and at fifty a criminal. Perhaps he becomes a criminal because he has never ceased to be an animal. Nothing is real to us but hunger, nothing sacred except our own desires. Shrine after shrine has crumbled before our eyes; but one altar forever is preserved, that whereon we burn incense to the supreme idol, –ourselves. Our god is great, and money is his Prophet! We devastate nature in order to make sacrifice to him. We boast that we have conquered Matter and forget that it is Matter that has enslaved us. What atrocities do we not perpetrate in the name of culture and refinement!

 悲しいことに、我々は花との友情にもかかわらず、あまり獣性を脱していないことを隠せずにいる.羊の皮を剥げばたちまち我々の中の狼が牙をむく.人は十代になると獣になり、二十代で狂人になり、三十代で失意にくれ、四十代で詐欺師となり、五十代で罪人となるといわれてきた.おそらく動物であることを辞めたことがないゆえに罪人になるのである.飢えを除いて現実的なものはなく、自己の望みのほか神聖なものはない.我々の眼前にある神社仏閣が次々に壊れてしまった.しかし一つの祭壇は保存されて、そこで我々は「自己」という至上の偶像に香を炊くのである.神は偉大で、金銭はその預言者である!私達は自然を犠牲にするため自然を破壊する.我々は物質を征服したのだと鼻にかけるも、物質が我々を従えているのだということを忘れている.文化と洗練という名の下、我々が犯す残虐性のほどはなんとひどいものか!

Tell me, gentle flowers, teardrops of the stars, standing in the garden, nodding your heads to the bees as they sing of the dews and the sunbeams, are you aware of the fearful doom that await you? Dream on, sway and frolic while you may in the gentle breezes of summer. Tomorrow a ruthless hand will close around your throats. You will be wrenched, torn asunder limb by limb, and borne away from your quiet homes. The wrench, she may be passing fair. She may say how lovely you are while her fingers are still moist with your blood. Tell me, will this be kindness? It may be your fate to be imprisoned in the hair of one whom you know to be heartless or to be thrust into the button-hole of who would not dare to look you in the face were you a man. It may even be your lot to be confined in some narrow vessel with only stagnant water to quench the maddening thirst that warns of ebbing life.

 教えてほしい、優しい花よ、星の涙よ、庭に立ち、蜂が雫の歌を口ずさむと蜂と日光に頭を垂れている花よ、汝は待ち構える恐ろしい運命に気づいているのか.夢見よ、揺らぎ戯れて夏の優しい微風にいる間は.明日は無慈悲な手がお前の喉を締めてしまうかもしれない.拗じられ、手足が分たれ、静かな生家から離れてしまうかもしれぬ.その一捻りは行きずりの淑女かもしれぬ.その指がお前の血でまだ湿っている間に、お前がどんなに愛らしいか告げるやもしれないのだ.これが優しさなのだろうか.お前にとって非常なものの髪に閉じ込められるか、お前が男ならばお前の顔を見ようともしない女のボタンの穴にねじ込まれる運命かもしれないのだ.命の衰退を警告する狂わせるような渇きを満たす、よどんだ水ばかりの狭い瓶に留められるのは、お前の定めなのかもしれぬ.

Flowers, if you were in the land of the Mikado, you might some time meet a dread personage armed with scissors and a tiny saw. He would call himself a Master of Flowers. He would claim the rights of a doctor and you would instinctively hate him, for you know a doctor always seeks to prolong the troubles of his victims. He would contort your muscles and dislocate your bones like any osteopath. He would burn you with red-hot coals to stop your bleeding, and thrust wires into you to assist your circulation. He would diet you with salt, vinegar, alum, and sometimes, vitriol. Boiling water would be poured on your feet when you seemed ready to faint. It would be his boast that he could keep life within you for two or more weeks longer than would have been possible without his treatment. Would you not have preferred to have been killed at once when you were first captured? What were the crimes you must have committed during your past incarnation to warrant such punishment in this?

