告白

 このブログをご覧になっている人が一体どのような方々なのか、およそ検討がつかないのですが、私はここで一つの告白をしたいと思います.私の嫌な過去に対する供養の儀式だと思ってください.

 選択緘黙 Selective Mutism

DSM- 5: 313.23 (ICD-10: F94.0)

A. 他の状況で話しているにもかかわらず、話すことが期待されている特定の社会的状況(例:学校)において、話すことが一貫してできない.

B. その障碍が、学業上、職業上の成績、または対人的コミュニケーションを妨げている.

C. その障碍の持続期間は、少なくとも一ヶ月(学校の最初の一ヶ月だけに限定されない)である.

D. 話すことができないことは、その社会的状況で要求されている話し言葉の知識、または話すことに関する楽しさが不足していることによるものではない.

E. その障碍は、コミュニケーション症(例:小児期発症流暢症)ではうまく説明されず、または自閉症スペクトラム症、統合失調症、または他の精神病性障碍の経過中にのみ起こるものではない.

DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引

 私はある特定の場面で、話すことができない状態が続いていることに苦痛と疑問を感じていました.それも小学生の小さい頃からです.それは学校ではなく、初対面の人前でもなく、新しい場面でもありませんでした.どこでなのかはご想像におまかせします.頭の中には感情が湧き上がっているのに、言葉が出てこない.ときに真っ白になって言語が創造されないのです.言葉を失う、という表現がぴったりでしう.「要領が悪い」「生きる力がない」「お前はこうなるといつも喋らなくなるな」と言われるのが常套句でした.別に喋りたくなくてそうなるんじゃない、どうすればいいんだ、ずっとそう思っていました.多少は改善されたかもしれませんが、今でも緘黙は出現してしまうでしょう.私が成人するまで、本当にしんどかったのです.ずっと自身がもてませんでした.そして怖かったのです.おそらく緘黙は恐怖と関連づいているのでしょう、不本意ながら私はそれを体験しました.いまでもその体験は無慈悲に現在へと回帰します.フラッシュバックというやつです.フラッシュバックが起こると強烈な希死念慮と、自分を傷つけたい衝動が生じます.お前はそんな状態で仕事しているが大丈夫か、と思うかもしれませんが、私は決して顔には出しませんし、傷つけることはありません.仕事をしているときは全力でペルソナを入れ替えるので、今の仕事には決して支障を来すことはありません.

 私が臨床精神医学の道に進むまで、その疑問は解決されませんでしたが、のちに私は上記の診断基準が妥当のなのではないかと思うようになりました.自分で自分を診断することは決してしませんが、もし私のドッペルゲンガーがいれば「きっとあなたは緘黙で大変なんでしょう」というはずです.それは長く思い悩んでいた現象に納得をさせる一方で、死ぬまで永遠に解かれることのない呪いでもあるように今は思ってます.これは私の感想です.病気で苦しんでいる方はどなたにも早い回復を祈っていますし、精神疾患は適切なサポート下で本当によくなるのです.誤解しないでくださいね.

なぜ精神科医を志したのか

 なぜ私は精神医学の道を志したのでしょうか.それは様々な人々から訊かれることがあります.今でもあります.一つの答えとして「人間に興味があるから」というものをよく使います.それは決して趣味が人間観察です、とか、ヘルシンキ宣言を無視するようなものではありません.もっと詳しくいうと人文科学的な立場で言えばわかりやすいでしょう.「人間の営為がいかにして行われるか、その正常性と異常性の違いとは」といったものになります.それに対する返答は「ふーん」がほとんどで、質問者の意図に沿わなかった可能性がありますが、私にはそれ以外答えようがありませんでした.患者さんを良くしたいという気持ちは当然ありますし、それに対して心血注いでいたつもりです.

 ですが、私はうつ病という病気になって気づいたことがあります.おそらく私が興味を抱いていた人間というのは「自分」だったのでしょう.最も究極的に知りたかったのは自分自身だったのではないか、自分自身を最も癒やしたかった、自分に自自信を持ちたかった、そのように感じています.つまり自己治療的な願望が根底にあった可能性が高いのです.ですがそんな医者が患者さんを助けられるかといえば、そうではないのでしょう.無意識にせよ、自己中心的な私が病魔にとらわれることになってしまうのは最悪の皮肉で、最低な結果で私は自分を癒やすことが叶ってしまいました.本当に最低です.

