波動

気分の波を疑う

 世間一般で知られる双極性障碍の気分変動のモデルについて、私なりに疑問がある.よくあるのは正弦波を模した関数、例えばf(t)=sinωtのような図である.この場合、極値が下に凸と上に凸となる双極が繰り返される図ができるわけで、例えば上端を状態、下端を抑うつ状態として、なんとなく気分変動を表すことは容易である.製薬会社や医師もこの図を用いて「薬を続けて振幅を徐々に小さくしていくことを目指していきましょう」などと謳っている.これはなるほどわかりやすい.「双極性障害 気分の波」などで画像検索すれば、すぐに正弦波モデルが登場する.しかし、これには少なくとも二つの問題を孕んでいるように思う.

 まず一つは、二つの極値の中間とはなんぞや、という問題である.おそらくはでもなく抑うつでもない状態なのだろうが、これは人間の気分において一体何を表しているのだろうか.丁度いい状態があるとでもいうのだろうか.それとも無の状態(sinωt=0)とでも言うつもりだろうか.それは違うのではないかと予想するが、誰か考えがあればご意見を寄せていただきたい.そもそも誰が波動のグラフを持ち出したのだろうか.線形のモデルで例えていいのだろうか.

図1.よくある双極の図

 もし、仮に中間が「本人にとっても社会・臨床的にも苦痛のない状態(均衡状態:equilibrium)」だとすると、それは当事者にとって目指すところは全く異なる.しかもf(t)=Asinωtのような簡素な波形にはならないはずである.現実はもっと複雑である.g(t)=Asinωt+Bsin2ωt+Csin7ωt+…のように.

図2.波動での記述は難しい

 誰もが該当するわけではないが、当事者の中にはかつての高揚感や気分爽快感を取り戻そうと、「自身が健康であると考える」精神力動を軽状態に求めることは業界では知られている.よってそうした力動に反して、一部の医療者の中には「低め安定」という言葉を使って、(想像上の)中間基線よりも下方(うつ寄り)を狙って薬物治療を行う者もいるのは私が知る限り事実である.すなわち、薬剤で軽度鎮静を狙うことになる.すべてに当てはまるわけでないにせよ、治療目標を単純に中間に定めることは難しいのではないだろうか.

 ともすればいよいよ二つの極値の中間を規定するものは何なのかが怪しくなってくる.この双極モデルを使って治療目標を決定するインフォームド・コンセントの方法は果たして妥当なのだろうか.「いやいや、あくまでこれはシンプルな例なんだからさ、そんなに厳密に考えなくていいじゃん、もっと簡単に考えた方がいいよ」というご指摘はあるだろう.私だって簡単な方が良いと思う.だが、上記のモデルは使いづらいように思うのだ.だから議論をしている次第である.こんな言い方をすると業界に喧嘩を売る物言いになってしまいそうで恐々としてしまうが、考えてみれば別に不思議なことではないように思う.

 二つ目は、混合状態を説明することができない、ということである.混合状態状態と抑うつ状態が混在した精神医学現症といえる.内心とても憂鬱で沈滞した気持ちであるが、落ち着かず多弁であちこち動き回ってしまうなど活動的に見える状態であることが代表的だろう.このような状態は自殺のハイリスクとされる.ここで抑うつ状態と状態が一緒になっているとき、上記の波動モデルを持ち込むとよくわからなくなる.あれれ?どこ?中間?でも中間ってでもなくて鬱でもない状態のような……うーん.

 一応、エミール・クレペリン(E. Kraepelin)ら混合状態を認める立場の見解は次のようになる.抑うつ状態と状態が混合した場合、両者は決して中和せず、状態の強度は重ね合わせたものとなり、決して0になることはないのだと.この考えは物理学の「重ね合わせの原理」を参考にしているように思う.私は数学が大の苦手であることを告白するが、「重ね合わせの原理」は線型性のある系に成立する原則であり、波動を記述する式は多くの場合線形性を持つ.またベクトル空間におけるベクトル和も重ね合わせといえよう.すなわち、混合状態は独立した二つの波形の重ね合わせ、あるいはベクトルの和だという言い分になる.この考えであれば、抑うつ状態、状態単独での記述も可能なのかもしれない.一方の波動ないしはベクトルを0にすればよいのだから(ただし両者はどちらかが逆位相の波形もしくは逆ベクトルでないとする).

 しかし、いずれの場合も治療目標を説明することがどうしても難しく感じる.単純にベクトル量を0にするとか、波形を直線にするということで片付けられる問題ではなさそうだからだ.

図3.重ね合わせの原理

 以上を述べたところで私は、典型的な双極モデルをやめろ、というつもりはない.これよりもお手軽な気分変動のモデルが思いつかないのが大きな理由である.とはいってもやはり双極モデルは最適モデルではないと思う.安易にこの図で説明してしまうことは、目に見えない気分の目標(フラットな状態)を目指してしまう危険性があることと、混合状態を説明できないジレンマに陥るからだ.

 最後になるが、気分などというものは所詮ラカンのいう象徴界(シニフィアンの世界)では扱えない代物なのかもしれない.しかし、患者さんやその家族へ、丁寧に説明を行うときはなんらかの例えを使うことが非常に役に立つ.我々は象徴界に生きているからこそ、その規則の中で懸命にもがくしかない.時間はあるので引き続きゆっくり考えてみたいと思う.

いつもありがとうございます.

投稿者:

吾郎

2020年6月にブログ開設.生き延びるための様々な問題を精神病理学に基づいて取り扱っています!ぜひぜひ気軽に遊びに来て下さいね.Our articles include essay, translation, study about literature, psychiatry(psychopathology), humanities.

「波動」への2件のフィードバック

  1. ハナ – 40代双極性障害当事者女性です。冬季うつ体質です。調剤薬局薬剤師として正社員で働いています。よろしくお願いします。
    ハナ より:

     興味深く読ませて頂きました。私は当事者で、母親もタイプが全く違いますが当事者です。私も現在の双極性障害の説明に違和感を感じている一人です。私や母には当てはまっていないように感じます。
     現在の双極性障害への医療にも、疑問を感じています。
     ブログ記事、楽しみにしています。

  2. 吾郎 – 2019年12月11日に「亀吾郎法律事務所」を創設.人文学、精神医学(精神病理学)、哲学、語学を取り扱います.2021年に「生き延びるための精神病理学」に改名しました.Office est. 11/12/19. Our articles include essay, translation, study about literature, psychiatry(psychopathology), humane studies. 
    吾郎 より:

    ハナさん、コメントありがとうございます!いつも読んでくださって嬉しいです!この業界は当たり前とされているモデルや概念が多いですよね…… これからも色々考えてみたいと思っています.またいつでものんびり遊びにきてくださいね〜

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