 花よ、もしお前が御門の国にいるならば、鋏と小鋸をもった恐ろしい人物にあうことがいくらかあるかもしれない.彼は自身を花の宗匠と呼ぶ.彼は医者の権限を主張しお前は本能的に嫌うだろう.なぜなら医者というのは常にその患者の厄介事を引き延ばそうとするからだ.彼は筋肉を捻じ曲げ、整骨医の如く骨を脱臼させるだろう.赤く熱い炭で出血を止めようと燃やすだろう.そして、お前の循環を助けるために針金を突き刺すだろう.彼はお前に塩、酢、明礬、そして時折硫酸をかけて食うだろう.失神しそうに見える時、足に沸々とした湯が注がれるだろう.彼の治療なく放おっておいたよりも二、三週間ほど生きながらさせたといって自慢の種にするかもしれない.お前ならば最初に捕らわれたならばすぐに殺される方を選ぶであろう.このような罰を受けるとはお前の前世はどのような罪を犯したのだろうか.

The wanton waste of flowers among Western communities is even more appalling than the way they are treated by Eastern Flower Masters. The number of flowers cut daily to adorn the ballroom and banquet-tables of Europe and America, to be thrown away on the morrow, must be something enormous; if strung together they might garland a continent. Beside this utter carelessness of life, the guilt of the Flower-Master becomes insignificant. He, at least, respects the economy of nature, selects his victims with careful foresight, and after death does honour to their remains. In the west the display of flowers seemed to be a part of the pageantry of wealth, –the fancy of a moment. Whither do they all go, these flowers, when the revelry is over? Nothing is more pitiful than to see a faded flower remorselessly flung upon a during heap.

 西洋社会の間での無残な花の消費は東洋の花の宗匠によって扱われる方法よりもはるかに残忍である.アメリカやヨーロッパの舞踏室や晩餐の食卓を飾るため毎日何本もの花が切られ、翌日には捨てられる量は凄まじいに違いない.もしすべてを結んだら大陸を一周するであろう.それに加えこの圧倒的な生命への不注意、花の宗匠の罪はそれほどではない.彼は少なくとも、自然の経済を尊重し、犠牲を慎重な先見の明で選ぶ.そして彼らの残りに対して敬意を表する.静養では富の虚飾の一部のように花が陳列される.一瞬の享楽である.彼らはどこへいくのか.花よ、いつになれば幻想は終わるのだ.屍の山の上に無慈悲に投げられる花がしおれていくのを見るほど忍びないものはない.

The Book of Tea: 15

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People criticise a picture by their ear

One is reminded in this connection of a story concerning Kobori-Enshiu. Enshiu was complimented by his disciples on the admirable taste he had displayed in the choice of his collection. Said they, “Each piece is such that no one could help admiring. It shows that you had better taste than had Rikiu, for his collection could only be appreciated by one beholder in a thousand.” Sorrowfully Enshiu replied: “This only proves how commonplace I am. The Great Rikiu dared to love only those objects which personally appealed to him, whereas I unconsciously cater to the taste of the majority. Verily, Rikiu was one in a thousand among tea-masters.”

 このことと関連して、小堀遠州についてのある話が思い起こされる.遠州は彼の収集物から選定し並べたものに対して弟子は世辞を述べた.彼らは「どの品も褒めずにはいられない見事なものばかりです.あなたが利休よりも優れた鑑識をお持ちだと言うことですね.利休の品を理解できるのは千人に一人といませんよ」と述べた.悲しみにくれて遠州は次のように返事をした.「ということは私がいかに俗物かを示すにすぎない.偉大な利休はあえて自分だけが好むような品を愛した.しかし私は無意識にも多数派の嗜好に媚びたのだ.まさに利休は千人に一人の茶人である」

It is much to be regretted that so much of the apparent enthusiasm for art at the present day has no foundation in real feeling. In this democratic age of ours men clamour for what is popularly considered the best, regardless of their feelings. They want the costly, not the refined; the fashionable, not the beautiful. To the masses, contemplation of illustrated periodicals, the worthy product of their own industrialism, would give more digestible food for artistic enjoyment than the early Italians or Ashikaga masters, whom they pretend to admire. The name of the artist is more important to them than the quality of the work. As a Chinese critic complained many centuries ago, “People criticise a picture by their ear.” It is this lack of genuine appreciation that is responsible for the pseudo-classic horrors that to-day greet us wherever we turn.

 今日、芸術に対する表面上の熱狂が実際の感性に基づいていないというのは実に残念なことである.この我が国の民主的時代において自分たちの感情を顧みず人々が何が最も人気があることに対して喚いているのである.