不条理との葛藤

 私は初期臨床研修を終えてから、精神科専門医と精神保健指定医を取得して精神科診療の王道を突き進み、究極的には精神病理学の研究をしたいと思っていました.精神病理学はこのブログでも散々取り上げている話題ですが、要するに「精神現現象の機構を追求する学問」です.唯一の本質追求の学問です.後期研修として精神病理学で名を馳せたとある大学の医局に入局し、日本精神神経学会の専門医プログラムに入るという、ごく一般的なキャリアプランにありました.

 週四日の大学勤務すなわち外来と病棟勤務、平日の一日は「研究日」と称する外勤日で、関連病院へ外来と当直をする日でした.研究とは何なのでしょうか.ずっと思っていました.研究日とは建前で、要するにバイトを課せられる日なのでした.というのは大学の給与では薄給なので、必然的に相対的に割の良い外勤をして、医者としての帳尻をあわせることが構造化されていたのです.外勤先では勤務先の常勤医にひどいパワー・ハラスメントとセクシュアル・ハラスメントを受けました.申し送りと私への了承なしに、自分の外来患者を私に送りつけるという、倫理的に常軌を逸した行動が続きました.その人物は脅迫的な文章をどうして知ったかわからりませんが私のメールアドレス宛に送りつけてくるのでした.成人以降、私の魂が傷ついたのはおそらくそれが始まりでしょう.もちろん教授や医局長、診療部長、外勤先の病院長に相談をしました.教授は真摯に対応してくださいましたが、外勤先の院長はその人物を擁護する立場に回りました.私の人間不信と権威、精神科医への失望は増していったように思います.私は大いに傷つきました.ですが悔しさと反面教師をバネに臨床に従事しました.とある先生に「あなたは精神医学の何に興味があるの」と訊かれたことがありました.「病理です」と答えると、「えっ?もうそんなの終わってるでしょ」と言われ、虚無感を感じたのを覚えています.後にその先生が開業して、ホームページの自己紹介文で「精神病理学の豊かな土壌で研修し」という文言を織り込んだのを見た時に、非常に落胆し、どいつもこいつもなんてずるいやつだ、と感じたことを覚えています.

 大学病院の当直室もお粗末なものでした.窓はなければ、常にカビの臭いと永遠に片付けられることのない誰かの汚いポルノグラフィティがロッカーにあり、シャワー室は一平米の空間でお湯がまともに出ないし、タオルや石鹸は持参しないといけない.私は贅沢は絶対に言いませんが、これまで勤めてきた病院の当直室の中で最もクソな部屋として表彰したいと思います.私のいた大学は若手を大事にしてくるところではなかったのです.それに気づくことができるにはもう遅すぎました.

 翌年は異動となり、症例経験のために措置入院施設である市中総合病院へ赴任しました.ここが私の王道キャリアプランの終焉の場でもありました.赴任初日に当直があることに驚きましたが、例の研究日に毎週大学へわざわざ出向いて、無給で外来をしないといけないことには閉口しました.労働に対する正当な対価が支払われないことは奇妙なことではないですか.これは私の先輩の先生がなんども上司に窮状を申し立てていましたが、是正されることは決してありませんでした.御恩と奉公のうち、奉公というやつでしょうか.私から言わせればこんなシステムはクソです.汚物以下の悪習です.私が労働契約を結んだのは異動先の病院だけです.大学とは契約を更新していませんし、いつの間にか無給派遣のような取り決めがなされていたのには愕然としました.現在になってこのようなシステムにしているのは私がいた大学だけではないことを知りました.おそらく日本全国でこのような御恩と奉公といった封建制度が存在しているのです.この話は大学病院医師の無賃金医療としてニュースになりましたが、それも例の感染症のもと消えてしまいました.今でも無給で多くの若手医師がこき使われている現状を考えると、悲しい気持ちになります.一日もはやくこのシステムがぶっ壊れねぇかなと祈っています.この問題を年配の医師に相談するのは無駄でした.「人がいないんだ」「俺もやったんだからさ」「患者さんとの関係を保っておくのにはいい機会じゃないか」という同調圧力と意味不明なロジックしかありませんでした.これをパラロジックというのですね.私が病気になってからこうした問題を医局にぶつけましたが、全く是正されることはありません.私が医局を去る理由になった一つです.