 彼らは精錬なものではなく、高い値段のものを求める.服飾に凝ったものであり美しいものではない.大衆にとって彼ら自身の産業主義の価値ある製品である絵入り定期刊行物のほうが、礼賛するふりをしている初期のイタリア人や足利時代の巨匠よりも、芸術的享受にはより消化が良いだろう.作品の質よりも芸術家の名前がより重要なのである.中国の批評家が何世紀も前に「人々は絵を耳で批評する」と言った.今日我々がふりむけば目につく擬古典的な恐怖の数々に対して真の鑑賞の欠落が責任を負うべきである.

Another common mistake is that of confusing art with archaeology. The veneration born of antiquity is one of the best traits in the human character, and fain would we have it cultivated to a greater extent. The old masters are rightly to be honoured for opening the path to future enlightenment. The mere fact that they have passed unscathed through centuries of criticism and come down to us still covered with glory commands our respect. But we should be foolish indeed if we valued their achievement simply on the score of age. Yet we allow our historical sympathy to override our aesthetic discrimination. We offer flowers of approbation when the artist is safely laid in his grave. The nineteenth century, pregnant with the theory of evolution, has moreover created in us the habit of losing sight of the individual in the species. A collector is anxious to acquire specimens to illustrate a period or a school, and forgets that a single masterpiece can teach us more than any number of the mediocre products of given period or school. We classify too much and enjoy too little. The sacrifice of the aesthetic to the so-called scientific method of exhibition has been the bane of many museums.

 もう一つのよくある間違いは芸術を考古学と間違えることである.遺物から生まれる尊敬の念は人間の最大の特質であり、喜んで我々はそれを大きく育みたいと思う.古の巨匠たちは未来の教化への道を拓いたことに対して立派な敬意が評されるべきである.

 世紀の批判を無傷で抜けてきて、未だ栄光に包まれてやってきたという単事実でさえもわれわれの尊敬を集めるものだ.しかし人々の業績が単純に年齢で算定されるならば、我々は実際はおろかになるべきである.しかし我々は自分らの歴史的共感が審美的差別にを蹂躙していることを許容している.我々は芸術家が安らかに墓で眠りにつくときに称賛の花を手向ける.進化論を宿した十九世紀はより一層、種の中で個人の失見当の習慣を生み出した.蒐集家は時代や流派を説明しようと標本を集めることに神経質になり、二流の製品のいくつかよりも一つの傑作が与えられた時代や流派について我々に語ってくれることを忘れてしまうのである.我々はあまりに分類しすぎていて楽しむことがほとんどない.展示といういわゆる科学的理論のために審美的方法を犠牲にしたことが多くの美術館の悩みの種である.

The claims of contemporary art cannot be ignored in any vital scheme of life. The art of to-day is that which really belongs to us: it is our own reflection. In condemning it we but condemn ourselves. We say that the present age possess no art: –who is responsible for this? It is indeed a shame that despite all our rhapsodies about the ancients we pay so little attention to our own possibilities. Struggling artists, weary souls lingering in the shadow of cold disdain! In our self-centred century, what inspiration do we offer them? The past may well look with pity at the poverty of our civilisation; the future will laugh at the barrenness  of our art. We are destroying art in destroying beautiful life. Would that some great wizard might from the stem of society shape a mighty harp whose strings would resound to the touch of genius.

 同一時代の美術の主張は人生の企画において無視できるものではない.今日の芸術は実に私達に属しているものである.それは我々の反映である.それを断罪することは自身を断罪することにほかならない.今日の時代に芸術がないといういうものがいる.誰の責任というのか.古代に関する狂想曲にもかかわらず我々は自分の可能性に注意をほとんど払わないのは実に恥ずかしいことだ.苦しみもがく芸術家たち、冷たい侮蔑の影の中でさまよう疲れた魂たち!自己中心の世紀において、どのような霊感を我々はかれらに与えているのか.我々の文明が貧困だと過去が哀れみをもって見るのも無理はない.未来は芸術の不毛さを笑うだろう.我々美しいものを破壊することで芸術を破壊している.だれか大魔術師が社会の幹から有能な竪琴を作り出し、その弦が天才に触れて鳴り響かないだろうか.

天心、多いに怒っております.この議論、今も変わらない気がしませんか.

次回、第六章です.ここまでありがとうございました.

The Book of Tea: 14

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 茶の本、第五章の続きです.天心はどこか現代人に対して冷笑的な印象を文体に漂わせます.諦観すら感じます.どこか寂しげでもあります.なんとなくそんな気がします.

To the sympathetic a masterpiece becomes a living reality towards which we feel drawn in bonds of comradeship. The masters are immortal, for their loves and fears live in us over and over again. It is rather the soul than the hand, the man than the technique, which appeals to us, – the more human the all the deeper is our response. It is because of this secret understanding between the master and ourselves that in poetry or romance we suffer and rejoice with the hero and heroine. Chikamatsu, our Japanese Shakespeare, has laid down as one of the first principle of dramatic composition the importance of taking the audience into the confidence of the author. Several of his pupils submitted played for his approval, but only one of pieces appealed to him. It was a play somewhat resembling the comedy of Errors, in which twin brethren suffer through mistaken identify. “This,” said Chikamatsu, “has the proper spirit of the drama, for it takes the audience into consideration. The public is permitted to know more than the actors. It knows where the mistake lies, and pities the poor figures on the board who innocently rush to their fate.”

 傑作への共感は、友愛の絆によって惹きつけられ、生ける現実となる。達人たちは不死身である.その愛と恐怖が私達の中で幾度と生きているからである.手錬よりはむしろ魂が、技巧よりは人が、我々にとって魅力的である.より人間味が増すほど、我々の反応も深みが増すのである.巨匠と私達の間のこの暗黙の了解あればこそ詩歌や物語において我々が主人公とともに苦楽を共にすることができるのである.

 日本のシェイクスピアである近松門左衛門は、劇の脚本の第一原則の一つとして、作家の秘密に聴衆を引き込む重要性に重きを置いた.彼の門弟の何人かは彼に認められようと脚本を描いてきたが、一部のみが認められたに過ぎなかった.それはどこかシェイクスピアの「間違いの喜劇」に似ている脚本で、双子の兄弟が同一人物と誤認されることで苦労する話であった.「これこそ」と近松は言った.「演劇の本来の精神を持っている.聴衆を考慮に入れているからだ、大衆は役者よりも知る必要があるのだ.皆はどこに誤りがあるか知っていて、自分の運命に無垢に突っ走る哀れなや人物に同情するのだ」.

The great masters both of the East and West never forgot the value of suggestion as a means for taking the spectator into their confidence. Who can contemplate a masterpiece without being awed by the immense vista of thought presented to our consideration? How familiar and sympathetic are they all; how cold in contrast the modern commonplaces! In the former we feel the warm outpouring of man’s heart; in the latter only a formal salute. Engrossed in his technique, the modern rarely rise himself above. Like the musicians who vainly invoked the Lungmen harp, he sings only of himself. His works may be nearer science, but are further from humanity. We have an old saying in Japan that a woman cannot love a man who is truly vain, for there is no crevice in his heart for love to enter and fill up. In art vanity is equally fatal to sympathetic feeling, whether on the part of the artist or the public.

 洋の東西を問わず、巨匠は観衆に秘密を打ち明けることに暗示の価値を示すことを決して怠らない.我々の想定に対し示される思考の圧倒的な広がりによって畏敬の念を抱かずに傑作を吟味できるものはいるだろうか.

 それらはどれだけ親密で共感的であろうか.それとひきかえ現代の凡作の冷ややかさといったら.かつて我々は傑作に人の心から湧き出る温かみを感じたものだ.後にただの儀礼的な文句になってしまった.自身の技芸に没頭し、現代人は自身を超えることはほとんどなくなった.竜門の竪琴を呼び覚ませなかった音楽家のように、自身のことばかり歌うのである.彼の作品は科学に近いところにあるのかもしれないが、人情からはかけ離れている.日本の諺に、見栄はる男は女に好かれない、というのがあるが、そんな男に入り込み満たすための心の裂け目はない.芸術において虚栄は芸術家の側であれ、聴衆の方であれ、共感的感情にとって同義であるように致命的である.

Nothing is more hallowing than the union of kindred spirits in art. At the moment of meeting, the art lover transcends himself. At once he is and is not. He catches a glimpse of Infinity, but words cannot voice his delight, for the eye has no tongue. Freed from the fetters of matter, his spirit moves in the rhythm of things. It is thus that art becomes akin to religion and ennobles mankind. It is this which makes a masterpiece something sacred. In the old days the veneration in which the Japanese held the work of the great artist intense. The tea-masters guarded their treasures with religious secrecy, and it was often necessary to open a whole series of boxes, one within another, before reaching the shrine itself –the silken wrapping within whose soft folds lay the holy of holies. Rarely was the object exposed to view, and then only to the initiated.