 私は不条理や理不尽な問題に対して、葛藤を処理する能力に欠けていたのかもしれません.ですが私の正義がどうしても許せませんでした.代償的行動として、私は仕事をさぼったわけではなく、利他的な行動を取りました.防衛機制の中でも高度な防衛です.目の前の症例には一つ一つ真摯に取り組んでいました.わずかに小康に至ってゆく過程、だんだん笑顔が出てくる過程を見るのが嬉しかったのです.こんな私でも役に立っている時がある、そう思えただけで頑張れるときがありました.その中で患者さんとの関わりが長くなるとどうしても転移の問題が出現し、お互いが乗り越えるまで診察室の場は緊張感を伴います.非常にストレスフルな労働環境の中で私は強力な陽性転移と陰性転移の生じた症例を対応せねばならず.私自身、逆転移が生じていることを理解しつつも、うまく折衝できていませんでした.

前駆期

 日に日に私はいらだちが隠せなくなり、当時交際していた妻にもそのことを指摘されましたが、私にはその頃自覚はありませんでした.妻には大変申し訳なく思っています.常勤先の病院でも常勤医との上下関係で大いに悩みました.そこではすでに常勤医同士で関係性が悪く、空気感が悪い職場でした.いつの間にか伝書鳩のような役割になってしまい、互いの利害調整役になってしまっていました.顕著なのは当直表を作れと命じられたことでした.当直を月に八回や九回入らないといけない状態が続き、当直明けも帰れない状態がつづくと流石に私の精神だけでなく、肉体にも障碍が出てきました.睡眠障碍です.だんだん眠れなくなりました.寝ている途中、悪夢で叫ぶこともありました.そんな馬鹿なと自分でも思いますが、夜驚というのは成人でもあるのだと、また一ついやなことを学びました.そして日中は動悸と悪心が常態化しました.食欲もなくなりました.趣味もできなくなりましたし、休日も病院から電話がかかってくるので、常に緊張感が漂っていました.

 ちょうど同時期、私は交際していた妻と同居していました.それはそれは仕事以外は素晴らしくて、このまま結婚してお互いに支え合えたらいいなと思っていました.妻のご両親には快く結婚を前提にした交際を認めていただきましたが、私の方はそうは行きませんでした.実家で報告をすれば尋問するかのように妻の身辺を延々と訊かれ嫌な気持ちになりましたし「こうでもしないとお前は話さないからな」と言われ「どうせすぐにこどもをつくるにきまっている」「興信所に頼んで身辺調査させる」と言われたときは心底血の気が引き、正直言って失望を通り越してドン引きしました.同棲も事前に話していましたが「そんなことは聞いていない」とされ、そもそも許可を取る話でもないのですがなぜか承認が必要な空気になり、私の責任問題をかなり咎められました.「そんなことだろうと思った」「やはりお前はしっかりしていない」「結婚は絶対に認めない」とされ私は心臓に鉄槌を打ち込まれました.ここで私の持病の緘黙が発動しましたが、妻を貶める発言は聞き逃さずどうしても許せませんでした.反逆の精神が沈黙を破った瞬間もありました.ですが私はもうズタズタでした.もう魂から黒い液体がドロドロと吹き出していて、鉄槌が食い込んで胸がぺしゃんこになった感覚でした.この時点で強烈な希死念慮が私を襲い、離人感を感じ家に帰りました.後に妻のメンタリティを揺さぶりました.妻を落胆させたことを本当に本当にすまなく思っています.それでも私と結婚してくれたことをありがたく嬉しく思っています.

とどめ

 同時期に私の外勤先で無給診療中に、私の車が職場駐車場で当て逃げにあったことが私の魂にとどめを刺しました.満身創痍で駐車場に向かうとフロントバンパーが惨めにもズタズタのぺしゃんこで、私の心とよく似ていました.「お前もズタズタになるなんて……」無機物の中で唯一感情を注いだ大事な大事な家族である車を当て逃げされたこと、それが自分の所属している職場の誰かであること、その人物が罪から逃げたという事実、責任感のあるはずの医療職が逃げたという事実が私の人間不信に決定打を与え、人間の潜在的な悪を心底恨みました.駐車場の監視カメラに写っているのでしょうが、私はすでに憔悴していて、犯人探しをする気力がなかったのです.警備員が目撃していたのですが「カメラに写っているか見てみます」とか行ってくれるわけでもなく、非協力的でした.私は絶望の連鎖でもうとにかく休みたくて、休みたくてしかたがなかったのです.吐き気のする職場から去って、一刻も早く妻の元に行きたかった.私にとって唯一の救いは妻でした.妻は私を慰めてくれて一緒に怒ってくれました.同時に悲しませてしまいました.