 芸術において血盟の精神よりも神聖なものはない.出会ってすぐさま、芸術愛好家は自身を超越するのである.一瞬、彼は存在すると同時に存在しない.彼は無限のきらめきを捉えるが、彼の喜びを紡ぐ言葉はない.目には舌がないからである.彼は物質の足枷から解放され、精神は物質の律動を動かすのである.かくして芸術が宗教の近縁たらしめ人間を高尚にするのである.こうして傑作がなにか神聖になるのである.かつて昔、日本人が宗教的な崇拝とともに抱いていた芸術家への敬意は厚かった.茶人たちは、秘密の宝物を守っていたが、御神体は絹で覆われた柔らかく折りたたまれたもので、それに達するには一つまた一つと、いくつもの箱を開ける必要があった.それを見ることができる人は限られていた.見る場合でも、秘伝を授かった者のみに限られた.

At the time when Teaism was in the ascendency the Taiko’s generals would be better satisfied with the present of a rare work of art than a large grant of territory as a reward of victory. Many of our favourite dramas are based on the loss and recovery of a palace of Lord Hosokawa, in which was preserved the celebrated painting of Dharuma by Sesson, suddenly takes fire through the negligence of the samurai in charge. Resolved at all hazards to rescue the precious painting, he rushes into the burning building and seizes the kakemono, only to find all means of exit cut off by the flames. Thinking only of the picture, he slashes open his body with his sword, wraps his torn sleeve about the Sesson and plunges it into the gaping wound. The fire is at last extinguished. Among the smoking embers is found a half-consumed corpse, within which reposes the treasure uninjured by the fire. Horrible as such tales are, they illustrate the great value that we set upon a masterpiece, as well as the devotion of a trusted samurai.

 茶道が興隆する時代になると、太閤の諸将たちは勝利の報奨として広大な領土よりも希少な美術品を送られるほうが満足に感じたのであった.我々の好みの劇には細川氏の邸宅の損失と復興を主題にしたものがあり、そこには雪村による達磨の絵が保存されていたが、突如、侍の警護の不注意から失火したのである.貴重な絵画を救助するためあらゆる注意を排して、侍は燃える建物に駆け込み、掛け物を掴んだが、炎によって退路が絶たれたことを知るのみであった.絵画のことだけを考え、彼は刀で自身の体を切り裂き、裂けた袖で雪村の絵を包み、開いた傷口に容れたのであった.火事はとうとう消し止められた.灰燼の中に半焼の死体が見つかり、中には火から無傷の宝物が安置してあった.こうした話は、忠臣の侍の献身はもちろん、我々が傑作にかける価値の重さが、凄まじいことをよく説明している.

We must remember, however, that art is of value only to the extent that it speaks to us. It might be a universal language if we ourselves were universal in our sympathies. Our finite nature, the power of  tradition and conventionality, as well as our hereditary instincts, restrict the scope of our capacity for artistic enjoyment. Our very individuality establishes in one sense a limit to our understanding; and our aesthetic personality seeks its own affinities in the creation of the past. It is true that with cultivation our sense of art appreciation broadens, and we become able to enjoy many hitherto unrecognised expressions of beauty. But, after all, we see only our own image in the universe, –our particular idiosyncrasies dictate the mode of our perceptions.  The tea-masters collected only objects which fell strictly within the measure of their individual appreciation.

 しかしながら、我々は芸術が語りかける度合いがあることを覚えておかねばならない.我々が共感において普遍的であるならば普遍的な言語が存在するであろう.我々が有限の存在であり、伝統と因習の力があることは、遺伝的本能と同等に、芸術の楽しみに対する度量の視野を制限するものである.我々のこの独自性がある意味で理解に制約を課している.そして審美的人格がその過去の創造に親近感を抱くことを求めるのだ.なるほど醸成により我々の芸術鑑賞感覚が広がること、そして美の多くの未だ見ぬ表現を享受することができるのである.しかし、結局は宇宙において自分の心象を見るのみである.我々固有の特殊な性質が自身の知覚の様式を支配するのである.茶人も独自の鑑賞の測りを厳格に落とし込むことができる物品のみを蒐集したのであった.

 おそらく天心が文中で述べた双子の話は「雙生隅田川(ふたごすみだがわ)」でしょう.ここまで読んでくださり、ありがとうございます.