 そしてとうとう私は発病しました.これは必然でした.全身を気だるさが覆い、無気力が私を支配しました.鉄槌で打ち込まれた傷がうずくように、胸が痛みました.息が苦しいような、焦燥感と閉塞感が私を包みました.何もできない.本当に何もできなかった.とんでもないことをしてしまった.とりかえしのつかないことをしてしまった.もうだめだ.死んでしまうしかない.さてどうやって死のうか.死ぬにも死ぬ気力がわかない.そういう観念が私を無限地獄の中で延々とループしました.日本精神病理学会で発表するはずの演題も全く完成しておらず、焦りと狼狽が湧きたちました.外から見ればただの屍ですが、脳内は異常な神経伝達物質の嵐だったでしょう.冷めていて中は熱いような状態かもしれません.学会はお流れになりました.以来、私は半端ものになってしまいました.キャリアも中途半端で終わってしまいました.病気を理由に医局を辞めましたが、本意はやはり別にありました.

法律事務所を設立

 ある日、妻が、私が亀が好きだったことを覚えていてくれて、もう一度亀を飼ったらどうかと言ってくれました.それが救いでした.ようやく私は体を動かして、新しい家族に出会うことになりました.それが吾郎ちゃんです.のちに三郎、さぶちゃんが加わり、にぎやかになりました.妻とこの二頭がいてくれて私は救われました.今でも吾郎ちゃんとさぶちゃんは私の大事な大事な家族です.そんな二頭にあやかってブログ「亀吾郎法律事務所」を作り、改名して今のブログに落ち着いています.好き勝手にものを書く楽しさを知り、いろんなことを勉強する動機づけになっています.これは大変ありがたいことです.これを助言してくれたのは妻でした.感謝してもしきれませんね.

最後に

 この告白はある種の告発でもありますが、もう一つ目的があります.決して怨恨のために書いているのではないことをお伝えしたいのです.こうして定期的に過去の記憶と対峙していくことで自分の感情を整理する狙いがあります.墓参りと同じものだと思えばいいのかもしれません.私の発病した日はある意味、私の命日です.○周忌と冗談を言うこともありますが半分本気なところもあります.喪の作業をちゃんと行うこと、私の歪んだ魂の供養を定期的に繰り返すことで、いつしか私の心は癒えるのかもしれません.瘉えないかもしれません.期待はしすぎないことです.私は今は転職して今はなんとか仕事を続けられていますが、これも供養の一貫だと思っています.先に述べたように私はおそらく精神科医を続けるべきではないような気がしています.かつてのキャリアプランは私にはもはや無理な感じがするのです.あの不条理をもう二度と味わいたくない、そういう気持ちでいっぱいです.かといって転科して他の医学を勉強するモチベーションは欠けていますから、別の方向性を模索しているところです.私の心には「要領のなさ」と「生きる力のなさ」が徹底的に刷り込まれているために、なかなか自己肯定感と自尊感情(セルフ・エスティーム)が芽生えてきませんが、これからは別の方向性で自分を癒やしていきたい、そう思っています.

 もし周囲に傷ついている人がいれば、それがあなたにとって近い人であれば、ときに駆け寄って支えることも必要ですが、それがかえってその人をひどく苦しめることがあります.良かれと思ってなにか行動することが毒になるのであればそれは偽善になりうるのです.自分がもたらす影響がどれだけ大きいか、自分の言動が当人にとってどのように作用するのか、それはよく吟味する必要があると思うようになりました.寓話「北風と太陽」が象徴的かと思います.私はもし医者を辞めたとしてもやはり太陽の立場になって遠くからポカポカと旅人を照らし、暖める側になりたいものです.自戒の意味を込めて.

 

 

投稿者:

吾郎

2020年6月にブログ開設.生き延びるための様々な問題を精神病理学に基づいて取り扱っています!ぜひぜひ気軽に遊びに来て下さいね.Our articles include essay, translation, study about literature, psychiatry(psychopathology), humanities.